#9 雨の日と傘とカッパ
二年生になってひと月が経とうとしている今日この頃、僕はアルバイトの休憩室で、何やら真剣な顔をしている柄本さんや戌亥さんと顔を突き合わせて座っているところだ。
戌亥さんがソファを占領しているため、僕と柄本さんはパイプ椅子に座っているのだが、ガタッ!と大きな音を立てて柄本さんが立ち上がった。
「雨の日の相合傘って最高だよなっ!」
意味の分からない言葉を発しながら、「なぁ、そうだよなぁ!?」と肩を組んでこようとする柄本さん。
「真剣な顔をして何を言い出すのかと思ったら、何ですかそれ?」
僕は柄本さんの叫び?を一蹴し、戌亥さんも同じ気持ちだろうと思い、戌亥さんの方を向くと、
「今回ばかりはこーた先輩に同意です~」
と言いながら、戌亥さんも立ち上がり、二人はがっちりと握手をしてうんうんと頷き合っている。
(なんだこれ?)
一瞬、僕は入るバイト先を間違えたなと思い、はるか遠くを見つめた。
二人が座った後、この奇行がどうして行われたのかについて僕は柄本さんに話しかける。
「特に気にはなりませんけど、この茶番は何だったんですか?」
「おぉ川瀬っち、よく聞いてくれたな!」
それから柄本さんは、つい数日前に起こった自身の出来事について意気揚々と話し始めた。
「…つうわけよぉ~」
と言いつつ、頬に手を当ててクネクネと動く柄本さん。
中々に気持ち悪い光景だが、本人はそれほど舞い上がっているように思える。
柄本さんの話をまとめると、
・数日前、大学から帰ろうとした時に折り畳み傘を持ってきていなかったことに気付いた。
・外は雨が降っており、友人に傘を持っていないか聞こうと思った。
・そうして連絡をしている時に、「傘忘れてきたの?」と声を掛けられた。
・その相手が気になっている女の子で、その日は一緒に相合傘をして帰った。
という感じだ。
柄本さんには、好意を寄せている相手がいることは僕も戌亥さんも知っており(いつも柄本さんが話しているため)、この前の二月にバレンタインデーでチョコを貰った相手というのも、その女性だった。
「相合傘までしたのなら脈ありじゃないですか~?」
「いぬちゃんもそう思うよな!そう思うよなっ!」
「その相手の人がこーた先輩のどこが良いのかはさ~っぱり分かりませんけどねぇ~」
「いや急に火の玉ストレート!いぬちゃんのいじりはえげつないな!」
「確かにそこは僕も同感ですけどね」
「…えっ?俺って後輩からの信用なさ過ぎない?」
「「…」」
「何か言ってよぉん!」
柄本さんが様子のおかしい人なのは確かだが、なんだかんだアルバイトは真面目にこなしており、しっかりとした一面があることは僕も戌亥さんも認めている部分だ。
ただ面と向かって褒めるのもそれはそれで違うのである。
「それで~こーた先輩はいつその人に告白するんですかぁ~?」
「いやぁ~なんだかんだ今の関係性も気に入ってるからなぁ。それに『せっちゃん』が俺のことを好きかどうかは正直分からんし」
「女の子の心変わりは早いですからのぉ~」
「あははっ、それを『たーくん』一筋のいぬちゃんが言っても説得力ないって」
「確かにそうでしたぁ~」
「ま、もうちょい様子見ってことで」と柄本さんは話を締め、「相合傘」について戌亥さんと議論を始める。
「やっぱりあの肩と肩が触れ合うかどうかくらいの距離感が熱いよな」
「ですです~、『たーくん』はいつもるかちゃんの方に傘を傾けるせいで肩がびしょびしょになってますけどね~」
「おぉ!『たーくん』は流石だな!てか、いぬちゃん今普通に惚気ただろ」
「ふっふっふっ、『たーくん』は世界一の彼氏ですからねぇ」
「ちなみにだけど、この前の俺も左肩はずぶ濡れになってたけど、これはどうっすか師匠」
「こーた先輩にしては上出来なんじゃないですかね~」
「ありがたきお言葉」
その後も「傘は折り畳みのサイズ感が尚良い」や「傘を好きな相手から借りるだけでもドキドキがある」など、何やら二人は熱く語り合っているが、「そう言えば…」とあることを思い出し、僕は柄本さんに尋ねる。
「今三人で休憩してますけど、店長だけで大丈夫ですかね?」
「「あっ」」
こうして話している間も、表で一人働いている店長をすっかり忘れていたという顔を二人は浮かべ、柄本さんは逃げるようにそそくさと休憩室から出て行った。
店長は積極的に休憩を取ることを勧めてくるような優しい人なので、怒られるということはないだろう。
