#6 今日って何かありましたか
年が明けてしばらく経ち、来週には学年末のテスト期間が始まろうとしている二月の半ば、今日も普段通り少し早めの時間に登校をしている。
もう少しで一年の委員会活動も終わりとなるため、来年度の委員会によっては花の世話をするのもあとちょっとだなぁとぼんやり考えながら、肌寒い通学路を自転車で進んでいく。
学校に到着すると、いつもより登校をしている生徒の数が多いような気がする。
そんな生徒たちのほとんどは、玄関前に集まりながら何やら楽しそうに話している。
(今日って何かあるのか?)
普段とは違う賑やかな感じを不思議に思いながら、僕は裏庭の花壇に向かった。
水やりを済ませ、教室に向かっていると、ピンク色の特徴的な髪色をした女子が、僕のクラスから出て行くところが廊下の先から見えた。
恐らくその女子は愛野さんだと思うが、僕たちのクラスに何か用があったのだろうか?
たまにクラスの一軍の女子たちと会話をするために教室へ来ているところは見かけるが、その女子たちと会話をしに来ていたのだろうか、なんてことを思いながら教室の扉を開けると、教室には誰もいなかった。
益々愛野さんがどうしてこの教室から出て行ったのか、疑問は募るばかりだが、一人の生徒の机の上に一冊のノートが置いてあるのが目に入った。
そこで僕は「はっ」と、まるで名探偵のような気持ちになりながら、真実にたどり着いた。
(そうか、恐らく愛野さんはあのノートを返しにきていたのだろう。確かあの席はクラスの一軍女子のものだったはずだ。なんだ、そういうことだったのか)
謎が解けたことで、胸のつっかえが取れたかのようなスッキリ感を味わいながら、僕は自分の席に移動する。
席に座り、カバンから今日の授業の教科書を出して引き出しに入れていく。
「ん?」
ノートが何かに引っかかったような感じがしたが、一気にノートを引き出しに入れたことで、ノートの角が折り曲がっていただけのようだった。
そうして、いつものようにしおりを挟んでおいた続きの箇所から小説を読み始める。
続々と生徒たちが教室に入ってくるが、小説が終盤だったこともあり集中していたため、周りの声は耳に入ってこなかった。
そのため、「やっぱりノート持って帰るの忘れてた~」と一軍の女子たちが話していたことに、僕は気づかなかった。
四時間目は移動教室での授業であり、つい先ほど授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったところだ。
自分の教室に戻っていると、「あ、あのっ、川瀬くん!」と後ろから呼び止められた。
後ろを振り返ると、声を掛けてきたのが桐谷さんだと分かった。
「桐谷さん、どうかしましたか?」
校外学習で同じグループメンバーであった桐谷さんとは、校外学習後は特に何か話したりすることはなかった。
たまに目が合ったら会釈が返ってきたり、帰る時に玄関で会った時は「またね」と数回声を掛けられたくらいだったので、いきなり呼び止められたことに少しだけ驚いている。
「え、えと、あのね、川瀬くんは今日の放課後、何か予定はあります、か?」
桐谷さんは顔の前で手をもじもじとさせながら、少し緊張した様子で僕の放課後の予定を尋ねてくる。
どうしてそんなこと聞くんだ?と思いつつ、
「今日の放課後はバイトの予定がありますね」
と僕は伝えた。
「あっ、そ、そうなんだ…」
僕の返答を聞いて桐谷さんは残念そうな顔になる。
「放課後に何か重要な要件でもありましたか?」
桐谷さんの様子が気になったのでそう尋ねるも、「う、うぅん、聞いただけ、だよ?えへへ」とはぐらかされてしまった。
桐谷さんの意図が分からない以上特に話すこともないので、僕はそのまま踵を返そうとする。
ちょうどそのタイミングで、また桐谷さんが僕に話し掛ける。
「あ、あのねっ、川瀬くんって甘いものって好き、かな?」
「えぇと、甘いものですか?まぁ嫌いとか食べれないとかはないですね」
桐谷さんがどうしてそんな質問をしてくるのかはさっぱりだが、とりあえず聞かれたことに答えてみる。
そうすると、安堵したかのように「ほっ」とした様子を見せる桐谷さん。
そして、桐谷さんはこう切り出す。
「あのっ!今日、チョコを持ってきていて…その、教室に戻ったら、貰って欲しい、です…」
突然桐谷さんからチョコを貰って欲しいと言われるが、
(え?なんで僕にそんなこと言うんだ?)
