#20 Euphoria







 土曜日、日曜日と、イリーナ先輩の自宅での濃密な基礎練習を終え、僕は自宅でベースを軽く弾きながら、演奏する曲の解説動画を見ていた。

 土曜日の練習が終わった時に、イリーナ先輩がベースに加え、演奏する楽曲とその楽曲の演奏解説動画をダウンロードしたタブレットを貸してくれたのだ。

 そのおかげもあり、今こうして自宅でも練習ができるというのはありがたいことだった。

 画面を止めたり、速度を落としたりしながら、一つずつ指の位置を確認していく。

 未知のものに挑戦することを嫌う僕ではあるのだが、こうして何かにコツコツと打ち込むことは嫌いではなかった。

 小さい頃は周囲から「神童」と言われ、あまりにも不相応な称号だと常々感じていたものだが、最初から何でもできたというわけではなく、コツコツと何かに取り組む能力に(自分で言うのもなんだが)長けていたからこそ、「神童」というような扱いを受けていたのだと僕は客観視している。

 恐らく他の人たちも同じように取り組めば、僕と同じか、あるいはそれ以上の成果を上げることだってできるだろう。

 「神童」か「神童」でないかは、取り組んでいるか取り組んでいないか、ただそれだけの理由だ。

 まさに「To be, or not to be」と言えよう。

 そのような、どこまで行っても答えは平行線な回答に個人の見解を多分に含みながら、僕はトライ&エラーを繰り返す。


 期待されるのは悪いことではないが、嬉しいことでもない。


 期待の分だけ落胆も大きい。


 それなら期待されない方がよっぽどましにも思えてくる。


 この二日間、戌亥さんや堀越くん、そしてイリーナ先輩は僕に「期待」を込めた視線を向けてきていた。


 僕はそんな期待されるほどの人間ではないのに…。


 どうにも最近は余計なことばかり考えてしまうが、僕が「必要のない」側の人間であることの意識が変わることはなかった。

 どんなことがあろうと、僕は僕らしくあるだけだ。




___僕らしさって何だろう?




 前のタブレットから聞こえてくる音楽のせいで、何か肝心なことを考えていたであろう思考が、すっかりそのまま霧散してしまったため、結局何を考えていたのかは忘れてしまった。










***










 月曜日の五時間目、僕たち星乃海生は体育館に集められていた。

 今から体育祭に向けたダンスの団発表が行われるところであり、周囲からは何色の団になるのかなと言った会話がいたるところで交わされている。

 体育教師の挨拶もそこそこに、三年生の「団長」と「副団長」に選ばれた生徒たちが壇上に出てきて、一人ずつ自己紹介と団発表を行っている。

 団長たちによるちょっとした茶番も行われており、体育館内は大いに盛り上がっているが、僕は三年生の団長たちを一人も見たことがないため、どこか冷めた目でその茶番をぼんやりと眺めていた。

 どんどんと団発表が続いていき、ついに僕たちのクラスである二年七組の名を呼ぶ団長が現れた。

 団長の人に当然見覚えはないのだが、自己紹介の時に「吹奏楽部の部長をしている…」と言っており、そういえばどこかでそんな人がいたなぁと記憶を遡っていると、いつぞやに愛野さんへ告白をしていた先輩ということが分かった。

 先輩はメガネをかけた真面目そうな感じで、それに容姿も僕なんかに比べたら全然整っているというような感じであり、


(あんなに真面目そうな人でも、愛野さんの心は落とせないのか)


 と思い、「愛野さんが好むような相手というのはどのような感じなのだろうか」とほんの少しだけ興味が湧いたが、別に誰であろうと関係のないことだと気付き、僕はまた別のことを考え始めた。


 そのままぼーっとしているうちに団発表が終わり、各団に分かれてのダンス練習の時間となったので、生徒たちは団ごとに指定されている練習場所に向けて、一斉に移動をするのだった。










「僕たちは緑団ということで、体育祭までの二週間、同じ団の仲間として活動することになります!団のスローガンは…」


 団長である吹奏楽部の部長さんが拡声器を使いながら団説明をしているのを、僕は最後尾から適当に聞き流している。

 副団長らしき人物の紹介も始まり、和やかな雰囲気が団内には流れているが、僕の斜め前の男子たち(恐らく一年生だろうか?)は視線を前の方に向けながら、


「俺ら愛野先輩と同じ団じゃん!」


「もしかしてお近づきになれちゃったりすんのかな!」


「ワンチャンあんじゃね!」


 というように、愛野さんのことを何やらと話し込んでいた。

 三年生や一年生とは関わり合いになることはほとんどないため、愛野さんを見るとどの学年でも同じような反応になるんだなぁと、クラス替えの時にも感じたような感想を僕は思い浮かべつつ、愛野さんの学校における影響力の高さに改めて身を引き締めた。

 クラス外にも関わらず、このような場でいつものように話し掛けられでもしたら堪ったものではないと想像し、先週に誓ったように、愛野さんとは極力離れた場所にいようと自分自身に再認識を促した。

