#3 水本家







 夏休みの二日目、今日は日曜日であり、毎週日曜の朝にすると決めている家掃除に取り掛かっている最中だ。

 リビングに掃除機をかけながら、僕は昼からの用事に気分を落としていた。


 今日はアルバイトも休みなので、本を読んで一日ゆっくりと過ごそうなんてことを考えていた昨日の晩、家の固定電話に連絡がきた。


 何故固定電話なのかというと、僕は携帯電話を持っていないからだ。

 無駄にお金が掛かることや必要性を感じなかったことが理由として挙げられるが、高校を入学する前に解約を済ませておいた。

 連絡を取り合う相手もいないため、携帯電話がない生活も案外苦ではなく、一々連絡を確認する手間がない分、むしろ過ごしやすいくらいだ。

 そして、そんな僕にわざわざ昨日連絡をしてきたのは、水本進(みずもとすすむ)さんという人物だ。

進さんは、僕の「叔父」である。










___僕には両親がいない。










 中学三年生の時に両親がこの世からいなくなり、僕は一人になった。

 僕が今生活しているこの家は、これまで三人で住んでいた家である。

 父が一括で購入した二階建てのマイホームで、ローンの支払いなども終わっているため、今も僕はここで生活をしている。

 15歳の子どもが一人で生活していけるのか?という話になったが、進さんが面倒を見るということが僕のいないところで『勝手に』決まり、一応僕は進さんたちの「養子」ということになっている。

 「水本家」は、進さんの他に、進さんの結婚相手である日奈子(ひなこ)さんと、二人の娘である日葵(ひまり)さんを合わせた三人家族である。

 三人は車でも数時間かかる別の場所で生活をしているため、高校に入学してからは会っていない。

 「こっちに来て一緒に住もう」と進さんたちは何度も提案をしてくれたが、僕に三人の中に入っていくほどの図々しさは持ち合わせていなかった。


 だって、僕は三人と本当の家族ではないのだから。


 何とか僕の意見に折れてくれたことで、僕は今ここでの生活を継続できている。

 生活費も全部自分で稼いだお金でやりくりすると言った時、進さんと日奈子さんは悲しそうな表情をしていたが、二人に負担を掛けないのにどうしてそんな顔をしていたのか、僕には未だに分からない。

 学費は全額免除されているため、必要なのは電気代や水道代、それと食費だが、廃棄のご飯をほとんど毎日持って帰れることで食費が浮いているため、あのコンビニには頭が上がらない。

 4月からバイトで稼いだお金だけで生活をしているが、特に困ったことは起きていないので、何とかなりそうだと感じている。

 毎月通帳には、進さんから仕送りという形で生活費などが振り込まれているが、僕は一度も使っていない。

 今日会った時にでも、この通帳ごと進さんに返してしまおうなんてことを思いながら、掃除機をかけ終える。


 その後、いつもの掃除を終え、椅子に腰を下ろしながら当時のことを振り返る。



___あ、ぁえ?か、母、さん…?



___な、んで…なんで、なんでッ!?



___もうどうでもいいや。



 胸の奥の大事な何かが、音を立てて崩れていくのを感じたあの日。

 今はもう、何をそんなに嘆いていたのか全く思い出せない。


 そもそも、僕はどうして悲しんでいたのだろう?


