#67 知らない







 目的の病院にたどり着いた私とメグちゃん先生は、車から降りて病院の入口まで歩いていく。

 すると、空から雪が降り始めてきた。


「今日は雪が降る予報だったものね」


 そっと手をかざしてしてみると、小さな雪が掌に落ちてきて、すぐに溶けて消えていく。

 今はぱらぱらと落ちてきている程度だが、もしかしたら積もるなんてことがあるかもしれない。

 そんな曇り空を見上げながら、私たちは病院の中に足を進めた。




 病院の受付で川瀬の病室を聞いた後、私たちはエレベーターに乗ってその病室のある階へと移動し始めた。

 病院内の独特な雰囲気と、私たちしか乗っていないエレベーターの静けさが何とも言えない感覚を私に与えてくる。

 いざ川瀬と会おうとする瞬間が近付くにつれ、私は緊張をしているのかもしれない。

 何が起こるのか分からないという不安に深呼吸をしていると、


「愛野さん、大丈夫よ」


 と、隣にいるメグちゃん先生が声を掛けてくれた。

 ここまで来る道中、メグちゃん先生はあえて私の学校生活のことなどを尋ねることで、私が暗くなり過ぎないように気を回してくれていた。

 私はメグちゃん先生の「人に寄り添う」姿勢に対し、「こうなりたい」という尊敬の念を抱いている。

 美人で優しくてカッコいい「大人の女性」であるメグちゃん先生は、密かな私の目標だ。

 そんなメグちゃん先生が「大丈夫」と言ってくれたことで、私は気持ちが楽になった。


 エレベーターが目的の階に到着し、静かな廊下を私たちはゆっくりと歩いていく。


 そして、川瀬がいる病室の前へと到着した。


 メグちゃん先生が扉をノックすると、中から一人の男性が現れた。


「四宮先生、お世話になっております。先程はお電話してくださりありがとうございました」


「こちらこそ、『水本さん』には大変お世話になっております。それで…朔くんのご容態はいかがでしょうか?」


「今はまだ眠っています。どうぞ、中にお入りください」


 メグちゃん先生と「水本さん」と言われた男性が簡単な挨拶を済ませた後、私たちはその男性に病室へと案内された。


 この男性は、川瀬の「お父さん」なのだろうか?


 爽やかでハンサムなこの男性の顔立ちには、どことなく川瀬と似ている箇所があるように感じる。

 しかし、メグちゃん先生はこの人のことを「水本さん」と呼んでいた。

 もし「お父さん」であるなら、どうして川瀬と苗字が違うのだろう…?

 そんな気持ちを抱えながら病室に入ると、中には綺麗な女性と、お人形さんのように可愛らしい女の子が川瀬のベッド横の椅子に腰掛けていた。

 綺麗な女性は椅子から立ち上がり、メグちゃん先生に頭を下げ、男性と同様に簡単な挨拶を交わし始める。

 そんな二人の声を耳に入れながら、私はベッドで眠る川瀬の方に視線を向けた。


 川瀬は、最後に会った時よりもずっと生気のない顔付きで目を瞑っている。


 そんな様子に胸が苦しくなるが、規則正しく呼吸が行われていることを確認し、私は川瀬が生きていることを強く実感した。


 その安堵感から、私の目からは涙が流れてくる。


 良かった、本当に良かった…っ。


 話を聞いた時、もう二度と会えないかもしれないと思った彼の顔を、私はひたすらその目に焼き付ける。


 私がそうして涙を拭っていると、川瀬の隣に座っていた女の子が、席を立ち上がって私に声を掛けてきた。


「大丈夫…ですか?」


 近くでその女の子の顔を見てみると、「本当にお人形さんみたい」と私は思った。

 この病室にいるということは、この子も川瀬の「家族」である可能性が高い。

 私や川瀬よりも年下であるように見えることから、「川瀬の妹さんなのかな?」と私は思った。

 なぜそう思ったのかというと、「心配」そうに私に声を掛けてくれる様子が、川瀬に重なって見えたからだ。


「うん…っ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとうっ」


 私がそう言うと、その子はホッと安心したような表情を見せた。

 そうしていると、


「朔のことでお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 と川瀬のお父さん?が声を掛けてきたので、私たちは病室の外で話すことにした。