ただ、ほんの一瞬だが、店長の優しい笑顔から、今の今まで忘れられていたことに対する一筋の涙が零れ落ちる瞬間が頭に浮かんだのだが…これは幻覚であると思いたいところだ。
そうして、「てんちょぉ~そり(sorry)そり(sorry)~」と両手を祈るように擦り合わせて変な歌を唱えている戌亥さんと時間になるまで休憩をしたのち、二人で品出しの作業に取り掛かるのだった。
***
次の日のホームルームにて、
「今日の六時間目は委員会を決めるつもりだから、どこにするのか考えておいて」
と四宮先生からの連絡があり、僕は今年度も「美化委員会」に入ることを密かに決めた。
早くに学校に来ても特にすることはないので、途中からは趣味のようになっていた花の世話をもう一度やっても良いかなと思ったからだ。
今年度は毎日僕が世話をするというようなことにはならないと思うので、月に数回しか花の水やりはできないが、去年の経験もあるので他の委員会に入るという選択肢は今のところはない。
ホームルームが終わり、一時間目の授業準備をしていると、愛野さんがこっちにやってきた。
「川瀬はどの委員会に入るか決めたの?」
愛野さんの話題は、ちょうど今僕が考えていた委員会の話題だった。
「僕は『美化委員会』に入ろうかなと思っています」
僕がそう言うと、
「川瀬は去年も美化委員会だったもんね」
と愛野さんは「うんうん」頷いている。
「どうして愛野さんが僕の委員会を知っているのか?」について、去年委員会が同じではなかった愛野さんにその疑問をぶつけると、
「え、えと、一回、そう一回だけっ!川瀬が花壇に水やりしてるのを見たことあって」
と焦った様子を見せながら答える愛野さん。
その様子を不思議に思ったものの、それ以外に理由も考えられないので、僕は「そうでしたか」と納得を示した。
「…本当は一回だけじゃないけどね」という呟きは、誰にも聞こえることはなかった。
「愛野さんは委員会をどこにするかは決まっているんですか?」
愛野さんに聞かれたまま会話が終わるのもアンフェアだと思ったので、僕がそう聞き返すと、
「『保健委員会』を一緒にやろうっていう約束があるから、私は『保健委員会』かな」
と愛野さんは答えた。
「本当はもう一つの委員会の方にも入りたいんだけどね」と愛野さんは言っているが、委員会活動に積極的に取り組もうとするなんて、やっぱり真面目な性格なんだなと僕は感じた。
とりあえず「保健委員会」の男子の倍率は凄いことになりそうだと思いながら、「お互い選んだ委員会になれると良いですね」と僕は愛野さんに伝える。
その時にちょうど授業担当の先生が教室に入ってきたので、そのまま愛野さんは自分の席に戻って行った。
そんな僕は、「保健委員会だけは避けよう…」と心に決めながら、前に視線を向けた。
***
六時間目のホームルームにて無事に?希望通りの委員会に入れた僕は、放課後の委員会の集まりに向けて教室を移動しているところだ。
予想通り、男子のほとんどは愛野さんと同じ委員会になることを狙っており、「保健委員会」以外の委員会を選択した男子生徒は、すんなりと希望が通ったというわけだ。
「保健委員会」の異常な男子人気に、周辺の女子や四宮先生までもが若干引いていた。
まぁおかげさまで今年も「美化委員会」になれたことだけは、クラスの男子たちに感謝しないといけない。
教室に到着して、指定の席に座っていると、去年と同じ担当教師が現れ、そのまま委員会が始まっていく。
委員会の説明をしている最中に、担当教師が
「ちなみになんだが、部活動が運動部って人は手を挙げてくれ」
と呼びかけると、あろうことか僕以外の全員が真っ直ぐに手を挙げた。
(…このパターンはまさか)
担当教師も去年の流れを思い出したのだろう、「えぇと」と言いながら、
「ちょ、ちょっと川瀬、こっちに来てくれ」
と僕のことを小さく手招きした。
何となく言いたいことも分かっていたので、僕は担当教師の元に歩いていくと、案の定僕に今年も水やりを一任したいということであった。
僕も無駄な言い合いを避けたいのはもちろん、花の世話が苦ではなかったため、その提案を受け入れることにした。
「もういっそこのまま水やりの当番があるということを伝えなくても良いのではないですか?」
「確かに、最初からなかったことにしておけば余計ないざこざも起きなくて済むか」
