#71 お兄ちゃん







 次の日の朝、検査で異常も見つからなかったため、僕は無事に退院できる運びとなった。

 この後は進さんと日奈子さんと日葵さんと一緒に僕の家へと移動し、必要な荷物を持って三人の家に向かう予定である。


 しばらくの間は三人の家に泊まることになった。


 三人からは「断らないよね?」という圧のある笑みを向けられたこともあり、僕はすぐに頷きを返した。

 僕のその頷きに日葵さんは「やった!」と喜んでくれていたので、「迷惑じゃないかな?」という不安はどこかに飛んで行った。

 ゆっくり話す時間も欲しかったので、これなら三人と沢山話すことができるだろう。


 そして、病院を後にしようとした時、僕は大学生の四人組に声を掛けられた。

 この四人は僕を海から救助した人たちであり、僕が退院すると聞いてわざわざ病院まで足を運んでくれたようだ。


 あの日、四人は次の日の「クリスマス」に向けて、彼女を作ろうと合コンに参加していたらしい。

 しかし、結局誰も彼女はできず、夜遅くまでカラオケに行った後、帰りに車であの海へと向かったそうだ。

 四人は昔からの友人同士だそうで、家もあの海の近くにあるらしい。

 何か悲しいことがあれば海に行くのが恒例となっているようで、今回の「彼女ができなかった」ことも例に漏れず…といった感じだったようだ。

 そして、近くの自販機で飲み物を買って海の方に向かうと、僕が海に入って行くのが見え、そのまま四人は急いで僕を助けてくれたということだった。


 四人の話を聞き、タイミングが少しでもズレていたら僕は今ここにいなかっただろうと実感する。


 四人からも「もうあんなことはしちゃだめだぞ」と警告されたので、僕はしっかりとその言葉を自分に言い聞かせ、四人に「ごめんなさい」ということと、「助けてくださりありがとうございました」ということを伝えた。

 すると、一人の大学生のお兄さんが、僕にこう言ってくれた。


「何かしんどくてつらいことがあったかもしれないけど、世の中それだけじゃないしさ、気楽にいこうぜ。そしたら、意外と『悪くない』って思えるかもしれないしな」


 「まぁ俺は彼女ができなかったことを絶賛まだ引きずってる最中だけどな!」と言葉を続け、そのお兄さんはやけくそな笑顔を見せた。

 そのお兄さんの言葉を聞いた他の三人は、


「おい!お前それは言わない約束だろ!」


「あの日の合コンはもう忘れようって約束したじゃねえか!」


「なんで俺らは彼女ができないんだ!」


 というように彼女ができなかったことに頭を抱え始め、その様子を見た僕は自然と口角が上がった。

 僕が笑い始めたのを見て、その四人も釣られて笑い始め、僕はこんな「男子のノリ」は久々だなぁと思い、楽しさを感じた。

 そこからは、「どんな子がタイプか…」や「あそこで気を遣っていたら付き合えたかもしれないのに…」などの「男子トーク」でしばらく盛り上がり、四人は僕に手を振りながら帰って行った。


