パンドラの深淵に潜む者

@si-no-me

完結

「いや~いつもすみませんね」

「むしろこっちこそ助かるわ こんなんデカイのに売れないしマズいし邪魔だし なにより縁起悪いしな」

小名浜港に明るい声が響く

にこやかな漁師に案内されて向かった先には、立派なダイオウイカが横たわっていた

「2メートル……いや3メートル以上はありそうですね 発見したのはいつですか?」

「今朝一番の漁に出た時、沖合にプカリと浮かんでいてな」

「その時は既に死んでいましたか?」

「もちろんだ こんなのが生きて泳ぐ姿は見たくねぇよ」

「雄大で神秘的でカッコイイんですがね 撮影できれば貴重な資料ですよ

「いやいやそんなのは厄介事の前触れだ ここまでデカいのは久々だし、本当に地震でも起きるんじゃねぇか?」

「いつもは深海に住んでいますから、確かに何かの前触れかもしれません 本当にどうしてここまで来てしまったのか不思議です」

「そこらを調べるのが先生の役目だろう? まったく深海生物なんて何が面白いんだか」

「深海は浪漫なんですよ 私達の知らない世界が広がる深淵の桃源郷 輝く宝石が詰まった宝箱 もしかすればパンドラの箱かもしれませんが」

「難しい話ばかりでよくわからん いいからさっさと持って行ってくれ」


トラックに無理矢理詰め込んで大学のキャンパスへ持ち帰る

まさかダイオウイカが漂着するなんてとんでもない豪運だ

宝くじの一等に当たったかのような喜びが全身を包み込む

しかもこのイカは一見すればかなり傷だらけ

だからこそどうしてその傷がついたのか調べるのも興味深い大事な研究である

解体調査用の倉庫へ入れば、私と同じくらい笑顔の生徒が待っていた

「先生~!待ってましたよ~!」

「ダイオウイカなんてレア物が手に入りましたね」

「七味とバターと醬油は用意してますよ!!」

みんなウキウキで準備万端

まるで若い頃の自分を見ているようで少し照れくさい

「楽しむのは素晴らしい事だが、あくまでもコレは授業の一環 ダイオウイカへの敬意と感謝を忘れないように、いいね?」

「わかりました!」

「よし、良い返事だ それではまずこの巨体を降ろそう そこから体長測定して、内臓など綺麗に解体していこうか」


「そっちの端持って~! 体長何m?」

「凄いですよ先生!3メートル越えです!」

「本当かい!? 流石にこれだと体重は計れないかな」

「結構傷みが激しいですね 死んでからだいぶ時間が経ってるかも」

「先生!質問です!ダイオウイカはどうしてこんなに大きくなるんですか? 僕達がよく見るコウイカやスルメイカってもっと小さいですよね?」

「それが深海の不思議の一つさ 深海巨大症と言って、深海に適応した動物達は何故か体が大きくなりやすいんだ 有力な説としては大きな体で深海の圧力に耐えるため 他にも代謝が優れていたり、交尾相手が見つけやすいメリットがあると言われている」

「確かタカアシガニなんかもそうですよね あの化物みたいな強烈な見た目 それでいて味は大雑把でマズいのは詐欺ですよ」

「それじゃあみんなにクイズを出そう 軒並みマズいと大不評の深海生物達の中で、絶品だと言われている美味しい魚はなーんだ?」

「え~?なんだろう 深海魚が美味しかったとしても捕りづらくないですか?」

「う~ん 水深何mから深海と呼んでいいんでしたっけ? あの魚は深海魚と呼べないかもなぁ」

「……あっ、もしかして金目鯛?」

「おおっ!大正解!! 煮付けや湯引きで親しまれる金目鯛は立派な深海魚さ それともう1種類、金目鯛よりは浅瀬にいるものの深海魚と呼ばれる、唐揚げが美味しい身近な魚といえば?」

