#65 絶望と希望







 十二月二十五日、私は冬休みにも関わらず朱莉と一緒に学校へと向かっていた。

 というのも、今日も実施される「対策講座」を受けるためだ。

 昨日の講座にも参加をしたため、今日は二日目である。

 二年生になって更に勉強が難しくなり、まだまだきちんと理解できていない部分があったため、私はこの講座を受講することにした。

 朱莉も同じような感じであり、双方参加には意欲的である。

 しかし、受験に向けての苦手克服という理由の他に、実はもう一つだけ私には理由があった。

 それは、「川瀬に会えるかもしれない」という理由だ。

 終業式の日には二日とも予定があると言っていたため、川瀬が学校に来る可能性は限りなく低いが、もしかしたら予定は午後からで、講座に参加をするかもしれない。

 「ない」と分かっていても、こうして「会えるかもしれない」というだけで通学路の時間が楽しくなる。

 昨日は川瀬の姿はなかったけど、今日は学校に来てるかな…?










 学校に到着し、講座が開かれる教室に入ると、既に何人かの生徒が中におり、「おはよう」と声を掛けてくれる。

 朱莉と一緒に挨拶を返しながら、私と朱莉は廊下側の一番後ろの二席に移動する。

 講座は学年全体での実施であり、座席も自由であるため、こうして朱莉と隣同士で受けることができるというわけだ。

 そうして席に座り、周りを見渡してみると、やっぱり今日も川瀬の姿はなかった。

 私がそのことに小さくため息をこぼすと、


「今日も川瀬くんはいなさそうだね?」


 と朱莉が話し掛けてくる。

 私の心を簡単に見抜いてしまう親友の言葉に「うん…」と頷きながら、私は講座で使うノートなどを机の上に置いていく。


「川瀬くんは頭良さそうだし、黙々と一人で勉強しそうなタイプだもんね」


 朱莉が言うように、そもそも川瀬は講座に参加をしてみんなと勉強するようなタイプではないのだろう。

 何度かこれまでに勉強のことを尋ねてみたりしたが、「僕は勉強が苦手なので」としか返してはくれず、実際どうなのかは分からないままだ。

 しかし、川瀬は授業で当てられた時は何でも完璧に答えてみせるし、先生たちからも一目置かれているような雰囲気がある。

 なので、私たちが想像しているよりも、はるかに川瀬は頭が良いのかもしれない。


「今度さり気なく勉強に誘ってみようよ。川瀬くんなら、意外と親身になって分からないところとか教えてくれそうだしっ」


 朱莉の言葉を聞き、私はその場面を想像して口元が緩みそうになってしまう。

 放課後や休日に「好きな人」と勉強をするのは、どんな女の子でも一度は夢見るシチュエーションだろう。

 もちろん私も例に漏れず、「川瀬と一緒に勉強会とかしたいなぁ」といつも思っている。

 冬休みが明けたら、一度誘ってみようかな…?


「川瀬、誘ったら来てくれるかな?」


「大丈夫っ!姫花が上目遣いで『…お願い』って言えば、どんな男子だって頷くから!」


「もぅ!朱莉のばかっ」


「にゃははっ」


 朱莉にそう揶揄われ、私の顔は熱くなり始める。


 結局、講座の時間が始まるギリギリまで、私の顔は熱いままだった。










***










 講座開始時刻となり、数学の講座を担当してくれるメグちゃん先生がプリントを配り始める。

 そのプリントが全員に行き届き、


「それじゃあ始めるわね」


 とメグちゃん先生が言った瞬間、ちょうど私の真後ろにある教室の扉が開かれ、


「四宮先生、少しお話が」


 と言いながら教頭先生が現れた。

 メグちゃん先生は「はい、分かりました」と教頭先生に返事をし、


「みんな、少しだけ待っていてちょうだい」


 と教室内の生徒に言った後、教室を出て行った。

 メグちゃん先生が外に出ると、教室内には講座が始まるまでの弛緩した空気が流れ、わいわいとした声が上がり始める。


「何か連絡事項をメグちゃん先生に伝え忘れてたのかな?」


 朱莉がそう言うように、教頭先生の雰囲気からは「大事が起きた」時のような感じは全くしなかった。

 しかし、集会や行事で見る教頭先生の柔らかい雰囲気とはどこか違うような、なんだか「落ち着き過ぎている」ような、そんな違和感を私は覚えた。

 それがどうしても気になった私は、ドアを挟んだ向こう側にいる二人の方に意識を集中させた。

 教室内の声もあり、ほとんど何も聞こえてはこないが、すぐそこで二人が話しているのは分かっている。


 …なんだか嫌な予感がする。


 そう思っていた直後、




『川瀬くんが…!?』




 というメグちゃん先生のひどく焦りを感じさせる声が聞こえてきた。

 恐らく今の声は、扉に一番近い私にしか聞こえていなかっただろう。


(…川瀬に何かあったの?)


