#8 健康診断
始業式の次の日、僕は昨日とは違い、早い時間に学校への登校をしている。
登校する生徒が多くなる時間帯に学校へ向かうよりも、混雑がなくスムーズに移動できる早めの時間に登校する方が良いと判断したからだ。
いつもそれなりに早くから起きているので、家で時間を潰すか学校で時間を潰すかの違いしかないことに気付いたのも大きい。
今日は、午前中には健康診断があり、午後からは春休みの課題範囲から出題される確認テストがある。
確認テストと言っても、数学と英語の二科目だけで、成績評価にも関係のないテストである。
一年生の内容をどれだけ自分が把握できているのかを知るために実施されるのだろうが、ほとんどの生徒はまともに受けようとも思っていないだろう。
テストが次の日にあるにも関わらず、親睦会を開こうとしていたのがその良い例だ。
なんだかんだ僕もテスト対策はしていないので人のことは言えないが…。
学校に到着すると、普段なら朝練をしているいくつかの運動部が、何やら集まって話し合っている。
手元にはチラシのようなものが見えるので、恐らくは部活動勧誘の作戦会議中なのだろう。
星乃海高校では、部活動に入ることを強制してはいないが、ほとんどの生徒は何かしらの部活に所属しているような気がする。
運動部に所属する生徒数が多いような印象を受けるため、今年は運動部じゃない生徒たちが美化委員会に所属することに期待をしつつ、僕は二年七組に到着した。
教室の扉を開けると、
「あら、おはよう川瀬くん。随分と早い登校ね」
と、教室で作業をしている四宮先生と出会った。
「おはようございます」
四宮先生に挨拶を返し、自分の席に移動して荷物を置いていると、四宮先生もちょうど掲示物を貼り終えたようだった。
僕が視線を向けていたことに気付いたのか、「川瀬くんもこれに参加するのはどうかしら?」と、四宮先生は掲示物の方に視線を移動させる。
四宮先生の元に歩いていき、その紙の内容を見てみる。
「オープンキャンパスですか」
「ええそうよ。毎年二年生の夏休みの時期に、学校からバスを出してオープンキャンパスツアーをやっているの。一日で二カ所の大学に行って、授業体験やイベントに参加をするのだけど、良い体験になると思うわよ」
四宮先生がオープンキャンパスのことについて説明してくれているが、僕は自分の「これからの進路」について全く関心を持っていない。
大学のことなんて考えたことすらなかったので、「なるほど」と返すのが精一杯だったのだが、何となくその雰囲気が伝わったのだろう、四宮先生がジト目をしながらこちらを見ている気がする。
「そう言えば…」と四宮先生は口を開く。
「一年生の時にした進路希望調査で、川瀬くん、志望校を何も書かなかったわね」
「…まだ進路のことについては考えきれなくて」
そう言うと、「まぁそんな簡単に進路のことは決められないものね」とジト目をやめて、四宮先生はいつもの表情に戻った。
「迷っているのなら、やっぱりオープンキャンパスに参加することはオススメよ。学校からバスで行く以外に、個人で参加できるオープンキャンパスもあるから、とりあえず聞いたことのある大学にいくつか参加するのも良いわね」
「一応考えておきます」
「何かあれば私も相談に乗るし、折角今年も君の担任になったんだもの、もっと頼ってちょうだいね」
そう言って四宮先生は教室を後にした。
改めてオープンキャンパスの紙に目を通すが、大学生となっている未来の自分を想像することができなかった僕は、自分の席に戻ってカバンから小説を取り出した。
ホームルームまで後五分となった頃、廊下が賑やかになったと思いきや、そのすぐ後に教室もより騒がしくなった。
どうやら愛野さんが登校をしてきたらしい。
まだ同じクラスになって二日目だが、毎日こんな感じであるなら、本当に学校のアイドルというような感じだなと、どこか漫画や小説の世界に入り込んだような気持ちになる。
そんなことを考えていると、その愛野さんが僕の席にやってきた。
「川瀬、おはよう」
何故か昨日と同じように声を掛けられたことを不思議に思いつつ、僕も挨拶を返す。
「おはようございます、愛野さん」
そして、愛野さんは僕の手元(本の背表紙)を覗き込み、「あっ、今日は別の本だ」と笑顔を浮かべた。
「それがどうかしましたか?」
僕はそう尋ねるが、
「うぅん、何でもないよ」
と笑顔のままはぐらかされてしまった。
「それじゃあまた後で」と言って、愛野さんは自分の席に戻っていき、そのまま周りの女子たちと談笑を始めた。