 胸の中で確かに空いているであろう大きな穴が、どうして開いてしまったのか、僕にはもう分からなかった。

 当時のことを考え出すと、いつも頭が痛くなる。

 「無駄」なことを考えるのは終わりだ、と僕は席を立ちあがり、コップに水を入れ飲み干す。


 何故か喉はカラカラに乾いていた。


 気持ちを切り替えた僕は、インターホンの音が聞こえるまで、夏休みの課題に取り組むのだった。










***










 『ピンポーン』というインターホンの音が聞こえたので、僕は席を立ち上がり、玄関のドアを開く。


「やあ、朔。元気にしていたかい?」


「久しぶりね、朔くん。今日はいきなりでごめんなさいね」


「お久しぶりです、進さん、日奈子さん」


 ドアを開くと、進さんと日奈子さんが優しそうな笑みを浮かべながら声を掛けてくる。

 四ヶ月振りだが、二人の様子は変わっていなかった。

 進さんは、大手金融会社で働いている爽やかな敏腕イケメンで、今年で三十代後半になると言われても信じる人はいないだろう。

 日奈子さんも進さんと同い年のはずだが、二十代と言われても誰もが頷くほど若々しく美しい容姿をしており、「穏やか」という言葉が良く似合う女性だ。


「ほら、日葵ちゃんも」


 日奈子さんがそう言うと、二人の後ろから一人の女の子が僕の前に出てくる。


「…久しぶり、お兄ちゃん」


「お久しぶりです、日葵さん。それと、僕は兄でないのでその呼び方はしないでください」


「…っ」


 僕のことを「お兄ちゃん」と呼んできたのは、進さんと日奈子さんの娘である水本日葵さんである。

 腰まである黒髪を姫カットにしているのが特徴で、今日も白いワンピースを着ており、「清楚」なイメージを感じさせる。

 今は中学二年生であり、中学生らしい子どもっぽさも残しつつ、大人びた印象も兼ね備えた、可愛いと綺麗の両方を印象として与える女の子だ。


「また前みたいに『ひまちゃん』って呼んでくれないの…?」


「一年に数回会うか会わないかの関係ですし、親しく呼ぶ必要なんてないですよね?むしろ、そんな関係性の知り合いから親しく呼ばれても嫌でしょう?」


「…」


 僕がそう言うと、日葵さんは黙り込んでしまった。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいるのだが、どうしてだろうか?

 ほとんど会わないような相手から親しく呼ばれるのは、普通に嫌なことだと思うのだが。

 ただ、どうして日葵さんがそんな表情をしているのか、日葵さん本人が口を閉ざしてしまったために聞くことは叶わないだろう。

 僕たちの沈黙を見かねて、「朔、玄関で話すのもあれだし、中に入っても良いかい?」と進さんが声を掛けてきたので、僕たちは家のリビングに移動した。










 リビングに入ると、「これは…」と進さんが思わずといった感じで小さく呟き、他の二人もまるで奇妙なモノを見たかのような顔をした。


「…朔はいつもここで生活をしているのかい?」


 突然不思議なことを険しい顔で聞いてくる進さん。


「えぇ、そうですよ?」


 何がそんなに進さんの表情を険しくさせているのだろうか?

 頭を傾げて不思議に思っていると、


「…でも、このリビング、ほとんど何もない…」


 と日葵さんがぽつりと呟いた。


「ああ、そういうことですか」


 どうやら三人は、このリビングに、大きなテーブルが一つとイスが三つ、そしてソファが一つしか置かれていないことを不思議に思っていたようだった。

 どうして「そんなこと」を気にしているのかは分からないが、理由は至って簡単だ。


「だって、必要のないものを置いておくなんて無駄ですよね?」


 僕がそう言うと、三人は悲しそうな、そしてどこか寂しそうな表情になる。


 さっきからどうしてそんな顔をするんだ?


 分からないことを考えてもしょうがないし、時間の無駄だと感じた僕は「とりあえず椅子に座りましょう」と、固まって動けないでいる三人に声を掛けた。


 僕の前の二席に進さんと日奈子さんが座り、日葵さんはソファの方に座ることになった。

 席に座ると、「改めて…」と進さんが話し出す。


「今日まで元気だったかな、朔?」


「はい、何事もなく生活してますよ」


 「それは良かった」と笑みを浮かべる進さん。

 そして、隣に座っている日奈子さんも話し掛けてくる。


「でも、前に会った時よりも朔くんは少し痩せたようにも見えるの。ご飯はしっかり食べれてる?」


「はい、アルバイトで弁当やおにぎりが貰えますし、自炊もしているので」


 僕の返答に日奈子さんは表情を曇らせる。


「コンビニのお弁当が悪いわけではないけど、それでも毎日食べていると体を悪くするかもしれないわ」


「悪くなったらその時は自己責任なので、日奈子さんに迷惑は掛けませんよ」


 そう答えると、日奈子さんは「朔くん、手を出して」と徐(おもむろ)に手を伸ばしてそう言うので、わけが分からないまま僕は指示通りに手を差し出す。

 そうすると、日奈子さんが僕の片手を両手で優しく包み込んだ。


「朔くん、あなたはもっと自分の体を大切にすること。あなたに何かあったら私はとっても悲しいわ。もちろん、進さんや日葵ちゃんも悲しむわ。本当は私が朔くんにも毎日ご飯を作ってあげたいけど、あなたはそれを望まない…わよね?だから、せめてあなたが健康でいること、これだけは約束してね」