「唐揚げで美味しい魚なんて限られますし」

「その笑顔と言い方じゃまさか」

「我らがメヒカリもギリギリ深海魚?」

「その通り! メヒカリの正式名称はアオメエソ、コイツも立派な深海魚だよ これはもういわき市民ならいの一番に答えられないと なにしろ市の魚なんだから」

「そっかぁ 言われてみれば金目と目光で名前も似てますよね」

「なんだかすっかりお腹空いちゃいました」

「アッハッハッハ いつの間にか大きく脱線してしまったね それじゃあグループ分けして担当部位を決めようか 君達は内臓担当で、残りは私と腕を調べていこう」


効率よくキビキビと作業は進み、メモや写真を細かく取りながら貴重な検体をバラしていく

ダイオウイカの生態は未だに不明な部分も多いため、何から何まで全部宝物

胃の内容物獲りやすい何を捕食したか判明するし、触れた感触や独特の生臭さも滅多に味わえない素晴らしい体験だ

興奮しながらも丁重に少しずつ解体していけば

「先生!これなんでしょうか? なんというかこの傷、銛が刺さった跡みたいじゃないですか?」

生徒が体の一部に不思議な物を見つけた

確かに何か鋭い物が刺さり、それを強引に抜いたような痛々しく抉れた傷がついている

だがしかしそんな訳が無い

「確かにそう見えるがあまりにも傷が大きすぎる こんな傷は電信柱みたいに太い銛を刺さないとつかないよ おおかた海底で岩にぶつけたんじゃないか?」

「う~ん そうですかねぇ」

「第一誰が銛を打つんだい ダイオウイカの生息域は深海だ いったいどうやって、しかもこんなに太い銛を誰が打つ? これはただの傷だよ」

「先生!コッチからも変なのが出ました」

釈然としない生徒にしたり顔で講釈を垂れていれば、別な場所からも声があがる

何やら不穏な気持ちで向かえばそこには

「……なんだこれは」

まるでコチラを馬鹿にするように堂々と 大きな銃弾が突き刺さっていた

「これじゃあまるで大砲の弾だな」

「なんでそんなのがダイオウイカの体内に」

「どうします先生 取り出してみます?」

「いや、もしもコレが不発弾なら迂闊に触れるのは危険だ 何かの衝撃で爆発すれば大惨事になりかねない 全員退避して倉庫を封鎖 とりあえず警察に相談しよう」

楽しい雰囲気が一転にわかに慌ただしい緊張感が走る

素早く片付け迅速に避難 メモ帳やカメラなど貴重な資料だけ掴んで逃げ出した


「はい 警察です 事件ですか事故ですか」

「すみません いわき海洋大学で深海生物について研究している者なんですが」

「はぁ、大学の先生 それなら何か事故でも起こしましたか? 危険な薬品をこぼしたとか、ボヤ騒ぎやらかしたとか」

「ダイオウイカの体内から砲弾が出てきました」

「イタズラ電話なら切りますよ?」

「いえ違います!本当の話なんです!」

「……確かに電話の現在地も大学ですね では担当の部署に繋ぎますのでお待ちください」

ガチャリと受話器が置かれオルゴールのような待機音が流れ出す

やはり簡単には信じてもらえなかった

そりゃそうだ ダイオウイカの体内から砲弾が出た!なんて話は自分でも信じられない

一体どうなるか不安な時間をジリジリと耐え、ようやく担当者と繋がった

「はい こちら爆発物処理班です 詳しい状況を教えてください」

「ダイオウイカの体内から人間の頭くらい大きい砲弾が出てきまして」

「わかりました 現場に急行します そこにはアナタ1人だけですか?」

「いえ、生徒も数人います」

「では全員その場から動かず待機してください 念のため身体検査を行わせていただきます」

「そこまで危険な事件なんですか?」

「あくまでも万が一に備えてです たとえば気化した爆薬を吸い込んでいないか、そのくらいの簡単な検査です」

「わかりました それじゃあ全員待機していますね」

「約15分で到着しますのでお待ちください」

先程までの対応とは打って変わって流れるような素晴らしい対応

ハキハキとした指示に言われるがまま従えばいつの間にか電話が終わっていた

「どうでした先生 来てくれることになりました?」

「あぁ、約15分程で到着するそうだ」

「意外とかかりますね もっと迅速に来てもらえるかと」

「じゃあ僕達帰ってもいいですか?先生と警察がいれば生徒はいらないでしょ」

「ところが全員待機だそうだ 何か有害な物を吸い込んでいないか身体検査をするんだと」

「なんですかそれ」

言われてみれば確かに不思議

まぁ爆弾の処理に立ち会うなんて初めてだから、わからない事だらけでも仕方ない

とはいえなんだか狐につままれたような気分で放り出された

「ねぇ先生 そういえばここにどうやって来るんです?」

「どうってパトカーで駆けつけるんじゃ」

「ここは大学キャンパス奥深く 詳しい場所とか伝えました?」

「……いや、伝えてないな だけど電話で住所は把握してるし、なにより聞かれなかったしな」

なんとなく重苦しい不信感が周囲を支配する

何もわからないまま事態が進む気持ち悪さと腹立たしさが嫌らしく絡みつき、一部の生徒からは責めるような視線すら向けられていた

そんな目で見られても私も困る だって何も出来ないし 先生だって1人の人間だ

とにかくもう一刻も早く警察が来てくれ!この雰囲気をぶち壊してくれ!

そんな願いを叶えるように、頭上から爆音が轟いた


「初めまして 宮内庁所属の特殊部隊です アナタが通報をくれた先生で間違いないですね?」

突如として飛来した3機のヘリコプター

そこから自衛隊のような緑色の重装備に身を包んだ兵士達

真反対に現場には似つかわしくない黒いスーツに身を包んだ男達が降りてきた

慣れた手つきでテントを組み立てあっという間に簡易的な基地が出来上がる

「それではまず生徒の検査から始めましょう その間に先生へ事情を説明します」

「待ってください、なんで宮内庁が出てきたんですか? 私が電話したのは警察ですよ」

「この事態を解決できるのは我々特殊部隊しかいないからです とにかくまずは検査して生徒の身の安全を守るのが一番でしょう」

「その検査は本当に安全なんですか? アナタ達の素性もわからず怪しいですし、唐突に訪れて強引に検査をさせろだなんて了承できません」

「いいから黙って従ってください 検査しない方がむしろ危険です アナタも研究者ならわかるでしょう? あのダイオウイカは異常だ、だからこうしてわざわざ宮内庁所属の私が来た いま見える全てが緊急事態を告げていますよね?」

「でもそんな」

「周囲からどう見られているか、一度冷静に考えてください 我々は皆様の安全を守りたい ところが先生はそれに反対 どちらが悪役か一目瞭然、生徒がどうなってもいいんですか?」

有無を言わさぬ圧に押し切られる このままごねても仕方ない

なによりも身体検査を許さなければ、事情の説明もされないだろう

半ば人質に取られた形で渋々許可せざるを得なかった


生徒がテントに消えていく 全員どうなるかわからない不安気な表情だ

「そんな睨まなくても大丈夫ですよ 軽く検査するだけです」

「本当ですか? 私はまだ信用出来ていませんが 万が一生徒に何かあったら許しませんからね」

「では信用してもらえるように事情をお話いたしましょう」

別なテントに誘われ、幕を閉ざされ隔離される

いまから話す内容は他言無用 重要機密だと暗に示された

何が飛び出してくるか身構えていれば

「河童を知ってますか?」

「……はい?」

「河童 カワタロ エンコウ ガワタロ ヒョウスベ メドチ スイジン スイコ ガラッパ それに川男 川赤子 カワウソ くびれ鬼 水辺に住むとされる妖怪達です」

「もちろん聞いた事はありますが、それが一体どう関係するんですか 今回は深海に住むダイオウイカの話でしょう!?」

「傷がありましたよね 体内から見つかった砲弾の他に、まるで銛が刺さったような傷跡が」

「確かにありましたが」

「それが証拠です 深海には高度な知性を持つ生命体が住んでいる何よりの証拠 一般には公にされていませんが、世界には古くから“水生人類”と呼ぶべき種族がいました」

「冗談はいい加減にしてください そんな嘘で誤魔化せると思っているんですか!?」

「いい加減にするのは先生の方です 深海生物の第一人者として研究を重ねてきたアナタなら、あのダイオウイカについた傷跡がどれほど特異かわかっているでしょう」

「あれはどこかにぶつけたからで」

「それなら砲弾が出てきたのは?たまたま出てきたと考えているなら随分とおめでたい いや、私が知らないだけで深海では当たり前なのかな?」

「だがしかし」

「生徒の安全を声高に叫んだのは異常性を理解しているからだ 何か面倒な物に関わってしまった、その対処がどうなるか想像もつかず、もしかすれば愛する生徒が危険な目に合うかもしれない だからアナタは必死に抵抗している 違いますか?」

「……生徒の安全は本当に保証されるんでしょうね?」

「絶対に保証します せめてその一点だけは、私達を信頼してください」

そう言われても無条件に頷けない

そんな判断が出来ない程に頭の中はぐちゃぐちゃで何も理解できず整理もつかず

もはや我々はまないたの鯉

現段階で確実なのは、目の前の男がコチラよりも多くの情報を持っているプロフェッショナルということだけだ

とりあえず今は全ての判断を後回しにぶん投げて、黙って身を任せ捌かれようと覚悟を決めた


「それで、その水生人類がどうしたんですか?」

「彼等の祖先は私達と全く一緒 いわばゾウとジュゴンの関係性にあたります」

「私としてはダンゴムシとダイオウグソクムシの方がわかりやすいですがね」

「知識のマウントはみっともないですよ とにかくごく一部の猿の仲間は段々と水生に適応していきました 現生の猿にも泳ぎが得意な種類はいますし、それこそ人間だって素潜り漁など行いますよね?」

