第六章 二年生編 文化祭

#30 不穏な二学期







 夏の暑さを残しつつも、秋を予感させるようなそよ風が吹いている九月の初週、今日から星乃海高校の二学期が始まろうとしている。

 一ヶ月ほど振りに裏庭の花壇へと到着し、僕はこの夏で綺麗に育った花たちへと目を向けた。

 秋の花たちもそろそろ開花時期を迎えそうであり、去年よりも多くの花を咲かせてくれることに「期待」しておくことにする。

 そうして水やりを終え、僕は教室へと移動を始めた。

 四宮先生に花の水やりのお礼を言わないといけないなとは思うのだが、例の動画の件で面倒臭いことになりそうなので、あまり近付きたくはないというのが実状である。

 というのも、オープンキャンパスの次の日以降にも電話が掛かってきた日があり、


「…あの動画のおかげで辻先生との距離が近付いたわ。でも、嬉しいと同時にとても恥ずかしいのっ!」


 という感じで、四宮先生の愚痴?に付き合わされたのだ。

 ほとんど惚気だったような気がしないでもないが、担任の恋路を聞く生徒の身にもなって欲しいものである。

 学校ではいつも通りの四宮先生だと思うので、絡まれないことにだけ注意をしておこう…。

 教室へとたどり着くと、中には誰もいなかった。

 窓を開けて、風が教室内に循環し始めると、何だか心地の良い感じがする。

 席へと座り、カバンから小説を取り出して、僕は学校生活のルーティンとも言える読書を始めた。

 今年の夏も変わったことはほとんどなかったのだが、いくつかの内容が濃かったせいで、去年とは違ったようにも感じている。

 オープンキャンパスに花火大会…これらは自分でも参加するとは思っていなかったため、何だか不思議な気持ちになるのも仕方がないことだろう。

 そう言えば、花火大会が終わった二日後のアルバイトでは、


「はじはじ~?」


「川瀬っち?」


 と、キラキラとした目を向けながら、当日のことを聞いてくる好奇心旺盛な二人の相手をするのが大変だった。

 どうにも二人は勘違いをしている節があるので、何度も「愛野さんはただのクラスメイトです」と説明したのだが、二人の笑みは深くなるだけだったので、恐らく徒労に終わったのだろう。

