#25 オープンキャンパス







 夏休みが始まり、去年のように自宅とアルバイト先を行ったり来たりしている八月の第一週、今日もバイトに向かおうと準備をしていると、滅多に鳴らない固定電話から着信音が聞こえてきた。

 固定電話に表示されている番号に見覚えはなかったが、数字の並び的に携帯からの連絡のようだ。


(あれ、この番号って…)


 僕は固定電話を置いている棚の引き出しを開け、中に入れておいたメモ用紙を取り出した。

 その紙に書かれている番号と、今ちょうど掛かってきている番号が一致し、前もって登録しておくべきだったと思いつつ、僕は受話器を上に持ち上げ、それを耳に当てた。


『もしもし、川瀬くんかしら?四宮恵美です』


「もしもし、川瀬です。少し出るのが遅くなってしまい、申し訳ありません」


 予想は的中し、電話を掛けてきた相手は四宮先生だということが分かった。


『気にしなくて良いのよ、いきなり電話を掛けた私の方に非があるわ。今時間の方は大丈夫かしら?』


「はい、大丈夫です」


『それなら良かったわ。それで本題なんだけど、川瀬くんは明日の土曜日、予定は空いている?』


 いきなり電話が掛かってきたと思いきや、次はいきなり明日の予定を聞いてくる四宮先生に、僕はどういう意味なんだ?と頭を悩ませる。

 確かに明日はアルバイトもなく空いてはいるのだが、何の用があるのだろうか?


「はい、一応空いています」


『空いているのなら、明日私と一緒にオープンキャンパスに行かないかしら?』


「…オープンキャンパスですか?」


 以前に四宮先生とオープンキャンパスについて話したことはあったが、「考えておく」ということで話は終わったと思っていた。

 しかも、あの時に先生が説明をしていたのは「希望者参加」のオープンキャンパスであり、先生と一対一で行くような難易度の高い話ではなかったはずだ。

 四宮先生がどうして僕にそのような提案をするのか、その理由を考えあぐねていると、先生がちょうどその答えを話し始めてくれた。


『この前の三者面談の時に、水本さんからお願いをされたの。川瀬くんは自分から大学のことに興味を持とうとはしないだろうから、私の力も貸して欲しいというお話をしていらっしゃったわ。私も川瀬くんには進路のことを考えて欲しいと思っていたし、水本さんに協力させていただくことにしたの。そしてちょうど明日、私の知り合いがいる大学でオープンキャンパスが開かれるのだけど、事情を話したら招待をしてくれたの。きっと川瀬くんにも良い機会になると思うし、良ければ参加してみない?』