 私の胸の内に、漠然とした不安が生まれ始める。


 そんな不安感に苛まれていると、メグちゃん先生が教室の前から戻ってきて、私たちにこう告げた。


「みんなごめんなさい。急な出張が入って、今すぐ向かわなければいけないの。私の代わりに教頭先生が講座を担当してくださるそうだから、この後は教頭先生の指示に従ってちょうだいね」


 メグちゃん先生の言葉を聞き、みんながその理由に納得を示す中、私はその言葉が「本当ではない」ような気がしてならなかった。


(そんな急に出張が入ることってあるの…?それに、本当に理由が出張なら、どうしてメグちゃん先生の口から「川瀬」の名前が出てきたの…?)


「後数分で教頭先生が来てくださるから、それまでもう少し待っていてね」


 私が頭を悩ませているうちに、メグちゃん先生はそう私たちに言い残し、この教室を後にした。


(どうしよう…)


 恐らくだが、メグちゃん先生の「出張」という理由に、「川瀬」が何らかの形で関わっているのは間違いない。

 しかし、それが「何なのか」、私には全く分からない。


 でもっ、このまま考えているだけじゃ、この胸にある不安感はなくなりそうにない。


 そう思った私は、後ろの扉からメグちゃん先生を追いかけることに決めた。

 私は顔を横に向け、朱莉に声を掛ける。


「私、メグちゃん先生のところに行ってくるね」


 朱莉は「どうして?」というような表情を浮かべていたが、今はうまく理由を説明することができそうにない。

 それに、何だか早く行かなければならないような気がしたため、私はそれだけを言い残し、教室の扉を開けてメグちゃん先生を追いかけた。


 「…ちょっと、姫花っ」という朱莉の声が聞こえたが、後でしっかり説明するからと今は胸の内に言い聞かせ、私は廊下を走り抜け、階段を急いで下っていく。


 すると、階段を下っているメグちゃん先生の姿が見えたので、


「メグちゃん先生っ、待って!」


 と、私は肩で息をしながらそう呼びかけた。

 メグちゃん先生は、驚いた表情を浮かべながらも反射的にその場で立ち止まってくれたため、私はメグちゃん先生の立っている踊り場部分へと移動した。


「私、さっき廊下でメグちゃん先生と教頭先生が話してるのを聞いたのっ。メグちゃん先生は『川瀬』の名前を言ってたよねっ?今、急いでる理由と、川瀬は何か関係あるのっ?」


 速くなった呼吸を整えながら、私はメグちゃん先生にそう問い掛けた。

 すると、メグちゃん先生は「どう答えようか」という逡巡した様子を浮かべ始めたが、


「ねぇ、教えてっ」


 と私が強く訴えると、観念した表情を浮かべた。

 そうして、小さく息を吐き一拍置いた後、「この話は他言無用よ」と念押ししながら、メグちゃん先生は私にこう言ってきた。










___川瀬くんが海で自殺を図ったらしいわ。










「……ぇ?」


 メグちゃん先生からの予想だにしない真実の内容に、私は目の前が一瞬で真っ暗となる。

 気付けば私は膝から崩れ落ち、地面に両手を付いていた。


 …理解が追い付かない。


 川瀬が、自殺?


 え、何で。


 自殺って、何?


 川瀬が、死んじゃったってこと?




「いや」




 死んじゃったらどうなるの。


 川瀬はいなくなるの?


 もう川瀬とは会えないってこと?




