#68 親愛







 川瀬と水本さん家の関係性について話を聞き終わり、私はその内容を頭の中で咀嚼していく。

 想像をはるかに超えた内容ではあったものの、学校で見る川瀬の様子に、納得できるような「何か」があるのも事実だった。


 その「何か」とは一体何だろう?


 私が頭を悩ませていると、「ところで…」と日奈子さんが私に声を掛けてきた。


「姫花ちゃんと朔くんは、どういう関係性なのかしら?」


 川瀬の話をしている時とは違い、日奈子さんはどこか「興味深そうな」、それでいて「楽しそうな」笑みを浮かべている。


「えぇと…っ」


 まさかいきなりそんな質問が飛んでくるとは思わなかったので、私はキョロキョロと視線を移動させるが、進さんも日奈子さんと同じような視線を向けており、日葵ちゃんに至っては「じっ」と効果音が付きそうなほど私を見つめてきている。


「は、朔くんとは…た、ただのクラスメイトですっ」


 川瀬に想いを伝えたとはいえ、今は返事を保留にしてもらっている状況であり、こう答えることしか私にはできなかった。

 それに、相手は好意を寄せる男の子の「家族」なのだ、気持ちがバレたりなんかしたら、恥ずかし過ぎて身悶えしそうである。

 私が羞恥心を滲ませながらそう答えると、


「ふふっ、そうなのね」


 と、日奈子さんは優しく私に微笑んだ。

 何だか気持ちを見透かされている気がしないでもないが、日奈子さんがその質問を追及してくることはなかった。

 進さんもまた、


「朔にこんなに素敵なクラスメイトがいてくれて、私は安心したよ」


 と言葉を重ねてきた。

 そして、気恥ずかしさを感じたまま横に視線を向けると、日奈子さんや進さんとは違い、日葵ちゃんは何故か俯いてしまっていた。

 「どうしたんだろう?」と思っているタイミングで、メグちゃん先生が私たちの元に戻ってきた。

 そしてそのまま、メグちゃん先生は進さんと日奈子さんと会話をし始める。

 どうやら、川瀬の入院代や検査費のことで受付から呼び出しがあったらしい。


 進さんと日奈子さんとメグちゃん先生が受付に向かおうとしていたので、私もそれに付いて行こうとすると、


「少しだけ二人でお話しませんか…?」


 と、日葵ちゃんが私に声を掛けてきた。

 日葵ちゃんの声は三人にも聞こえていたようで、


「それじゃあ少しだけ受付の方に行ってくるから、姫花ちゃんと日葵ちゃんはここで待っていてね」


 と日奈子さんは口を開き、そのまま三人は受付の方に向かって行った。


 そうして二人きりとなった瞬間、日葵ちゃんは私にこう尋ねてくる。


「あ、愛野さんは、お兄ちゃんのことが、その、『好き』なんですか…?」


「…えっ!?」


 日葵ちゃんの問い掛けに、私は動揺の色を浮かべてしまう。

 そんな私の表情を見て、日葵ちゃんはその「答え」に気付いてしまったようだった。

 しかし、日葵ちゃんは何も言わず、私の口から「答え」が話されることを待っている。

 バレてしまったことに恥ずかしさで頬が熱くなるが、バレてしまった以上、この気持ちを誤魔化すのも何か違う気がした。

 そのため、私は日葵ちゃんに真っ直ぐ視線を向ける。


「うんっ。私は川瀬のことが好きだよ」


 私の言葉を聞いた日葵ちゃんは、「寂しさ」と「喜び」がない交ぜになったような、そんな複雑な表情を浮かべた。

 そして、日葵ちゃんはその表情のまま、ぽつりぽつりと川瀬のことについて話し始める。


「私は、お兄ちゃんのことが好きです。いつも一緒にいたいし、沢山甘えたりもしたいです。お兄ちゃんは、優しくて、賢くて、運動もできる、世界一カッコいいお兄ちゃんなんです」


 川瀬のことを話す日葵ちゃんの表情は、川瀬のことが「好き」な気持ちでいっぱいだった。

 そこには家族としての「親愛」が、私には想像もできないほどに詰め込まれている。

 私は、自分の家族にここまでの「愛情」を向けることができるだろうか。

 比べるものでは決してないのだが、日葵ちゃんが川瀬に向けるその想いは、思わず「羨んでしまう」ほどの熱量をその内に孕んでいた。


 しかし、日葵ちゃんは表情を曇らせ、更にこう話を続ける。


「お兄ちゃんは、歩おじさんと咲希おばさんがいなくなってから変わってしまいました。あの日から、温かいお兄ちゃんの視線が冷たい視線に変わったんです。私とは会話をするどころか目も合わせてくれなくなり、まるで『何か』に『怯えている』ような感じでした。でも、お兄ちゃんは『優しい』お兄ちゃんのままで、本当は何も変わってなんかないんです!…だけど、私の言葉はきっと『今』のお兄ちゃんには届きません。私では、お兄ちゃんの心を動かすことはできないんです」