 出る瞬間、私はもう一度川瀬の方に視線を向ける。


 川瀬は相変わらず目を瞑ったままだ。


 どうしてこんなことになったのかは今も分からないが、この後の話で何か理由が分かるかもしれない。

 隣を見ると、女の子も川瀬の方をじっと見つめていたので、


「行こっ」


 と声を掛け、私たちは会話をするために病室から出るのだった。










***










 外に出ると、「水本さん」と呼ばれた男性が、川瀬の容態や他の関係する内容について、メグちゃん先生や私に詳しく説明してくれた。

 川瀬が大学生の四人組に救助されたことは知っての通りだが、その人たちが川瀬を海から助けた時点で川瀬にはまだ息があり、心臓が止まるといった最悪の事態には至っていなかったということだ。

 ただ、救助をした時から川瀬に意識はなく、お医者さんによると、急速に体が冷えたことによって重度の低体温症となり、血液の循環がうまく機能しなかったことで意識障害が発生したのだという。

 幸い、検査で脳に異常は見られず、すぐに意識も回復するだろうという言葉に私は胸を撫で下ろした。

 話を聞いていると、先に病室に来ていた三人は「後悔」を顔に浮かべていたが、三人は川瀬の今回の事に何か関わっているのだろうか?


 ひとまず川瀬が無事であったということを確認できたメグちゃん先生は、


「教頭に確認の連絡をするため、少し席を外させていただきます」


 と言い残し、病院の外に向けて歩いて行った。


 そのため、今この場所には、「私」と「川瀬に関係のある三人」しかいないということになる。


 三人の視線が私の方に集中し、私は少し肩身の狭い思いをしてしまうが、


「ふふっ、緊張しなくても良いのよ。あなたのお名前を聞いても良いかしら?」


 というように、綺麗な女性が優しく私に声を掛けてくれたことで、幾分か心に余裕が生まれた。


「私は川瀬…あっ、えと、『朔くん』と同じクラスの愛野姫花と言いますっ」


 私が緊張交じりに自己紹介をすると、


「素敵なお名前ね。いきなりだけど、『姫花ちゃん』って呼んでも良いかしら?」


 とその女性が尋ねてきたので、私は「はいっ」と返事をした。

 そして、今度はその女性が私に自己紹介をしてくれた。


「私は水本日奈子と言います。姫花ちゃん、よろしくね」


 「水本さんだと分かりづらいだろうし、良ければ名前の方で呼んでね」との提案があったので、私は「日奈子さん」と呼ぶことにした。

 次は、日奈子さんの隣にいた男性が「初めまして」と優しい笑みを浮かべながら話し掛けてくる。


「私の名前は水本進だよ。『妻』の日奈子のように、良ければ私も名前で呼んでくれると嬉しいね」


「進さん、よろしくお願いしますっ」


「うん、よろしくね」


 進さんとも挨拶を済ませ、最後の一人である女の子の方に目を向けると、その子は恥ずかしそうに手を胸の前で重ねながら、ゆっくりとこう口を開いた。


「…水本日葵です。今は、その、中学三年生です」


 予想していた通り、この女の子は私よりも年下だった。

 中学三年生とは思えないほど大人びた雰囲気を纏っているが、ちらちらと私の方を見ながら照れている様子は、年相応の可愛らしさがある。


「よろしくねっ、日葵ちゃんっ。あっ、日葵ちゃんって呼んでも良いっ?」


「は、はい!」


 私の言葉にコクコクと頷いている様子が可愛過ぎて、思わず抱き着きしめたくなってしまったが、日葵ちゃんとは初対面でもあるため、私はその気持ちをグッと抑えることにした。

