#4 校外実習







季節は秋真っ只中と言うのに相応しい気温や天気が続いている十月の第一週、僕は「校外実習」に参加しているところだ。

 つい最近までは暑さを感じさせる夏のようであったのに、気付けば冷たい風が肌に当たる時期となっており、時間の進む速さには驚きを隠せない。


 夏休みはアルバイトと読書をしていただけでひと月が経っていた。


 二学期になり、ちょうど先週に文化祭を終えたばかりだが、当日は図書室で本を読んでいただけなので、何かをやったという記憶は存在しない。

 特に何かをしたわけではなく、記憶にも残っていないから時間経過が速いだけなんだなと、妙なところで納得しつつ、僕は前で談笑しながら進むグループメンバーの歩調に合わせ、足を動かしている。


 今回の校外学習の主な目的は、山のハイキングと調理実習の二つであり、今は山のハイキングの時間となっている。


 広大な自然が広がる山や森の中を、決められたポイントにいる教師たちからチェックを貰いながら進んでいくという内容になっており、グループメンバーはクラスの出席番号順で決められている。

 僕たちのグループは、男女がともに四人ずつのグループであり、僕ともう一人を除いた六人は、どんどんと前に進んでいる。

 文化祭期間を経たことで、クラスの結束力が高まり、前の六人も例に漏れず仲が良さそうな雰囲気である。

 彼らとは少し離れて僕は歩いているのだが、僕の更に少し後ろを歩いている女の子がいる。


 彼女の名前は桐谷静(きりたにしずか)さん。


 おさげで大きな眼鏡を掛けているのが特徴で、教室では大人しい感じの女子たちと話したり、本を読んでいたりするのを目にする。

 桐谷さんが離れた場所にいるのは、前を歩く六人がクラスでは賑やかなタイプの人たちのため、馬が合わないというわけではなく(もしかしたらこれも理由の一つかもしれないが)、恐らく体力的な問題であろう。

 彼らの歩くスピードは確かに少し速く、文化部の桐谷さんは今も肩で息をしている。

 彼らは後ろを振り向く素振りを見せないため、だんだんと差が広がっていく。

 僕も輪に入らずに何となく後ろを歩いているだけのため、みんなで仲良くしようとはとても言えないが、少しはグループとしての協調性も大事にして欲しいところだ。


 こういうことが起こるからグループ活動は嫌いなんだ。


 僕は歩くスピードを上げて、前の六人に追い付き、「少しいいですか?」と声を掛ける。


「歩くのに疲れたので、僕は休憩をしていてもいいですか?先生方も『無理はしないように』と言っていたし、みなさんの邪魔もしたくないので。先生にも説明しておくので、気にせずどうぞ先に行ってください」


 そう言うと、特にグループメンバーは気にすることもなく「分かった」という声をそれぞれ返してきたので、「僕の分までがんばってきてください」と心にも思っていないことを言いつつ、「桐谷さんも一緒に休憩するので気にしないでください」と伝え、僕は桐谷さんの方に向かった。


 桐谷さんのところに行くと、少しふらつきながらゆっくりと歩いていたので、僕は「桐谷さん」と声を掛ける。


「六人に休憩をすると伝えてきたので、僕たちは休憩をしましょう」


 僕がそう言うと、桐谷さんの眼鏡の奥の目が驚きで大きく開かれる。


「少し戻った先の左側に休憩ができそうなところがあったので、そこに行こうと思いますが、もう少し歩くことはできますか?」


 桐谷さんは「あ…は、はいっ」と返事を返してくれたので、僕は桐谷さんの隣に並び、ゆっくりとした足取りで休憩場所に向かった。







「ごく、ごく、ごく…」


 木で作られた小さな家のような形をしている休憩場所にたどり着いた僕たちは、座席部分の木に座り休憩をする。

 タオルで汗を拭き、水分補給をしたことで、桐谷さんも少し落ち着いたようだった。


「どこか具合が悪いとかはありませんか?」


「は、はいっ、座ったら、その、かなり楽になりました」


「それは良かったです」


 その後は少し沈黙が続いたが、桐谷さんは荷物に水筒を入れた後、「あ、あのっ…」と僕に話し掛けてくる。


「どうして川瀬くんは、私に休憩を提案してくれたんです、か?」


「それは、僕が歩くことに疲れたからですね。六人が歩く速度はかなり速かったので。それでたまたま桐谷さんも疲れているような感じだったので、声を掛けたというだけです」


 僕がそう言うと、「…でも」と桐谷さんは続ける。


「川瀬くんは、疲れているような感じは、その、しないから、私に気をつかってくれたんじゃ…」


「大丈夫に見えるだけですよ。実際こうして長時間歩くのも久々で、疲れているのは事実ですから。むしろ、僕の休憩に付き合わせてしまったのなら申し訳ないです」


 そうして軽く頭を下げると、首を横に振りながら「川瀬くんが謝る必要なんて、その、ないよ?」と言う桐谷さん。


「私の方こそ、休憩を誘ってくれて、ありがとう」


 少しはにかみながら感謝を伝えてくる桐谷さんに、「どういたしまして」と返しておいた。

 しかしその後、桐谷さんはどこか曖昧な笑みを浮かべ、訥々と話し出す。


「私、本当にだめだめで、勉強も普通、だし、運動は全然できなくて、見た目や性格も暗いから、何にも取柄なくて。今も、私が運動不足なせいで、川瀬くんに休憩を言ってもらわなかったら、みんなの迷惑になってた。私、やっぱり、今日は休めば良かったな」


