#60 邪魔







 修学旅行のあった週が終わり、今日からまた月曜日が始まる。

 今週末からテスト一週間前となるため、しっかりと気持ちを入れ替える必要があるだろう。

 修学旅行の最終日からぼんやりとする頭を軽く振りながら、僕は学校までの道のりを進んでいく。

 通過していくいつもの景色に目をやりながら、僕は愛野さんのことを考えていた。


 修学旅行を終えてからというもの、愛野さんのことが頭から離れない。


 常に胸の奥にはモヤモヤとしたものが広がっており、僕は変な感覚に体を乗っ取られているようだった。

 愛野さんと顔を合わせることを考えただけで、どんよりと気が重くなってしまう。

 しかし、想いを伝えてきた相手だ、それが例え「受け入れがたい感情」だったとしても、意識しないことなど僕にはできない。

 昨日一日考えた結果、やはり愛野さんは僕から距離を置くべきだと改めて感じた。

 坂本くんたちに非難され、水上くんの提案に乗ったことで、「僕から」距離を取ったものの、結局はほとんど愛野さんに効果を見せなかった。

 ならば、「愛野さんから」距離を取ってもらうしか方法はない。

 しかし、どんな言葉を投げかけようとも、今の愛野さんには意味がないような気もしている。

 愛野さんは、本当に別人かと見紛うほど強くて「真っ直ぐ」な目をしていた。


 そもそも、どうして僕は愛野さんと距離を取りたがっているんだ?


 それは、僕に「愛」なんて必要じゃないからだろ?


 …それじゃあ、どうして今もずっと胸が痛むんだ?