と、頭ははてなマークでいっぱいという感じであった。
(間違えて同じチョコをいくつか買ったから、その余りを貰って欲しいとか?)
もしそうであれば(というか理由はそれくらいしか考えられないので)、あまり話したことのない僕に渡すべきではないだろう。
「ありがたい話ですけど、僕が貰うのはやめておきます」
「…えっ」
桐谷さんの表情が一気に固まった気がするが、僕は特に気にせず話を続ける。
「僕に渡すよりももっと相応しい人がいると思うんです」
桐谷さんには教室に友人もいるのだ。
その人たちに渡すか、一緒に食べるかでもすれば良いと思う。
「なので僕に渡さない方が良いと思いますよ?」
話したこともあまりない僕に気を遣う?ようなことはしなくていいのだ。
だって友人でも何でもないのだから。
僕がそう伝えると、
「…そ、そうだ、よね。えへへ、ご、ごめんなさい」
と力のない表情で作り笑いを浮かべる桐谷さん。
目の端にはきらりと光るものが浮かんでいるような気がする。
「変なこと言って、ごめんね?」
そう言って、桐谷さんは僕の横を足早に駆け去っていく。
僕は、どこか悲しそうな雰囲気を纏う桐谷さんの後ろ姿をその場で見送った。
結局今の時間は何だったんだ?と思いつつ、僕は気にすることなく自分の教室に向かった。
屋上に続く階段の踊り場では、すすり泣くような声が、小さく、小さく、響くのだった。
今日の授業が終わり、帰宅の準備をしようと教科書類を引き出しから取り出す。
その時、教科書を取り出したタイミングで、ぽろっと小さな袋が教室の下に落ちた。
なんだこれ?と思いながら、その袋を手に取ってよく見てみると、ラッピングされた袋の中にクッキーが二枚入っている。
落ちた衝撃で割れてしまったが、恐らく元々は丸い形をしたチョコチップクッキーだろう。
(どうしてこんなものが僕の机に?それで、誰がこれを机に入れたんだ?)
移動教室以外はこの席をほとんど移動していないので、どのタイミングからこのクッキーが入っていたのか全く分からない。
ラッピングされているのを見る感じ、誰かに渡す用のクッキーだとは思うのだが、僕でないことは確実だろう。
(誰かが僕の席に間違えて入れたのか?)
隣の席の女子に渡すモノだったと言われたら、なんだかそのような気もしてくる。
ラッピングは可愛い感じのデザインであり、恐らく女子によってラッピングされたものだろう。
間違えてしまっていることを伝えたいのは山々だが、生憎誰がこのクッキーを入れたのかという根本的な部分が分からないため、どうすることもできない。
隣の女子も、僕が少し考え込んでいる間にいなくなっており、渡すこともできない。
どうしようかと迷った挙句、クッキーを隣の女子に渡す予定だった人には悪いが、僕が回収をしておくことにした。
とりあえず自分のカバンに閉まっておき、僕は裏庭の花壇に向かった。
***
バイトの休憩時間となり、今日もシフトが同じである戌亥さんと休憩室に向かう。
部屋に到着すると、戌亥さんが「はじはじにあげます~」と言って市販の一口サイズのチョコを僕に渡してくる。
「あ、はい、どうも」
それを受け取ると、戌亥さんはにやにやとした笑みを浮かべる。
「はじはじはぁ~今日は何個チョコが貰えましたかぁ~?」
「どういう意味か分からないですけど、今貰った一個だけですよ?」
「ふっふっふっ、るかちゃんだけでしたかぁ。でもでも、るかちゃんにはたーくんがいるので~もちろん『友チョコ』ですよぉ~?」
戌亥さんの言葉に、今日何度目かも分からないほど疑問で頭を悩ませていると、「聞いてくれよぉ!二人とも!」と勢いよく休憩室の扉を開けながら柄本さんが入ってきた。
「お疲れさまです」
「お、こーた先輩にもこれあげます~」
柄本さんの勢いを全く気にしていないようなマイペースさで、戌亥さんは僕に渡したのと同じチョコを柄本さんにも渡す。
「おぉ、おお?おぉぉぉぉ!」と変な喜び方をしながら、柄本さんが戌亥さんからチョコを受け取る。
「『友チョコ』ですからね~?」
「いぬちゃんと『たーくん』の間に割り込む勇者なんていないだろ?」
「それもそうですなぁ~」
「「あははっ」」
何やら二人で盛り上がっているが、「違う違う!そうじゃ、そうじゃなぁい!」と謎のメロディーに乗せて、柄本さんは休憩室に入って来た時に話そうとしていたことを思い出す。
