#63 プレゼント
十二月二十四日、アルバイト先からもらってきた総菜パンを食べ終え、僕は昼の時間を読書で潰していた。
今読んでいる小説は、こんな一文から文章が始まる。
『恥の多い生涯を送ってきました』
この作品を読むのは、一体何度目だろうか。
心情描写の生々しさか、あるいはそこに孕む狂気性か、理由は判然としないものの、僕の心を鷲掴みにするような「何か」がこの作品には存在している。
恥の多い生涯を送った主人公に、自分自身を重ね合わせるなどといったことをするつもりはない。
この作品は作者の「遺書」としても成立するという意見があるようだが、尚更彼の人生に無粋な介入をする気はなかった。
その一方で、「恥の多い生涯」と自身の「人生」を表現した作者に対し、僕は不思議な「関心」を寄せている。
僕は、彼のように自分の「これまで」に名前を付けることはできそうにない。
あのレベルの思考の極致に到達するなど、土台無理な話ではあるため、別に気にしてもいないのだが。
では実際、無理やりにでも自分の人生に名前を付けようとなった場合、僕は一体何と自分自身を表現して見せるのだろう。
そう考えると、僕もまた「恥の多い生涯」なのかもしれない。
***
インターホンの音が鳴り、僕は荷物を持って玄関の扉を開けた。
「やあ、朔。今日は私たちのわがままに付き合ってもらってすまないね」
「こんにちは、進さん」
扉を開くと、そこには進さんが立っていた。
日奈子さんと日葵さんの姿は見えなかったが、どうやら車の中で待ってくれているらしい。
当初は夕食だけの予定であり、僕はその時間を目掛けて進さんたちがやってくると思っていたのだが、昨日に予定が変更され、こうして夕食前から進さんたちと行動することになったのである。
「それにしても…朔、何かあったのかい?」
僕の顔をじっと見てきた進さんは、僕に心配そうな声を掛けてきた。
戌亥さんや柄本さん、南さんに四宮先生、そして愛野さん…。
色々な人たちと「同じような」視線を進さんにも向けられ、僕はもう飽き飽きとした気分になっていたこともあり、
「体調は悪くありませんし、大丈夫です。玄関で話すのも寒いですし、車に向かいましょう」
というように、有無を言わせない感じを出して、僕は進さんからの問い掛けを遮った。
「…あぁ、そうだね」
進さんは何か言いたそうにしていたが、僕の言葉に頷き、車の方へと歩き始めた。
僕も自宅に鍵を掛け、進さんの後ろに付いて行く。
そして、後部座席のスライドドアが開くと同時に、中から声が掛けられた。
「おにい…っ、朔さん。こんにちは…」
声の主は日葵さんであり、その表情は緊張からか少し固い表情である。
「お久しぶりです、日葵さん」
挨拶を返しながら日葵さんの隣に座り、シートベルトを着用する。
「朔くん、今日は来てくれてありがとう」
そう言葉を口にする日奈子さんと、バックミラー越しに視線が重なる。
日奈子さんは、この前と同じように優しい笑みを浮かべていた。
「日奈子さんもお久しぶりです」
ひとまず挨拶をし終えると、
「それじゃあ出発しようか」
という進さんの声に合わせ、車が目的地へと発進し始めた。
僕たちが今向かっているのは、以前に戌亥さんと訪れたことのあるショッピングモールだ。
夜ごはんを食べる場所もその近くにあるらしい。
進さんと日奈子さんから近況を尋ねられたため、それに何となく答えていると、
「は、朔さん。修学旅行はどうだった?」
と、横から日葵さんが質問をしてきた。
日葵さんの方に視線を向けると、その顔には「不安」が浮かび上がっているような気がする。
この日葵さんの顔には見覚えがあった。
これは、日葵さんがお願いをしてくる時によく浮かべていた表情だ。
日葵さんはとても「優しい女の子」で、自分からお願いなどをするときは、決まって「迷惑になっていないかな?」というような不安そうな表情を浮かべるのだ。