その一方で、僕が「なんだったんだろう」と頭を悩ませることは、四宮先生がホームルームを始めるまで続くのだった。
***
健康診断は順調に進んでいき、ちょうど今行われた検査で全ての項目を受け終えたところだ。
一階から階段を上がって自分の教室に戻ろうとすると、その階段部分で先に検査を終えた男子生徒たちがたむろしており、一声かけて階段の道を開けてもらうのも面倒臭かったので、少し遠回りにはなるが、他の階段から教室に戻ることにした。
そうして別の階段に向かっていると、ちょうど近くの教室から検査を終えて出てきた愛野さんと鉢合わせた。
「えっ、川瀬!?なんでここにいるのっ」
驚いた表情を浮かべながら、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる愛野さん。
「向こうの階段で男子グループが集まって階段が通れなかったので、こっちの階段を使おうと思って」
そう言うと、「確かにどいてもらうよりもこっちに回る方がなんだかんだ早いかもね」と愛野さんは納得した顔を浮かべる。
「愛野さんも今ので検査は全部終わりですか」
「うん。私が女子の最後だったから他のみんなはもうクラスに戻ってるよ」
何かを考えて…とか見ようなんて考えは一切なく、無意識的に僕の視線が、愛野さんが胸の前で持っている健康診断表の方に向いた瞬間、愛野さんは耳を赤くして健康診断表を後ろに隠した。
「け、検査の結果は見せないからっ」
「体重とか知られたくないし…」と、何か小さな声で呟いた後半の声は聞き取れなかったが、愛野さんの行動と言葉で自分が健康診断表を見ていたことに気付いた僕は、
「ごめんなさい、目線をずらしたせいで誤解させてしまいました」
とすぐに謝っておいた。
何とも言えない空気になったので、「教室に戻りましょう」と言って階段を上がり始めると、愛野さんも僕に合わせて、横に並びながら階段を上がる。
数段上がって踊り場にきた時に、
「川瀬って身長は何センチなの?」
と愛野さんが急に聞いてきたので、踊り場で立ち止まり、
「163センチですね」
と僕は今日の身体測定の結果を伝えた。
「私は153センチだから、ちょうど10センチ差かぁ」
そう言って、手を僕の頭の方に伸ばしたり、背伸びをしたりしながら僕との身長差を確認している愛野さん。
いきなりどうして身長が気になったのかは全く分からないが、愛野さんは何やら楽しそうにしている。
「あっそうだ!」と何かを思い付いたような表情を浮かべ、愛野さんは次の階段の一段目に移動をする。
「川瀬っ、ちょっとこっちにきて」
愛野さんに呼ばれるがまま指定された位置に立つと、
「これならちょうど同じくらいの身長じゃないっ?」
と言う愛野さんの顔が、僕の目線と同じくらいの位置になった。
「階段の段差を利用したというわけですね」
「うん。これが川瀬の見てる景色って思うと、ちょっと新鮮かもっ」
僕と同じ身長になるという謎のゲーム?にご満悦な顔をしている愛野さんだが、
「でもちょっとだけ愛野さんの方が高い気がしますね」
と言うと、「ほんと?」と興味深そうな顔を浮かべたので、僕もさっきの愛野さんを見習って、手を伸ばして自分の身長と今の愛野さんの身長を測ろうとする。
そのタイミングが、愛野さんが少し頭を前に傾けたタイミングと重なり、僕は愛野さんの髪を一瞬撫でてしまった。
「…えっ!?」
すぐに手を引っ込めたが、愛野さんは顔を真っ赤にさせて、手で顔を覆ってしまった。
偶然とはいえ、知り合って間もないクラスメイトから、いきなり髪を触られたら不快になるよなと、愛野さんが顔を真っ赤にさせて「怒る」のも当然のことだと感じた僕は、謝ろうと口を開こうとする。
しかし、それよりも先に愛野さんが口を開いた。
「か、川瀬は、さっ、先にクラスに戻っててっ!」
そう言ってその場から駆け足で去っていく愛野さんの背中を見送りながら、その場で一人残された僕は、「とりあえず後で謝罪しよう」と思いながら、教室に戻るのだった。
***
昼休みとなり、僕は普段なら教室でご飯を食べるところなのだが、今日は学校の食堂へと向かっていた。
恐らく自宅にお昼用のおにぎりを置き忘れてしまったため、僕は渋々だが学校の食堂を利用することに決めた。
星乃海高校には、学食として豊富なメニューを提供する食堂が存在しており、これまでに数回だけ利用したことがある。
低価格でご飯が食べられるものの、バイト先からタダでご飯が貰えることに比べれば、当然食費が掛かるということになるため、あまり利用をしたくないとは思っている。
