#16 秘密
今日も今日とて朝から読書の時間を過ごしている。
そろそろ家にある本も読み終わるなぁと思いつつ、ペラペラとページを捲っていく。
そうしていると、教室の外から多くの声が響いてきた。
何となく次は教室も騒がしくなりそうだという予感は的中し、
「愛野さんおはよう!」
「昨日は大丈夫だった!?」
と、一人の生徒に向けて多くの生徒たちが声を掛けている。
どうやら体調不良で休んでいた愛野さんが、今日は登校してきたようだった。
その愛野さんは多くのクラスメイトに囲まれており、僕の席からは姿が見えないでいる。
一日休んだだけでこんなことになるなんて、人気者は大変だなぁと他人事のように感じながら、僕は視線を本に戻す。
クラスメイトに囲まれているということもあり、珍しく愛野さんが朝から話し掛けてくるようなことはなかった。
しかし、そのことに対して、僕が感じたことなど何もなかった。
休み時間や昼休憩にも愛野さんから話し掛けられることはなく、僕は昨日のように一人静かな休憩時間を過ごしていた。
その愛野さんはというと、普段通りの表情を浮かべてはいるものの、僕にはどこか調子が悪そうに見える。
他の生徒たちはそのことに気付いていないのか、いつものように愛野さんへと話し掛けており、愛野さん本人も大丈夫そうな様子を振る舞っていることで、そのことには触れない方が良いのかもしれないなと僕はこの時考えていた。
五時間目の授業が終わり、教室に戻るべく廊下を歩いていると、愛野さんだけが別のルートで教室に戻ろうとしていたので、何故か少し気になって、僕は愛野さんの後を追いかけた。
「…はぁ」
ため息を吐いている愛野さんに近付き、後ろから僕は声を掛けた。
「今日もまだ体調が悪いんですか?」
僕が急に話し掛けたことで、愛野さんは肩をビクッとさせて後ろを振り返る。
そして視線を僕の方に向けると、驚きの他に、どこか悲しそうな表情を愛野さんは浮かべた。
「あっ…うぅん、熱とかがあって体調が悪いとかじゃないから…心配してくれてありがとう、川瀬」
「そうですか。今日はずっと顔色が悪いような気がしていたので…僕の杞憂でしたね」
僕の言葉を聞いた愛野さんは、何故か目を赤くさせる。
「…どうして川瀬は私に優しくするの…川瀬にはもう…っ」
愛野さんが何かを呟いた気がするのだが、僕の耳にまでその呟きが届くことはなかった。
愛野さんは「…先に行くね」と言い残し、駆け足で僕の前から去って行った。
一人廊下に残された僕だが、流石に愛野さんと同じ方向から帰ることに一抹の気まずさを感じ、来た道を引き返した。
どうして愛野さんの走り去っていく背中に寂寥感を覚えたのか、もしかして僕に原因があるからなのか?と考えたりもしたが、思い当たる節がこれっぽっちも思い浮かばなかったので、結局何も分からないまま、僕は教室にたどり着くのだった。
六時間目が終了し、放課後となったので、僕は裏庭の花壇に足を運ぶ。
裏庭の花壇には、校舎内と隔絶されたかのような静寂が広がっており、僕しかいないこともあって、自分の世界に入り込んだかのような錯覚感を僕は味わっている。
僕は水やりの時のこの感覚がお気に入りで、今年も一人で水やりができることに、確かな満足感があった。
慣れた手順で道具を用意し、花壇に水やりを行う。
最近では、花壇の周りも同時に掃除しており、もはやこの委員会活動が自分の趣味の一つになってきているような気がしている。
「綺麗な花壇にはお世話をしている人の心が現れる」なんてことを聞いたことがあるが、僕の心は自分で自覚できるほど荒んでいる気がするため、とてもその言葉が絶対に正しいとは思えないが、「僕のようにはなるなよ」という「逆の自己投影」を花に向けている節はあるのかもしれなかった。
