#26 何のために







 「よろしく少年!」と言いながら木山先生は僕の手を取り、ものすごい勢いで手をブンブンと振ってくる。

 木山先生にされるがままとなっていると、


「私の生徒に何してるの、よっ」


「にゃっ!」


 四宮先生が木山先生の頭へとチョップを繰り出し、木山先生は涙目になっていた。

 「はぁ~」と四宮先生はジト目になりながらため息を吐いており、その目はこの辺りだけクーラーが効き過ぎているのではないかと思うほど冷え冷えだった。


「ひぇっ、メグが睨んでくる~、少年、助けてくれ給えー!」


「なんで私が悪者みたいになってるのよ、それに川瀬くんも見てるんだから、ちょっとはしっかりとしたところも見せなさい」


 呆れ半分、恥ずかしさ半分といった感じで四宮先生は元の様子に戻り、木山先生も「ふぅ、危なかったぜぇ」と冷や汗を拭うかのような素振りを見せた後、普通の状態?へと戻った。

 何となく二人の関係性と距離感というものが分かり、やり取りからはとても仲が良さそうに見えた。


「サクラ、こちらは私の生徒の川瀬朔くん」


「会いたかったぞ、川瀬少年!どうやら少年は読書を趣味としているらしいじゃあないか!」


「ご紹介にあずかりました、川瀬朔です。よろしくお願いします。読書については木山先生に自慢できるほどではありませんよ。休憩時間に少し読んでいるというだけですから」


「読書量など微々たる問題さ、少年。本を読んでいること、それが一冊であろうが百冊であろうが、その一点さえ共通しているのなら我々は読書仲間であり、読書を趣味として胸を張っても良いとあたしは思うぞ。それと、木山先生というのはむず痒いから櫻子と下の名前で呼んでくれ給え」


「分かりました、それでは櫻子先生とお呼びさせていただきます」


 櫻子先生と話してみると、これまで出会った人とはまた一味違うような感じ、有り体に言うと専門家感とでも表現すれば良いのだろうか、をひしひしと肌で感じることができ、少し背筋が伸びるような感覚がある。

 ただ、櫻子先生の雰囲気が、僕が勝手に想像する大学のお堅いイメージとは違うということもあり、思ったよりも普通に会話をすることができた。


「少年はとても優秀な生徒さんらしいじゃあないか」


「いいえ、そんなことはありませんよ」


「メグがこの大学に連れてくるほど気にかけている子だし、実際に会って更に少年に興味が湧いてきたよ」


「そ、それはどうも」


「真面目でナイスガイじゃあないか、どうだい、少年、進路はここの文学部に…」


「サクラ、また話が脱線してるわよ」


「にゃはは、そうだった、それじゃあ今日は改めて一日よろしく、少年」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 その後、櫻子先生に案内してもらいながら、授業が行われる講義室へと移動をした。


「それじゃああたしは一旦戻るから、少年、授業を楽しんでいってくれ給え」


「はい、楽しみにしています」


「サクラの授業を見るなんて私も楽しみだわ」


「メグに見られるのは普通に恥ずいのだけれども…」


 そうして櫻子先生は授業準備のため、奥の方へと歩いて行った。

 僕と四宮先生は、とりあえず櫻子先生に案内された講義室の中へと足を踏み入れることにした。

 扉を開けると、段差上になった座席と長机がずらりと並んでいる広い講義室が目に入ってくる。

 高校とはまた違う学び舎の様相に目新しさを感じながら、僕たちは講義室の一番後ろの座席へと腰を下ろした。

 前の教壇から見て左側の一番端のこの二席は、櫻子先生が事前に確保してくれていた席である。

 本来は授業予約をしないといけないらしいのだが、そこは四宮先生と櫻子先生に感謝というわけだ。

 この二席は、元々余った資料を置いておくために空席とする予定だったらしく、僕が授業を受けることで本来の予約人数の二枠がなくなったわけではないと聞き、少しホッとした。