また、今日は一年生がまだ半日で終了のため人は少ないが、普段は座る場所を見つけるのも困難なほど生徒で溢れているため、そこまでして学食を食べる気には個人的にならない。
しかし、一応確認テストも午後に控えているため、うだうだと考えながらも日替わりセットを注文し、端の方に空いていた席に座って、ご飯を食べ始める。
この席は、僕が座っているものの他に、もう一つ椅子がある二人席だが、まだそれなりに他も空いているので、相席になるということはないだろう。
黙々とご飯を食べ終わった後、日当たりも良い場所で人も周りにそれほどいないので、一応今日のテスト範囲の英単語をチェックしていると、肩を誰かにぽんぽんとされた。
相手の正体は、さっき振りに顔を見る愛野さんであり、「ここ座っても良い?」と聞かれたので、頷き返した。
愛野さんが席に座ったのを確認した後、僕は手に持っていた英単語帳を閉じ、愛野さんにさっきのことを謝った。
「愛野さん、さっきは偶然とはいえ、髪に触れてしまい申し訳ありません。怒っていることは重々承知しているので、許してもらうつもりはありませんが、わざと触ったわけではないことだけは信じてもらえると嬉しいです」
僕がそうして頭を下げると、
「ちょっ、頭を上げて川瀬っ!あと私、怒ってなんかないからっ」
と愛野さんはあわあわとしながら僕にそう答えた。
僕は頭を上げ、愛野さんの方に視線を向ける。
「でもさっきは顔を赤くしていたので、てっきり怒っているのかと」
「あ、あれは、その…ちょっと恥ずかしかっただけというか」
またさっきのように顔を赤くする愛野さん。
どうやら愛野さんは怒っていたわけではなく、照れていただけのようだった。
「も、もうこの話は終わりっ!」とこの話題を終わらせた愛野さんは、僕がさっきまで読んでいた英単語帳に目を向けた。
「川瀬も午後からのテスト勉強中だった?」
「確認程度に眺めているだけですけどね」
「ついさっきみんなもテストのことを思い出して、教室に戻って行っちゃった」
どうやら愛野さんが学食で一緒に食事をしていた人たちは、テストがあること自体をそもそも忘れていたのかどうか分からないが、流石にまずいと思って教室に戻って行ったらしかった。
愛野さんも一緒に戻らなくて良かったのか?と聞くと、
「一応昨日の間にちょっとだけど復習はしたから」
と返ってきた。
「それに…川瀬のことが目に入ったし」と僕が聞き取れない小さな声で何やら呟いているが、概ね手持ち無沙汰になった時に、一応顔見知りの僕が見えたから声を掛けたという感じだろう。
それよりも、僕は気になったことがあったので愛野さんにそのことを尋ねた。
「愛野さんは昨日の親睦会には参加しなかったのですか?」
昨日に復習をしていたと言ったので、「もしかしたら」と少し気になったのだ。
案の定愛野さんの答えは、
「うん。テスト前だし、流石に昨日の集まりには参加してないよ」
と予想通りのものだった。
愛野さんの外見的なイメージとは少し違うような印象も受けたが、これは僕の偏見だったようで、意外と愛野さんは真面目なのだろう。
「川瀬はさ、勉強は得意な方なの?」
愛野さんがそう尋ねてきたので、
「普通くらいですよ」
と無難な返答をしておく。
「ほんと~?ちなみに私はあんまり得意じゃないんだけどね」
「えへへ」とはにかみながらそのように言う愛野さん。
しかし、今回の確認テストの復習もしているくらいなので、何か勉強をする理由でもあるのだろうか?
朝の四宮先生との会話をふと思い出し、僕は愛野さんに
「愛野さんは志望校とかは決まっているんですか?」
と聞くことにした。
そうすると、愛野さんは照れくさそうにこう答えた。
「私、メイクとかファッションとか好きだから、そういう専門学校に行こうかなって思ってるの」
「だから、苦手だけど勉強にも取り組んでるって感じかな」と、はっきとした「将来」のことを語る愛野さん。
照れながらも堂々と自分のことを話す姿に、僕は少し眩しさを覚えた。
「川瀬は志望校決まってるの?」
「僕は…決まってないですね」
「そっか」
と相槌をする愛野さんだったが、
「あっじゃあさ、志望校が決まったら私にも教えてよ」
とそんな提案を僕にしてきた。
僕にはそんな瞬間が来るとは想像できないが、「分かりました」と返しておいた。
その後は、愛野さんが今回のテスト範囲の話を持ち出したことで、どういうわけか英単語の問題を出し合うことになり、食堂の隅でテスト勉強?を二人でするのだった___。
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