 この前の三者面談の時に、進さんが僕に席を外させたのはこれが理由だったらしい。

 進さんの予想通り、僕は大学については全く興味がないため、夏休みに入っても何かを調べるようなことはしていなかった。


 まさか、四宮先生をも巻き込んで外堀を埋めていたとは…。


 ここで四宮先生の提案を断るのは簡単だが、四宮先生には散々進路のことについて聞かれているというのも事実であり、


「…分かりました。明日のオープンキャンパスには参加させていただきます」


 との返事をすることにした。


 もしかしたら、僕の中にも違う考えが生まれるかもしれない。


 以前だったら考えられないことだが、ほんの少し、ほんの少しだけ意識に変化があるのかもしれないと僕は感じた。


『それじゃあ、明日の朝九時ごろに川瀬くんのお家まで迎えに行くから、よろしくお願いするわね』


 その後は必要なものや服装についての説明を聞き、僕は受話器を元の場所へと戻した。

 「はぁ…」とため息を吐きながら、ここ最近は急に予定が入ることが多いなぁと思い、僕は肩を竦める。


 進さんはもちろん、四宮先生もどうして僕にそれほど肩入れするのだろうか。


 お節介な先生が自分の担任であるという現実に再度ため息を吐き、


「…僕のことなんて、みんなどうでもよくなるだろうさ」


 と思いながら、黙々とバイトの準備を進め、少し早いがバイト先のコンビニへと向かうことにした。










***










 次の日の朝、本を読みながら時間を潰しているとインターホンが鳴ったので、僕は荷物を持って玄関の扉を開けた。


「おはようございます、四宮先生」


「おはよう、川瀬くん。準備もできているようだし、早速向かいましょうか」


 靴を履いて外に出ると、家の前に水色の軽自動車が停まっており、あれが四宮先生の愛車なのだろう。

 助手席に座ってシートベルトを締めた後、車がゆっくりと発進し始める。

 ちなみに、僕の住所を四宮先生が知っていたのは、連絡先の紙に住所も記載してあったからであり、生徒の家庭訪問などの用事ごとでよく学校では活用するそうだ。

 ハンドルを握って運転をする様子が妙に様になっている四宮先生の方に視線を向け、僕は今回のオープンキャンパスについて尋ねることにする。


「四宮先生、今日はどこの大学のオープンキャンパスに参加をするんですか?」


 「言い忘れていたわね」と、うっかりした反応を見せる四宮先生。


「今日私たちが参加するオープンキャンパスは、『帝東大学』よ」


「え、『東大』ですか?」


「ふふっ、そうよ」


 四宮先生が口に出した大学名に、流石の僕もびっくりしてしまった。

 「帝東大学」というのは、どんな人でも名前を知っている「日本一の大学」であり、「東大」とも呼ばれている。

 まさか東大のオープンキャンパスだとは思わなかったため、すぐに


「僕なんかには縁のない大学だと思いますし、見学しても意味はないのでは?」


 と四宮先生に伝えたのだが、


「そんなことはないわ。今の川瀬くんなら十分狙える範囲だと思っているし、大学とはどんな場所かを知るだけでもきっと良い学びになるはずよ」


 というような言葉が返ってきたので、とりあえずは先生の言葉に従うことにした。


「東大のオープンキャンパスということは分かりました。先生は知り合いから紹介されたと言っていましたが、お知り合いの方は一体どんな方なんですか?」


 四宮先生は「そうね…」とワンクッション挟み、こう説明し始めた。


「私の知り合い、というか友人が東大で助教をしていてね。その友人は『木山櫻子(きやまさくらこ)』というのだけど、サクラに大学の見学のことを話したら、ちょうど今日のオープンキャンパスでサクラが授業をするらしくて、その授業に招待してくれることになったの。その後は大学の見学にも付き合ってくれるそうだから、折角の機会だし、お願いをしたという感じかしら」


「なるほど、そうだったんですね」


 四宮先生の説明により、僕は今日のオープンキャンパスの参加経緯を知ることができた。


「サクラに川瀬くんのことを少し話したのだけど、随分と興味を持っていたわよ」


「えっ、どうしてですか?」


 四宮先生が、どのようにその「きやま」先生という人物に僕のことを伝えたのかは分からないが、僕に興味を引くようなところなんてあるのだろうか?


「川瀬くんは本を読むのが好きでしょう?」


「ええ、まぁ、趣味の範囲ですけどね」


「サクラは大学で文学の研究をしているの。だから、川瀬くんが本好きという話を聞いて興味を持ったらしくてね、ふふっ。あっ、サクラは悪い人ではないけど、ちょっと変わってはいるから、川瀬くんはびっくりするかもしれないわね」


 僕のことを話した時の「きやま」先生の様子を思い出し、四宮先生は笑みを浮かべている。

 東大で文学を指導している立場の人間を相手に、とても「本好き」とは語るに忍びないところなのだが、どうやらそういった理由で興味を持ってくれているらしい。

 四宮先生が「変わった人」というほどだ、一体どんな人物なのだろう。

 しかし考えてみると、僕の知っている人たちもなかなかの曲者揃いのような気もするのだが、気のせいだろうか…?