 席に座った後、この講義室に入る前に櫻子先生が渡してくれたトートバッグの中身を開いてみることにする。

 毎年オープンキャンパスの時には、大学は参加者にトートバッグ(デザインは毎年違うらしい)を渡しているそうで、中には東大のパンフレットや部活動の紹介プリントなど、いくつかの資料が入っていた。

 まだもう少し授業開始には時間がありそうだったので、僕はパンフレットを開き、その内容を眺めることにする。

 隣に座っている四宮先生が「一緒に見ても良いかしら?」と尋ねてきたので、二人でパンフレットを覗き込みつつ、四宮先生から学部のことについて教えてもらったりしながら、僕たちは授業までの時間を過ごした。










 授業の時間となり、前で待機していた東大生たちが順番に資料を配布し始める。

 資料がちょうど行き届いたところで、前の扉から講義室に入ってきた櫻子先生が教壇へと上がった。


「ようこそ高校生諸君!あたしは今回の文学研究授業を担当する木山櫻子だ。数ある学部の中でこの文学部に興味を持ってくれたこと、心より感謝申し上げる。さて、早速だが諸君は本を読むことが好きだろうか?東大のオープンキャンパスに参加し、文学の道を志そうと考えてくれている諸君のことだ、この質問自体が野暮なのかもしれないのは気にしないでくれ給え。それじゃあ、まずは『読む』ということについて簡単に考えてみようか」


 ついさっき出会った時の印象と大きく変わっているわけではないのだが、百人以上の高校生に向けて授業をしている櫻子先生からは、「威厳」と言えば良いのだろうか、言葉にはしづらいがそんな「大学の先生」としての雰囲気が今は感じられる。


「高校生諸君は国語、あるいは現代文、あるいは古典と名称はそれぞれだが、文章に向き合う授業を受けている。その授業やテストというものにおいて、『心情描写』についての問題を解く機会はかなり多いのではないだろうか。いわゆる『この部分の登場人物・作者の気持ちを答えなさい』というような問題だ。さて、ここにいる諸君はかなり優秀な人たちだろう、この心情描写の問題を含め、テストでは良い点数を取っていると思う。そうしたテストで『正答』を導き出すことのできる諸君だが、こう思う時はないだろうか?『これは本当の意味で作者の心情を説明できているのか』と。もしかしたら、テストの答えと作者の本当の答えは違うのではないか、と。作者本人が問題を解いてみると、作者なのに満点が取れないなんてことをテレビで紹介されたりもしているが、実際これは非常に難しい問題である。ただ、ここで強調しておきたいのは、諸君が学校や塾で習っている『読み』が、無駄なことでも間違いでもないということだ。そこを押さえてもらった上で、話を進めよう。あたしが『読む』ということについて今回挙げたいのは『読解』方法についてだ。大きく分けて今日は二種類に分類してみようと思う。それでは一つ目だが…」


 配布された資料の内容を交えながら、櫻子先生の授業は順調に進んでいく。

 高校の授業とはまた違った、専門的な視点を用いながら展開されていく授業の内容に、僕は「学ぶ」という意識が刺激される。

 この授業は、高校生用に分かりやすく説明してくれているものであり、大学で学ぶ授業の初歩的なものであるだろうが、それでも本質的な問題に言及していこうとするプロセスには若干の興味が湧いた。

