#2 アルバイト先
朝と放課後に水やりをする生活が始まって二ヶ月近くが経過した今日この頃、僕は「慣れた」動きで朝の水やりをしている。
委員会でのことは予想通り噂になることはなく、あれ以降あの先輩と出会うこともなかった。
そのまま今日まで特に何か起こることもなく、先週に一学期の期末テストを終え、もうすぐ夏休みを迎えようとしている。
夏休みに予定なんてものはなく、アルバイトのシフトでも増やそうかなと迷い中だ。
『あの人たち』が干渉してこなければ良いんだけどな…。
いつもの作業を終えた僕は、夏ということを強く感じさせる陽光に眩しさを感じながら、エアコンのある教室の涼しさを求め移動をするのだった。
「今日の放課後から三者面談が始まるわ。そこで成績表も渡す予定よ。それと、時期はかなり早いけれど、現時点での志望校も聞くから面談前に考えていてちょうだいね」
朝のホームルームでそう伝えているのは、僕のクラスの担任である四宮恵美(しのみやめぐみ)先生だ。
切れ長でクールな印象を与える目に、すらりとしたモデルのようなスタイルが特徴的な女性教師で、「知的な美人」という言葉を体現しているかのような人物だ。
数学の授業を担当しており、テストや課題が難しいという「厳しい」イメージがある一方で、周囲から「メグちゃん先生」と呼ばれるほどの人望や人気があり、話しやすくて「優しい」という評判も良く耳にする。
そんな四宮先生が言ったように、今日から三者面談が始まり、それに合わせて学校も半日授業となる。
僕は初日の今日がその面談の日であるのだが、僕は「二者面談」となる予定だ。
家の人に面談の紙を見せるようにと言いながら先生が全員に配っていた紙は、今もカバンのファイルに眠ったままである。
色々と面倒なことになりそうだなとは心のどこかで思いつつ、僕は朝のホームルームにぼんやりと耳を傾けた。
「失礼します」
放課後の教室、僕が声を掛けながら中に入ると、三つの机を向かい合わせた一つに、四宮先生が座っていた。
僕の声を聞いてこちらに視線を向けた先生であったが、すぐに何とも言えないような表情を浮かべ、僕に話し掛けてくる。
「川瀬くん、面談のことを『水本さんたち』に伝えなかったでしょう?」
「距離も離れていますし、わざわざ来てもらうほどのことでもなかったので」
「…きちんと伝えないと、お二人が悲しむわよ?」
「まさか、家族でもない僕のことなんて気にしないでしょう」
僕の言葉に何か思うところのある様子だったが、「とりあえず座ってちょうだい」と先生は僕に席へ座るよう指示した。
そうして先生は僕の前に成績表を差し出す。
「これが君の一学期の成績よ。流石『特待生』というべきかしらね。中間・期末と主要五科目の点数はどれも百点。こんな点数、これまで見たことがないって教師間でも話題になっていたわ」
「勉強しかすることがないのでたまたまです」
「たまたまで百点が取れるようなテストは作っていないのだけれど…入学試験も異例の『全科目満点』だったし、今回も五教科は満点。星乃海の教員として言うのは間違っているとは思うのだけど、本当にこの学校で良かったのかしら?」
「この学校なら学費が免除されますし、それに通える距離なので。僕自身が通うと決めたことなので、先生が気になさる必要はありませんよね?」
「…今のは私が配慮に欠けていたわね、ごめんなさい。さっきはああ言ったけど、君が勉強で困ったことが起きても、この学校には優秀な先生方が沢山いらっしゃるし、まだまだ未熟だけど私も全力でサポートをするつもりよ。何かあれば私に言ってちょうだいね」
「…その時がもしあればお願いします」
先生は僕の勉強面のサポートを申し出てくれているが、正直僕は勉強のモチベーションなどほとんどなかった。
せいぜい特待生じゃなくならないような点数は取っておこうと思っているだけだ。
たまたま満点が取れた、というのは全く嘘ではなく、毎日の予習復習をしておいたら解けたに過ぎない。
目的を持って取り組んでいる訳ではないので、先生のサポートはむしろ邪魔なものに感じられた。
「今日の朝のホームルームでも話したけれど、志望校の方は決まっているのかしら?」
「…まだというか、考えたことはないですね」
「確かに決めるにはまだ早い段階だけど、早く決めておくに越したことはないわよ。川瀬くんの今の成績ならどの大学も選択肢として選ぶことができる状況だし、色々と調べてみても良いと思うの。一年生の終わりに進路希望調査が実施される予定だから、これを機に少し考えてみてちょうだい」
その後は一学期の学校生活の感想などを少し話し、僕は「失礼しました」と言って教室の外に出た。
ちなみに、夏休み中の水やりについて尋ねてみると、先生が代わりを快諾してくれたのでお願いをしておいた。
廊下に出ると、僕の次に面談があるクラスの男子が、母親と何やら楽しそうに会話をしているのが目に入り、急速に心が冷えていくような気がした。
「気のせいだ」と自分に言い聞かせ、「次どうぞ」と声を掛けて、僕は足早にその場を立ち去った。
少し進むと心も落ち着いていき、やっぱりさっきのは気のせいだったということが分かった。
今日は面談までの時間に水やりを済ませてあるので、後は帰るだけだ。
廊下を歩きながら、僕は手に持っている自分の成績表に再度目を通す。