恐らく今も、「僕にとって迷惑な質問じゃないかな?」と不安に感じているのだろう。
「一日目は、大仏や鹿を見に行きましたよ。バスを降りてすぐに目の前に鹿が現れて、それで…」
そんな日葵さんの顔を見た僕は、初日の出来事から順番に修学旅行のことを話し始めた。
日葵さんは僕が本当に話してくれるとは思っていなかったのだろう、目を丸くしながら、本当に驚いた表情を浮かべていた。
しかし、徐々に驚きは落ち着いていき、
「へぇ~!」
「やっぱり大仏さんは大きかった!?」
という感じで、「楽しそうな」笑みを浮かべながら僕の話に相槌を打ち始めた。
そんな僕たち二人の会話を、進さんや日奈子さんが微笑みながら黙って耳を傾けていることには、僕はとっくに気付いている。
恥ずかしさとはまた違う、不思議な感覚に包まれながらも、僕はあえてそのことを気にしないように心掛けた。
日葵さんは、もう最初の緊張した様子はすっかりなくなっており、「これまで」通りの雰囲気で僕のことを見てきている。
そんな日葵さんの姿に、僕は微かな息苦しさを覚える。
しかし、そんな違和感は胸の内に押し込んでおき、僕は持ってきた荷物の中から「小さなペンギンのストラップ」を取り出し、日葵さんの前へと差し出した。
「これは、水族館に行ったときのお土産です。小さい時、日葵さんが水族館の生き物でペンギンが好きだと言ってた気がしたので」
そのストラップを日葵さんに渡すと、
「本当にもらっても良いの…?」
と日葵さんがびっくりした様子で言ってきた。
僕はそれに頷き返し、
「要らなければ捨ててください」
という言葉を付け加える。
それを聞いた日葵さんはぶんぶんと首を横に振り、
「要らないなんてことない!ありがとう、お兄ちゃん!」
と伝えてくるのだった。
僕は日葵さんの「兄」ではないのだから、「お兄ちゃん」と呼ぶのは間違っている。
しかし、日葵さんの「満面の笑み」を見た後に、そう訂正するのは何故か憚られた。
「日葵ちゃん、良かったわね」
「うん!」
その後、とある水族館のイベントである「ペンギンのお散歩時間」の時に、日葵さんがペンギンたちに混ざって一緒に歩いていたという思い出話で進さんと日奈子さんが盛り上がり、日葵さんは恥ずかしそうにしていた。
小学生になったばかりだっただろうか…僕も一緒にその水族館には行っており、日葵さんがペンギンの歩き方を真似しながらペタペタと歩いていたことを思い出した。
そしてまた、違和感が僕を息苦しくさせた。
***
ショッピングモールに到着してしばらく、僕と進さんの二人は、楽しそうに冬服を選んでいる日葵さんと日奈子さんを眺めていた。
遠くから見ると、二人は親子と言うよりも姉妹という方が良いのかもしれないと錯覚しそうになる。
事前に「ショッピングに付き合って欲しい」という話は聞いていたが、どうやら服を買うのが今回の目的であるらしい。
「いやぁ、いつも二人はあんな感じでね。今日は朔がいてくれて助かったよ」
二人の服選びは一時間近く掛かっており、進さんが苦笑しながらそう言う理由も分からないでもない。
しかし、僕が本屋に何時間もいてしまうのと、二人が服を選ぶのはほとんど同じようなものであり、つまるところ、興味のあるものが本か服かの違いでしかないということだ。
母親だった人も服選びは長かったため、僕はこういう待ち時間をむしろ普通だと思っている。
なんだかんだ言いつつ、進さんも楽しそうに二人のことを眺めているため、さっきの発言は冗談のようなものなのだろうとすぐに分かった。
そうして進さんと話していると、女性陣からの呼び出しを受けたため、僕たちは二人の元へと移動をした。
「朔くんは、日葵ちゃんの試着の付き添いをお願いね」
日奈子さんにそう言われ、僕は日葵さんの試着に同行することになった。
進さんと日奈子さんと少しだけ別れ、僕は日葵さんと試着室の方に移動する。
「そ、それじゃあ着替えてくるね…?」
「はい、ここで待っておきます」