 そうしていると、団長たちからの説明も終わったようであり、今日はこの後の時間を使ってダンスの立ち位置に並んでみようという話になった。

 今日の六時間目も体育祭準備時間となっており、運良く一番初めに緑団がグラウンドを使える時間だったので、実際に並んでみたらどのような感じになるのかを早めに把握しておきたいという団長の判断が採用されたようだ。

 学年ごとに分けられ、隊列が示された紙を持った副団長が一人ずつに指示を出しながら、並び順の確認が行われる。

 次々と名前が呼ばれる中、中々名前が呼ばれないなと思っていると、結局僕の名前が呼ばれたのは最後であり、立ち位置は隊列を組んだ時の一番端っこであった。

 運が良いのか悪いのかは定かではないが、どちらかと言えば目立たない立ち位置ではあるだろう。

 時間を掛けて全員が並び終わった後、拡声器を持った団長が指示を出す。


「ダンスではこの形が基本のポジションとなるので、今日はこれをしっかりと覚えておいてください!」


 「そして」と、さらに団長は説明を続ける。


「当日のダンスですが、隣にいる相手と手を繋いで行うダンスがメインとなるので、隣の相手もしっかりと覚えておいてください!」


 団長の説明により、喜ぶ声やそうでない声が団内で上がり始める。

 特に男子の盛り上がり方や盛り下がり方は著しく、周囲では笑いも起きていた。

 というのも、並び順は男女交互の配置というわけではなく、男女混合の並び順となっており、隣が女子の男子もいれば、隣が女子の女子もおり、そして隣が男子の男子もいるため、隣が男子同士のところが嘆きの様子を見せているというわけだ。

 そうなると、すぐに男子の大半が愛野さんの方へと視線を集中させるが、愛野さんの両サイドはどちらも女子となっており、それを見てまた男子たちは落胆の様子を見せていた。

 ちなみに、僕の隣はクラスで会話をしたことのない女子であるが、その女子の逆隣もクラスの男子であり、その二人は友人同士なのだろうか、何やら会話を弾ませていたので、僕はほとんど蚊帳の外というような感じとなっていた。

 もちろん意識をこちらに向けて欲しいというわけでは決してないので、むしろこのまま僕の存在を忘れたままでいてくれなんて思いながら、僕は心の中で祈っておくことにした。

 そして、視線をあちらこちらに向けて退屈しのぎをしていると、ふと前の方で並んでいる愛野さんが、僕の方を見ているということに気が付いた。

 愛野さんは僕の方、というよりは隣にいる女子の方に視線を向けながら、何故かぷくーっと頬を膨らませていた。

 何か意味があるような視線をその女子に向けているようにも見えるのだが、愛野さんがどうしてそんな顔をしているのか、僕には全く分からないので、とりあえず謎の表情を浮かべている愛野さんを僕は観察することにした。

 すると、愛野さんは僕が見ていることに気付いたのか、びっくりしたような表情を浮かべた後、すぐに前へ向き直してしまった。


(結局今のは何だったんだ?)


 愛野さんの背中を眺めながら、僕は愛野さんの不可解な行動に頭を悩ませた。










***










 体育祭の練習やベースの練習を行うという忙しない日常を送り、日曜日である今日も今日とて、僕はイリーナ先輩のお家で練習をしていた。

 昨日の土曜日の時点で、演奏をする楽曲だけなら何とか弾けるという状態にまでなっていた僕は、楽譜を見ながらではあるものの、みんなで合わせる本番さながらの演奏にも参加をしていた。

 イリーナ先輩を始め、戌亥さんや堀越くんはやたらと驚いた表情を浮かべ、僕のことを褒めてきたが、他の人がどの程度で習熟をしていくのかが分からないため、曖昧な返事をしておいた。

 特に、堀越くんからは「川瀬さんは本当に凄過ぎるであります!」と、ものすごい熱視線を向けられているのだが、やめて欲しいとも言えないばかりか、頼みの綱である戌亥さんも「ふっふっふっ、はじはじを連れて来たのはこのるかちゃんですからぁ~」と胸を張っているため、僕は現状維持という状態を保つしかなかった。

 そうして休憩を挟みながら、何度か今日も演奏を繰り返した。

最初はリズムを維持することが大変で、細かいミスもしていたが、一日経った今ではほとんど楽譜を見ずに弾けるようにまでなった。

 「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」と言われているが、他の三人の演奏技術はとても高いため、必然的に僕の演奏も良くなっているように感じるのは錯覚でもないだろう。

 そう言えば、昨日の合わせ練習の時に初めて戌亥さんの歌声を聴いたのだが、いつもの戌亥さんからは想像もできないほど力強い歌声が聴こえてきて、本当に同じ人が歌っているのか?と疑ってしまうほどの実力であった。