体育以外は高評価な成績表。
体育は目立ちたくなくてほどほどにやっているから、これは自業自得だ。
「別に成績表なんて誰に見せる訳でもないしな」
そうして僕は成績表をくしゃくしゃに丸めた後、雑に制服のポケットに突っ込んでおいた。
「帰ったら捨てよう」なんて独り言は、校舎内に響く吹奏楽部の演奏にすっとかき消されていった。
***
学校の終業式を昨日に終え、夏休みを迎えた一日目の昼過ぎ、僕はコンビニのアルバイトとしてレジ打ちをしていた。
「ありがとうございましたー」
お客さんの対応を終えると、後ろから声が掛けられる。
「うぃっす、川瀬っちお疲れぃ。次休憩入っても良いぞ~」
「分かりました」
「くくっ…相変わらず真面目だなぁ川瀬っちは」
「柄本さんが馴れ馴れし過ぎるだけですよ」
「えっ!?急にひどいっ!?」
この馴れ馴れしい態度で絡んでくるのは、柄本康太朗(えもとこうたろう)さん。
ここのコンビニバイトの先輩で、今は大学二年生らしい。
短く切り揃えた髪が爽やかな印象を与える「スポーツマン」という感じで、実際に大学でもサッカー部に入っているそうだ。
シフトの時間が一緒になることが多く、アルバイトの作業も柄本さんから教えてもらった。
高校に入学してすぐにここでバイトをし始めたので、もうすぐ四ヶ月目となる。
もう扱い慣れた柄本さんへの対応(何か言っているが無視)をこなして、休憩室兼事務所の中に入ると、「お疲れサマンサぁ~」と言いながらソファで昼ご飯を食べているもう一人に声を掛けられた。
「休憩もらいますね、戌亥さん」
「はじはじはもぉと休憩しても良いと思いますけどねぇ~、全部こーた先輩にやらせておきましょ~」
「そうしたいのは山々ですけど、流石にほんの少しだけ柄本さんが可哀想なので」
「真面目ですなぁ~はじはじはぁ」
僕のことを「はじはじ」と変なあだ名で呼んでくるのは、戌亥流歌(いぬいるか)さん。
僕と全く同じタイミングでここのアルバイトを始めた僕の同期で、学校は違うものの同じ高校一年生でもあり、柄本さん同様ほとんど一緒のシフトになることが多い。
何とも気の抜けた話し方が彼女の特徴で、実際戌亥さんはかなりのマイペースだ。
しかし、銀色に染めた髪をウルフカットにし、耳にもピアスをいくつも付けたかなり近寄りがたい容姿をしている。
「ギャップ萌えってやつですなぁ~」とは本人談だが、見た目と中身が一致していない不思議な人というイメージが強い。
戌亥さんがソファを使っているので、僕はパイプ椅子を取り出し、廃棄予定のかごに置かれているお弁当を食べ始める。
このアルバイト先のコンビニでは、廃棄になる予定の商品は自由に何でもいくつでもアルバイトは貰って(持ち帰って)も良いことになっており、普段から昼食や夕食でかなりお世話になっている。
黙々と食べ進めていると、戌亥さんが話し掛けてくる。
「はじはじのところも今日から夏休みですかぁ~?」
「そうですよ」
「はじはじはぁ何か夏休みの予定とかはあります~?」
「僕は何もありませんよ。まだ読んでいない本を読むくらいですかね」
「ふむふむぅ。はじはじ過ぎる発言にるかちゃんもご満悦です~」
「何ですかそれ?戌亥さんは何か予定はあるんですか?」
そう尋ねた途端、戌亥さんはすっと立ち上がり「えっへん!」という効果音が付きそうなポーズを取りながら自慢げに話し出す。
戌亥さんは小柄で童顔なので、ポーズは様になっていないが、その言葉は飲み込んでおくことにした。
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれましたぁ。今年の夏休みはたーくんと夏祭りに行ったりぃデートに行ったりぃ、予定がいっぱいなのであ~る、ぶい(ピース)」
「それは良い夏休みになりそうですね」
「そうだろぅそうだろぅ、流石はじはじです~」
戌亥さんが言っていた「たーくん」とは、戌亥さんの彼氏のことである。
「たーくん」という名前しか分からないため、「たーくんさん」と言わせてもらうが、戌亥さんはたーくんさんとの話を毎回してくるのだ。
僕は何となく耳に入れながらも聞き流したりしているが、柄本さんと戌亥さんはよく二人で恋バナ?をして盛り上がっている。
二人のことは同じアルバイトのメンバーとして、嫌うところなんてものはない。
ただ、そんな「恋愛」について盛り上がる二人のことが、僕は苦手であった。
「戌亥さん、そろそろ品出ししないといけないんじゃないですか?」
「おぉほんとです~はじはじと話してると時間の進みが早いですなぁ~」
そう言って手をひらひらと振りながら扉の外に出ていく戌亥さんを見送りながら、僕は弁当の残りを食べ進める。
ほとんど毎日同じようなものを食べているとは言え、飽きるということはないのだが、やはり何を食べても美味しいというような感覚は感じられない。
味覚がほとんど感じられないと言った方が良いのだろうか。
まぁ今に始まったことではないのだが…と思いながら、弁当を食べ終える。
そうして僕の休憩時間は、柄本さんが「川瀬っち!なんかすげぇ勢いでチキンが売れたから揚げるの手伝ってぇ~ん!」と、ちょっと気持ちの悪いノリで助けを求めてきたことで終わりを告げたのだった。
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