そうして僕たちは何事もなかったかのように話し終え、担当教師はまるで「水やり当番」が今年はないような口ぶりで説明を続けるのだった。
僕たちが小声で話していたことに他の生徒たちは怪訝な顔を浮かべていたが、特に何かを言う人はおらず、そのまま委員会は解散となった。
他の生徒が教室から出て行くと同時に、担当教師が僕の元にやってくる。
「…川瀬、それじゃあ今年も頼めるか?」
そうして申し訳なさそうな顔をしながら去年と同じように鍵を渡してきた。
「はい。僕も随分と作業に慣れて苦でもなかったので、今年も引き受けさせていただきます」
鍵を受け取った後、僕はそのまま教室を後にした。
(どうやら今年も水やり当番は僕だけになってしまった)
去年に引き続き今年も僕だけしか水やりをする人がいないのは、もはや作為的な何かを疑ってしまうほどだ。
そんなありもしない状況を勝手に想像して身震いをしながら、僕は玄関を目指して歩みを進めた。
玄関に到着し、靴を履き替えて外に出ようとすると、雨が降っていることに気付いた。
土砂降りというわけでもないが、かといって傘を差さずに帰るとずぶ濡れにもなりそうな感じの雨模様だ。
そこで、僕はカバンの中から雨具(カッパ)を取り出し、それを身に付けた。
僕は自転車通学であるため、傘を差して運転するのはかなり危険であることから、なんぞあった時のためにいつもカバンに雨具を仕込んでいる。
そのまま自転車庫に向かおうとしていると、
「あ、川瀬っ」
と玄関外で愛野さんに声を掛けられた。
「愛野さんも今から帰りですか?」
「うん。でも傘忘れちゃったからどうしようかなと思って」
どうやら愛野さんは傘を持ってきていなかったため、帰る手段を考えていたところらしい。
ついさっきまで外は晴れており、雨が降りそうな気配はしなかったので、愛野さんが傘を忘れてしまったのも無理はないだろう。
「一緒に委員会に参加していた人は傘を持っていないんですか?」
朝の時間に、愛野さんは保健委員会を一緒にやろうと約束している相手がいると言っていたので、その友人?がおらず、愛野さんだけがこの場にいることが少し気になった。
「朱莉は用があるから私は先に帰ろうと思ったんだけど、そうだよね、やっぱり朱莉を待とうかな」
「朱莉にいつ終わるか聞いてみる」と言いながら、スマホを取り出して連絡をしようとする愛野さん。
いつその「あかり」さん?という友人が来るのか分からないし、そもそも傘を持っているかどうかはまた別問題だと僕は思った。
待つ時間が無駄だと思ったのか、あるいは他の原因か、理由はよく分からないが僕は自分のカバン中から折り畳み傘を取り出した。
「よければ使ってください」
僕が傘を前に差し出すと、愛野さんは驚きの表情を見せる。
「嬉しいけど、私が使っちゃっても良いの?」
「僕は自転車通学なので傘は使いませんから。たまたまカバンの中に入っていただけなので、遠慮せず使ってください」
そう言って愛野さんの手に傘を渡すと、愛野さんは「ありがとう」と嬉しそうな顔を見せた。
確かに病院の待ち時間が急に早まった時とか地味に嬉しいもんな、と愛野さんの表情から気持ちを連想しつつ、
「それじゃあ僕はこれで」
と愛野さんに言って移動をしようとすると、
「あ、あのさ…駅までで良いから一緒に帰らない?」
とカッパの袖部分を摘まんだ愛野さんに呼び止められる。
学校からその駅までは五分くらいなので、別に断る理由もないが、
「どうして僕と一緒に?」
と気になったことを尋ねてみた。
その質問に、愛野さんは少し頬を赤らめたような気もするが、
「せ、折角同じクラスになったんだし、別に普通でしょ?」
と如何にも「クラスメイトは友だち」と考えていそうな一軍の陽キャっぽいことを言われ、逆に僕が返答に困ることになってしまった。
何かを言うのも面倒臭くなった僕は、考えることを早々に諦め、
「駅までですから」
と愛野さんの帰る提案に頷いた。
「ほんとっ!?」
そう言って愛野さんは嬉しそうな笑みを浮かべ、
「早く帰ろっ!」
と僕のことを急かしてくる。
そうして校門を出て駅にたどり着くまでの間、カッパを着て自転車を押しながら歩いている僕と、傘を差してその隣を笑顔で歩いている愛野さんという、傍から見ればアンバランスな光景が続くのだった___。
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