「…気を付けておきます」


 日奈子さんは僕の返答を聞いた後、ゆっくりと手を離した。


 手を振り払うことはできた。


 保護者面しないでくれと叫ぶこともできたはずだ。


 日奈子さんが、僕のことを「あたかも」本当の子どもかのように僕を見つめていたことに、毒気を抜かれてしまったのだろうか。

 少し胸の奥に痛みを感じるが、この正体は一体何だろう。

 僕はその答えを自身の中に持ち合わせていなかった。


「話は変わるんだが、数日前に四宮先生から連絡があってね。面談のことを聞いたんだ」


 僕が「余計なこと」を考えている一方で、進さんが「面談」の件を切り出してくる。

 僕の知らないところで進さんたちに連絡をしていた四宮先生に思うところがありながらも、進さんの話は続く。


「朔、どうして三者面談のことを伝えてくれなかったんだい?」


「わざわざ伝える必要はないと思ったからです。時間を掛けてこっちに来てもらうほどの用件ではなかったですし、僕の成績なんて重要なことでもないですから」


 進さんの表情が真面目なものに変わる。


「確かに、私たちは朔と同じ場所にいないから、すぐには駆け付けることはできない。だけど、朔から面談があると言われたなら、私は仕事を休んででも君の元に向かうだろう。伝える必要がないと言ったね?朔、それは間違いだよ。私や日奈子が君のことに興味がないわけないじゃないか。私たちにとって、朔と日葵、二人の『子どもたち』のことは何よりも重要なことなんだ。だから、『必要ない』なんてそんな寂しいこと言わないでくれ」


 進さんの言っていることが分からない。

 僕は親が兄弟だったというだけの、ただの他人だ。

 「養子」になったことだって、僕は今でも納得をしてはいない。


「…僕なんかのために仕事を休むなんて、それこそ無駄な行為ですよ」


 行き場のない感情から、嫌味っぽい言葉が口から出る。

 しかし、それを進さんは笑顔で受け止める。


「無駄なんかじゃないさ。『家族』を優先して何が悪い?それで会社が首になるものなら、こっちから喜んで首にされようじゃないか」


 進さんはそう言うと、「本当に首にはならないでくださいね?」と日奈子さんに釘を刺され、「例えばの話だよ」と笑顔で返していた。

 進さんと日奈子さんを見ていると、だんだんと頭が痛くなってくる。


「朔、成績表を私たちにも見せてはくれないかい?」


「…もう捨てました」


 どうして僕に構うんだ。


「…そうか、それなら仕方ないな。今度は私たちにも教えて欲しい」


 どうしてそんな優しい目で僕を見てくるんだ。


 どうして?


 どうして?


 それから学校のことやアルバイトのことを聞かれたが、僕はほとんどまともな回答ができなかった。

 携帯電話も必要になってきたのではないかと聞かれたが、それは首を横に振っておいた。


 時間もちょうど昼頃となり、「おっ、もうこんな時間か」と進さんが立ち上がる。


「お昼にもなったし、今からみんなで食事に行かないかい?」


 それに合わせて日奈子さんも続く。


「朔くんの食べたいものを食べに行きましょう」


 しかし、僕は「いいえ」と口を開く。


「急遽出られなくなった人の代わりに午後のシフトに入るので、僕はやめておきます」


「…えっ」


 これ以上水本家の人たちと一緒に居ると、僕が僕でなくなるような、そんな奇妙な感覚に全身が支配されるため、僕は「嘘を付くことで」同行を拒否した。

 進さんや日奈子さんは僕が嘘を言ったということが分かったのだろう、一瞬悲しそうな表情を見せるが、「用事がある時に尋ねてしまった私たちのミスだね。そういうことなら、みんなで食事に行くのはまた今度にしよう」と笑顔を浮かべた。

 しかし、日葵さんは僕が一緒に来ないということに驚き、肩を落としているように見えた。

 恐らく、昼は僕を含めた四人で食事に行くという予定を、ここに来る前に二人から聞かされていたのだろう。

どうして残念がるのか分からないが、僕は日葵さんの方に視線を向けた。


「僕がいても日葵さんは楽しくないでしょうし、ここに着いてから僕たちだけで話して退屈だったでしょうから、『三人』で美味しいものでも食べて楽しんできてください」


 そう言うと、日葵さんはワンピースの裾をぎゅっと握り、目から涙を流す。


「…ごめんなさいっ」


 そのままリビングから出て行った日葵さんを追うように、二人もリビングから出ようとする。


「…ごめんね、朔。日葵は朝から『四人』で外に出掛けるのを楽しみにしててね。どうか日葵のことを責めないであげて欲しい」


「今度は日葵ちゃんとも沢山話してあげてね、朔くん」


 そうして、「それじゃあまた連絡するからね、朔」「健康に気を付けてね、朔くん。何かあれば私や進さんにいつでも相談してね」と優しい笑みを浮かべたまま家の外に出て行く二人。


 少しすると、車の音が聞こえ、ゆっくりとその音が家から離れていく。

「はぁ~」大きく息を吐き、僕は台所の棚に置いてある頭痛薬を水で流し込んで、椅子に座ってぼんやりと天井を眺める。


 しばらくしていると、いつもの自分に戻っていくような気がした。


 落ち着いたところで、ふと思い出したことがあった。


「そう言えば、通帳渡すの忘れてたな」


 その後は、黙々と夏休みの課題に取り組むのだった。






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