第三章 二年生編 先輩の恋路

#12 信じてあげればいい







 五月もちょうど折り返しという頃、僕は相も変わらず放課後のアルバイトに勤しんでいるところだ。

 今もレジでピッと商品のバーコードを読み取りながら、淡々と作業をこなしているのだが、僕の視線は商品棚を整理している柄本さんの姿を追っていた。

 ちなみに、今日は柄本さんとシフトが同じ日で、戌亥さんは今日のシフトには入っていない。

 柄本さんは基本的に元気一直線な人なので、事務所に入れば大体向こうからグイグイと絡んでくるのだが、今日の柄本さんの様子はどこかおかしかった。




「よ、川瀬っち…」


 普段の元気は鳴りを潜め、哀愁漂わせるその姿に、流石の僕も少し驚いた。


「何かあったんですか?」


 僕がそう尋ねると、柄本さんが近づいてきて、


「川瀬っちって今日のバイト終わったら時間あるか?」


 と聞いてきたので、理由はよく分からないものの頷き返すと、


「バイトが終わったら、ちょっとご飯食いに行かねえか?」


 と柄本さんはご飯の誘いをしてきた。

 いつもはシフト終わりがずれているということや、そもそも僕があまり誘いに乗らないということもあるので、柄本さんがこうしてご飯を誘ってくるのはかなり珍しいことである。

 しかし、今日はバイトを終えるタイミングが同じで、どう考えてもご飯を食べに行くのが目的ではなく、何か話したいことがあるような気がするため、「分かりました」と返事をした。

 人付き合いはあまりしたくないのだが、バイトで一応お世話にもなっている先輩なので、話の一つくらいなら聞いてあげてもいいと、何とも柄本さん相手には辛辣な自分自身に苦笑する。


「それじゃあバイトが終わった後よろしくな」


 そのまま先に表の方へと出て行った柄本さん。

 深刻な話題で、僕の手に余るものであった場合のことを想像して、


(やっぱり行かない方が良かったか?)


 と一抹の不安を感じるが、誘いに乗ったからには仕方がないと諦め、僕もアルバイトの準備を始めたのだった。










***










「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!『せっちゃん』に彼氏ができたかもしれねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 やっぱり柄本さんの誘いには乗るんじゃなかったと今まさに後悔をしている川瀬です。

 バイトが終わり、近くのファミレスに移動して席に座った瞬間、柄本さんがわんわんと泣き叫び始めた。

 急に大きな声を上げ出したので、周りの人たちもびっくりしたような視線をこちらに向けてきているが、何なら僕も周りの人たちと全く同じ気持ちだ。

 しかも、泣き真似で実際に泣いているわけでもないのが、さらに僕の帰りたい意識を強くさせる。

 こそこそと周りの席の人から、柄本さんの連れというだけで僕も「おかしな人」だと思われている感じがするので、絶賛風評被害に遭っているこの場から今すぐにでも逃げ出したい。


「柄本さんはとりあえず一旦落ち着きましょう」


 僕が若干の恨みを込めた目で訴えかけると、柄本さんは知ってか知らずか、「おぉ、そうだな」と泣き真似をやめ、いつも通りの様子へと戻った。


「今日は俺の奢りだから、川瀬っちは好きなの頼んでくれていいからな!」


 柄本さんからメニューを受け取り、僕はそれに目を通す。

 普段は貸し借りが起きやすい行動は意図的に避けるのだが、早速僕は柄本さんから風評被害を受けたので、今回はありがたく奢られることに決め、少し割高なハンバーグステーキを注文をしておいた。