「確かにクジラも一度陸上で進化した生物がもう一度海へ戻ることで誕生しました 泳ぎが得意な猿の仲間が同じように適応していく進化が行われた、信じられない話ですが理屈は理解できます」

「そうして誕生したのが水生人類です」

「随分と話が飛躍しましたね 猿は哺乳類で肺呼吸、ところが魚や水生生物は鰓呼吸を行います まさか進化の過程で鰓呼吸を手に入れたとでも言うんですか?」

「はい 私達の考えでは、まず最初に池や川など淡水に適応した猿が現れたと考えています」

「なるほど それがいわゆる河童だと」

「その祖先にあたります おそらくカバやカワウソのような生態で、陸上に住みつつ泳ぎが得意な猿といった種類でした そこからさらに水生へ適応した種類が生まれ、淡水から汽水域に範囲を広げつつ、やがて海へ進出」

「人間もホモサピエンスやネアンデルタール人、それ以外にも様々な種類がいましたからね そんな進化の過程で鰓など水中活動で有利になる物を獲得していったと」

「そして最終的に深海へ適応した種族は完全な鰓呼吸と圧力にも負けないゼラチン質の体を手に入れました」

「なんだかいまいちピンと来ないですね どの程度適応したんですか?」

「完璧にです 深海学者である先生が想像する機能を全て備えています」

そう言われて頭の中でなんとなくの姿を思い描く

まるで河童のような見た目をしていて、ゼラチン質で、鰓がついていて

「ならばその体は」

「巨大化しています おそらく平均身長三メートル程度かと」

「信じられません まさか深海巨大症が人類にも適応されるなんて」

「我々は淡水に適応した水生人類を“河童” 深海に適応した水生人類を“ワダツミ人”と呼んでいます ひとまずはこれで謎の1つが解明しましたね 巨大な砲弾と太い銛の傷跡はどうしてついたのか、深海に適応した人類のせいです」


津波のように襲いくる怒涛の情報にめまいがしてくる

とんでもなくぶっ飛んだ話だが、小癪な事に不思議と理屈が通っており、口から出まかせの嘘だとは思えない

しかも全てを話してはおらず、意図的にいくつかの真実を隠しているのが嫌らしい

簡単なヒントをわざと小出しにしてこちらの反応を伺っているサディスト野郎だ

腹正しいがこの話が本当だとすれば

「ワダツミ人は銃や銛を扱う頭脳と文明を持つと?」

「状況証拠的におそらくその通りかと」

「随分と歯切れの悪い答えですね 先程までの鋭い物言いはどこいったんですか」

「我々はワダツミ人と友好関係を築けていないのです」

「もっと真実を教えてくださいよ」

「どうして水生人類が公になっていないのか、それは我々にとって知られたくない歴史があるからです たとえば河童が住んでいる山を切り開いて高速道路を作ったり、海洋資源採掘によりワダツミ人が住む海域を汚したり」

「でもそれはアナタ達が隠すからですよね? そこに高い知性を持つ生命体が住んでいると公表すればそんな悲劇は防げたでしょう」

「知っていてなお強引に進めたプロジェクトもあります そこには日本以外の世界的な情勢や政治も関わっている非常に複雑な問題でして」

「……あぁそうか、深海に住んでいるなら国境なんて関係ない 生息範囲が各国の経済水域に被っていて当たり前でしょう」

「それだけじゃありません たとえばヴォジャノーイなんて知っていますか?」

「ロシアやウクライナなど東欧に伝わる水の精霊ですよね 日本における河童と同じような存在で――まさか」

「はい 河童と同じくその正体は水生人類だと考えられています」

「確かに人間も獲物を求めて移動したり、より暖かい場所を探して生息範囲を広げてきました 同じように水生人類も陸地を移動して世界各地へ進出したとすれば、日本以外に居てもおかしくはないのか」

「そうして彼等が生息地に選んだのは自然豊かな素晴らしい湖畔 人類も喉から手が出るほど欲しいですし、そのために彼等が邪魔だった」

「……その言い方ではまさか」

「生娘みたいな反応しないで現実を直視してくださいよ 賢い先生ならもう察しがついているでしょう? もともと人類との関りは薄く、その存在を知る者はごく一部でした つまりは虐殺しようとも誰にも知られず非難されない それよりも我々が豊かな暮らしを手に入れる方が大事だと そんな総意があったのです」

頭をぶん殴られたような衝撃が走る まだ水生人類の話は理解できた だからこそこんな唾棄すべき真実は理解できない、理解したくない

我々と祖先を同じくする兄弟を、虐殺して繁栄してきた? しかもそれを世界各国が手を取り合って隠蔽しているだなんてあまりにもおぞましい

まるで悪事の片棒を担がされたような行き場のない憤りで腸が煮えくり返る

「残念ながらこれが真実です 昨今は高速道路を通す予定地の山に絶滅危惧種の鳥が巣を作っただけで、その付近一帯が開発禁止区域に指定される それでも無理矢理強引に進めようとすれば非難殺到間違いなし そんな時代に実は水生人類を排除した歴史がありまして、なんて発表すればどうなるかわかりません」

「先程言った海洋資源採掘なんて即刻中止 動物愛護団体や人権団体が大騒ぎするでしょうね」

「それだけではありません 秘密を破ってしまった国は他国から総攻撃で袋叩きにされます たとえば日本が漏らしたとすれば、日本主導でやっていました!我々は関係ありません!そんなスケープゴートとして利用されてしまいます」

「だからアナタ達が来たんですね」

「その通りです 形式上は宮内庁所属ながら、余計な詮索を避けるためにそうなっているだけ 本当はどこにも存在しない謎の特殊部隊」

「カッコつけないでくださいよ そんなのただの卑劣な使いっ走りじゃないですか 今回みたいにワダツミ人の証拠が出てきたら、慌てて飛んできて権力で揉み消すのが仕事なんでしょう? 嫌に手慣れていると思ったらそういう事だったんですね」

「正しくその通り 理解が早くて助かりますね 河童を目撃してしまった 底引き網漁にワダツミ人が引っかかった そんな緊急事態に動くのが我々です せせこましい小悪党に見えるかもしれませんが、我々も難しい立場だということを、どうか理解していただきたい」

「……信じられませんが一旦飲みこみましょう だが今までの話が本当なら、もしかしてワダツミ人は人類を敵対視しているんですか?」

「わかりません なによりも生息域が深海のためコンタクトが取れず、最悪の事態を想定して動いていますが真実は誰にも」

「向こうからメッセージが届いたりはしないんですか? たとえば今回みたいにダイオウイカの体内に仕込んで浮かべたり」

「もしかすればあったかもしれませんが、我々はそれに気づけませんでした ワダツミ人が流暢に日本語を喋る可能性は限りなく低いでしょう?」

「確かに向こうは独自の進化を遂げたのですから、言語体系も独自になって然るべき 地上に住む人類だって英語・日本語・中国語と多言語になっていますし、コミュニケーションは難しいかもしれませんね」