「二人とも、これ見てくれよっ!」
「じゃじゃーん!」という効果音と共に柄本さんが取り出したのは、綺麗にラッピングされた小さな箱だった。
「ついにっ!俺もチョコ貰えたぞぉー!」
状況についていけない僕とは対照的に、「おぉ~」とぱちぱち拍手をしながら柄本さんに反応を返す戌亥さん。
「こーた先輩の反応的にぃ、もしかして本命ですかぁ?」
戌亥さんがそう言うと、次は急に「はぁ~」とため息をつき始めた柄本さん。
「実はさぁ、どういう意味でのチョコなのか分かんなくてさ。ただ渡されただけだったからどうなんだろなぁ」
そう言って、もじもじと若干気持ち悪い動きをし出す柄本さんに戌亥さんが返す。
「こーた先輩のキモい動きは無視するとして~」
「え!?何か急にひどくね!?な、なぁ、川瀬っち、いぬちゃん急にひどいよな!?」
「すいません、僕も気持ち悪いと思いました」
「ががーん!後輩が俺に冷たすぎる件、およよ~」
「チョコのことなんですけどぉ~綺麗にラッピングもされてるし手作りっぽいので~悪い意味ではないと思いますよぉ~っていうのが名探偵るかちゃんの推理です~」
「なるほどっ」と納得の表情を見せる柄本さん。
「同性のいぬちゃんがそう言うなら全くの的外れでもなさそうだしな。いぬちゃん、いえ、師匠!これからも指導の方よろしくお願いいたします!」
「うむうむ、これからも精進するのじゃぞぉ」
「ははぁ~」
謎の茶番を見せられたが、柄本さんも何かに納得したような顔をしていたので、この話は今ので終わったのだろう。
ちょうど良いタイミングなので、僕は今日ずっと気になっていたことを聞くことにした。
「あの、チョコの話をよく耳にするんですけど、今日って何かありましたか?」
僕の言葉を聞いて、柄本さんはもちろん、戌亥さんも珍しくぽかんとした表情を浮かべる。
そして次の瞬間、二人は我慢ができないといった感じで笑い出した。
「川瀬っちおもしろ過ぎだろ!今日が何の日か分からないなんて言う人他にいんのかなーあははっ」
「こーた先輩に同感です~。流石るかちゃんが見込んだ通りの逸材ですなぁ~はじはじは~」
何だか二人にいじられているような気がする。
「二人とも笑ってないで早く教えてください」
そう言うと、二人が口を揃えて
「「今日はバレンタインデーだな(ですよ~)」」
と教えてくれた。
今日の朝、学校に人が多かったのも、やたらチョコの話を耳にしたのも、今日がバレンタインデーだったんだということを思い出した僕は、そういえば今日がその日だったかと靄が晴れたような気持ちになった。
アルバイトが終わり、カバンに荷物を仕舞っていると、カバンの中に入れていたクッキーの袋が目に入る。
今日がバレンタインデーだということを思い出した今、これは恐らくだが、別のクラスの女子が隣の席の女子に向けて渡すはずだった『友チョコ』というやつなのだろう。
やっぱり隣の席に入れ直しておいた方が良かったかなと思ったりもするが、落とした拍子にクッキーがバラバラになってしまっているし、明日は休みなので渡す機会もない。
かと言って僕が代わりに食べるのもそれはそれで何か違う気がするので、申し訳ないと思いつつ、休憩室にあるごみ袋の中に入れておいた。
次はきちんと席を確認して入れるように、と顔も分からないクッキーの差出人に頭で注意を促しながら、僕はコンビニの外に出る。
「そう言えば」と、ポケットの中に戌亥さんから貰ったチョコを入れておいたのを思い出し、それを口に含む。
「…甘いな」
久々に食べたチョコレートの甘さを感じながら、僕は自転車に乗って帰宅をした。
***
今日も目覚ましよりも早くに目覚め、自室のカーテンを開く。
太陽の眩しい光に、思わず目を細める。
今日から「二年生」としての新学期が始まろうとしている。
天気も快晴というのに相応しい様子で、青い空が一面に広がっている。
「…新学期だからといって何か変わるわけでもないだろうさ」
天気とは裏腹に、これからに期待をしない暗い表情を浮かべながら、僕はいつものように朝の準備を始めるのだった___。
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