#32 そっちの方が良い
五時間目が終わり、僕たちは教室を出て、指定の教室へと移動を始めていた。
六時間目は、五時間目で決まった係ごとにそれぞれ別の教室で会合があり、そこで係の説明と当日までの流れが伝えられる。
毎年委員会を決めた後の集会とほとんど同じようなものだ。
清掃係を辞退した後、僕は「投票係」という係になった。
主に文化祭のランキング(どのクラスの出し物が良かったかなど)に関わる投票を集計することが仕事であり、文化祭当日に投票用紙を回収し、集計をして結果を書き出す作業は少し面倒だが、悪くもないように感じていた。
毎年生徒には三枚の投票用紙が与えられ、良いと思ったクラスの出し物に投票をするという権利が与えられる。
当日は投票箱が正面玄関に置かれるため、気に入った出し物三つに一枚ずつ入れていき(重複はなし・自分のクラスへの投票は不可)、投票数の多い出し物をグランプリとして表彰するという感じだ。
グランプリを獲得すると「良いこと」があるとは噂に聞くが、一体何があるのだろうか?
とりあえず、まずは投票係の人たちが集まる教室に行かなくては。
そうして賑やかな廊下を歩いている時に、後ろから肩をぽんっと叩かれたので振り返ると、一人の女子が立っていた。
「うちら同じ投票係じゃん?一緒に行こうよ」
その女子は、同じクラスの元山(もとやま)さん。
僕と同じ投票係となった人である。
「あ、はい、そうですね」
「つーか川瀬と初めて喋るんだけど、二学期にもなってるのにやばいね」
何がやばいのかはいまいちよく分からないが、元山さんはけらけらと笑い始める。
「そう言えば元山さんとは初めて会話をしましたね、初めまして」
「はははっ!川瀬、超おもろいじゃん」
元山さんが僕と話したのが初めてであるように、僕も元山さんとは今日が初めての会話だった。
僕の知っている元山さんの情報は、バレー部に所属しているということと、陽キャグループの人だということくらいだ。
愛野さんや坂本くんたちといったクラスカーストトップの取り巻きという感じで、大体あのグループの周りにいつもいるような気がしている。
「取り巻き」と少し棘のある言い方になってしまったが、僕とは違い上手くクラスに馴染めているのだ、元山さんは世渡り上手なタイプなのだろう。
「投票係の教室って実験室だよね?」
「ええ、そうですよ」
気付いたら横に並ばれていたので、僕たちは一緒に目的の教室へと歩き始める。
「川瀬って寡黙なイメージだったからさ、冗談も言うんだね」
「…冗談なんて言いましたか?」
「ぷっ…はははっ!天然タイプかよっ!余計におもろいわ」
元山さんのテンションやノリというのは、知っている人たちとのものとはまた違った感じだ。
元山さんもスカートを短くした如何にも陽キャグループの人ではあるのだが、愛野さんとは違い、良い意味で気安い感じ、反対に言えば距離感ガン無視という感じで、今もかなりグイグイと話し掛けてくる。
いつもこのレベルのテンション感で会話が行われている陽キャグループにある種の恐れを感じなくもないが、自分から話し掛けずとも会話が勝手に続いていくことに悪い気はしなかった。
二学期にもなって自己紹介のような会話をしていると、僕たちは目的の教室にたどり着いたので、扉を開いて指定の座席へと座った。
しばらくすると全員が揃い説明が始まったので、前を向いて話を聞いていると、
「川瀬、投票係って当日の集計以外まぁまぁ楽だね」
というように、元山さんが小声で話し掛けてきた。
「そうですね。それ以外も投票箱の組み立てと投票用紙の準備くらいなので、当たりかもしれませんね」
「そうだよねぇ~」と元山さんは相槌を打っている。
すると、次はいきなりクスクスと笑い始め、
「てかさ~、何で川瀬はうちに敬語なわけ?うちら同い年じゃん」
と僕に言ってきた。
「基本誰とでもこんな感じですよ?」