「なのでどうにも断絶されている もしかすればもっと探れば答えが見つかるかもしれませんが、詳しい調査は上部から止められているのが実情でして 現場としては何もかも後手後手の対応でイライラしているんですがね」

「でもそれはワダツミ人との関係性 同じく陸上に住む河童とはどうなんです? 遠く離れた深海だからという言い訳は通じませんよ?」

「アッハッハッハ これは一本取られましたね それこそ有名な遠野には河童が数多く生息していますし、地元住民とも友好的な関係性を築いています しかしその住民はほぼ全てが後期高齢者 ハッキリと言えば寿命でもう動ける状態ではなく、友好関係が霧散していき」

「煙に巻こうとしないでください アナタ達がその高齢者の信頼を勝ち得て、河童と出会い、改めて友好関係を築けば解決した話でしょう 失敗したんですよね?」

「食らいついたら放しませんね 憎たらしいほど痛い所にお気づきになる 私達も河童との友好関係を結びに遠野へ向かいました 地元で長老と呼ばれるおじいちゃんと出会い、河童に会わせてもらえるよう交渉したんですが」

「交渉と思っている時点で絶対に駄目ですよ もしもアナタ達に河童の隠れ里を教えればどうなるか、私が長老だとしても死んでも教えません」

「正しく同じ事を言われました 儂が話したせいで河童達に危険が及ぶなら死んでも教えぬ 教えてしまえば末代の恥 安心して死ねぬわ、と」

「良い啖呵を切るおじいちゃんだ 顔も知りませんがアンタ達よりよっぽど気に入りましたよ」

「なので河童とも友好関係を築けておらず、我々は孤立無援なのです」

「だからカッコつけないでくださいよ それで私達はどうなるんですか?」

「まずなによりも、この事実は本当にごく一部の人しか知りません くれぐれも他に漏らさないようお願いします また今回の事件に関わる物は全て押収 ダイオウイカはもちろん、メモや写真なども含め文字通り全てです」

「貴重な検体をそんな勝手に」

「体内に撃ち込まれた砲弾は本物ですよ? もしも爆発すればアナタに責任が取れるんですか? 仕方ないですねぇ、そんなに欲しいならこれだけ置いていきますよ 私からのささやかなプレゼントです」

「しかしメモや写真までは」

「いきなり愚かになりましたね いままで何を聞いていたんですか 水生人類の存在を示す証拠は全世界のどこにもあってはいけないのです あぁそれともちろん生徒へ事情を話すのも禁止ですよ」

「じゃあこの異常事態をどう説明すればいいんですか? 砲弾も傷跡も生徒が見つけた物なんですよ!?」

「そこまでは私達の仕事じゃないので知りません 先生の腕の見せ所です ともかくこれは侵略だと考えてください 言語が通じるかもわからず、もしかすればコチラに敵意を持っているかもしれない高度な知的生命体からの恐ろしい侵略 愛する日本を守るためどうかご理解いただきたい」

「何を被害者ぶっているんです? 侵略しているのは我々人類の方じゃないですか 水生人類の立場から見れば、現状こそ謎の敵からの侵略だ」

「アッハッハッハ やはり先生は賢いですね よろしければ私達に協力してもらえませんか? 随分と前のめりに話を聞いてくれましたし、興味が湧いたんじゃないですか?」

ニンマリと冗談めいた口調で語りかけてきた

心の奥底を見透かすようにジットリと湿った目線で嬲られる

このままでは悪魔の誘いに乗ってしまいそうだ

1人の研究者として、深海生物が好きな人間として、水生人類に興味が無いなんて嘘になる

見透かされている通りここまでの話で充分興味をそそられたし、さらなる真実を知りたくてたまらない

たとえ姑息な犯罪者になろうとも、それで第一線に潜り込めるなら良いのでは?

混乱する思考が取り返しのつかない深淵へ引きずり込まれる感覚がした

「断固としてお断りさせていただきます」

鎌首をもたげた好奇心を必死に押し殺し心の奥底に沈め、息も絶え絶えで否を絞り出す

「そうですか 非常に残念です」

言葉と裏腹に随分と楽しそうな声色だ

私の葛藤を味わうようにサディスティックな笑みを浮かべていやがる

得体の知れない化物の感情が、ようやく初めて見えた気がした


蓋を開けてみればなんとも醜くおぞましい顛末のお話

不安で怯えていた自分を腹立たしく思う程、汚らしく身勝手な真実である

我々人類には水に適応した兄弟がいた それを排斥し隠蔽して傲慢に進んだ上に立っている

そんな歴史を知りたくはなかった

まだ理解が追いつかず呆然と立ち尽くす目の前で、ガスマスクを装着した男達が淡々とダイオウイカを運んでいく

程よいサイズに解体したからさぞ運びやすいだろうさね

押収が終わればテントも片付けてあっという間にヘリは飛び立った

こちらには終わりましたの一言も無し

後には何も残らず来訪者なんていなかったかのよう

気が付けばいつも通りの日常に戻っていた

「先生 いったいなんだったんです、コレ?」

「……全く分からない 事情を話すと言われたが、明確な説明が何も無かった ただ権力をちらつかせて圧をかけられただけだ」

逡巡したが生徒には真実を伝えないと決めた 

嘘をつくのも優しさだ こんな真実を教えても重荷にしかならないだろう

「なんですかそれ 気持ち悪くて釈然としないですね 僕達何に巻き込まれたんでしょう」

「あくまでも想像だが、トロフィーハンティングだったんじゃないか?」

「トロフィーハンティング?ライオンやヘラジカなど、美術品として野生動物を狩る行為ですよね 日本では馴染みが薄いですが、外国ではスポーツとして人気があるとか」

「まさか先生 イカれた誰かがダイオウイカを狙ったと?」

「もしかすればの仮定の話さ 普通の生物には使えない大きな銛を撃ち込んだり、戦争でないと許されない威力の砲弾をぶっ放したり そういった行為で快楽を覚える残虐な人種がいるのかもしれない」

「でもダイオウイカなんて滅多に見つかりませんが」

「だからこそだよ 考えたくもないが普段は大型の別な種類、たとえばクジラなんかがターゲット しかしたまたま浮上していたダイオウイカを見つけてしまった」

「なるほど 普段とは違うレア物に色めき立ち、興奮して襲った可能性はありますね」

「でもトロフィーハンティングなら戦利品は持ち帰るんじゃ」

「クジラとは違いダイオウイカには便利に動く腕がある どうやって運ぼうとしたが不明だが、例えば牽引して運ぶために撃ち込んだ銛を自力で外した そもそも弾力のある体で思ったように刺さらなかった もう既に証拠の検体が無いから確かめようがないが、とにかく予想外のハプニングが起こってしまった」

