#64 暗闇







 ショッピングモールを後にし、僕たちは夕食場所のレストランへとやってきた。

 進さんが事前に予約を済ませており、レストランに入るとすぐに個室の方へと案内された。

 中の雰囲気からして随分とオシャレなレストランだと思ったが、案の定メニューに目を通すとそれなりのお値段が表示されている。

 「好きなものを頼んで良いよ」とは言われたものの、流石の僕も一食数千円の料理をおいそれと頼むのは気が引けてしまう。

 しかし、ここまで来て「僕は要りません」などと言うこともできなかったため、


「…このデミグラスハンバーグでお願いします」


 と進さんに伝えた。

 それぞれの注文が出揃い、進さんがそれをレストランのスタッフに伝え終えると、日奈子さんがクスッと優しく微笑んだ。


「朔くんは昔からハンバーグが好きだったものね」


 日奈子さんが笑った原因は、どうやら僕の注文だったようだ。


「朔は『咲希さんの作ったハンバーグ』が大好物だったね」


「うんうん!咲希おばさんのハンバーグ美味しかった!」


 日奈子さんの言葉に進さんと日葵さんも反応を示し、三人は過去を懐かしむような言葉を交わし始める。

 そんな三人の会話に、僕は何も言えなかった。

 今の注文は、ふと目に留まったのがハンバーグというだけで、僕の中では完全な無意識の行動である。

 だから、僕の嗜好に母親だった人は関係ない…はずだ。




 そうこうしているうちに注文した料理が到着し、夕食の時間が始まった。

 メインのハンバーグの他にも、サラダやスープが付いており、僕は三人の話に耳を傾けながら、黙々と料理を食べ進めていく。


 すると、話題は「日葵さんの高校受験の話」になった。


 今、日葵さんは中学三年生であり、年明けの三学期には受験を控えている。

 日葵さんの志望校は「進学校」としても有名な女子高であり、今は受験勉強を頑張っているとのことだ。

 「受験勉強があるなら今日は遠出をしても大丈夫だったんですか?」と尋ねてみたが、息抜きも必要だということで、問題はなかったらしい。

 それに、日葵さんは中学の成績も優秀であるため、このままいけば合格はできるだろうと学校の面談でもお墨付きをもらっているようだ。

 「気を抜かないようにがんばる!」と気合いを入れていたので、


「日葵さんならきっと合格できますよ」


 と僕も一声掛けておいた。

 それを聞いた日葵さんが、


「朔さん、ありがとう!」


 と「眩しい」笑顔を向けてきたので、僕は曖昧な表情を浮かべながら視線を反らした。

 すると、今度は僕の「進路」に関する話となり、


「朔は志望校の方は決まったのかい?」


 と進さんは尋ねてきたが、僕は「いいえ」と首を横に振った。


「そう言えば、朔さんのテストのこと聞いたよ!全教科満点なんて、やっぱり朔さんは凄いね!」


 僕が進さんに反応を返した直後、日葵さんがそう言いながら僕に「羨望」の眼差しを向けてきた。


 「やっぱり」と日葵さんは言っていたが、「今」の僕に凄いところなんて何一つとしてない。

 日葵さんが「凄い」と表現したのは、一体「いつ」の、いや、どこの誰なのだろう。


 今も感じたように、今日一日ずっと、進さんも日奈子さんも日葵さんも、僕ではない「誰か」を見ているような気がして、僕は居心地が悪かった。


「…全然凄くなんかありませんよ」


 僕は絞り出すようにそう口にしたが、日葵さんのキラキラとした瞳は、尚も僕の方に向けられている。


「今の朔ならどこでも選択肢があると四宮先生は仰っていたし、朔が良い大学に入ることになったら、『兄さん』は大喜びするだろうね」


「…っ」


 進さんも「これから」に期待するような声色で、僕にそう言ってくる。


 父親だった人は、僕がテストなどで結果を出すごとに褒めてきたため、進さんの言うように、僕が良い大学に進学したとなれば、確かに喜んでいただろう。


 という想像を、僕はした…してしまった。


 あんな人に、僕は自分の進路などを喜んで欲しくなどないのに。


「『咲希さん』の嬉しそうな顔も想像できるわね、ふふっ」


 進さんに続くように、日奈子さんは母親だった人のことも話題に挙げた。


 どうしてだろう、二人が喜ぶ姿を思い描くだけで、無性に頭が痛くなってくる。

 それなのに、二人のそんな姿が頭から離れない。


 僕のそんな様子に気付くことなく、進さんと日奈子さんは「二人」の話を続けている。

 できるだけその話を耳に入れないでおこうと意識を集中させるも、かえって自分の聴覚は鋭さを増していく。

 そんな中、日奈子さんはこう口に出した。


「歩さんも咲希さんも、本当に朔くんを『大切』に想っていたものね」


「…っ!」


 日奈子さんのその言葉を聞いた途端、僕は席を立ち上がり、


「…少しお手洗いに行ってきます」


 と告げ、その場からすぐに離れた。

 足早にトイレへと向かう中、僕の頭の中にあったのは、




(あの人たちが、僕なんかのことを「大切」に思っていたわけないじゃないか!)