 大学の授業というものを知れたという点で、四宮先生が言っていたように、良い機会にはなっているのかもしれない。


 授業がひと通り終わった後は、質疑応答の時間に加え、櫻子先生や東大生の人たちがオススメの本を紹介するような時間が続き、櫻子先生の授業は時間通りに終了するのだった。










***










 今僕たちは大学の食堂で昼食を食べているところだ。

 授業が終わり、櫻子先生と合流した後、「学食に行くぞー」という櫻子先生の一言がきっかけとなり、こうして学食へと足を運んだというわけだ。

 授業後にも高校生たちに囲まれ、丁寧な対応をしていた姿はどこに行ったのやら、今櫻子先生はチーズをトッピングした大盛りのカレーライスを口いっぱいに頬張っている。


「いや~ひと仕事済ませた後のカレーは絶品だのぉ」


「そんなこと言って、どうせいつもそのカレーばっかり食べてるんでしょう?」


「何故分かった…!?」


「はぁ…ほんとにカレー好きよね、サクラは」


「メグも食べてみ給えよ、このチーズがまた良いアクセントになってるのさ」


「…遠慮しておくわ」


 僕の方にも「どうだ!?」と期待するような視線を向けてきている櫻子先生だが、僕も視線でその提案は断っておくことにした。

 「ちぇ~なんだい」と拗ねているように振る舞っているが、スプーンを持つ手は止まっていないので、最初から食べさせる気などないのだろう。

 「ごめんなさいね川瀬くん…」と四宮先生が遠い目をしているが、大丈夫だということを伝え、僕たちも止まっていた手を動かす。

 僕と四宮先生は日替わりランチを注文したのだが、メニューは唐揚げと魚のフライがメインの定食であった。

 値段を見たのだが、コンビニの弁当よりも安い値段であり、この価格設定とこの味なら櫻子先生が毎日食堂を利用するのも分かる気がした。

 ただ、毎日カレーライスという選択肢だけはないと言っておこう…。

 そうしてご飯を食べ進めていると、


「それで、それで~?川瀬少年のことを聞かせてくれ給えよ」


 と櫻子先生が僕の話を聞きたがったので、


「何か質問をしていただいたら答えます」


 と返事をした。

 そうすると、好きな本や授業の感想など、色々なことを興味深そうに尋ねてくる櫻子先生。


「え、テストの点数が全教科満点だって!?ほぇ~それはメグがここに連れてくるのも分かるってもんだぁ」


「ふふっ、自慢の生徒よ」


 僕の代わり?にどうして四宮先生がドヤ顔をしているのかは分からないが、まぁ良いかと気にしないことにした。


「それは益々少年にはここに入学して、文学部に来てもらいたいところだ」


 「どうよ?どうよ!?」と言いながら顔を近付けてくる櫻子先生だったが、


「川瀬くんに迷惑掛けないの」


 と言う四宮先生に、本日二回目のチョップを食らっていた。

 そのまま次は僕がどうやっていつも勉強をしているのかという話になり、変わったことはしていないと伝えると、二人して驚いた表情を浮かべる。


「本当に川瀬くんは変わったことはしていないの?」


「ええ、そうですよ?授業を聞いて、何となく復習をしているだけです」


「ま、まじかい少年…」


 櫻子先生は「じゃあさ少年」と口を開き、今の僕にとって核心的な質問をしてきた。


「少年の勉強のモチベーションはどこからきているんだい?いや、何のために勉強をしているのかって聞いた方が良いのかな?」


 櫻子先生は純粋に気になったという感じでそう尋ねてくるが、その質問を耳で聞き、脳内で内容を咀嚼し、僕は思った。




___僕って何のために勉強をしているのだろう?




 去年の四宮先生との面談の時に同じようなことを考えた気もするのだが、実際にたまたまテストで満点が取れているというのは本心だ。

 しかし、特待生を維持するために一応点数が取れれば良いなくらいしか思っていないのだったら、どうして毎日机に向かい、僕は勉強に取り組んでいるのだろうか。

 大学に進むというような進路に希望を持っているわけでもないし、満点を維持することに誇りを感じているわけでもない。

 どうしてだろうと考えてみても、答えは全く見えてはこない。

 誰かが微笑み、手を頭へと伸ばす光景がちらつくが、こんなものは全く関係がないはずだ。

 …見えない、そう、僕には答えが見えていない。

 見ようとしていないわけでは決してないと、僕は自分に強く言い聞かせる。


「…僕にも分かりませんね」


 僕の返答に「目的を持って何かをするだけが全てじゃないものね」と四宮先生がフォローを入れてくれたことで、その話は良い感じで別の話題へと移っていった。


 僕の視界には、同じようにオープンキャンパスに参加している高校生たちの姿が目に入るが、彼らのような希望に満ちた顔にどこか拒絶感を覚えているのは、きっと変なことを考えたせいだ、僕はそう思うことにしたのだった___。






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