「だいぶ無茶苦茶言ってますよ先生」

「仕方ないじゃないか、確たる証拠が何も無いんだから そうしてなんだかんだと手間取っているうちに時間切れ 朝一の漁で船が出る時間となり、見つからないようにとりあえず逃げた その結果傷だらけのダイオウイカが残されたと 私の推理はこれでQ.E.D,」

「じゃあさっきのヘリコプターの人達は」

「違法な武器でトロフィーハンティングを行える金持ちだ 国に圧力とコネがあってもおかしくない だから何も説明されず、権力をちらつかせて黙らせようとしたんじゃないか? あっ!あとこの話は他に漏らすんじゃないと口止めされたな」

「誰に話しても信じませんよこんな変な話」

「そういえば私達の検査も変でしたね」

「そうだ!それが聞きたかったんだ!どんな身体検査をされた?もちろん痛みは無かったよな!?」

「落ち着いてくださいよ先生 なんだかコロナの検査みたいに、鼻に綿棒突っ込まれて粘膜を採取されました それ以外は簡単な問診と、聴診器を当てられただけです」

「採血や怪しい薬の注入は無かったな?全員体調に異常は無いか?変な光を見せられて記憶が消えたりもしてないな?」

「それはSF映画の見過ぎです ともかく僕達は大丈夫ですよ」

「よかったぁ それだけが心配だったんだ」

大袈裟に胸を撫でおろす真実半分演技半分

とにかくもう厄介事は終わったんだ、大丈夫だからと見せつける

とにかく生徒には余計な情報を開示せず、これ以上厄介な重荷を背負わせない

こんな悪夢に苦しんで悶えるのは私1人で充分だ




「ですから日本近海には豊富な種類の深海生物が住んでおり、素晴らしい生態系が広がっているのです」

ダイオウイカ事件から2ヶ月後 私は岩手の盛岡に来ていた

あれからもまるで触手のように、忌まわしく苦い記憶が絡みつく

生徒に嘘をついた罪悪感 厄介事に巻き込んだ申し訳なさ

水生人類を知った高鳴りと、それを排斥した人類の醜さ

なによりも特殊部隊を名乗る連中と縁を切りたい嫌悪感

私達に協力してもらえませんか?と試された瞬間に疼いた研究者としての知的好奇心

相反する気持ちに揺さぶられ、だからこそそれを振りほどくように仕事へ打ち込んだ

今回盛岡にやってきたのもシンポジウムに呼ばれたからだ

岩手県沖の研究者や、付近の水族館に努める飼育員など同業者に向けて深海生物の講義を行う

普段生徒へ教えるのとはまた違う緊張感が心地よい

熱弁を振るい有意義な議論を交わし幸福な時間へ存分に浸る

「大変名残惜しいですが、終了時刻となりましたのでここまでとさせていただきます ご清聴ありがとうございました」

暖かい拍手に包まれ降壇する

その姿はさながらまるで名俳優

勘違いしてしまうほど気持ち良く酔っていた

袖に待つスタッフも満面の笑みで迎えてくれる

「いや~先生!ありがとうございました! この後どうされますか?もしホテルへ向かうならタクシー呼びますが」

「折角だし他の方の講義を聞くよ 席は空いてるかい?」

「もちろん準備していますとも 少し後ろの席になりますがよろしいですか?」

「大丈夫だよ 何から何までありがとね」

「わざわざ岩手まで来てくださったんですから当たり前です また何かありましたらいつでもお呼びください」

「それじゃあお手洗いの場所を聞いてもいいかな?」

「それでしたら扉を出て左の突き当りです」

心地よい疲れを感じながら千鳥足でトイレへ向かう

客もいない貸し切り状態 タイル張りの冷えた空気が心地よい

熱くなった頭を冷ますように、ゆっくりと小便器へ熱を放つ

するとガチャリと扉が開き一人の男が入ってきた

特に気にせず続けていれば

「コチラを見ないで聞いてください、長老の指示でここに来ました」

「一体誰だい?」

「水生人類 河童 特殊部隊 ここら辺の言葉で閃きますか?」

その瞬間脳と意識がハッキリと醒めた

まさかこの場所でその言葉を聞くなんて

思わず男を見ようとしたがギリギリで堪える

「私達は河童と友好関係を結んでいる一族です 簡単に言えば国賊ですかね」

「そんな人達がどうして私に」

「一族の長 長老が呼んでいます 明日遠野市へお越しください」

一瞬で記憶がフラッシュバックする 確か特殊部隊に一喝して啖呵を切った傑物だ

もちろん盛岡へ呼ばれた時にその名前が脳裏をよぎったが、関係ないと片隅にしまい込んで忘れていた

「どうしますか? 別に断っていただいても構いませんが」

「いえ ぜび行かせていただきます 行かせてください!」

突然の事に戸惑うが願ってもいない申し出に胸が高鳴る

特殊部隊の奴等とは違う角度で水生人類の生態に迫れるなんて乗るしかない

「我々も先生も常に監視されています そのため私個人としては、こうして接触するのは危険が大きいと反対しました しかし長老はそれでも真実を伝えたいと叫んでいます」

「……驚いたな、監視されてると知ったくらいじゃそこまで驚けないや でもそんな危険を冒してまで一体何を」

「真意は長老のみぞ知る それでは遠野でお待ちしております」


その後は何も手につかず、頭の中は河童でいっぱい

貴重なディスカッションや名刺交換も上の空

リアス式海岸の生態系や岩手~宮城で見つかる魚竜化石の話も面白いが、それよりも河童について聞きたくてたまらない

「はぁ 河童か」

「ん?どうしました先生? 河童?」

「あぁいえ何でもありません」

頭の中がいっぱいすぎて思わず河童が溢れ出す 周囲に聞かれてちょっと恥ずかしい

耳が熱いな、顔真っ赤になってるんだろうな、そういえば遠野の河童は赤いんだっけか

「河童と言えば岩手には海河童っていますよね」

「……海河童?」

「そのまんま海にいる河童ですよ ウミワラシなんても呼ばれますね」

間違いなくワダツミ人だ 思わぬところで転がり出てきた情報に興奮してきた

なんだか盛り上がっていると他の人も続々と集まりいつの間にか河童談議が狼煙をあげる

「ほら静岡にもいるじゃない、漁師を助ける波小僧だっけ?」

「でもウミワラシが人間助けた話なんてねぇべさ」

「そもそもアイツらは河童か? むしろ襲われた話なら聞いた事あるけどな」

「いやいや河童は山に入ってヤマワラシとなる 海に入る時もあるだろう」

予想以上に白熱しすぎて一言も挟めない

こうなったらもう一切黙って利き手役に徹し議論の行方を密かに見守る

「でも誰に聞いてもウミワラシは危険だと言うよな」

「だから海の恐ろしさを擬人化した存在なんだろ 河童だってそういった側面があるじゃないか」