 そうして、バイトの休憩時間の時のような普段通りの会話をしつつ、ご飯もひととおり食べ終えた後、「それで…」と僕は柄本さんに今回の本題について尋ねた。


「最初に言っていたことは何だったんですか?」


 僕がそう言うと、柄本さんは水を一口飲んで、少しばかり真剣な顔をしながら話し始める。


「『せっちゃん』に彼氏ができたかもしれないんだ…」


「『せっちゃん』さんは、柄本さんがいつも言ってる大学の同級生の方ですよね?」


「そうそう。それで俺が勝手に片思いしてる相手な」


「彼氏ができた『かもしれない』と言ってましたけど、どうして『かもしれない』なんですか?」


 「それがさ…」と柄本さんはその時の状況を話し始めた。


「今日の朝、大学に着いたあと喉が渇いてきたから、飲み物を買おうと思って構内の自販機に向かったんよ。いつも講義とか受けてる本棟から少し離れたところに全部百円で売ってる自販機があってさ、時間もあったからそこまで行ったわけ。そうしたらその自販機のところに『せっちゃん』ともう一人男が一緒にいて、何やら話してんの。俺がいたところからじゃ会話の内容までは聞こえなかったけど、雰囲気から何となく告白してんのかなって感じだったな。男の方は見たことないヤツで、認めたくないけど、結構イケメンだったんだよなぁソイツ。俺は結果を知るのが怖くなったってのもあるし、もし二人が結ばれた瞬間なんて見ちまったくらいならもう凹むどころじゃなかったからさ、結局飲み物も買わずにそこから離れたんだよな。でも、やっぱり見てしまった以上、告白がどうなったか気になるじゃん?だから昼休憩の時に、告白の場面を見たことを『せっちゃん』に伝えたんだよ。そしたら『せっちゃん』はちょっと驚いてたけど、すぐに『断った』って言ってたんだよな。でもさ、本当かどうかは正直なところ分からんし、あんなイケメンを断ったとは到底思えなくて、絶賛ナーバス中ってわけよ」


「なるほど」


 柄本さんから状況を聞き、ようやく僕は今回の経緯を理解した。

 しかし、生憎僕はこと「恋愛」に関して、何か柄本さんに助言できるはずもないので、今回の話題はどう考えても戌亥さんにするべきだったのでは…と密かに感じている。

 なので、どうして柄本さんがナーバスになっているのかも皆目見当が付かないが、僕は僕なりに気になったことを柄本さんへと問いかける。


「ちなみになんですけど、柄本さんは『せっちゃん』さんに好意を持っているのは嘘じゃないですよね?」


「ん?そうだけど、それがどうかしたのか川瀬っち?」


 「それなら…」と僕は一拍置き、ちょっと出しゃばり過ぎかなと思わないでもないが、こう伝えた。


「どうして柄本さんは、『せっちゃん』さんの言葉を信じてあげないんですか?」


「…っ!」とはっとした表情を見せる柄本さん。


「『せっちゃん』さん本人が告白は『断った』って言ったんですよね?じゃあ『せっちゃん』さんはそのイケメンと付き合ってないんですよ、きっと。僕は『恋愛』なんて詳しくないですけど、自分が好意を寄せる相手の言葉なら、疑わずに信じてあげればいいんじゃないですか?」


 僕が言ったことに対して、柄本さんは黙り込んで考える素振りを見せている。

 「まぁ疑わないなんてことは土台無理な話かもしれませんが…」という僕の呟きまで柄本さんに伝わったかどうかは分からないが、柄本さんはいきなり「川瀬っち!」と大きな声を上げて、その場に勢いよく立ち上がった。


「そうだよな!やっぱり俺が間違ってた!『せっちゃん』が付き合ってないって言ってんだ、俺が疑うのもおかしな話だよな!川瀬っちのおかげで目覚めたよ!」


 柄本さんは自分の間違い?に気付き、こう言っているが、僕としては今すぐに大人しく座り直して欲しい気持ちでいっぱいだった。

 急に大きな声を出したことで、また周りの人たちが驚いたようにこちらを見てきており、何とも僕の肩身が狭くなっている。

 「早く座ってくれ!」という念が届いたのだろうか、柄本さんは座席に座り直し、


「やっぱ川瀬っちに相談して良かったわ!持つべきものは頼りになる後輩だな!あははっ」


 と言いながら、「今日は大盤振る舞いだ!他にも頼んでくれて良いぞ!」といつも以上に元気な様子になった。

 僕は二回も気まずい思いをさせてくれた柄本さんへの小さな反逆心から、ちゃんと追加でデザートも頼んでおいた。




 その後、会計時に財布の中身を見ながら、今回は本当に涙目になっていた柄本さんの姿を見て、僕は思わずくすりと笑ってしまった。










☆☆☆










 俺の名前は柄本康太朗。

 今は大学三年生だ。

 趣味はサッカーで、今も大学ではサッカー部に入っている。

 小学校からサッカーを始めて、中学校と高校でもサッカー部に入っていた。

 高校ではチームのキャプテンを務め、全国大会までは遠く及ばなかったものの、チーム初のベスト4進出を達成できた記憶は、今も良い思い出だ。


 そんな感じで、大学に進学するまではサッカー一筋だったため、一度も彼女なんてできたことはなかった。

 大学生になるまで、俺の髪型と言えば丸坊主って感じだったから、オシャレも全然詳しくなくて、ここ二、三年でようやく身なりを気にし出したくらいだ。

 だから、高校時代はいつも男友だちとバカ騒ぎしていた思い出しか浮かばない。

 それに加え、高校には可愛いと思える女の子はたくさんいたし、彼女も作りたいとは思っていたが、この人が好きだ!とビビッとくる感じがなかったのも理由の一つかもしれないと思っている。