 本当に賑やかで優しい人たちだったなぁ。


 四人はとても固い「友情」で結ばれており、僕はそんな四人の姿に「羨ましさ」を覚えた。


 あの日、「親友」だった男子と仲違いした時、僕は「友情」を信じるのをやめた。

 しかし、ショックが大きかったとはいえ、僕は頑なに彼と「仲直り」をしようとはしなかった。

 きっかけがどうであれ、仲違いで終わったのには僕にも原因があったように今は感じている。


 「友情」もまた、裏切られた後の苦しさが怖くて、僕は逃げていただけなのだ。


 この経験があったからこそ、その後の出来事で僕は「愛情」への忌避感を「違和感なく」持つに至ったのだろう。


 でも、今はこうして少しずつ前を向き始め、「友情」も徐々に認められるようになってきた。

 まだすぐには無理だろうが、いつかはあの四人のような関係性を築ける「友人」ができたら良いなぁ。


 …なんて、僕は思ってみたりしたのだった。










***










 病院を出た後はお昼ごはんを食べ、一度僕の家に向かった。

 何日間かは向こうの家で生活をするため、必要なものを持っていくためだ。

 冬休みの課題などの勉強道具や必要な着替えを持ち、僕たちはこの場を後にした。


 そして今、僕たち四人は目的地へと到着した。


 進さんたちの家には何度も泊まったことがあるし、二年前のあの日の後もしばらくはここで生活をしていたはずだが、何だかとても久しぶりなように感じる。

 車から降りて玄関へと移動し、リビングに入ると、僕の家とはまるで違う「温かさ」がこのリビングには広がっていた。


 さっき一度家に戻った時、僕は自分の家が殺風景だと感じた。


 今になってようやく、三人が僕の家を訪れた時に悲しそうな表情をしていたことが理解できた。

 僕は周りが見えていなさ過ぎて、自分の生活が「破綻」していたことに気付くことができなかった。

 こういう細かいところもまた、自分の気持ちを認めてあげたことでだんだんと「見える」ようになってきた。


 リビングから出た後、僕は日奈子さんに連れられて二階の「自室」へと向かった。

 少しの間ここで生活をしていた頃、進さんと日奈子さんは二階の一室を「僕の部屋」として与えてくれた。

 どうやらその部屋をずっと残しておいてくれたらしく、その部屋の扉を開けると、ベッドや机、椅子などが変わらずそこには置かれてあった。

 部屋はとても綺麗な状態で、いつ僕が帰ってきても良いように日奈子さんがいつも掃除をしてくれていたらしい。


 日奈子さんの思いやりが、僕の心へと染み渡ってくる。


「ありがとうございます、日奈子さん」


 僕は日奈子さんに感謝を伝え、その部屋の中へと足を進めた。


 そして、持ってきた荷物を棚やクローゼットにしまい、僕たちは再びリビングに戻った。










「今からお買い物に行ってくるから、朔くんと日葵ちゃんはお留守番をお願いね」


 日奈子さんは進さんを連れ、そのまま買い物に出かけて行った。


 リビングには、僕と日葵さんだけである。


 日葵さんが家に残るというのを聞いて、僕も残ることに決めた。

 恐らく、この時間を作るために日奈子さんと進さんは「あえて」僕たちを買い物に誘わず、二人で外へと出て行ったのだろう。

 二人もまた、昨日の病室で日葵さんが「話したい」と言っていたことを聞いていたからだ。


 今がその「約束」を果たす時である。


 そうして僕が話の切り出し方に思案していると、


「お兄ちゃん、こっちに来て」


 とソファに座っている日葵さんに誘われ、僕はそのソファに腰かけた。

 僕は少し間を空けて座ったのだが、日葵さんは僕と肩が触れ合う距離感となるように座り直してくる。

 そう言えば、いつも日葵さんはこうやって僕にぴったりくっ付きながらソファに座ってきたことを思い出す。

 昔から変わっていない日葵さんの「可愛らしい」様子に、僕は懐かしさを覚えた。


 そして、日葵さんは「『お姉ちゃん』に連絡しても良い?」と僕に尋ねてきた。


 「お姉ちゃん」という人物に心当たりがなかったので、それは誰なのかと日葵さんに尋ねると、それは愛野さんのことだった。

 知らない間に二人は仲良くなっていたようで、連絡先も交換しているのだとか。

 僕が無事に退院できたら連絡をすると愛野さんに伝えていたらしく、僕もどうやって愛野さんに退院したことを言おうかと思っていたので、「良いですよ」と日葵さんに伝えた。

愛野さんが忙しい場合も考慮して、とりあえずメッセージを送ることになり、


『お兄ちゃんは無事退院できました』


と日葵さんは打ち込み、愛野さんへと送信した。


 すると、送信してわずか数秒で既読が付き、そのまま愛野さんから電話が掛かってきた。


 日葵さんは「もしもし」とその電話に応対し、愛野さんと何やら話している。


「うん、それじゃあビデオチャットにするね」


 二人が会話をしていることに目新しさを覚えていると、日葵さんは通話のビデオチャットをオンにし始めた。


 そして、画面には手を振っている愛野さんの姿が表示される。


 日葵さんは僕も映るようにスマホを持つ手を構え、反対の手で愛野さんに手を振り返していた。


「川瀬っ」


 愛野さんが僕の名前を呼ぶ声が聞こえてくるので、僕は無事に退院できたことを報告する。

 愛野さんは「良かったぁ~っ」と自分のように僕の退院を喜んでくれ、僕はその様子に胸が温かくなった。


 検査のことや僕を救助してくれた大学生の人たちのことをしばらく話し、今日の退院に関わる内容を話し終えると、愛野さんは「話は変わるんだけどさ…」と何やら楽しそうな笑みを浮かべ始めた。