「まぁ勝手に同一視された可能性はあるかも 他の地域で語られる怖い妖怪の話が、岩手に伝わった際ウミワラシへまとめられたとか」

「危険だと聞くだけでどうにも具体的な目撃例が無いですよね どっかの誰かの創作なんじゃないですか?」

「なんせ妖怪が住む岩手県だしな 海にも河童が住んでいる!!なんて嘘ついてでも鳥取の米子と張り合っていかねば」

「そういや米子と言えばイカだべな アオリイカ釣ってその場でグイっと」

「わざわざ鳥取さイカ食べに行くなら函館港に北上の方が」

いつの間にか河童からイカへ舵が切られた

岩手県を出港し無秩序に日本を周っている

結局めぼしい情報は何も得られず真偽も怪しい

やはり遠野に行かなければ明確な答えは手に入らないのか

疼く興味はもう止められず心はすでに旅立っていた


翌朝一番の電車に飛び乗り遠野市へ去り行く風景を眺めながらふと気づく

この後どうなるか一切わからないな

とりあえず遠野に行けばどうにかなるでしょ!なんて思いで来てしまったが確証は何もなく

もしかすれば全てが罠で自ら断頭台へ登っているのかも?

だがしかし全てが本当ならば

わざわざ危険を冒して接触し、遠野まで呼びつけた狙いは何だ?

場合によってはとんでもない秘密を知れるんじゃないか?

そんな捕らぬ狸の皮算用でワクワクしながら約1時間半 緩々と揺られて遠野駅までやってきた

「……やっぱ誰もいないか」

空港の出迎えのように誰かが待っていて、長老の元へ案内してくれるのでは?なんて淡い期待は粉微塵に打ち砕かれた

まぁいいや、普通に観光していれば向こうが勝手に見つけてくれるだろう

というわけでまずは地元の博物館へ足を運んだ


「いらっしゃいませ 遠野博物館にようこそ」

「すみません、大人一枚お願いします」

「700円になります これ1枚で企画展と常設展どちらも見れますので紛失しないようにお気を付けください」

「ありがとうございます」

「……あのぅ、唐突にすみません もしかして大学の先生だったりしますか?」

「えっ!? いやはい、確かに大学の先生をしている者ですが、もしかしてどこかでお会いしましたか? それか著書を読んでいたたいだとか」

「あぁ全然そうじゃないし初めましてなんですが、ほらコレ、ここにチラッと顔写真載ってて」

なにやらゴソゴソと引き出しをまさぐり、受付のお姉さんが取り出したのは昨日のシンポジウムのチラシだった

言われてみれば確かに小さく自分の顔が載っている

「折角盛岡でこういうイベントを開催するってことで、もし興味あれば参加しませんか~?ってお誘いが来たんですよ ほらウチも小さいながら博物館ではありますから」

「なるほど! 同業者向けのフライヤーですか」

「そうですそうです それでなんとなく覚えていてもしかしたら~なんて思いまして にしても突然声かけちゃってすみませんねぇ、わざわざ遠野まで来られたんですか?」

「えぇ 折角なので観光がてら足を延ばして」

「あら嬉しい それなら美味しいジンギスカン屋さんを紹介しますんで、帰りにまた声かけてくださいね」

「ありがとうございます!」


綺麗なお姉さんに見送られながら入館 ほとんど貸切の静かなフロアをゆったりと回る

やはり遠野ということで、妖怪や風俗史の展示が手厚い

それ以外にも鉱物や化石などツボを押さえた玄人志向の渋いラインナップばかり

正直子供やカップルには全然刺さらず地味だろうが、個人的には大満足

昔ながらの素晴らしい博物館を心行くまで満喫できた

ホクホクした顔で受付に戻れば先程のお姉さんが待っている

「随分じっくりと見ていただきありがとうございます 何か気になる物でもありましたか?」

「やはり河童の資料群ですね 流石本場の遠野市 江戸時代の出没記録や詳細な絵図まで残っているとは」

「いわゆるオーソドックスな河童の原型を作ったのがここですから 逆に言えばキュウリが好きだ~なんて描写は一切無くて、おそらく後付けでつけられた設定らしいんです」

「そういった歴史も描かれていましたね 相撲好きの設定になったのは、遊び好きの獺と混同されたせいでは? 大型の魚が勢いよく捕食する光景から“河童は水中に引きずり込む妖怪”という設定がうまれ、もしかすれば江戸時代頃から既にハイギョやカミツキガメが日本に住みついていた可能性が? なんてここら辺のちょっと眉唾物な話は大好物ですよ」

「そんな細部まで見ていただきありがとうございます ではお腹、空いてきちゃいました?」

「もうペコペコです!」

「実はここのすぐ近くに地元民しか行かない老舗のジンギスカン屋がありましてね 観光客にはほとんど教えませんし、実は看板も無いので見てもわからず」

「そんな隠れた名店が!」

「テレビの取材とか全部断るご主人なんですよ なんというかいわゆる東北の頑固おやじ~って感じの気難しい人なんですが、だからこそ肉や野菜の目利きが抜群で」

「聞いてるだけでもうたまりません」

「博物館を出たら左に曲がっていただいて、そのまま直進すると信号が見えます そこの右手に大きな蔵のある民家がありますので、そこへ入っていただければ」

「見た目は完全に普通の家なんですね」

「小さな表札にちゃっかり“迷い家”と書いてありまして、それが店名と看板代わり なんかごちゃごちゃ言われたら、博物館の受付に案内されました!!って言っちゃってください」

「ふふっ わかりました 何から何まで丁寧にありがとうございます」


遠野市の街並みを眺めながらブラブラと歩く

そういえば長老に会いに来たことをすっかりと忘れていた

正体不明の謎の水生人類について知りたくてたまらないが、とりあえず今は明確に美味しいジンギスカンが食べたいな

指示された通りに進めばすぐに蔵のある民家へ辿り着いた

本当にここでいいのか不安だが、表札には確かに迷い家と書いてある

どう見ても普通の玄関を開けばそこには

「いらっしゃい」

気難しそうな大将が立つ台所とカウンター

まるで都会のオシャレな和風料亭が広がっていた

見た目と中身のあまりの落差に軽くめまい 本当に迷い家へ迷い込んだ気分だ

「あのぅ、ここがジンギスカン屋だと聞いたんですが」

「待ってたよ」

「……待ってた?」

「いいからさっさと2階にあがりな あぁ酒は何がいい?地酒でもビールでも何でもあるぞ」

「うーんと、じゃあオススメの地酒で 辛口がいいです」

とりあえず促されるままに階段へ向かう

既に煙の良い匂いが立ち込めており、一段上がるごとにその匂いが強まっていく

それと同時に期待と不安もどんどん強まる 待っていた?誰が?なんで?どうして?