 自分で考えたくせに自分でその答えが出せないことに、もどかしさを感じてしまう。

 ただ一つ言えるのは、愛野さんが「僕を見限る」ことに、どうしてか「安心感」を覚えているということだ。


 僕は、愛野さんが想うほどの人間じゃないんだ…。


 何度も何度も同じような思考をしてしまう自分自身に嫌気がさしながら、僕は星乃海高校へとたどり着いたのだった。










***










 朝のホームルームが始まるまでの間、僕はブレることなく読書をして過ごす。

 教室には次々と生徒たちが登校をしてきており、


「修学旅行楽しかったよな!」


 と未だ余韻に浸っている者もいれば、


「こっからテスト週間が始まるとか鬼畜過ぎだろー」


 と来週のテストに気を落としている者もいた。


 夏休み前の三者面談で四宮先生が言っていたことだが、年明けの一月に進路希望調査が実施される。

 その進路を選択するにあたり、今回の期末テストの出来具合を参考にする生徒は多いだろう。

 例えこの大学に行きたい!という思いがあったとしても、点数が取れていなければお話にならないことは、どんな高校生でも理解している話だ。

 願うのは誰にでもできるが、それを実現できるのはほんの一握りというのが社会の残酷な仕組みである。

 かといって、社会が僕たちに何かを提示してくれることはほとんどない。

 それなら、この先が真っ暗な僕のような人間は、一体どうすれば良いのだろう。

 僕が社会に馴染めていないのか、社会が僕を馴染ませないのか、何とも言い難い問題である。


 今読んでいる本に思考が引っ張られていると、ガラガラと扉が開くと同時に、教室が一段と明るくなった。

 僕は扉の方を見てはいないが、愛野さんが登校をしてきたというのはすぐに分かった。

 そしてチラッと視線を向けると、愛野さんはいつものように周りを生徒たちに囲まれていた。


 愛野さんは、沢山の人から必要とされている。


 一方の僕は…そんなこと、比較するまでもないことだ。

 光は多くの人を照らし、その下に多くの人間を集める。

 逆に、影は誰からも必要とされず、光と交わることもない。


 愛野さんとの違いをひしひしと感じるが、別にそんなことはどうでもいい。


 だって、それはただの事実だから。


 またどうでもいいことを考えている間、愛野さんは修学旅行で言っていたように僕へと話し掛けてくることはなかった。

 そして、四宮先生が教室にやってきた後、朝のホームルームが始まった。










 二時間目の移動教室の授業が終わり、教室に向けて歩いていると、


「あっ!川瀬くん発見!」


 と言いながら、南さんがこっちに駆け寄ってきた。


「おはようございます、南さん。廊下で会うのは初めてですね」


「おはよー。確かに言われてみればそうかも。川瀬くんは隠密行動を得意とする探偵だもんねっ」


「…?」


 そこから南さんは、昨日は四人で遊んだという話をしてくれた。

 メンバーは、南さん、愛野さん、戌亥さん、イリーナ先輩の四人で、買ってきたお土産を渡すのが目的だったらしい。

 今日はバイトのシフトが入っており、僕も戌亥さんと柄本さんにお土産を渡すつもりである。

 戌亥さんとイリーナ先輩が喜んでくれて嬉しかったという話に相槌を打っていると、


「それにしても…ねぇ~?」


 と、南さんはいきなりニヤニヤとした笑みを浮かべ始めた。

 その理由に思い当たる節がないとは言えないが、南さんはこれ以上何も言ってこなかったので、僕も口を閉ざしておく。

 そうしていると、


「朱莉っ」


 と言いながら愛野さんがこっちに向かってきた。

 僕はこれ以上南さんと話すこともなかったので、「それじゃあ僕はこれで」と言い、教室の方へと歩き出す。

 反対方向から来る愛野さんとすれ違った瞬間、


「川瀬、おはよっ♪」


 という声が聞こえてきたため、僕は後ろをさり気なく振り返ってみると、愛野さんは小さく手を振りながら横目で僕のことを見ていた。

 僕は小さく会釈をし、そのまま教室へと向かった。


 愛野さんが一瞬見せた「笑顔」が、僕の心をかき乱す。


 僕は机に次の授業の教科書を置き、そのまま机の上に突っ伏した。

 頭にはじんわりと痛みがあった___。










***










 放課後を迎え、僕は裏庭へと向かった。

 冬の時期になると、毎日水やりをするなんていうことはないが、その代わりとして僕は裏庭の掃除をしていた。

 修学旅行で数日間掃除をしていなかったこともあり、風に乗ってきた落ち葉などが沢山あったため、いつもの要領でゴミを袋に回収していく。

 別にやる必要はないし、早く帰れば良いのだが、ここは唯一僕の心が落ち着く場所だ。

 ここで作業に取り掛かっている時だけは、無心になれるような気がする。


 無事に作業を終え、自転車の元に向かおうとした時、空からぽつぽつと雨が降り始めてきた。

 今日一日、空模様はどちらか分からない感じであったものの、いつもカバンにカッパを入れている僕には関係のない話だ。

 ひとまず屋根のあるところでカッパを身に付けようと思い、僕は正面玄関前まで移動をした。


 そして、カバンからカッパを取り出している時、


「おい」


 と後ろから誰かに声を掛けられた。

 その声の方に視線を向けると、名前も顔も知らない男子がそこにはいた。

 見た目からして、陽キャグループに所属していそうな釣り目の男子だった。


「お前、修学旅行の三日目の夜、愛野さんといただろ」


「…!」


「お前と愛野さんがエレベーターに乗るところを見たんだよ」


 修学旅行のことを知っていることから、この男子は同学年の男子なのだろう。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 まさか、愛野さんと二人でいたところを誰かに見られていたなんて…。

 救いなのは、足湯での会話を聞かれてはいないということだろうか。


「俺は一階の自販機に飲み物を買いに行った。そしたら、エレベーターのところでお前と愛野さんの姿を見た。何を話していたかは分からなかったが、随分と仲は良さ気だった」


 その男子は訥々とあの日のことを話し始めたが、僕にはその話の内容が未だ掴めないでいる。

 そのため、彼の言葉に耳を傾ける他なかった。

 すると彼はいきなり僕の胸倉を掴んできた。


「なぁ、お前は愛野さんの『何』なんだよ?」


 彼はそう尋ねてきたが、僕にもそれは分からなかった。


 僕は、愛野さんの一体「何」なんだ?