 という、沸々とした怒りによる「否定」だけだった。

 意味もなくトイレの個室に入り込み、蓋の上に腰を下ろして心を落ち着かせる。

 数分目を閉じて「静寂」に身を任せると、荒れた「僕」自身が鳴りを潜め、いつも通りの「僕」に戻った感覚があった。


 そうして三人の待つ個室に戻ると、


「朔さん、ちょうどケーキが届いたよ!」


 と日葵さんが声を掛けてきた。

 日葵さんの言うように、テーブルの上には四つのケーキが乗せられており、それが「僕の誕生日を祝うためのケーキ」であることは、一目見て分かった。

 その予想通り、僕が席に座ると、


「朔、誕生日おめでとう」


「朔くん、お誕生日おめでとう」


「朔さん、お誕生日おめでとう!」


 と、「水本さんたち」が祝いの言葉を投げかけてくる。

 僕はそれに対し、


「ありがとうございます」


 と「笑顔」を返し、そのケーキを四人で食べ始めた。


 気持ち悪い。


 三人は僕が「喜んでいる」と分かり、嬉しそうな表情を浮かべている。


 気持ち悪い。


 僕はショッピングモールで感じたことを思い返し、「やっぱり」そうだと確信した。




 僕は、三人の「輪」の中には入れない。


 僕は、ただの「部外者」だ。


 僕は、この三人と一緒にいるべきではない。




 そう思うと、「心残り」がなくなったことでこれまで以上に胸の内側がスッキリとし、自然と笑みがこぼれそうになってしまう。


 今の僕は、自分の心の「違和感」にさえ気付けなくなっていた___。










***










 自宅へと車が到着し、僕はシートベルトを外して外に出ようとする。

 水本さんたちは「このまま泊りに来ないか?」と誘ってくれたが、僕はその申し出に頷きはしなかった。


「それじゃあ朔、今日はここでお別れだね」


 運転席に座りながら顔をこちらに向けてくる進さんに、


「今日はありがとうございました」


 と僕は言葉を返した。


「朔くん、天気予報だと明日から雪が降るらしいから、しっかりと暖かくして過ごしてね」


 そう言ってくる日奈子さんにも返事をし、そのまま僕は視線を横に向ける。


「朔さん、『今度も』一緒にお出掛けしようね!」


 日葵さんは笑顔を浮かべ、僕に照れながらも手を振ってくる。


 そうして車から出た後、車内にいる三人に向け、僕はこう口を開いた。




「それではみなさん、さようなら」




 車のドアが閉まり、彼らは自分たちの家へと帰って行った。


 彼らを見送った後、僕は自宅の鍵を開け、電気も付けないままリビングの方へと移動する。

 冷蔵庫に入っているお茶で喉を潤し、荷物を机の上に置いた後、お昼まで読んでいた小説を手に取り、窓の近くに腰を下ろした。

 月の光のおかげで小説の文字が見えないわけでもなかったので、途中で終わっていた箇所から小説を読み進める。

 電気を付ければ良いだけの話なのだが、どうしてか今は電気を付ける気にはなれなかった。

 何回も読んでいるはずなのだが、今日もゆっくりと文章を目で追い、一つ一つの文字に己の集中を注いでいく。

 そうすると、今日の出来事が「どうでもいい」過去の出来事として思考の淵からこぼれ落ちていくのを感じ始めるが、僕の心はただひたすらに静謐であった。


 まるで、そうするのが当たり前なように、そうすることが正しいように。




 かなり時間を掛けたせいで、読み終わるのに一時間以上掛かってしまっただろうか。

 しかし、別に構わない。


 僕はその小説を机の上に置き、自転車の鍵だけを手に持って自宅の外に出た。


 家の鍵は…まぁ良いだろう。


 時刻は定かではないものの、夜の暗い道を自転車のライトだけを頼りに進み始める。


 行き先は決めてはいない。


 行けるところまで行こうと思っている。


 どうしてこんなことをし始めたのか、正確な理由は僕にも分からない。


 けれども、それで良い気がしている。


 その理由を、他人が知ることなんてありはしない。










 だって、今から僕は死ぬのだから___。










***










 暗い夜の道を、ただ気の赴くままに漕ぎ進めてどれだけ時間が経っただろう。

 かれこれ二時間以上は漕いでいるような気がしている。

 見慣れた街並みを通り越し、一度訪れたことがあるかどうかを記憶のうちから探しながら、僕はこの道をただひたすら真っ直ぐ進んでいる。

 普段から自転車通学をしていることの影響か、はたまた気の持ちようか、疲れは一切感じることなく、このままどこまでも行けそうな感じが常にあり、まるで翼が生えたような心持ちだ。