 そして、進さん、日奈子さん、日葵ちゃんの自己紹介が終わったところで、私の口から気になっていたことが無意識にこぼれ出た。


「進さんと日奈子さんと日葵ちゃんは、朔くんのご家族…ですか?」


 私がそう言うと、三人は少し曇った表情を浮かべ、私もいきなり踏み込み過ぎたことを聞いてしまったことに気付き、自分の顔を青くさせた。

 三人と川瀬の苗字が違うことに気を取られてしまい、プライベートなご家庭事情を詮索してしまうなんて…。

 すぐに私は「ご、ごめんなさいっ!」と頭を下げたが、


「ふふっ、大丈夫よ、姫花ちゃん」


「愛野さんが私たちのことを気にするのも無理はないだろう。それじゃあ私たちと朔の関係から話そうか」


 というように、日奈子さんと進さんは私の言葉に微笑みを返し、その問い掛けに答え始めた。


「私たちと朔は、家族でもあるしそうでもないんだ」


 進さんの言葉に、私は首を傾げる。


「…それはどういうことですか?」


「朔くんはね、私たちの本当の子どもではないの」


 そして、私はこれまで知らなかった「川瀬の家族」の話を聞いてしまった。


「朔は、私の兄の息子なんだ。だけど、朔の両親はちょうど二年前に亡くなってしまってね。私たちが『養子』として朔を引き取ることになったんだ」


「…っ!?」


 私が動揺している間も、進さんの話は続いていく。


「だけど、朔は私たちと一緒に暮らすことを拒んでね。高校に入る前から朔は一人で生活をしているんだ。だから、朔の家族でもあるしそうでもないというのは、こういった理由からだよ。苗字が違うのは、朔が母方の姓を名乗っているからだね」


 進さんからの話を聞き、私は胸が締め付けられる思いだった。


 川瀬に本当の両親はいない。


 彼は約二年間たった一人で生活をしていた。


 そんな話、私はこれまで「何も」知らなかった。




 心のどこかで、私は川瀬のことを誰よりも知っていると思っていた。




 でも、蓋を開けてみたらどうだ、私は彼のことを全く知らないではないか。


 そう考え出すと、「知らないこと」が次々と頭の中から溢れ出してくる。


 私は、川瀬が勉強が得意かどうかを知らない。


 私は、川瀬の好きな教科を知らない。


 私は、川瀬の好きなスポーツを知らない。


 私は、川瀬の誕生日を知らない。


 知らない、知らない、知らない___。




 私は、川瀬の何を知っているのだろう?




 私は、川瀬のことが好きだ。

 この気持ちに嘘はない。

 なのに、私は好きな相手のことを、まるで何も知らなかった。


 私の目の奥が次第に熱くなってくる。


 この涙は、一体何なのだろう。

 川瀬の境遇を思っての悲しみからか、はたまた「何も知らなかった」自分自身に対する怒りや悔しさからか、それとも…。

 考え出したらきりがないが、言葉にできない「何か」に感情を揺さぶられているのは間違いなかった。


目に涙をいっぱい溜め込んでいると、日奈子さんが私の前にやってきて、


「姫花ちゃんは本当に優しい子なのね」


 と言いながら頭を優しく撫でてくれる。

 学校ではメグちゃん先生の胸の中で沢山涙を溢してしまったが、川瀬の「家族」の前で、二度もカッコ悪いところなど見せられない。

 これは、大好きな男の子の家族には少しでも良く見られたいという、私の小さなプライドだ。

 そう思った私は、必死に涙を堪えながら笑顔を作って見せた。


 そんな私を、目の前の三人は優しい「眼差し」で見つめている。


 川瀬が「本当」の家族ではないと話している時、話している進さんもそれを聞く日奈子さんも日葵ちゃんも、どこか「寂しそうな」表情を浮かべていた。

 そこには、川瀬は自分たちのことを家族だと思ってくれているのだろうか?というような、不安な気持ちが見え隠れしていた…と私は思っている。

 川瀬のことを何も知らなかったと自覚したばかりなので、私は川瀬のことや三人のことについて何か言えるような立場ではない。


 だけど、私には川瀬と前の三人が「本当」の家族であるように見えた。


 だって、三人の優しい「眼差し」が、川瀬の優しい「眼差し」と全く一緒だったからだ___。






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