 そして、日葵ちゃんは私に一歩近付き、


「でも、愛野さんは違います」


 と口を開いた。


「私は違う…?」


 日葵ちゃんの言葉に首を傾げると、その「理由」を説明してくれた。


「昨日、お兄ちゃんと一緒にお出掛けしたんです。その時、お兄ちゃんに『修学旅行』のことを尋ねると、お兄ちゃんが『楽しそう』に話す瞬間がいくつかあったんです」


 「鹿さんと会った時や三日目の自由行動の時にお兄ちゃんと一緒に行動していたのは、愛野さん…ですよね?」と言う日葵ちゃんの言葉に、私は頷きを返す。

 すると、日葵ちゃんは「やっぱり…」と納得がいったような反応を見せた。


「お兄ちゃんがその二つの話をしている時、その話には明らかにお兄ちゃん以外にも誰かがいるような感じがしました。お兄ちゃんは誰と行動をしていたのかは話してくれませんでしたが、私はその相手が『唯一』お兄ちゃんの『心』に言葉を届けられるような気がしているんです」


 そのまま日葵ちゃんは私の両手を自分の両手で包み、目を潤ませながらこう「お願い」をしてきた。




「お兄ちゃんが心を開いているのは『愛野さん』だけです!だから、お願い!私の大好きなお兄ちゃんを『助けてあげて』!」




 日葵ちゃんの言葉が、私の胸へと突き刺さる。


 川瀬を「助ける」ということに、私は十分な理解が及んでいるわけではない。

 というのも、日葵ちゃんが言うような「唯一」の資格が、本当に私にあるのか?と自分を信じ切れていないからだ。


 でも、私は日葵ちゃんに対し、こう「返答」してみせた。


 私が自分をどう思っているのか、そんなことは二の次だ。


 大好きな男の子の妹さんが、自分の想いを託し、私にしか「できない」と言ってくれているのだ、答えなんて最初から決まっている___。




___任せてっ!!




 私のそんな「返答」に、日葵ちゃんは「ありがとう…っ」と涙を見せたのだった。










***










 私たちは病院近くの飲食店へと場所を移し、早めの昼食を取り始めている。


 受付から三人が戻ってきた後、私たちは「一度」病院から離れ、ここへとやってきた。

 病院の面会時間は本来午後からだそうで、長居すると病院側にも迷惑を掛けてしまうため、「四時頃」にもう一度面会しに行こうという話になったのである。

 メグちゃん先生は学校に戻らないといけない用があったため、つい先ほど星乃海高校へと戻って行った。

 私はこの場に残ることを決めたため、しばらくメグちゃん先生とは別行動である。

 ちなみに、夕方の面会時間には再び合流ができるとのことだ。


 そして今、私は隣に座っている日葵ちゃんと一緒に、お店のオムライスを味わっているところである。


「このオムライス美味しいね、『お姉ちゃん』!」


 私たちが今いる場所は、病院近くのオムライス専門店だ。

 川瀬は病院で眠っているのに、ごはんを食べる余裕を持つなんて良くない…と、私は自分が「不謹慎」であると感じていたし、他の三人も同じ気持ちだったように見えた。

 しかし、「ネガティブになり過ぎるのも良くない」という進さんの言葉も一理あり、こうしてごはんを食べることになったのである。


 川瀬が目覚めた時、暗い顔を浮かべていたくはない。


 そのため、今は川瀬が無事であったことを喜ぼうという明るい雰囲気が流れている。


「うんっ、美味しいね、日葵ちゃんっ」


 病院で会話をした後、日葵ちゃんから、


「『お姉ちゃん』って呼んでも良い…?」


 と聞かれ、私は舞い上がる勢いそのままに頷きを返した。

 何ならあまりの嬉しさに日葵ちゃんを抱き締めてしまったが、こんなに可愛い提案を我慢するなんて、無理に決まっているのである。

 私は一人っ子であるため、姉妹がいたらなぁとはよく考えていたし、朱莉は「どちらかと言えばボクの方がお姉さんだよねー」と私を「妹」のように見ている節があるため、「お姉ちゃん」と呼ばれた時の衝撃は、筆舌に尽くしがたいものであった。