 そして、愛野さんは僕たちにこう言ってくる。


「こうして川瀬と日葵ちゃんの二人を見ると、二人は本当の兄妹(きょうだい)みたいだねっ」


 愛野さんのそんな言葉に、僕と日葵ちゃんはお互いの視線をそれぞれの方に向けた。

 隣同士で座っているため、日葵さんとはかなり近くで顔を見合わせてしまい、日葵さんは頬を赤くしながら恥ずかしそうにしていた。

 一方の僕も何となく気恥ずかしくなり、視線をすぐに横へと反らす。

 そんな僕たちの様子を見た愛野さんは、


「はぁ~尊い…っ」


 と謎の言葉を発しながら、画面越しでも伝わるくらいキラキラとした「好奇心」の目を向けていた。

 愛野さんが言うには、僕と日葵さんの目元や雰囲気がそっくりだということらしいのだが、日葵さんは「目に入れても痛くない」ほどの女の子であり、僕は「似てるかな?」と首を傾げた。

 しかし、日葵さんが何だか嬉しそうにしていたので、それならまぁ良いかと僕は思った。


 その後も三人でしばらく会話をし、愛野さんとの通話は終わった。

 電話を切る際、


「年明けにまた電話するねっ♪」


 と愛野さんは言っていたため、次に話すのはその時になりそうである。


「お姉ちゃん、とっても嬉しそうだったね」


「そうですね。僕たちから連絡がくるのをずっと待っていてくれたようですし、本当に愛野さんには感謝してもし切れません」


 そして、愛野さんのことをしばらく二人で話した後、


「…お兄ちゃん、あのね、昨日話してたことだけど…」


 と、日葵さんは少し緊張した様子で僕にそう話し掛けてきた。

 そんな僕は、視線を日葵さんの方に向け、日葵さんが話す内容に耳を傾ける。


 そうして日葵さんは僕にこう尋ねてきた。


「お兄ちゃんは、私のことが嫌い…ですか?」


 日葵ちゃんの表情には緊張と不安が浮かび上がり、この言葉を言うのにも沢山の勇気を振り絞ってくれたのだろう、その瞳は涙で潤んでいた。


「今こうしてお兄ちゃんが退院をして、『明るい』表情になってくれているのはとっても嬉しいの。でも、お兄ちゃんが一度『命を絶とう』としたのは変わらない。私、お兄ちゃんが『何か』に追い込まれていたことに、本当は気付いてた。でも、疲れ切った顔をしているお兄ちゃんを見ても、私は何もしてあげられなかった!それだけじゃない!お兄ちゃんが歩おじさんや咲希おばさんのことで『変わってしまった』時も、私はお兄ちゃんに声を掛けてあげられなかった!私は、お兄ちゃんに向き合うことができなかった…。お兄ちゃんが思い詰めてしまったのは、私のせいでもあるの!お兄ちゃん、本当にごめんね…っ!!」