自分のこともあまりよく分かっていないので、あくまでも「かもしれない」という保険を張った視点なのが、何とも嫌いな自分自身を良く表していると思った。
どうにも静かな空間では沈思黙考する癖があるような気もしつつ、僕は道具の片づけを行う。
そうすると、
「川瀬…」
と、僕一人だけの静寂を打ち破るような、それにしてはか弱い鈴音のような声が後ろから聞こえてきたため、僕はその声の主の方に視線と体を動かした。
愛野さんはゆっくりと僕に近付いてきて、しばらく時間を掛けてからその口を開いた。
「あの…私ね、先週の土曜日に映画を観に行ったの」
愛野さんがどうしてそんなことをいきなり僕に報告するのかは全く分からないが、僕は黙って愛野さんの言葉に耳を傾けることにする。
「映画を観終わった後、エスカレーターを下りて周りを見渡したの」
「そしたらね…」と言葉を区切り、愛野さんは話し続ける。
「雑貨屋さんのところから出てくる川瀬を見たの」
どうやら愛野さんもあの日にあのショッピングモールにいたようだ。
「川瀬と一緒に並んで歩いてた女の子…いたよね?」
愛野さんが言っているのは、戌亥さんのことだろうが、それが一体どうかしたのだろうか?
僕が何も分かっていない一方で、愛野さんからは何かを確信しているような雰囲気が感じられる。
愛野さんの続きの言葉を待ちながら、僕は愛野さんの方を見る。
大きく一度深呼吸をした愛野さんの両目には、今にもこぼれ落ちそうな涙が光っている。
そして、その双眸が僕の方に向けられ、愛野さんはこう尋ねてきた。
「あの子って、川瀬の彼女…だよね?」
そのまま愛野さんは目の端に溜めていた涙を一滴ほろりと流す。
どうして愛野さんが涙を流しているのかは全く分からないが、一つ大きな勘違いを愛野さんがしているということは分かったので、僕はその誤解を解くべく口を開いた。
「一緒にいたのはアルバイト先が同じの戌亥さんという方で、僕の彼女ではありませんよ?」
「……ふぇ?」
狐につままれたかのようにポカンとした表情を浮かべる愛野さんに、僕はショッピングモールに行った経緯を順番に説明し始めた。
僕が全てを話し終えた後、愛野さんは火が出そうなほど顔を真っ赤にさせ、顔を隠しながらその場に蹲り、自身が誤解をしていたことに悶えていた。
「うぅ~~~っ」
「誰か私の記憶を消してぇ…」と呟きながら、何とか落ち着きを取り戻した愛野さんは、
「恥ずかしぃ…」
と顔をまだ少し赤くさせながらも、その場に立ち上がった。
「とりあえず、誤解が解けたのなら良かったです」
僕がそう言うと、恥ずかしがってはいるもものの、どこか安心した様子も見せる愛野さん。
そこで話を終わらせようとしたのだが、そもそもどうして愛野さんはそんなことを聞いてきたんだろうかと不思議に思い、僕は愛野さんに話し掛ける。
「愛野さんは、どうして僕に彼女がいるかどうかが気になったんですか?」
その疑問に愛野さんはまた顔を赤くする。
「え、えぇと…」と焦った様子を見せていた愛野さんだったが、返ってきた答えは
「ひ、秘密っ!」
ということだった。
愛野さんが言いたくないことを無理やり聞きたいわけでもなかったので、僕は「それなら仕方ないですね」と深くは追及しないでおくことにした。
そうすると、「そ、そもそもっ!」と愛野さんが顔を赤くさせたまま、
「川瀬が紛らわしい行動をするのがダメなんだからねっ!」
と逆ギレのような感じで、本当に怒っているわけではないが不満はありそうな顔で僕にそう言ってきた。
(どうして僕が悪いみたいになってるんだ…?)