 そうして二人でキャッキャしていると、


「ふふっ、二人は姉妹のようね」


 と言いながら、前に座っている日奈子さんは優しい微笑みを向けてくる。

 進さんも同じような表情をしていたため、私は急激に顔が熱くなり始めた。

 日葵ちゃんと姉妹のようだと言われ、色んな意味でドキドキが止まらない。

 そんな私がうまく言葉を返せないでいると、


「…お姉ちゃんは、私と姉妹って言われるの、嫌?」


 と、日葵ちゃんが「不安」そうな表情で私を見つめてきた。

 そんないじらしい様子を向けられた私は、湧き上がる感情そのままに、


「とっても嬉しいよっ♪」


 と言葉を返した。


「えへへ♪」


 私の返事に、日葵ちゃんははにかむような笑顔を見せてくれる。


 …朱莉が「可愛い」を好む理由が、今ようやく本当の意味で理解できた。


 日葵ちゃんの笑顔を見るとこっちも嬉しくなり、いつまでも「愛でていたい」気持ちが湧き上がってくるのだ。


「もぉ~日葵ちゃんが可愛過ぎる~っ!」


「お姉ちゃんくすぐったいよぉ~」


 私はまたまた日葵ちゃんに抱き着きついてしまったが、日葵ちゃんは照れながらも私の行動を嬉しそうに受け入れてくれた。


 そんな私たちのじゃれ合いに、進さんと日奈子さんは楽しそうな視線を向けていた。










***










 昼食を食べ終わった後、私たちは「川瀬のお家」に向かい始めた。

 川瀬は何も持ち物を持っていなかったため、もしかしたら自宅の鍵が開いたままになっているかもしれないと進さんが予想し、川瀬の着替えを取りに行くついでに、戸締りの確認もしようということになったのである。

 私は三人とは違い「部外者」であるため、付いて行っても良いのかと尋ねてみたところ、「むしろ付いて来て欲しい」とお願いされたので、私も同行することになった。

 車内は学校での川瀬の様子や川瀬の昔話で盛り上がり、「知らなかった」川瀬の部分がたくさん知れて、とても有意義な時間であった。

 日葵ちゃんたちの話を聞くと、川瀬が小さい時から「優しさ」に溢れていたことがしっかりと伝わってくる。


 それと同時に、そんな川瀬がどうして「死」を選ぼうとしてしまったのか、更に私の心に引っ掛かりを覚えさせた。




 そうこうしている間に「川瀬のお家」へとたどり着き、車から降りた後、私はそのお家を見上げた。

 想いを寄せている相手のお家へ入ることに、私は心臓が爆発しそうになっている。

 私がドキドキを抑え込むために深呼吸を繰り返していると、


「お姉ちゃん中に入ろっ」


 と言いながら、日葵ちゃんが私の手を取って玄関の方へと連れていってくれる。

 進さんが玄関の扉に手を掛けると、案の定鍵は開いたままだったようで、そのまま私たちはお家の中へと足を進めた。


 そして、靴を脱いでリビングの中に入ると、私はその部屋の光景に絶句した。


「…本当にここで、朔くんは生活しているんですか…?」


 その私の問い掛けに、進さんは黙って頷きだけを返した。


 リビングには、ほとんど何もなかった。


 人が生活をしているとは思えないほどの「からっぽ」な様子に、私は思わず息をすることも忘れてしまう。

 それほどの衝撃が、私の胸中に襲い掛かってきた。


 痛い。


 ここで生活をしている川瀬のことを考えるだけで、私の胸がじくじくと痛んでくる。


 リビングにはテーブルと三つの椅子が並べられており、そのテーブルの上にはカバンと一冊の小説が置かれていた。

 カバンに見覚えのあった進さんがその中身を確認すると、中からはこのお家の鍵が出てきた。

 やはり、川瀬は扉を締めずにこの家を飛び出し、ここから離れた場所にある海まで移動をしたということになる。

 ひとまず家の鍵は進さんが持っておくようで、次は川瀬が目覚めた時に着る服や必要なものを用意しようということになり、日奈子さんと日葵ちゃんがリビングを出て二階へと上がって行った。

 というのも、進さんが「少しだけいいかな?」と二人で話したいことがあるようだったからだ。

 流石の私も川瀬の自室にまで入ることは躊躇われたので、進さんとリビングに残ることにした。


 そうして進さんは、朝に川瀬のことを話していた時と同じような「後悔」の色を顔に浮かべる。


「…本当はね、私たちと本来無関係である愛野さんに、『こんなこと』を話すのは間違っているとは思っているんだ。でもね、私はどうしても愛野さんにはこのことを伝えておかなければならないような、そんな気がしてね」