「熱…」


 何時間も漕いでいるせいで体が熱くなり、僕は上に着ていたコートを乱暴に脱ぎ、そのまま自転車のかごへと適当に押し込む。

 すると、季節外れの「涼しさ」を肌で感じ、僕は心地良さを覚えた。

 夢中になって自転車を漕いでいると、自分の頭の中にある「余計な思考」がどんどん振り払われていき、残しておくべきものだけが必然と浮かび上がってくる。

 しかし、残しておくべきものと表現したものの、実際のところは明確にこれといったものが存在しているわけではない。

 結局最期の最期まで、この胸に残る「違和感」の正体を掴むことはできなかった。

 その「違和感」が何か分からない以上、残しておくべきものが「存在している」と表現するのもまた違う気がしたため、自分の中でも曖昧なままとなった。


 僕は、「いなくなる」ために今から「死ぬ」。


 それは…もうはっきりさせよう、坂本くんたちに言われたからだとか、みんなの邪魔をしないようにだとか、そんな理由で「死」を選択したわけではない。

 余計な思考がなくなったことで、それらは僕がただ「言い訳」として自分自身に言い聞かせていたものだと、ついさっき分かったのだ。

 もちろん、自分が邪魔な存在なのは間違いないが、僕は、僕の「ために」今から「死ぬ」のである。

 そこに、「誰か」が関係していることはないはずだ。


 父親だった人も、母親だった人も…である。


 では、理由が何なのかと問われれば、恐らくこの胸の内にある「違和感」なのだろう。

 しかし、これでは理由と違和感を行ったり来たりするような思考のスパイラルに閉じ込められるだけであり、これまでのように「言い訳」を塗り重ねてしまうかもしれないので、僕は粗を探すような愚行はもうしないでおくことにした。