 歌が上手であると戌亥さんに伝えると、


「それほどでもありますなぁ~」


 というように、いつも通りの反応が返ってきたのだが、少しだけ耳が赤くなっていたので、なんだかんだ嬉しかったのかもしれないと僕は思った。




 練習を始めて二時間が経った頃、演奏ルームの扉を開けた一人のメイドさんが「お嬢様、例の物が届きましてございます」と、何かの報告をしにやってきた。


「ありがとうございますわ。それではみんな、一度リビングの方に戻りますわよ」


 イリーナ先輩に言われるがまま、僕たちは演奏ルームの外に出て、リビングへと移動を始める。

 戌亥さんや堀越くんも何のことか分かっていないようだったので、答えを知っているのはイリーナ先輩だけということになる。

 リビングの扉を開けると、先週に僕がイリーナ先輩と紅茶を飲んでいたテーブルの上に、黒いTシャツ?が四枚綺麗に畳まれてあった。

 イリーナ先輩は僕たち三人にそれを渡し、自分のものをぱっと広げて見せた。


「じゃじゃーんですわ!先日依頼をしておいたライブシャツが届きましたの!」


 楽しそうな表情をしながら、黒いシャツを広げるイリーナ先輩。

 戌亥さんと堀越くんも「おぉ~!」と興奮した様子を見せており、


「流歌のようにドッキリをしかけてみましたわ。当日はこのライブシャツを着て演奏をしますわよ~!」


 と言うイリーナ先輩の様子を見て、今日練習を始めてからそわそわとしていたイリーナ先輩の理由に、僕は納得がいった。

 五分丈くらいの少しオーバーサイズの黒いTシャツの前には、


『Euphoria』


 とおしゃれにデザインされた文字が刺繍されており、左腕の袖部分には『K・H』と僕の名前のイニシャルも刻まれていた。

 『Euphoria』(ユーフォリア)は僕たちのバンド名であり、戌亥さんによって命名されたものだ。

 戌亥さんや堀越くん、当然僕もシャツのデザインに異論はなく、戌亥さんは


「早く着てみたいです~」


 と言って、今にも着替えそうになっているのを堀越くんに止められていたくらいテンションが上がっていた。

 結局、サイズを確認するために一度着替えてみようということになり、男女部屋を分かれてライブシャツに着替えた後、このリビングに再び集まった。

 シャツを渡された時から感じていたが、恐らくこのライブシャツの元になっている黒いシャツ自体、かなり値の張るようなシャツであるような気がする。

 着心地も家にあるシャツとは全然違うように感じるのだが、無駄な詮索はよそうと思い、僕はここでも現実逃避を選択することにした。

 堀越くんも同じようなことを考えていたようで、僕たちは意思疎通を視線だけで交わしながら、二人で深く頷き合った。


「イリ姉~これイケイケのイケです~」


「うふふ、流歌が好きそうな大きめのシャツにしてみましたの」


「何だか気持ちが引き締まるであります!」


「たーくんもはじはじも似合ってますよぉ~」


「イリーナ先輩、自分の分まで用意していただきありがとうございます」


「当然ですわよ、川瀬さん。わたくしたちは『四人』で『Euphoria』ですわ」


 シャツの感想を言い合っていると、戌亥さんが


「折角みんなで同じライブシャツを着てるので~写真でも撮りませんかぁ~?」


 と提案をしてきた。

 堀越くんとイリーナ先輩は乗り気のようで、すぐにイリーナ先輩はメイドさんを呼んでカメラ係をお願いし、僕は流されるままに撮影位置へと移動をさせられた。

 僕、戌亥さん、堀越くん、イリーナ先輩という並びとなり、「それでは撮りますよ」とメイドさんが撮影の合図をし始める。

 本当は写真を撮るのは嫌なのだが、今更無理だと言っても手遅れなので、僕は諦めてカメラの方向を見つめることにした。

 メイドさんが「ハイ、チーズ」と言い切る瞬間、隣にいる戌亥さんによって、僕の肩が戌亥さんの側へと引っ張られた。

 いきなりの出来事に僕は少し体勢を崩しながら、驚いた表情を戌亥さんの方へと向けた。

 隣では堀越くんも同じような状態となっており、戌亥さんが僕と堀越くんの肩に腕をちょうど回したところで、前から「カシャッ」というシャッターを切る音が聞こえてきた。


「ふっふっふっ~」


 戌亥さんのドヤ顔に何をしているんだというちょっとした抗議の視線を向けていると、メイドさんからスマホを受け取ったイリーナ先輩が、堪え切れないといった感じで笑い始めた。


「うふふっ、みんな、これを見てくださいまし」


 そうして三人でそのスマホの画面に目をやると、何とも締まり切っていない一枚が表示されていた。


「これは最高の一枚ですなぁ~」


「あははっ!何だかすごく良い感じであります!」


「うふふっ、とても良い一枚ですわね」


 勢いよく僕と堀越くんの方に腕を回している戌亥さんは、少しブレながらも満面の笑みを浮かべている。

 そんな戌亥さんに巻き添えを食らった僕と堀越くんは、どちらもいきなりのことに呆けた表情を浮かべており、イリーナ先輩も真横の状況を見ながら、手を口に当て驚いた表情を浮かべていた。

 そんな「ふわふわ」とした印象を受ける画像を見て、色々と考えていた僕は気が抜けてしまい、思わずといった感じで「ふっ」と口角が緩んだ。


「このまま木曜日の本番もがんばりましょう~」


 戌亥さんのマイペースな気合いを入れる声が、笑みのこぼれるリビングに響いていた___。






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