 頭を回転させるも、適切な関係を示すような言葉はこれしか思い浮かばなかったため、


「ただのクラスメイトですよ」


 と僕は答えた。

 すると、彼は僕の胸倉を掴む力を強くさせ、こう言ってくる。


「嘘吐くなよ、お前。俺は去年、愛野さんと一緒のクラスだった。でも、愛野さんが俺らにあんな笑顔を浮かべることなんてなかった」


 彼の目には僕に対する「疑念」、そして「嫉妬」の色が浮かんでいた。


「愛野さんは誰にでも優しいから、お前にも声を掛けてただけだ。そうなのに、そうに決まってるはずなのに…、どうして、どうしてお前みたいなヤツが、愛野さんからあんな笑顔を向けられてんだよ!?」


 同感だ。

 どうして愛野さんは僕なんかに「笑顔」を向けてくれるのか、どうして僕のことを「好き」でいるのか、理由を聞いた今でも僕は納得できていなかった。


 そして、彼が話す内容に近いものを、僕は以前にも聞いた覚えがある。

 そう、坂本くんたちだ。

 目の前の彼は、僕のようなヤツが愛野さんに話し掛けられている状況に怒りを見せていた。

 それは恐らく、彼の愛野さんに対する「恋心」に起因したものだろうと考えられる。


 愛野さんは学校一の美少女で、最も男子から人気を集める女の子。


 彼女を好きな男子が沢山いることは、改めて考える必要もないことだ。

 彼もまた、そんな愛野さんに好意を抱いている内の一人なのだろう。

 そんな彼、いや彼らからすれば、僕のような存在は___、


「『邪魔』なんだよ、お前。お前みたいなヤツは愛野さんに『釣り合ってねえ』よ!どんな汚い手を使って愛野さんの気を引いてんのかは知んねえけどさ、お前の存在は『害』にしかなってねえから!」


 あぁ、そうだろう、僕のような存在は、さぞかし「邪魔」で仕方がないはずだ。

 目の前の彼も坂本くんたちも、話していることはただの逆恨みによる言いがかりだ。

 しかし、そんな彼らは、確かな愛野さんへの「想い」を持ってその言葉を口にしていた。

 それは、僕が受け入れることのできない、そして今後も僕が抱くはずのない感情からの言葉だ。

 彼の言っていることはめちゃくちゃであるはずなのに、その全てが腑に落ちていく。

 それは、彼や坂本くんたちが「真っ直ぐ」自分の思いを口にしているからであろう。


 光の眩しさに、影はどうすることもできない。


 そうして目の前の男子は、ヒートアップしてきた自身の感情そのままに、僕にこう言葉をぶつけてきたのだ___。










「お前みたいなウザいヤツは、邪魔なんだからとっとといなくなってくれよ!」










 彼は「言い切ってやった」という満足げな表情を浮かべ、校舎の中へと戻って行った。




 彼の言葉が、頭から離れない___。




 それは、悲しいからでもなく、辛いからでもなかった。


 「天啓を得た」というような、筆舌に尽くし難い理由からである。


 僕は、愛野さんから距離を取ってもらう方法ばかり考えていた。

 どうやったら見限ってもらえるのか、どうやったらその感情が「間違ったもの」だと気付いてもらえるのか…。


 違った、違ったのだ、そもそもみんなの「邪魔」をしている僕自身が「いなくなって」しまえば良かったんだ。


 正面玄関の屋根に打ち付ける雨音が、まるで―拍手喝采―その考えを祝福するかのように聞こえてくる。

 愛野さんのことだけではない、この先に「希望」を何も持たない僕にとって、これは最善の選択だ。


 あぁなんでこんな「簡単なこと」に気付かなかったのだろう。


「…ふふっ、あはは、アハハッ!!」


 今の今まで悩んでいた僕は本当に馬鹿だ。

 「答え」を教えてくれた彼には感謝をしないと。


 悩みも、迷いも、焦りも、動揺も、全部、全部、どうでもよくなった。


 今の僕には、胸を締め付けるようなあの不快なモヤモヤ感は一切ない。




 僕はカッパを身に付け、土砂降りの雨の下に出る。



 今は最高に気分が良かった___。






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