 そもそも、死んだら何もかもが関係なくなるのだ、ここで思考をするのはあまりにも無駄なことであろう。


 …それにしても、人間というのは一度振り切ってしまうと、こんなにも「高揚感」に溢れるものなのか。


「アハハッ!!」


 周りに人が誰もいないこともあり、僕の内側の抑えきれない衝動が、「笑い声」として表出してくる。

 一度笑い出すと、僕はその笑いを止めることができなくなってしまった。


 こんなに笑ったのはいつ振りだろう。


 自分が「笑い方」を忘れていなかったことに、僕は微かな感動さえしてしまう。

 車ともめっきりすれ違わなくなってしまい、僕の馬鹿みたいな笑い声だけが耳に入ってくる。

 それが、夜の異質な雰囲気とも相まって、世界中にこの声が響いているような錯覚さえ僕は覚えた。


 あぁ、なんて楽しいんだろう。


 今この瞬間、この世界には僕しかいないのかもしれない。


 それは、何とも「ドラマティック」な展開じゃないか。


 まるで自分が物語の主人公になったような気がして、この世界に浸り続けていたいとさえ思ってしまう。

 ただ、物語には「ラスト」というものが存在するものだ。

 その瞬間は、あともう少しで僕にも訪れることだろう。

 しかし、幸いにもまだまだ時間はある。

 それならもう少し、この「くそしょうもない物語」にその身を委ねていよう。


 足はまだまだ動く。


 僕は、もっと遠くへ行ける。


 そうして僕は、この夜の時間を楽しみ続けた___。










***










「着いた…」


 僕は息を吐くように小さくそう言葉をこぼし、自転車を手で押しながら歩き始める。

 コートを脱いでから更に数時間自転車を漕ぎ続け、僕は「海」へとたどり着いた。

 出発前は目的地を決めていないつもりでいたが、なんだかんだ「海」まで行きたいという思いが僕の中にはあったらしく、こうしてここまで足を運んだというわけだ。

 駐車場らしき場所には車が一台停まっていたものの、周りに人はいなさそうである。

 砂浜に足を踏み入れた後、僕はそのまま適当に手を離し、自転車が倒れるのも気にせずゆっくりと歩みを進めた。


 一歩、また一歩と、目の前の「暗闇」に足を動かす。


 僕の視界いっぱいに広がるのは、全てを飲み込んでしまうと思わせるほどの、真っ黒で美しい暗闇だ。

 月の光に照らされ水面が反射している様は、この世のものとは思えないほど「幻想的」な光景である。

 「死」というものを意識しているからこそ、そのように感じるのかは検証のしようがないところだが、最期に見るのに相応しい光景であるのは間違いないだろう。

 更にその暗闇に近付いてみると、波はほとんど立っておらず、どこまでも続く真っ直ぐな平行線を描いていた。

 その波の静寂は、今の僕を表しているようだ。


 「死」を前にしても尚、僕の心に恐怖というものは存在していない。


 もはや、そのような感情の機微を感じる段階は、当の昔に通り過ぎてしまったということなのかもしれないが。


 ずっとこのまま眺め続けていたいほど、僕はこの光景に魅入ってしまっているが、どこかで区切りを付けなければ、この馬鹿みたいな決心も鈍る時が来てしまうかもしれない。

 そう思った僕は、ゆっくりとその暗闇の中に一歩を踏み出した。


 その瞬間、凍えるほどの「冷たさ」が僕の全身を駆け巡る。


 しかし、僕はそんな「冷たさ」を受け、自分が「生きている」ことを強く実感した。

 今までの僕は既に「死んでいたのかもしれない」と思うほど、それは強烈な衝撃だった。


 暗闇は、意思を持つ生き物のように、僕をその中に誘おうとする。


 それは、僕を「生」へと引き戻させないという明確な意思を持っているかのように、僕の足へと絡みついてきた。


 でも、安心して欲しい、僕はもう疲れたのだ。


 僕にはもう全てがどうでもいい。


 だから、ここから逃げるような無粋な真似、僕がするはずないだろう?


 暗闇に意味もなく語り掛けながら、僕はどんどん暗闇に足を踏み入れていき、腰、そして肩と、随分深いところまでやってきた。


 あぁ寒い。


 急速に手足の感覚がなくなっていくような、不思議な浮遊感とでも言えば良いのだろうか、そんな状態になりながら僕は更に前へと進む。




 そうして僕は、その暗闇へと全身を投げ出した。




 寒い。


 苦しい。


 でも、どこか心地良い。


 頭がぼんやりとし、意識が朦朧とし始める。


 息はもう少しで底を尽きようとしているが、息を求める体の「渇望」よりも、心地良さがそれを上回り、苦しさなどはどこか遠くに消えていく。


 苦しんだり、痛い思いをしたりするのはできるだけ避けたいと思っていたため、「夜に布団で眠るような感覚」で幕を閉じられるなら、悪くない死に方だろう。


 死ぬ直前には「走馬灯」を見るとはよく聞くが、僕の頭にはただただ真っ黒な暗闇だけが広がるだけだ。


 進さん、日奈子さん、日葵さん、四宮先生、櫻子先生、柄本さん、深森さん、戌亥さん、堀越くん、イリーナ先輩、南さん、元山さん、桐谷さん…。


 色々な人と関わりがあったはずなのに、その誰も僕の頭の中には思い浮かばない。

 僕は、本当に酷いヤツだ。

 死に際ですら、僕なんかに関わってくれた人たちのことを何も考えないのだから。




(…やっとそっちに行ける)




 「やっと」とはどういう意味なんだろう…?

 …まぁいいか。


 本当に意識や感覚がなくなる直前、僕は一人の女の子を忘れていることに気付いた。

 そう思った瞬間、暗闇しか広がらない頭の中に、その子の色んな表情が思い浮かんでくる。


(愛野さん…)


 僕は、どうして「愛野さん」が頭に思い浮かんだのか全く分からない。

 その一方で、笑った顔や困った顔、嬉しそうな顔に怒った顔など、愛野さんの色々な表情が次々と思い出されていく。

 そんな愛野さんは、暗闇にいても尚、眩しさを覚えるほどに強く、強く光輝いていた。




『川瀬っ♪』




 愛野さんは、やっぱり眩しいなぁ。


 本当に、眩しい。




 何かを考えたいのに、もうその何かを考える時間はなさそうだ。


 あぁ、これが僕の最期か。


 何とも締まらない終わり方に、フッと笑みがこぼれる。


 その時、ほんの一瞬だけ胸の奥がチクリと痛んだ。










 頭の中の眩しい光が、徐々に輝きを失っていく。


 その輝きが失われると同時に、僕の意識も暗闇へと飲み込まれ、そして消えて行った___。















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