 「聞いてくれるかい?」と進さんが尋ねてきたので、私は力強く首を縦に振ってみせる。

 「ありがとう」と進さんは笑みを見せた後、進さんは「川瀬の両親」について話をしてくれた。


 川瀬の両親はとても優しい人たちで、そんな二人のことを川瀬は「大好き」だった。

 もちろんこれは進さんの主観でしかないが、川瀬からは「家族愛」というものをいつも感じていたという。

 しかし、二年前の十二月二十四日、川瀬のお父さんが交通事故で亡くなり、次の日の二十五日に、川瀬のお母さんも亡くなった。

 川瀬のお母さんは自殺だったようで、川瀬はその姿を見た後、丸二日倒れてしまったらしい。

 そしてその日から、川瀬はまるで「別人」のようになってしまった。


 そこから色々とあり、川瀬とは離れて暮らすという選択を取った後も、川瀬の様子に変化はなかった。

 しかし、今年の夏の面談時に顔を合わせると、川瀬にはほんの少しだが変化が見て取れたそうだ。

 昨日に川瀬と夕食を食べに行った時も、川瀬はどこか「吹っ切れた」ような、そんな表情を浮かべていたらしい。


「だから、私は朔が『過去から前を向き始めた』と思っていたんだ。でも、違った。朔は今も尚、兄さんや咲希さんを失ったあの日に囚われたままだった。…鍵を閉めずにこの家を飛び出して行ったということは、衝動的な『何か』に背を押され、あんな行動に出たということになるだろう。そして、その原因は私にある」


 進さんの言葉を聞き、私は何も返すことができなかった。

 進さんからは、朔のことを本当に「大切」に思う気持ちがひしひしと伝わり、私は「進さんのせいではない」と感じている。

 しかし、進さんが「責任」を感じている以上、私が気休めの声を掛けることもまた、できないと感じた。


「私は朔の様子がおかしいことには気付いていた、気付いていたはずだったんだ。…しかし、『朔なら大丈夫だろう』と勝手に決めつけ、朔を追い込んでしまった」


「私は、朔のことを見ているようで何も見れていなかった」と、進さんは自身の「後悔」を私に伝えた。

 そして、進さんは私の方に視線を向ける。


「だからね、これは私からの身勝手なお願いだけど…愛野さん、良ければこれからも朔のことを見ていてあげてくれないかい?まだ半日しか一緒に行動をしていないけれど、愛野さんが朔のことをよく見ていてくれていることは、愛野さんがとても楽しそうに朔のことを話してくれることからも伝わってくるよ。朔と仲良くしてくれて、本当にありがとう」


 「…私たちだけじゃ朔に『寄り添う』ことはできないかもしれない、だから、力を貸してくれないかい?」と言う進さんの言葉に、


「はいっ!朔くんは、私の『大切』なクラスメイトですからっ!」


 と、私は「協力」を示した。

 私のそんな返事を聞き、「…本当に、愛野さんがいてくれて良かった」と進さんは呟く。


 私が川瀬にできることは一体何だろう。


 日葵ちゃんの「お願い」を聞いた後から考え続けているものの、答えはまだ導き出せそうにない。

 だけど、こんな私でも力を貸して欲しいと言ってくれている人たちがいる。

 それなら、私は「私らしく」、いつものように川瀬への想いに従って行動するだけである。




 少しして二階から二人が戻ってきた後、私たちはこのお家を後にし、再び病院の方へと向かい始めた。


___お家に訪れ、進さんからも話を聞いたことで、「川瀬朔」という男の子への理解が、また一歩進んだような実感を覚えた。









***










 病院へと戻ってきた後、私たちは再び川瀬の病室へと向かうことにした。

 進さんと日奈子さんはメグちゃん先生と合流してから向かうとのことだったので、先に日葵ちゃんと一緒に川瀬の元へと移動をした。

 病室に入ると、川瀬はまだ目を閉じており、静かに胸を上下させているだけである。

 そのまま日葵ちゃんとベッド横にある椅子に座り、川瀬の顔を二人で見つめる。

 すると、日葵ちゃんは川瀬の右手を優しく両手で包み込んだ。


「私が体調を崩して横になっているとね、お兄ちゃんはいつもこうやって優しく手を握ってくれてたの」


 日葵ちゃんは川瀬への「親愛」を顔に浮かべ、そんな大切な思い出を話してくれる。

 その日葵ちゃんの様子を眺めていると、


「お姉ちゃんもしてあげて」


 と日葵ちゃんは私に言ってきた。

 そうして私は日葵ちゃんに勧められるがまま、川瀬の右手を優しく自分の両手で包み込む。

 川瀬の手は、思っていたよりも少し冷たかった。

 今この瞬間は、川瀬の手を握ることに緊張などは感じておらず、ただ「早く目を覚まして」という祈りに似た思いだけが胸中に広がっている。

 隣からも「…お兄ちゃん」と言う日葵ちゃんの「祈る」声が聞こえていた。




 みんな、川瀬が目覚めるのを待ってるよ?




 だからね、川瀬、早く目を覚まして___。




___その想いを乗せるように、私は握る力をほんの少し強くした。






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