#72 家族







 肩に誰かが寄り掛かっている感じがする。

 徐々に意識がはっきりとしてきたため、僕はゆっくりと自分の瞼を持ち上げた。

 どうやら僕は寝てしまっていたらしい。

 隣を見ると、ひまちゃんが僕の肩に頭を乗せ、気持ちよさそうに目を瞑っている。

 そんな僕たちには一枚の毛布が掛けられており、後ろをそっと振り返ると、進さんと日奈子さんの姿があった。

 進さんは椅子に座って本を読み、日奈子さんはキッチンで夕食の準備をしている最中で、僕の視線に気付くと二人は笑みを浮かべた。

 リビングに置いてある時計の時刻は、二人が買い物に出掛けてから二時間ほど経っていたため、僕は一時間くらい眠っていたことになる。

 おかげで目はぱっちりと冴え、頭もすっきりとしている。


 そして、僕は改めてひまちゃんの方に視線を向けた。


 ひまちゃんを起こすのは何だか忍びないが、このまま寝ていると夜に眠れなくなるかもしれないし、この後には夕食も控えているため、僕はひまちゃんの体を優しく揺すった。


「ひまちゃん、起きて」


「…ぉにーひゃん?」


 そうすると、ひまちゃんは寝ぼけまなこを擦りながら僕の方を見つめてくる。

 まだ頭がぼんやりとして舌がうまく回っておらず、ひまちゃんはいつもより幼さを感じさせる様子であり、そのあまりの可愛さに「やっぱり好きなだけ寝させといてあげようかな…」と僕は普通に決心が鈍った。