 あの日は結局愛野さんを自宅近くまで送った後、すぐに反対方向の電車に乗り、花火大会の駅へと戻った。

 自転車に乗ってそのまま家へと帰ったのだが、流石にその日は泥のように眠った。

 あれほど疲れたのは、花城高校の文化祭以来である。

 僕たちの高校も今月に文化祭を控えており、一週間もすれば文化祭期間が始まるはずだ。

 去年は図書室で本を読んでいたら文化祭が終わっていた。

 何度も言うが、基本的に僕は学校行事にはあまり参加したくないので、今年も図書室で時間を潰そうかなと考えている次第だ。

 体育祭は体調不良だったとはいえ、文化祭まで休んだら四宮先生の目が吊り上がってしまうかもしれないので、参加せざるを得ないだろう。

 まぁ何も起こらなければ今年も一人で文化祭を乗り切れるさ、とぼんやり思いながら、意識を小説の方に集中させた。


 ただ、それが何だか不穏な予感も孕んでいるような気がしたのは、全くの気のせいではなかったということを僕はすぐに知ることとなる。










***










 生徒たちが次々と登校をしてきて、教室中が騒がしくなり始めた時、それは起きた。


「なぁ川瀬、ちょっとツラ貸せよ」


 小説が良いところに差し掛かろうとしているタイミングで、誰かが僕に声を掛けてきた。

 小説から視線を上げると、不機嫌そうな表情を隠そうともしない男子生徒がその場に立っていた。

 その男子生徒は坂本くんだった。

 クラスの陽キャグループのメンバーで、いつもクラスで騒いでいる男子の筆頭であり、愛野さんとも話しているのを目にする。

 中々に派手な見た目をしており、当然制服も着崩されているが、それでもサッカー部ではレギュラーだったような覚えがある。

 そんな坂本くんが僕に何の用があるのかはさっぱり分からないが、


「ついて来いよ」


 と言って、僕の返事も待たずに教室の外へと歩いていくので、僕は大人しく付いていくことにした。




 男子トイレまで移動をすると、そこには花火大会の時に愛野さんへ告白をした田村くんと、もう一人クラスメイトの男子がおり、三人は僕を囲むようにして睨みつけてくる。

 何とも物騒な雰囲気だが、とりあえずどうしてこんな状況になっているのか理由を聞いてみることにした。


「それで、一体僕に何の用ですか?」


 そう言うと、坂本くんが一歩前に出てこう言ってきた。


「お前、花火大会の日さ、愛野といただろ?出店の通りを二人で歩いてたのを見たってヤツがいんだよ」


 どうやら坂本くんたちがこんな感じになっている原因は、花火大会の日にあるらしい。

 あれだけの人込みだったので、案の定星乃海の生徒に僕たちを見ていた人がいたようだ。


「愛野からは体調が悪くなったから帰るって連絡きたけどよ、お前が余計なことしたんじゃねえの?」


 愛野さんが帰ると決めた直接的な原因は、前にいる田村くんであることを僕は知っているので、


「どういうことですか?」


 と問い返した。

 しかし、「とぼけんじゃねえよ!」と坂本くんは声を荒げて、また一歩僕の方へと近付いてくる。


「愛野は俺たちとの予定があったのによ、お前がくだらないこと言って愛野を唆したんだろ!?花火の時だけじゃねぇ、お前はいつも調子に乗り過ぎなんだよ」


 そして、坂本くんは僕の胸倉を掴んできた。


「愛野は優しいからお前みたいな根暗と話してくれてるだけで、本来はお前なんかが話して良い相手じゃねぇんだよ!」


「…」


 坂本くんの言っていることは根拠のないでたらめである。

 しかし、僕の胸の中ですとんと納得できるものがあるのも事実だった。

 と言うのも、僕もどうして愛野さんが毎回話し掛けてくるのかについては考えていた。

 そうして導き出した理由というのが、坂本くんが言ったように「僕が一人だから」話し掛けてくれているのではないか?という理由だった。

 まだ数ヶ月しか愛野さんと関わってはいないが、愛野さんが真面目で優しい性格であるということは僕でも知っている。

 そうした性格や状況も考慮すると、この説が現実味を帯びてくるのだ。

 直接本人に尋ねる機会はなかったが、僕だけでなく、その周囲の人にも「愛野さんが僕に気を遣っている」ように見えていたのだ、きっと愛野さんは「一人で可哀そうな僕」に優しくしてくれていただけなのだろう。

 「そうに違いない」と納得し始めると、これまでの自分の行動が何だか馬鹿らしく思えてきて、思わず自嘲しそうになる。

 花火大会の日の行動も、別に僕が気に掛けなくても愛野さんならどうにかできたであろうし、花火を見たがっていたのだ、わざわざ公園で手持ち花火なんかしなくても、会場から離れた場所で普通に花火を見れば良かったのだ。

 勝手に僕が愛野さんに「気を遣っていた」と勘違いしていただけで、本当は愛野さんに「気を遣われていた」。

 愛野さんに対する申し訳なさと共に、どんどんと心が冷たくなっていくような気がする。

 夏休みで自分に「変化」が訪れたような気もしていたが、どうやらそれは錯覚で、「僕」という人間は何一つとして変わっていなかった。

 僕がだんまりを決め込んでいるせいで、坂本くんは「何とか言えよ!」と胸倉を掴む力を強めてくる。


___正解だ。


___あぁ、正解だとも。


___僕は誰かから話しかけてもらうほど価値のある人間じゃない。


 そんな僕なんかよりも、言動に粗野は目立つがこうして愛野さんのことを「気に掛けている」坂本くんたちの方が、何倍も愛野さんには「相応しい」。

 愛野さんは、僕のようなヤツにも笑顔を見せてくれる善良な人間だ、これからはその笑顔を「正しい」相手に向けてもらうように心掛けよう。




___愛野さんは、僕とは関わるべきじゃない。




 そして、僕も愛野さんとは関わるべきではない。

 心の奥底でモヤモヤとしていたものがスッキリとした感覚があり、僕の心は軽くなった気がした。

 「痛み」を伴いながら「何か」が抜け落ち、胸にぽっかりと大きな穴が開いた気がするが、一瞬のことだったので僕は気に留めないことにする。

 そうして顔を上げ、坂本くんの方に視線を向けた。


「坂本くんの言う通りですね。愛野さんは僕なんかと話すべきではないでしょう。僕の方からも愛野さんに距離を開けてもらうようお願いしてみますね」


 坂本くんは「お、おぉ、分かれば良いんだよ」と、急に表情を硬くして僕の胸倉から手を離し、残りの二人と一緒に教室へと足早に戻って行った。


(どうして少し怯えたような顔をしていたんだろう?)