愛野さんにも同じことを尋ねられたことがあったが、その時もこうして返したような気がする。
その時の愛野さんはやや苦笑いを浮かべていたが、対して元山さんは肩を震わせていた。
「いや、真面目か!うち、川瀬のこと気に入ったわ」
そう言って元山さんはさらにこう続けた。
「だから、今から川瀬のこと『はじめ』って呼ぶことにするから」
「えっ?」
今日初めて話した相手をいきなり下の名前で呼ぶのは距離を詰め過ぎじゃないか?と思い、すぐに口を開こうとしたが、
「あっ、はじめに拒否権はないから」
と、先に断言されてしまい、僕は渋々頷くほかなかった。
戌亥さんも最初から僕のことをあだ名で呼んできたが、あの時も今回も、いきなり過ぎて拒否する瞬間を逃してしまった。
まぁどんな呼ばれ方をされようが正直なところどうでも良いのだが、変に距離が近付く(仲良くなる)のも面倒臭いので、もし次にこういう機会が訪れたら、しっかりと先に「無理」だと伝えることにしよう。
名前の呼び方一つで相手との距離感に違いが生まれるなんて思ってしまうのは、僕が神経質なだけかもしれないが…。
今回は元山さんのフットワークの軽さに負けを認めておくことにした。
***
投票係の会合が終わり、他の生徒たちが外に出るのに合わせて、僕たちも教室を後にする。
今日は係の説明を聞き終わった時点で放課後となるため、
「それじゃあうちは部活行くから、これからよろしくねはじめ」
と言って、元山さんは部活動へと向かって行った。
僕も花壇の水やりをするため、裏庭へと足を進める。
裏庭の花壇へと到着し、いつものように花へ水をあげながら、ここから二週間は元山さんと行動を共にすることが増えるのかぁと、僕は明日からのことを想像してため息を吐いた。
ただでさえ愛野さんに話し掛けられることで気疲れがあるのに、元山さんのノリに合わせていたら疲労も二倍だろうと思ったからだ。
こうして落ち着ける時間は朝と夕方の水やりだけだなと実感し、僕はゆっくりと水やりの時間を終えた後、荷物を持って家に帰ろうとしたのだが、
(しまった、文化祭準備期間中の時間割プリントを教室に忘れてしまった)
五時間目が終わる直前に、四宮先生が配っていたプリントの存在を僕は思い出した。
文化祭の準備期間中は、普段の時間割とは異なる時間割となる。
一週間前になると、午後からの時間は文化祭準備となり、元々午後にある授業が午前の普段とは違う時間になったりするため、事前に確認しておこうと思っていた。
明日はまだ通常時間割のため、そのプリントを取りに行かずこのまま帰っても良いのだが、折角学校にいる間に思い出せたので、少し面倒だが僕は教室に戻ることにしたのだった。
教室にたどり着くと、中には誰もいなかった。
とっととプリントを回収して帰ろうと思い自分の席に向かうと、やっぱりプリントを置き忘れており、そのプリントをファイルへとしまった。
そして、ファイルをカバンの中に入れていた時、後ろからガラガラという扉が開く音と共に、「あっ…川瀬」という声が聞こえてきた。
カバンを持ち、後ろを振り返ると、そこには愛野さんが立っていた。
愛野さんは教室の扉を閉じ、僕の方へと視線を向ける。
「どうしたんですか?僕に何か用でもありましたか?」
僕がそう言うと、愛野さんは僕の方にどんどんと近付いてきた。
「…ねえ、どうして川瀬は清掃係譲ったの?」
愛野さんが尋ねてきたのは、五時間目に起きた出来事についてだった。
「どうして?」と言う愛野さんの意図は図りかねるが、僕は五時間目で話した内容を再び愛野さんへと伝えることにした。
「あぁ、それは四宮先生に言った通りですよ?去年も清掃係だったので別の係をしたいなと思っただけです」
僕がそう言った途端、愛野さんはキッと目を鋭くして、不機嫌そうな顔をした。
「なんでもう決まったことだったのに、代わりますなんて言ったの?男子たちが何を言おうと、もう決まったことだったんだから代わる必要なんてなかったじゃん」