 そう言葉を口にした後、日葵さんは「ごめんね…」と繰り返しながら嗚咽を漏らし始めた。


 今さっきまで、日葵さんからはこんなに「後悔」を滲ませるような様子は感じられなかった。


 これは、僕に対する日葵さんからの「懺悔」のようなものなのだろう。


 昨日、いやそれよりもずっと前から日葵さんはこの感情をその胸の内に抱え、僕と接してくれていたのだ。


 その事実に、僕は日葵さんを「苦しめていた」自分という存在に腹が立ってくる。

 僕は、自分がどれほど周りの「大切な人」たちを傷付け苦しめていたのか、その「罪」の重さを全然理解できていなかった。

 これまでの僕なら、この罪の意識から「逃げる」という選択肢しか選べず、結果として更に日葵さんを傷付けることしかできなかっただろう。


 しかし、僕はもう逃げない。


 僕は、前を向くと決めたのだ。


 そうして、僕は日葵さんへとゆっくり口を開き、僕の胸の内を伝えた。


 父さんと母さんが死んで、「大切な人」が自分の傍からいなくなっていくことが怖くなり、周りから距離を空けたこと。


 「愛情」を受け入れることができず、周りの気持ちを否定することでしか自分を保っていられなかったこと。


 僕のそんな話を、日葵さんは静かに相槌を打ちながら聞いてくれた。


「…だから、僕は日葵さんと距離を空けていました。だけど、本当は寂しかっただけなんです。本当は、日葵さんと前みたいに話したかった。前みたいに仲良くしたかった。僕が『弱い人間』だったせいで、日葵さんをずっと苦しめてしまいました。つらい思いをさせてごめんなさい」


 僕はそうして頭を下げた。

 例え日葵さんが許してくれたとしても、僕は自分が犯した罪の重さを忘れないし、自分を許すつもりもない。

 そして、僕は頭を上げた後、日葵さんにこう伝えた。


 本当は、もっと前からこう言ってあげていれば良かったのかもしれない。


 そうすれば、日葵さんが「後悔」を抱えることもなかっただろう。


 弱くて、寂しがり屋な「お兄ちゃん」でごめんね。




 でも、これからは、絶対に悲しませたりはしないから。




「僕は、日葵さんを嫌ってなんかいません。日葵さんは、今も昔も僕の『大切な人』のままです」




 僕の言葉を聞いた日葵さんは、そのまま僕の胸に顔を埋めてくる。




「わたし…私にとってもっ、お兄ちゃんはずっと『大切な人』のままだよ!」




 日葵さんが腕を回してくるので、僕も日葵さんを抱き締め返す。


 日葵さんは、僕から避けられ傷付いたにも関わらず、僕に「愛情」を向けてくれている。

 僕の自分勝手な話を聞いても尚、僕のことを「家族」として認めてくれている日葵さんに、僕は嘘偽りのない本当の気持ちで「応えよう」と思った。


 僕は日葵さんに、そして自分自身に、こう「誓い」を立てる。




「…僕は弱い人間です。だから、これからも沢山間違えて、失敗すると思います。でも、それでも、僕はもう二度と日葵さんを傷付けないと約束します。だから、日葵さん…いや、『ひまちゃん』、こんな弱い僕だけど、これからも『お兄ちゃん』として、ひまちゃんの隣にいさせてください」




 ひまちゃんは驚きの表情を浮かべた後、再び涙を流し始めた。

 しかし、ひまちゃんのその涙は、さっきまでの「後悔」からくる涙とは違って見えた。


「…またいっぱいお話してくれる?」


「うん、いっぱい話そう」


「…またいっぱいお出掛けしてくれる?」


「うん、いっぱいお出掛けしよう」


「…またいっぱい甘えても良い?」


「うん、ひまちゃんなら大歓迎だよ」





___だって、僕はひまちゃんの『お兄ちゃん』だからね。




 そうして僕の「妹」は、僕に咲き誇るような笑顔を見せてくれた。




「お兄ちゃん大好き!!」




 僕とひまちゃんは、こうして無事「元の関係」へと戻ることができたのだった___。










☆☆☆










 お買い物から帰ってきた私たちは、リビングの扉を開けた。


 そうして目に入ってきたのは、肩を寄せ合いながら仲良く眠る二人の姿だった。


「ふふっ、『お話』はうまくできたようね」


「あぁそうだね」


 私と進さんは小さな声で会話をしながら、そんな二人のことを優しく見守る。

 私はこの光景に懐かしさや嬉しさが溢れ、「本当に良かった」と心から思った。


「もう少しこのまま眠らせといてあげようか」


「そうね、そうしましょう」


 そうして私は毛布を持ってきた後、起こさないようにそっとその毛布を二人に掛ける。

 二人とも気持ちよさそうに目を瞑っており、その姿は本当の兄妹のようだ。


 日葵ちゃんは朔くんにうまく声を掛けることができず、ずっと悩んでいたようだった。


 朔くんもまた、日葵ちゃんと「苦しそうにしながら」距離を取り、関わることをしないようにしていた。


 でも、今はこうして「これまで通り」の様子を見せてくれている。




 願わくは、朔くんと日葵ちゃんがいつまでも、いつまでもこうして仲良しでいられますように___。






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