 とりあえず、今日からはまた「みんなの邪魔にならない」自分でいようと気合いを入れ直し、僕も男子トイレを後にしたのだった。




 トイレの鏡には、無機質な貼り付けた笑顔が映し出されていたが、少年がそれに気付くことはなかった___。










☆☆☆










 今日は二学期最初の登校日だ。

 いつもの通学路に久しぶりな感じを覚えつつ、私は朱莉と並んで歩いている。


「えへへっ」


「もぉ~姫花ってばさっきからどうしてスマホを見てにやけてるのさー」


 朱莉が言ってきたように、私は朝から学校に行くのが楽しみで、力を抜くと思わず口角が上がってしまっていた。

 というのも、このスマホの画面に映っている「川瀬」が原因だ。

 私がホーム画面にしている川瀬の画像は、二人で線香花火を眺めていた時に撮った画像である。

 川瀬が線香花火を持ちながら優しい表情を浮かべているこの画像は、私のお気に入りの一枚だ。


 …これ以外に川瀬の画像を持っていないことには触れちゃだめっ。


 写真を撮っても良いかと尋ねた時に、良いよという言葉が返ってきたので、どうしても川瀬を撮りたくて気付いたら撮影ボタンを押してしまっていた。


 しかし、その時の私、ナイス判断!


 今もこうして眺めるだけで、胸はドキドキとするし、温かい気持ちが広がっていく。

 花火大会の日は、私にとって忘れられない思い出となった。

 川瀬が、私のために花火を用意してくれたのだ、舞い上がるなという方が無理な話である。

 あの日、二人で見た線香花火の小さな光は、電車で見た花火大会の大きな花火よりも、私の目には輝いて見えた。


 そ、それに、いきなり浴衣のことを褒めてくるとか心臓に悪いっ!


 恥ずかし過ぎて思わずポコポコと叩いてしまったが、私をドキドキさせ過ぎた罰なので、あれでお相子である。

 やっぱり川瀬は優しい。

 私が川瀬と初めて会った時と、川瀬は何も変わらず「優しい」ままだ。

 また彼のことを考えてにやけが止まらなくなりそうだが、もう少しで学校に到着し、川瀬に会うことができる。

 数週間後には「文化祭」があるので、一緒に見て回ることができたらなぁ~なんてことを想像しながら、私は今日からの二学期に期待で胸を膨らませた。


 そうこうしているうちに学校へと到着したので、朱莉とは途中で別れ、私は久しぶりの二年七組に足を踏み入れる。


「愛野さんおはよう!」


「久しぶりー!」


「二学期楽しみだね!」


 教室に入ると沢山の人が話し掛けてくれたので、私も一人ずつに挨拶を返していく。

 夏休みが明けて少し変わったように感じる人もちらほらといるが、なんだかんだみんなはいつも通りの様子であり、私は安心を覚えた。

 坂本くんたちとも挨拶を終え、私は窓際の一番後ろの席でいつものように読書をしている川瀬の方へと移動をする。


 一歩、また一歩彼に近づくごとに、胸の高鳴りが大きくなっているのが分かる。


 「よしっ」と胸に手を当てて小さく気合いを入れながら、私は川瀬へと声を掛けた。


「川瀬、おはようっ♪」


 小説から視線を上げた川瀬は、私の方へと顔を向けてくる。


「おはようございます、愛野さん」


 川瀬はこれまでと同じように挨拶を返してきてくれた。




___しかし、彼の視線が何故か冷たいように感じるのは、気のせいだろうか?




 ちょうどそのタイミングでメグちゃん先生が教室に入ってきたので、私は後ろ髪をひかれながらも自分の席へと戻った。




 しかし、この時に感じた違和感は気のせいなんかではなかった。




 この日から、川瀬は私に対してよそよそしくなるのだった___。






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