僕がそう考えている間も、愛野さんの話は続く。
「だから、川瀬には私とも一緒に出掛けてもらうからねっ!」
何が何だか分からないまま、僕は愛野さんとのお出掛けが強制的に決まったようだ。
「こ、これは…そう!私が恥ずかしくなったことに対する連帯責任だから!」
何とも理不尽な要求極まりないが、このまま断るとまた面倒臭いことになるかもしれないと感じた僕は、素直に「…はぁ、分かりました」と頷いておいた。
「えっ?ほんとに良いの?」と、言い出した張本人がびっくりしたような顔をしているが、すぐに愛野さんは笑みを浮かべ、嬉しそうにしていた。
「それじゃあ、明日予定決めようねっ♪」
そうして、今すぐにでもスキップを始めそうな勢いで嵐のように去っていく愛野さんを見送り、さっきまでの様子とは正反対だなと思いながら、僕は中断していた片づけ作業に取り掛かる。
どのみち本を買うために週末は外出しようと思っていたので、まぁ今回は連帯責任されてあげようと、僕は自分自身に言い聞かせたのだった。
☆☆☆
裏庭の花壇にいた川瀬と別れた後、私は校舎の中を軽い足取りで歩いていた。
(やったっ、これって実質川瀬と、その、デートだよね…!?)
今の私の表情は口角が上がって緩みまくっているだろう。
土曜日に見た光景から立ち直ることができず、どんな顔をして川瀬と会えば良いか分からないまま、昨日はズル休みまでしてしまったのに、今の私はまるで羽が生えたかのように浮足立っていた。
(それにしても…私の勘違いだったなんて…は、恥ずかしい)
勝手に川瀬の彼女のことを想像して涙まで流した挙句、それが勘違いだったとは…何ともまぁ自分の今日の行動は「とっても恥ずかしい」の一言に限る。
中々の「黒歴史」っぷりに、終わった今では自分のことなのに思わず笑ってしまいそうになるが、川瀬と「デート」をするために必要な勘違いだったと考えれば、悪くない?ような気もしてくるのが自分の不思議なところだ。
(それにしても…川瀬がコンビニでバイトしてたなんて知らなかったなぁ)
私の誤解を解くために川瀬が色々と先週の出来事を話してくれたのだが、その時に初めて川瀬のバイト事情を知った私は、川瀬のバイト姿に興味が湧いていた。
学校では一人でいることを好んでいるような川瀬だが、バイト先には「いぬい」さんというショッピングモールで見た女の子と、「えもと」さんという大学生の先輩の知り合いがいるようで、何だか安心したような、でも私以外にも仲が良い人たちがいることに少し不満なような、そんな複雑な心情が私の中に渦巻いている。
(頼まれたとはいえ、先輩のために誕生日プレゼントを選びに行くなんて、川瀬はやっぱり優しい…)
先週にいきなり川瀬から「女性が貰って喜ぶもの」について聞かれた時は、「一体それは誰用なの!?」とドギマギしてしまったが、その謎も解けて心のモヤモヤもスッキリとした。
そうして私は、教室で友人たちと話していた朱莉の元に行き、挨拶を済ませて二人で学校を後にする。
「やっぱり姫花、何だか楽しそうだねぇ。調子もいつも通りに戻ってるし、何かあったの~?」
土曜日からつい先程まで心配を掛けていた朱莉が、私が元気になったことに笑顔を見せながら、私に理由を尋ねてくる。
私のことを「唯一」クラスで気にかけてくれた男の子のことを、私のことをずっと心配してくれていた大切な「親友」にどう伝えようかと迷うものの、少し気分が上がっていた私は、結局「親友」にこう伝えることにしたのだった。
「えっとね、秘密っ♪」
そうして私は少しだけいじわるな回答をしながら、駅に向かって少し駆け足になる。
「もぉ~姫花待ってよぉ~」と、私の後ろを楽しそうに追ってくる朱莉の方に視線を向けながら、私は夕日に照らされたいつもの通学路を、晴れやかな気持ちで駆けていくのだった___。
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