 桐谷さんが語ったことは、不甲斐ない自分自身への失望や落胆のようなものだった。

 周囲に比べて自分自身は劣っている、でもそんな自分自身を変えることはできない、そんな諦めのようなものも感じられた。

 確かに世の中というものは、残酷で理不尽なもののように感じる瞬間などいくらでもあるし、どうにもならないようなことなど星の数ほどある。

 そうして、どうでもよくなって、諦めることも必ずある。


 けれど、あえて僕が言いたいのは、「それがどうした」ということだ。


 諦めて、目を背け、逃げるという選択肢のどこが間違っているのだろう。

 いいや、正解でもないのなら、間違いでもないはずだ。


「桐谷さんは取柄がないと言いましたが、それの何がいけないんですか?」


「…えっ?」


 思わずといった感じで僕に視線を向ける桐谷さんに、僕は話を続ける。


「人間誰にだってできないことはあります。桐谷さんの場合、それが運動ということなのでしょうが、それが悪いなんてことはないです。歩くのに疲れたら休めば良い。それができるならとっくにしていると言うかもしれませんが、運動ができないということと、休むことを伝えるということは、全くの別物であるはずです。休むことを伝えるのも苦手だと言うなら、僕を見てください、教室ではいつも一人で、交友関係のない僕でも六人に『休憩をしたい』と言うことができたんです。桐谷さんにも、できないことはできないときっと言えるはずです。話したことのない僕相手に、こうして苦手なことを話すことができたんですから。無理なものは無理、それで良いじゃないですか。そんな自分を変えたいと強く思った時に、自分を変えようとすれば良いと思います。逃げることは悪いことではないですよ」


 少し重くなった空気を変えるためとはいえ、説教染みた内容になった感は否めないが、らしくもなくどうでもいいことを語ってしまった。

 桐谷さんの態度や話したことに何か思うところがあったのか、どうしてほとんど会話もしたことのない相手にこんなことを言ってしまったのかは正直分からないが、話したことのほんの少しは、紛れもない僕の本心だった。

 黙って僕の話すことを聞いていた桐谷さんだったが、手に持っていたタオルで涙を拭い、口を開く。


「…運動ができない、こんな私でも、大丈夫なのかな」


 桐谷さんはまるで自分自身に問い掛けているようだった。


「大丈夫ですよ。きっと桐谷さんには、運動以外の素敵な部分がきっと何かあるはずです」


 慰めのような感じになってしまったが、僕がそう伝えると、桐谷さんは頬を赤く染め、目を見開く。


「…それに、運動ができるというのも良いことではないですから」


 僕の自嘲めいた言葉に不思議そうな顔をしていた桐谷さんだったが、胸に手を当て、目を閉じて、自分の心と対話をするかのように小さく呟く。


「…こんな自分でも、良いんだ」


 そうして、自分の言葉を受け入れるかのように小さく頷くと、僕の方に視線を向ける桐谷さん。


「…川瀬くん、ありがとう」


 さっきと同じように感謝を伝えてきた桐谷さんの顔には、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔が咲いていたのだった。










 その後、読書が趣味だという桐谷さんと本の話をしながら、しばらく座って休憩をした。

 桐谷さんは、さっきとは比べ物にならないほど明るい様子で、どこか楽しそうにしている。

 特に楽しくなるような話はしていないんだけどなと思っていると、「本の話をする人がいなかったから、その、楽しいです」と桐谷さんが意図せず答え合わせをしてくれた。

 僕も話せる話題はなんだかんだ本のことしかないので、どの作品がオススメかなどを紹介し合いながら、僕たちは来た道を引き返すことにした。

 今から前の六人に追い付くことは無理だろうし、教師に説明すれば何とかなるだろう。


 来た道を引き返していると、先に進もうとする別のクラスのグループといくつかすれ違う。

 こっちを気にするようなこともないので、特に何もなく順調に戻っていたのだが、どこかのグループの横をすれ違う時に強烈な視線を僕は感じた。

 桐谷さんの方に向いていたので、誰がこっちを見ていたのかは分からないが、通り過ぎたグループの方から「愛野さんどうかしたの?」との声が聞こえてきたので、愛野さんが僕の方を見ていたのだろうか。

 「えっ、うぅん、何でもないよ」と(恐らく)愛野さんが答えている。

 まぁ誰に見られていようが関係ないか、と気にしないようにした僕は、桐谷さんの会話に耳を傾けた。










 最初の地点に戻った僕たちは、先生に事情を説明し、グループメンバーがゴールをするまでの間、ベンチで時間を潰した。

 ハイキングの時間が終わった後、こういう野外の実習なら定番のような気もする「カレー作り」が始まり、さっきまで休憩をしていた分、桐谷さんと共に調理でグループに貢献をしておいた。

 調理中や食事中も、随分と緊張をしなくなった様子の桐谷さんが会話をしてきてくれたので、完全に一人の時間というわけでもなかった。


 昼食が終わった後、クラス対抗のドッジボール大会などのレクリエーションが始まったが、さっとその場を離脱し、今は終わるまでの時間を少し離れた場所で過ごしている。

 いなくなっても注意されるということはなく、日中の心地良い陽光を感じながら、静かに本を読み進める。


「これなら僕の方が今日参加しなくても良かったな」


 ふと桐谷さんの言葉を思い出し、そう感じた。

 更にもう一つ思い出したのが、調理実習中の視線だ。

 調理をしている時や洗い場で食器を洗っている時に、誰かに見られているような感覚があったのだ。

 普段の学校生活で廊下を歩いている時に感じるものとよく似ている視線だった。


「まぁいつも一人でいるヤツなんて逆に目立つか」


 たまに見られているような感じがするだけであり、実害を被っているわけでも、そもそも僕を見ているかも分からないので、自意識過剰になるのはやめようと思い、このことは深く考えないようにした。




 遠くの方では、楽しそうな声が響いていた。






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