何故か頬を赤くさせながら、日葵さんはカーテンをサッと閉め、試着を始めた。
日葵さんの試着を待っていると、店内にいる「女性たち」からの「生温かい」視線が背中に刺さってくる。
このお店はレディースファッションのお店であるため、男性客の比率が圧倒的に少ない。
しかし、日奈子さんにお願いされ、日葵さんに待っていると伝えた以上、ここから離れることもできない。
そうして我慢をしていると、「…開けるね?」という日葵さんの声が聞こえてきた。
そのままカーテンが開かれ、中からロングスカートを身に纏った日葵さんが姿を現した。
「…どうかな?」
今日の日葵さんのファッションもロングスカートであることから、ロングスカートを合わせるファッションが日葵さんのお気に入りなのだろう。
実際、今日の服装も今試着している服装も、清楚な印象のある日葵さんの魅力を十全に活かしており、
「よくお似合いですよ」
と、僕は素直にそう感想を述べた。
すると日葵さんは、
「ほんと!?」
と嬉しそうにしており、笑顔のまま試着室へと戻って行った。
後ろから更に生温かい視線を受けていると、日奈子さんと進さんが僕たちの方にやってきた。
その二人の視線もまた、周りの人たちと同様に生温かいものとなっており、そこに合わさる二人の優しい微笑みが、僕に行き場のない気まずさを与えてくる。
「日葵のあんなに嬉しそうな顔を見ると、私も少し妬けちゃうね」
「ふふっ、そうね」
二人は何か話していたが、僕の耳には入ってこなかった。
日葵さんが試着室から出てきた後、服の会計を済ませ、僕たちは次の場所へと移動をした。
進さんが「朔、私たちも少し服を見に行かないかい?」と誘ってきたため、しばらく男女で別行動をし、しばらくして僕たちは約束の休憩スペースで落ち合った。
そして、四人掛けの椅子に座り込むと、前に座っていた日葵さんが「紙袋」を僕に渡してくる。
「一日早くなっちゃったけど、朔さん、お誕生日おめでとう!」
顔を赤くしながらそう言ってくる日葵さんに対し、
「…ありがとうございます、日葵さん」
と返事をした後、僕はその紙袋を受け取り、「開けても良いですか?」と声を掛けた。
日葵さんから頷きが返ってきたので、その紙袋を丁寧に開けてみると、中には「手袋」が入っていた。
その手袋は、黒色でシンプルなデザインの手袋だ。
「あのね、今さっきお母さんと一緒に選んだの」
今さっきというのは、男女で別行動をしていた時のことだろう。
恐らく、僕に隠れてプレゼントを買うため、進さんはあの別行動を提案したに違いない。
二人の方に視線を向けると、それを「肯定」するかのような笑みを浮かべていた。
…二人が相談していたのは、日葵さんの試着で少し離れた時か。
僕が黙り込んでしまったせいで、日葵さんは「…他のが良かった?」と不安そうな表情を浮かべていたため、
「いいえ、嬉しいですよ。選んでくれてありがとうございます」
と、僕は日葵さんに感謝を伝えた。
日葵さんが「安堵」した様子を見届けた後、僕はその手袋を丁寧に紙袋へとしまい、自分のカバンに入れておいた。
誕生日プレゼントをもらうのは、あの日以来だ。
そう言えば、母親だった人からもらった「ハンカチ」は、一体どこにいったのだろう。
まぁ別にどうでもいい物なので、どこにあろうが関係はないのだが。
もうしばらくお店を見て回った後、夕食の場所に向かおうという話になったので、僕たちは席から立ち上がり、次のお店へと足を進め始めた。
前に進さんと日奈子さん、横には日葵さんの姿があり、日葵さんは楽しそうに僕へと話し掛けてくる。
この光景を見た他の人たちは、僕たちのことを「家族」だと思うのだろうか。
一瞬そんなことを想像し、僕は気分が悪くなった。
だって、どう考えても僕だけが「場違い」で、その「輪」の中に入れていないような気がしたから___。
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