 そんなこんなで大学に入学して、初めて授業を受けた日、その日俺は一人の女の子に出会った。

 二百人近くが入る大講義室での初回授業だったのだが、俺は初っ端からギリギリの登校をしたせいで、着いた時には講義室の席はほとんどが埋っていた。

 どこか空いてるところはないかと見渡すと、講義室の一番左後ろが空いていることに気付き、俺は急いでそこに移動した。

 そして隣の人に「隣座ってもいいっすか?」と、電車やバスで空いている隣の席に座る時のような感覚で声を掛けた。

 「どうぞ」と、小さな声量ではあるもののどこか癒されるそんな可愛い声が返ってきたので、「ありがとう」と言うタイミングでちらっと横を見た瞬間、俺の胸にはビビッと雷が落ちたような気がした。


 亜麻色のショートボブで、少し目尻が下がった優しそうな顔。


 これまで生きてきた中で、生まれて初めて自分の顔が熱くなるというのを経験し、すぐに自分でもこの人に「一目惚れ」したのだと分かった。


 そこから後のことはあまり覚えていない。


 どうにか仲良くなりたくて、初めて会ったにも関わらず色々と話し掛けたような気もするが、今思えばあの時の俺はかなり鬱陶しかっただろうな~。

 そうしてその日、その女の子の名前が「深森雪菜(ふかもりせつな)」ということと、学部もまさかの同じということが分かった。


 そこから毎日毎日深森さんに話し掛け、ある時から呼び方も「せっちゃん」呼びになった。

 「せっちゃん」も、ちょうど俺が呼び方を変えた時から「こーくん」と呼んでくれるようになり、その日は一日中はしゃぎまくったのを覚えている。


 「せっちゃん」は優しくて包容力のある癒し系の女の子で、俺のつまらない話でもいつも楽しそうに笑ってくれるまさに天使、マイエンジェルなのだ。


 「川瀬っち」と「いぬちゃん」っていう俺のバイト先の可愛い後輩たち二人は、俺がする「せっちゃん」の話をいつも「「本当ですか?(かなぁ~?)」」と疑うような反応をするので、二人にも「せっちゃん」と会って欲しいなぁなんて最近は思っているくらいだ。


 そして「せっちゃん」と出会って二年ほどが経ったちょうど今日、「せっちゃん」が知らないイケメンに告白されている場面を目撃した。

 「せっちゃん」が大学で人気なことは、いつも一緒にいるのだ、俺も気付いていたし、恐らく俺が知らないだけで何度も今までに告白はされているのだろう。

 そんなことを勝手に想像して、珍しく自分でも落ち込んでしまい、今日は「川瀬っち」に思わず愚痴ってしまった。


 …でもまさか、三つか四つ年が離れている高校生に、あんなにも当たり前で大事なことを言われるなんて思ってもみなかった。


 「川瀬っち」は、アルバイトとして採用された日からどこか大人びた印象があって、ついつい俺も同級生のようなノリで話してしまうのだが、今日は本当に「川瀬っち」に相談して良かったと感じている。

 「恋愛」には詳しくないなんて言っていたが、俺の目には確かな「実感」というものがこもっていたような、それでいてどこか思うところがあるようにも見えた。

しかし、「川瀬っち」が言おうとしないことを無理に聞き出すのも野暮ってもんだと思い、俺はそれ以上聞くことはしなかった。


『自分が好意を寄せる相手の言葉なら、疑わずに信じてあげればいい』


 川瀬っちが言った言葉だが、本当にその通りだと思う。

 今の俺は、ついさっきまでの自分自身を「馬鹿野郎っ!」と殴り飛ばしてやりたい気持ちでいっぱいだ。


 でも、今日の出来事のおかげで、俺は今まで踏み出せずにいた一歩を、踏み出してみようという決心がついた。


 俺は、自分のことをイケメンだとは思っていないし、サッカーばっかりやってきたせいで女の子が喜ぶ話題なんてものもよく分からない。

 けど、「せっちゃん」を『好き』な気持ちだけは誰にも負けないという自信だけは持っているつもりだ。


 告白が断られたら、「せっちゃん」と今までのような関係ではいられなくなるだろう。


 でも、俺は自分の想いを伝えたい。

 来週の月曜日、その日はちょうど「せっちゃん」の誕生日だ。

 その日、どんな結果になったとしても、例え告白が失敗したとしても、バイト先の可愛い後輩たちがいい感じにいじってくれるはずだ。


 …でもやっぱり告白は成功させたいよなと思いつつ、「せっちゃん」のことを思い浮かべて、俺は胸が熱くなる。







 やっぱり俺は、深森雪菜がどうしようもなく「好き」みたいだ___。






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