「四宮先生は、そのきやま先生とはいつからのお知り合いなのですか?」


「サクラとは高校の時からの知り合いね。大学も同じだったから、随分と長い付き合いになるわ」


 四宮先生から気になる内容が聞こえてきたので、僕はそれを尋ねることにする。


「四宮先生ときやま先生は東大の出身だったのですか?」


 僕の言葉に「いいえ、違うわよ」と微笑み、


「サクラは大学院から東大の方に行ったの、だから私たちが通っていた大学は東大ではないわね」


 と、四宮先生は答えてくれた。


「サクラは東大の文学研究を専攻している教授の先生を師事していてね、色々な縁やきっかけがあって今は東大で研究をしているわ」


「そうだったんですね」


 きやま先生のことを語る四宮先生からは、普段学校で目にするのとはまた違った一面を感じることができ、学校の「先生」もまた、一人の「人間」だということが強く実感させられる。

 人は、話すことでしかその人のことを知ることはできない。

 しかし、相手に自分のことを話したとて、その本心を完全に伝え切ることは不可能だということも、僕は知っている。

 何とも難儀な話だが、また思考が変な方向に脱線をし始めているような気がしたため、僕は意識を車内へと戻すことにした。


「話は変わるんですが、今流れている音楽は先生のご趣味ですか?」


 僕がそう聞くと、四宮先生は「実はね…」と言い、「四宮先生らしい」理由を話し始める。


「今流れているプレイリストの曲は、生徒のみんなが教えてくれた曲なのよ。みんなが普段どんな曲を聴いているのかも知れて話題のネタにもなるし、良い曲が多いからこうして車で流しているの。今かかっている曲は私もオススメよ。川瀬くんは普段音楽を聴いたりはするのかしら?」


 僕が変なキャッチボールを始めてしまったせいで、急に音楽がトークテーマとなり、戌亥さんから教えてもらっている音楽知識を活用しつつ、四宮先生に別のオススメを聞いたりしていると、目的地までの車内は意外にも静かな時間が流れることはなかった。

 話を聞いていると、やっぱり生徒との距離感が近いお節介な先生だなぁと思う一方で、先生の日々の小さな積み重ねも垣間見たような気がしたのだった。










***










 目的地へと到着し、車の外に出てしばらく歩くと、特徴的な赤い門が視界いっぱいに広がり、すでにその周辺には多くの制服を着た高校生で溢れていた。

 テレビが家にある頃に何度か見た景観をこの目で実際に確認し、何となくではあるものの「やってきた」という感じがしてくる。


「それじゃあ中に入りましょうか」


「そうですね」


 そうして門を越えると、真っ直ぐに伸びた一本道が続き、正面には昔ながらの、それでいて荘厳な印象を与える立派な校舎が目に入ってくる。

 一本道にもたくさんの高校生たちがおり、東大生の部活動紹介?を見物しているようだった。

 クイズを出している人たちの周りは人気がすごく、高校生たちはあれこれ言いながら答えを当てるのに夢中になっている。

 そんな様子を見渡しつつ、僕と四宮先生は一本道を歩き、その先の校舎内へと入っていく。


「到着したことをサクラに連絡するわね」


 四宮先生はスマホを取り出し、きやま先生へ連絡を取り始めた。

 すぐに返信がきたようで、そこから三分ほど経った時、


「お~い、メグ~」


 と四宮先生に声を掛けながら近付いてくる人物が現れた。

 その人物は、少し癖のある茶色い髪の前髪部分をヘアクリップで留めておでこを出し、大きな丸眼鏡を掛けた白衣の女性であった。


「紹介するわね、川瀬くん。私の知り合いで、今回お世話になる木山櫻子よ」


 首から掛けている名札の位置を整え、「ふふんっ!」と両手を腰に当てて大きな胸を張りながら、木山先生は自己紹介を始める。


「あたしは木山櫻子、今日はよく来た少年!」




 やはり四宮先生の言葉は正しかったようだと、早速僕はそう感じずにはいられなかった。






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