逡巡しながらも登り切ればそこは一面の畳

宴会用の広い座敷となっており、その中央におじいちゃんが座っていた

「おぅ来たか先生!いまちょうど焼けたからさっさと座りな 遠野の肉は絶品だぞ?」

「初めまして、すみませんがアナタは」

「長老だ 少なくとも周りからはそう呼ばれている」


しわくちゃで白髪の小柄な体躯 しかし眼光は鋭く油断ならない雰囲気を醸し出している

おずおずと対面に腰を下ろし、どの疑問から口にだそうか悩んでいれば

「そんな緊張するなよ先生 とりあえず食ってから話そうや」

「……ではありがたくいただきます」

確かにもう我慢が出来ない

目の前でジュウジュウと焼かれる肉群を前に食欲がとめどなく悲鳴をあげる

程よい塩梅のラム肉をタレにくぐらせ口に放り込めば

「美味しっ!!!」

衝撃的な旨味が口の中で爆発した

ラムと言えば臭くて硬いイメージだったが根底から覆される

解けるような食感と嫌味のない風味 それでいてニンニクが効いた甘辛いタレが相性抜群で箸が止まらない

さらにその脂を吸い込んで焼かれた野菜も美味しく癖になる

そして憎らしい事に店主オススメの辛口日本酒も最高だ

口に残るギトギト感を綺麗さっぱり洗い流してくれるため呑む!食う!!吞む!!!食う!!!!この一連の動作がどんどん加速して止まらなくなる

「少しだけ残しておきなよ先生 次はまた違う部位が来て食べ比べするからさ」

「信じられません こんだけ味わっておきながらまだ魅力が隠れているなんて」

「存分に気に入ってくれたようで何よりだ しかしいいのかい?こんな得体の知れないジジイの焼いた肉を貪り喰って 毒でも入ってたらどうするよ」

「構いません これで死んでも閻魔に自慢できますから 滔々とこの美味しさを語ってやりますよ」

「気に入った!! おい大将、鹿肉も出してやれ この先生は食わせがいがある」


それから何分経っただろう 体感10分、おそらく実際1時間半 もしかすればそれ以上

文字通り腹一杯存分に食べた 気持ち良く酔いも回りいっそこのまま寝てしまいたい

「おういいぞ 好きに寝ちまえよ」

「え?なんで私の考えがわかるんですか?」

「全部口に出てるからだよ それに寝てくれた方がコッチも助かるしな」

「一体どういう」

「呂律も頭も回ってねぇな とにかく睡魔に負けちまえ」

瞼が重く抗えない 聞かなければならない話があって こんな所で寝落ちしていい訳が無くて

そんな気持ちと裏腹に意識はドスンと暗転した

「はっ!?一体私は何を!?」

叫んで跳び起きれば見知らぬ天井

確かジンギスカン屋で幸せな気持ちに浸って眠ってそれからどうなった?

周囲を見渡せば畳 テレビ 絵画 ふすま 見覚えのない情報が飛び込んでくる

どうやらここは旅館の一室 窓から見える空はもう真っ暗

自分の体を触って確かめれば服も持ち物も全て揃っている

まるで夢のように現実味が無いが、呑み過ぎた頭痛とはちきれんばかりの満腹感が明確に苛み現実と叫ぶ

「落ち着け一旦冷静に考えようここはどこだどうしてここにいる?間違いなく長老のせいだスマホ!スマホ見れば現在地わかるじゃん!」

慌てふためきながらスマホを取りだす

現在時刻19:13と無情な現実を突きつけられて心が折れかけるがどうにかなけなしの勇気を振り絞り地図アプリをタップした

「……遠野の隠れ宿 河鹿屋??」

現在地の青いピンは市街地から遠く離れた山奥を刺し示す

公式サイトに飛べば“河童が湯治で使った秘湯”なんて文字が躍っていた

「よし とりあえずはまだ遠野市内 どこかの秘密基地に誘拐された!なんて展開でもないな よし、よしよし なんだか安心してきたぞ」

自分自身を鼓舞するようにポジティブな考えを言い聞かせる

では黒幕に会いに行こう 顔を叩いて引き締めてポーカーフェイスを無理矢理形成

ここまで予測していましたけど、何か? あぁ別に驚いていませんけど?

そんなカッコつけた気持ちで向かわなければ恥ずかしい 既に充分醜態を晒した気がするが気のせいだ

「失礼します 起きられましたか?」

「うわぁっ!? えっ、はい!!起きてます!!誰ですか!!」

「まぁ元気でよろしいこと 河鹿屋の女将でございます」

「あぁ うん はい 河鹿屋ね そこまではわかっていますとも」

「いじらしい御方ですわね ひとまず先に温泉入ってサッパリしませんか?」

「……温泉?」

「どうせ長老にいろいろ無茶苦茶されたんでしょう 酔い覚ましも兼ねてウチの秘湯に浸かりなさいな」


「あぁ~ 気持ち良い~」

思わず溶けるような嬌声が漏れる 粘性の高いお湯が体全体を包み、疲労感が全て祓われて心地よい

しかもここは露天風呂 冷たい風が顔を撫で、見上げれば満点の星空が広がっている

パニック状態の思考もこれにてようやく落ち着いた

だからこそ恐ろしい問題に気づいてしまう

「こりゃあ絶ッッ対に高級旅館だな!!考えたくないが一泊何万するんだろう!! そういやジンギスカン屋の会計はどうなった?あそこもべらぼうに高いだろうし、値段見ずに食べ進めたからとんでもない事になってそうだなぁ!!」