 しかし、僕は心を鬼にして、


「進さんも日奈子さんも帰ってきたし、夕食もあるから起きよっか」


 とひまちゃんに伝えた。

 僕の言葉を受けて、次第に頭が働き始めてきたのだろう、ひまちゃんは目をぱちぱちとさせ、何故か頬を赤く染めた。

 その理由を尋ねてみると、


「お兄ちゃんに寝顔見られちゃったから…。私、変な寝顔じゃなかった?」


 と、何とも可愛らしい理由を答えてくれた。

 なので、僕は微笑みながらひまちゃんにこう言った。


「ひまちゃんの寝顔、とっても可愛かったよ」


 僕の言葉にひまちゃんは顔を真っ赤にしながらも、「えへへ♪」と嬉しそうな表情を浮かべる。


「本当に二人は仲良しさんね」


 すると、日奈子さんがそう声を掛けてきたことで、僕も何だか顔が熱くなった。

 そんな僕に対し、日奈子さんと進さんは「優しい」眼差しを向けてくる。


 リビングには、気恥ずかしいけど温かくて心地良い、そんな明るい雰囲気が広がっていた。










***










 夕食を食べ終わった後、ひまちゃんは一足先に自室へと戻って行った。

 ひまちゃんは受験が控えていることもあり、今から受験勉強をするらしい。

 色々と僕のせいで受験勉強の時間を奪ってしまったことに申し訳なさを感じたが、ひまちゃんが「全然大丈夫だよ!」と言ってくれたことで、僕はホッとした気持ちとなった。


 リビングでひまちゃんを見送った後、僕はしっかりと椅子に座り直す。


 ひまちゃんとは、夕方にしっかりと話し合うことができた。


 でも、僕にはまだ話さないといけない人たちがいる。


「進さん、日奈子さん」


 僕が二人の名前を口に出すと、進さんと日奈子さんの視線が僕の方に向けられた。

 二人は黙って僕の言葉に耳を傾けており、その視線はいつもの「優しさ」を感じさせる。


 そして、僕は大きく深呼吸をし、二人に頭を下げた。




「今まで本当にごめんなさい!」




 この二年間、僕は二人に迷惑を掛け続けた。

 それなのに、二人はいつも僕のことを尊重し、いつでも僕のことを見守ってくれていた。

 あの日、僕は「自分一人」で生きていくと決めたが、実際は二人の支えなしでは生きていくことなんてできなかった。

 極論かもしれない…でも僕は、二人の「愛情」で今も生きることができている。


 そして僕は、ひまちゃんにも話したように、自分の胸の内を進さんと日奈子さんに話し始めた。


 二人は僕の話を聞き終わると、その顔に「後悔」を滲ませる。


 「…話してくれてありがとう、朔」と進さんは言い、更にこう話を続けた。


「私たちは、朔の気持ちに気付いておきながら、寄り添ってあげることができなかった。本当にすまない、朔」


 進さんの後に、


「朔くん、ごめんなさい」


 と日奈子さんも言葉を重ねる。


 二人の「後悔」は、夕方にひまちゃんが見せた「後悔」と同じように僕に対してのものだった。


 本当に、とても優しくて思いやりのある素敵な人たちだ。


 その「後悔」が僕を想ってのことであることはひまちゃんの時からも感じており、僕は嬉しい気持ちで胸がいっぱいとなる。

 そして、「頭を上げてください」と二人に伝え、僕は自分の「寂しさ」と「わがまま」を口にした。


「僕は、進さんと日奈子さん、そしてひまちゃんの邪魔はしたくないと思っていました。邪魔をして三人に嫌われたり、見放されたりするのが怖かったから…。でも、三人が仲良くするのを見て、僕は三人が眩しくて、羨ましくて、寂しくて。僕は三人と本当の家族じゃない…。でもっ僕は!もう一人は嫌だ…っ。わがままだとは分かってる、だけど!僕はもう、『大切な人』たちと離れたくないっ」


 海へと飛び込んだあの日、僕は三人の姿がただただ「眩しかった」。

 僕は、この三人の間に割って入ることはできない…。

 そんな黒い感情に飲み込まれたせいで、僕の心は「妄執」に取り憑かれた。

 あの日、進さんたちが父さんや母さんの話をしていたことに、悪気が一切なかったことはもちろん理解している。

 本当は、三人が父さんと母さんのことを今でも大切に想っていてくれて、僕は嬉しかった。

 しかし、あの時の僕はそれを受け入れることができなかった。


 もしかすると、「家族」に対する繋がりもまた、僕を自殺へと駆り立てた要因なのだろう。


 僕の「拙い」言葉を最後まで聞いてくれた二人は、僕のことを真っ直ぐ見つめた。


「朔のことを嫌ったりなんて絶対しない…なんて言っても、今の私じゃ説得力がないだろう」


 進さんの言葉に、僕は首を横に振る。


「どんな理由であれ、私が朔のことを止められなかったのは事実だ。私は『朔なら大丈夫』だと身勝手な解釈を押し付け、朔を追い詰めてしまった。これは、私がこれからも抱え続けなければいけない自分の過ちだ。朔からしてみれば、こんな私はひどく『頼りない存在』だと思う」


 僕は進さんのことを「頼りない存在」なんて思ったことは一度もない。

 だけど、僕がそう思っていないと伝えても、進さんがそれで満足をしないということに僕は気付いていた。

 僕や父さん、そして進さんは、良くも悪くも意地を張るという性格がある。

 それを理解していた僕は、そんな進さんの意志を尊重することにした。


「…これからも朔を不安にさせてしまうことがあるかもしれない。でも、だからこそ、もし朔に困ったことがあれば、私にもその困ったことを教えて欲しい。朔につらいことがあれば、私にもそのつらさを背負わせて欲しい。私は、いや私たちは、朔の一番『頼れる存在』でありたいから」


 進さんに続き、日奈子さんも僕に言葉を投げかけてくる。


「朔くんは本当に優しい子ね。私たちは朔くんのその優しさに甘えて、朔くんを一人にしてしまっていた。本当にごめんなさい」


 日奈子さんの言葉にもまた、僕は首を横に振った。


「進さんも言っていたけど、私たちがもっと朔くんの気持ちに寄り添ってあげていたら、こんなことにはならなかったかもしれない…。でも、こんな私たちのことを、朔くんは『大切な人』だと言ってくれた」