愛野さんが気にしていたのは、恐らく僕が自分の意見を曲げたことに対してであった。
優しい性格の愛野さんからしたら、僕が他の男子によって意見を変えさせられたようにも見えたあの状況が、あまり好ましいものではなかったのだろう。
愛野さんの主張は正しいし、僕もそう思うという気持ちがある一方で、やはりあの場でああ言ったのは間違いではなかったとも感じている。
いや、どちらかと言えば、後者の判断こそあの場では「最善」だったと言えるだろう。
これ以上他の男子から目を付けられ、学校生活の居心地にまで関わってくるのは避けたいのだ。
それに、僕の「邪魔をしない」という判断によって、クラスメイトは「楽しい」係決めができたのだ、あそこで僕が清掃係にこだわる必要は皆無である。
「確かにみんな後から言い出しましたが、実際僕も率先してやりたいとは思っていなかったですしね。やる気のある人たちに代わった方が良いかなと判断しただけです」
僕がそう伝えると、
「でも…っ」
と愛野さんは未だ不満な様子を浮かべていた。
そのため、僕はそんな愛野さんに視線を合わせ、
「僕よりも他の男子たちの方が一生懸命清掃係に取り組んでくれると思いますよ?他の男子たちは気合いが入ってましたから。それに、僕なんかよりも他の男子たち、そうですね、いつも愛野さんたちのグループにいる男子たち?とかの方が愛野さんは話しやすいでしょうし、愛野さんには『そっちの方が良い』と僕は思います。じゃんけんに勝った坂本くんとは愛野さんも『仲が良いでしょうし』、僕なんかと清掃係になるよりも、愛野さんはきっと坂本くんとの方が清掃係も楽しいと思いますよ?」
という感じで、愛野さんと一緒の係をするのに僕は向いていないということを伝えた。
すると、愛野さんはどこか悲しそうな表情となるが、僕にはどうして愛野さんがそんな表情をするのかがさっぱり分からなかった。
「…そっちの方が良いとか、そんなの意味分かんないっ」
確かに愛野さん本人には分かりづらい話かもしれないが、気を遣って僕なんかに話し掛ける必要はないんだということに気付いてもらうためには、こう伝える以外の方法は思い浮かばなかった。
僕は、愛野さんの邪魔をしたいわけではないのである。
「でも、クラスの男子たちは、僕が清掃係ではなくなったことに理由はどうであれ賛成すると思いますよ」
そう伝えると、愛野さんの目には涙が光っているような気がした。
窓から差し込む光の加減でそう見えただけかもしれないが、愛野さんは俯いて黙り込んでしまったため、涙かどうかは分からなかった。
これ以上話すことはないと感じた僕は、話を切り上げることにする。
「もう決まったことなので、今さらあれこれ話しても意味はないですしね。清掃係ですけど、意外と仕事は多くないので結構楽で良いですよ?それじゃあ、僕はお先に失礼します」
そうして愛野さんの横を通り抜け、僕は教室を出て正面玄関へと向かった。
後ろの方から「…待って、待ってよ」と小さく聞こえたような気がするが、恐らく気のせいだろう。
それにしても、思わぬタイミングで愛野さんと鉢合わせてしまった。
どうしてかは分からないが、ほんの少しだけ意地になっていた自分に、何とも言えない気持ちとなる。
あれで良かったと己の行動を認めている自分の内に、支離滅裂なことを言っていると指摘してくる自分がいることにはほんの少し気持ちが悪くなった。
(あれで良い、あれで良いんだ)
僕はついさっきのことを忘れようと気持ちを入れ替え、この後のアルバイトのことを考え始めた___。
☆☆☆
「…どうして?川瀬は私のこと…嫌いなのかなぁ」
私はその場でしゃがみ込んだ。
教室には、ぽつぽつと涙がこぼれ落ちていた___。
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