「いや…ぁっ」




 優しい顔も。


 優しい声も。


 大好きな彼の全部、全部___。










「いやあああああああああああああああッ!!!」










「愛野さんっ!?」


 私はその現実が受け入れられず、湧き上がる喪失感に悲鳴を上げた。

 同時に、うまく呼吸ができなくなり、過呼吸となってしまう。

 酸素をいつものように取り入れようとするも、そのやり方が分からなくなり、感じたことのない息苦しさを覚える。


「愛野さん落ち着いてっ!ゆっくり、ゆっくり深呼吸をしましょうっ!」


 慌てた様子のメグちゃん先生に背中をさすられ、「ゆっくり、ゆっくりよ…」という声に合わせながら私は深呼吸を繰り返す。

 メグちゃん先生の声だけを頼りに、私はしばらくの間下手くそな呼吸をし続けた。

 私の呼吸が少しだけ落ち着きを見せ始めた時、


「ごめんなさい、私のせいで愛野さんに『誤解』をさせてしまったわ」


 と、メグちゃん先生は私に謝罪の言葉を口にした。

 そして、更にこう言葉を重ねた___。










「川瀬くんは『生きている』わ」










 「無事に救助されて、今は病院のベッドで眠っているそうよ」というメグちゃん先生の声が、私の真っ黒な絶望に一筋の光を与える。

 そして、その意味を理解していくにつれ、その光はどんどん大きくなり、絶望を希望に塗り変えていく。

 苦しかった呼吸もかなり落ち着いていき、私の目から安堵の涙がぼろぼろとこぼれ落ち始めた。


「良かったぁ…っ」


 どうして川瀬が自殺を図ったのか、まだまだ安心できる状況ではないものの、今は彼が「生きていた」ことに、良かったという気持ちで胸がいっぱいになった。

 メグちゃん先生はそんな私を優しく抱き締め、ゆっくりと頭を撫でてくれる。


 私はその温かい気持ちに身を任せながら、小さい子どものように泣きじゃくった___。










***










 私は泣き止んだ後、涙を袖で拭いながらメグちゃん先生の方に顔を向けた。

 高校生にもなって担任の先生の前で大泣きしてしまったことに恥ずかしさを覚えるが、メグちゃん先生が「そのこと」に触れてくることはなかったので、私はその優しさに心の中で感謝をしておいた。

 そして、メグちゃん先生から話を聞くと、どうやら川瀬は今日の深夜二時前後に海で自殺を図ろうとしたらしく、「その場にいた」大学生四人によって助け出されたということだ。

 その人たちが助けていなかったら…なんてことを想像し、私の胸はまた痛いくらいに苦しくなるが、川瀬が生きていて本当に良かったっ。

 今、川瀬は搬送先の病院で眠っているらしく、容体はメグちゃん先生も詳しくは分からないそうだが、命に別状はないそうだ。

 メグちゃん先生は今から川瀬のいる病院に向かうところだったようで、


「私も連れて行ってくださいっ!」


 とお願いをすると、メグちゃん先生は優しく頷いてくれた。


 川瀬は持ち物を何も持っていなかったものの、砂浜に倒れていた自転車に星乃海高校の「通学許可ステッカー」が貼ってあったことで星乃海高校に連絡がされ、そのステッカーの番号と所有者を照らし合わせた結果、川瀬だということが分かったそうだ。

 連絡場所が星乃海高校しか分からなかったこともあり、川瀬が病院に搬送されていることを知っているのは教頭先生と私たちしかいないらしく、メグちゃん先生は「川瀬くんの保護者さんに電話を掛けてくるわね」と言って、職員室に向かって行った。

 メグちゃん先生と別れた後、私は荷物を取りに戻るため、教室に向けて再び階段を上り始めた。

 職員駐車場でメグちゃん先生と合流することになっているので、早く取りに戻って川瀬の元に向かわないといけない。


 そうして階段を上り切ると、教室の前に朱莉の姿があった。


「あっ、姫花っ」


 朱莉は私の姿に気付くと、「私の荷物」を持ってこっちに近付いてくる。


「朱莉っ、講座はどうしたの?それに、どうして私の荷物を?」


 私が質問を投げかけると、朱莉は「ちょっとだけ講座を抜け出したんだー」と口にし、更に、


「多分だけどさ、姫花は今からメグちゃん先生とどこかに向かわないといけないんだよね?」


 と、私の目を見ながらそう言ってくる。

 私が直前まで涙を流していたことは、朱莉にはバレバレだろうと直感で分かった。

 そして、私が「誰」のことで涙を流したのか、「誰」のところに向かおうとしているのか、朱莉はもう気付いているはずだ。

 相変わらず私のことは何でもお見通しの親友に対し、


「うん…っ。私は今から大事なところに向かわないといけないの」


 と私は言葉を返した。

 すると朱莉は、


「よしっ!それなら荷物を持ってきて正解だったね。ボクが姫花の分まで講座を受けておくから、帰ったら今日の内容を教えるね。それと、教室にいるみんなには姫花がいなくなったことは適当に誤魔化しておくから、こっちはボクに任せてっ!」


 と言いながら私に荷物を渡し、いつもの「頼りがいのある」笑顔を向けてくる。

 「ほら、急がなきゃでしょ?」と言う親友に背を押され、


「帰ったら全部説明するからっ、待っててねっ!」


 と言い、私は朱莉に背を向けて階段の方に歩いていく。


「姫花、いってらっしゃい!」




 本当に、朱莉がいてくれて良かった。




「朱莉、行ってきます!」




 そうして私は、親友への感謝を胸に、大好きな男の子の待つ病院へと向かうのだった___。






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