 進さんと日奈子さんは、僕にとっての「大切な人」である。

 この気持ちは僕の紛れのない「本心」だ。


「だからね、朔くん。私からもお願いするわ。私に、私たちに、朔くんと『向き合う』機会をちょうだい」


 二人は僕に負い目を感じており、僕も二人に罪悪感を覚えている。

 この関係性というのは、一日でどうこうできるようなものではない。

 「時間が解決してくれる」とは、正にその通りだと僕は思う。

 しかし、僕たちなら「そんなこと」はすぐに乗り越えられるような気がしている。


「…これからも僕は沢山迷惑や心配を掛けると思うけど、それでも良い?」


 それでも、僕はほんの少しだけ不安になったので、そんなことを二人に尋ねた。

 すると、二人はとても嬉しそうな表情を浮かべ、僕に頷きを返してくれた。


 そんな二人の表情が、一瞬父さんと母さんに重なって見える。




「もちろん。私たちは『家族』なんだから」




 進さんや日奈子さんは、あの日からずっと僕のことを「家族」として扱ってくれていた。

 そして、僕が色々迷惑や心配を掛けた今も尚、二人は僕のことを「家族」だと言ってくれている。


 この瞬間、僕はようやくこの家族の「養子」になったことを受け入れることができた。


 僕の冷たい「寂しさ」を埋めてくれる温かい場所は、最初からこんなにも近くにあったのだ。


___本当に、本当に、僕は遠回りをしてしまった。


「ありがとう…っ」


 僕は二人の「愛情」に、思わず涙をこぼしてしまう。

 二人が椅子から立ち上がるのに合わせ、僕も椅子から立ち上がり、そのまま僕は二人へと抱き着いた。

 そのまま涙を流す僕を、二人は優しく抱き締め返してくれる。


 こんな優しい人たちから「大切」に思われているなんて、僕は幸せ者だ。




 そうして僕はしばらくの間、二人の温かさに身を委ねるのだった___。










***










 そこからの生活は、毎日がカラフルに彩られ、とても充実したものだった。

 ひまちゃんと一緒に勉強をしたり、日奈子さんと買い物に行ったり、進さんと本の話で盛り上がったり…これまで想像もしていなかった日々を僕は大切な人たちと過ごした。


 そして、今日は十二月三十一日。


 後数分で今年が終わり、新しい年が始まろうとしている。


 今年は、本当に色々なことがあった。


 振り返るのは時間がいくらあっても足りないが、「忘れられない一年」となったのは間違いない。


 つらくて、苦しくて、痛くて、悲しくて、寂しくて…。


 挙げ出したらきりがないほどの感情と向き合い、過ちを犯し、そして「それでも」前を向く理由をもらった。


 僕がこうして今年を無事に終えることができるのは、大切な人たちのおかげである。


 来年は、そんな大切な人たちに「感謝」を少しずつ返していけるような、そんな年にしていきたい。




 そして、テレビからは「年越し」のカウントダウンが聞こえ始めてきた。


『5!』


 自分は弱い。


『4!』


 それに、自分でもびっくりするほどの寂しがり屋だ。


『3!』


 でも、「そんな自分」もまた、自分自身なのである。


『2!』


 今まで認められなくてごめんね、俺。


『1!』


 これからは、そんな自分も全部ひっくるめて、僕は「川瀬朔」だ。




「「「「明けましておめでとうございます」」」」




 僕は進さん、日奈子さん、ひまちゃんと順番に新年の挨拶を交わしながら、新しい一年が始まったことを実感する。


 すると、ひまちゃんのスマホから着信音が聞こえてきた。


 ひまちゃんは電話に出た後、その電話の相手と楽しそうに会話をし始める。

 そしてひまちゃんは、自分のスマホを僕の方へと渡してきた。


 そのスマホを受け取り、僕が「もしもし」と声を発すると、聞き馴染みのある声が電話からは聞こえてくる。


「川瀬、明けましておめでとうっ♪」


 愛野さんの新年の挨拶に、


「愛野さん、明けましておめでとうございます」


 と僕も同じく挨拶を返した。


 そうして、しばらくの間「何のテレビを見ているか?」や「年越しそばは食べたか?」などの会話を愛野さんと交わしていると、愛野さんは僕にこう尋ねてきた。


「一月三日、川瀬は予定空いてる?」


 そのまま愛野さんは、予定が空いていれば…という提案を僕に話してきた。

 僕はその話に頷き、「良いですよ」と愛野さんに伝える。


「それじゃあ一月三日、よろしくねっ♪」


 そして、愛野さんとの通話が終わり、僕はスマホをひまちゃんへと返した。


「お姉ちゃんと何の話してたの?」


 ひまちゃんが興味深そうにそう聞いてくるので、僕は「一月三日の予定」をひまちゃんに話した。

 その話を聞いたひまちゃんは、何故か口元をニマニマとさせて僕を見始める。

 進さんと日奈子さんもまた、僕に「微笑ましい」視線を向けてきていた。

 三人の視線に心当たりがないわけでもないが、僕はあえて顔を横に向け、その三人の視線をスルーすることにした。

 でも、そんな僕の「照れた」様子を見て三人が楽しそうに笑い始めるので、結局僕も釣られて笑みをこぼした。


 リビングには、僕たちの楽しい笑い声が響いている。




 こうして、僕の新しい一年は賑やかなスタートを切ったのだった___。






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