肝が冷えるがもはや手遅れ 既に存分に味わってしまったのだから仕方ない

これぞ正しく美人局ならぬ美味局(ビミモタセ) そんなくだらない駄洒落が浮かんできたならもう大丈夫だ

のぼせる前に退散しようと脱衣所に戻れば、ちょうど他の客が服を脱いでいた

失礼ながら思わず頭に注目してしまう

見事に煌々と輝く禿頭

そして何よりも奇妙なことに、指には立派な水搔きが見えた気がした


「どうだった先生 遠野は良い所だろう?」

「聞きたい事も言いたい事も山ほどありますが、食事も温泉も素晴らしかったです」

部屋に戻れば長老が身勝手にくつろいでいた

まるで自分の家のようにテレビをつけてボリボリと煎餅を齧っている

「それじゃあ1つずつ話していこうか 先生、まず何から聞きたい?」

「う~ん、じゃあまずは私が特殊部隊とひと悶着あった事をどうして知ったんですか」

「どこにも所属していないヘリが緊急発進したら嫌でも目立つ 後はまぁ優秀な情報網があるからな」

「なんか含みのある言い方ですね アナタは日本中を監視していると?」

「流石に日本全土は無理だ 東北を中心に関係のありそうな場所だけだよ」

「というかアナタも特殊部隊とひと悶着ありましたよね? 啖呵切ったって聞きましたが」

「あいつらはどうにも好かん 自分達が全てを知っているように振る舞うし、どことなく河童を下に見ている」

「日本を守るため~とか言っていましたが、果たして真相はどうなのか 何するかわからないし信用できません」

「そもそもあんなチンケな部隊より我々一族の方が歴史も古く一流だ 儂等のネットワークや技術をどうにかして手に入れたいようだが絶対に無理だな」

「私もあの人達は嫌いです とはいえ私をどうやってここまで連れてきたんですか? 今日一日の流れを教えてくださいよ」

「まず遠野に入った時点で全て監視していたぜ どうやって誘導しようか悩んでいたら、自ら博物館に行ってくれて助かった」

「そうですその後のジンギスカン屋ですよ 睡眠薬でも盛ったんですか?」

「いや、勝手に先生が潰れたんだ 良い酒まるまる一升瓶を空にして、貴重な肉を1人で7人前くらい平らげて 可哀想に大将泣いてたぞ?」

「その節は誠にすみませんでした!! ちなみにお会計は……?」

「仕方ないから儂の奢りだよ」

「ありがとうございます!!!!」

「まぁ寝てもらった方が楽だったからな 儂も先生も監視されているが、今だけは多少見失っている」

「どういうことですか?」

「先生はジンギスカン屋に入ったっきり出てきていない どこかへ消えて行方知れずだ」

「いきなり目覚めたら旅館で私も驚きましたよ」

「あのジンギスカン屋は肉屋も兼業していてな ここらの旅館にラム肉を卸しているんだわ だからその宅配トラックに寝ている先生を隠して遠野をウロチョロと運び周り、どこで降ろしたかわからないようにした」

「でもそんなのすぐにバレるんじゃ」

「だろうな 儂がここに来た時点でバレるだろう でもだからこそ、それでいい」

「もしや真の目的があるんですか?」

「そう拗ねるな もちろん先生と会うのも重要な目的さ ただ今宵は河童にとって重要な日でな 特殊部隊共の目を惹きつける囮が欲しかった」

「重要な日って、それは一体?」

「法事だよ ここら一帯を仕切っていた大親分が5年前に亡くなってな だから毎年この日になると多くの河童が集まってくるんだ」

「それならどうしても目立ちますね」

「しかも5年も続けばな ある程度の事情はバレてるだろうがそれでも注力させたくない 一網打尽にする計画なんて立てられちゃたまったもんじゃねぇからな」

「普段はどこかに隠れて行方の掴めない河童達の大集会、場合によっては絶妙な好機かもしれませんね」

「そんな時に長老と先生の会談が発生すればどうなるよ 河童の法事と長老の会談、同時に起これば慌てるだろう?」

「少なくとも嫌がらせにはなりますね」

「そういうことだ ついでに先生へ忠告もしたかったしな」

「と、言いますと?」

「河童も一枚岩じゃない 友好的な者もいれば反抗的な危険分子もいる あまり深入りするんじゃねぇよ?」

いやいやアナタが引きずり込んだんじゃないですか!

そんな言葉をグッと飲み込む

なんというか図太く強かな老人だ 敵に回したらさぞめんどくさいだろうなぁ

「失礼な事考えてるだろ先生」

「いえいえそんな訳ないじゃないですか それよりも河童って結局なんなんですか?」

「ややこしい話だが、水生人類の“河童”と、妖怪としての“河童”は別物なんだわ」

「と、いいますと?」

「水生人類としての河童を隠すために、儂等が作り出したのが妖怪としての河童 その実態は全く違う」

「アナタ達も存在を隠そうとしたんですね」

「それは彼等が望んだことだ 人間と関わる事を恐れ、ひっそりとした静かな暮らしを求めてきた だから我々は適度に真実味を帯びた“河童”という妖怪を流布したのさ」

「なるほど 隠れ蓑として架空の存在を作り上げた」

「誰かが河童を見た!なんて騒いでも、そんな妖怪いるわけないだろ馬鹿だなお前 これでお終いだ」

「じゃあその正体は?」

「人間とそこまで変わりゃしないよ 見た目も一部を除いてほとんど一緒だ」

「いわゆるお皿とか甲羅とか」

「そんなもんはついちゃいない 単純に全員禿げてんだ アザラシみたいに流線形で泳ぎやすいらしい」

「なるほど、水中に適応するためにそうなったんですね カワウソみたいに乾きやすい剛毛ではなく、体毛が薄い人類なら無くしてしまった方が良かったのかな」

「それでいて狩りのスタイルは水死体だ 川面にプカプカ浮かぶんだよ」

「いわゆる箱メガネ漁みたいな感じですか?」

「そうそう、大体そんな感じだ 黙って浮かんでじっと待ち、獲物を見つけたら鷲掴み」

「クロコサギという鳥も似たような狩りをしますね 羽で囲って日陰を作ることで、魚を誘いこみパックリと」

「流石先生博識だな そんな賢い先生なら、ここまでの話でなんとなく真相が見えてこないか?」

いきなりクイズを投げられる

ニヤニヤとした長老の顔 こりゃあ明らかにろくでもない答えだろう

いままで聞いた河童の姿を遠野の山奥に配置してみれば

「……もしかして水面に浮かぶ禿げ頭から、お皿を連想したとか言いませんよね?」

「アッハッハッハハッハ大正解 頓珍漢な妖怪を作るよりも、見た目を大袈裟に誇張して妖怪の姿にしたらしいんだわ だから遠野の河童は赤いだろう?」

「人間と同じ肌色の皮膚だから、誇張して赤色にしたってことですか?じゃあ甲羅の元ネタは?」

「浮袋兼リュックサックだよ 捕まえた獲物を入れるんだ カエルの皮をなめして繋げて作る伝統工芸品で防水性に優れ、頑丈で使いやすいんだと」

「……なんか拍子抜けしちゃいましたね 人を食べる!とか見たら呪われる!みたいにもっとおどろおどろしい妖怪にした方が良かったんじゃ」

「そんな恐ろしい妖怪なら倒してやる!なんて馬鹿が出てくるのを防ぐためさ なんだか無害でのほほんとした不思議な妖怪に留めておけば、別にみんな放っておくだろう?」

「でも全国の河童って結構凶暴というか、人を襲いませんか?」

「本家とパロディの違いだな こんなメジャーになるとは思わず、遠野だけに住む不思議な妖怪として作ったはずが、いつの間にか全国へ広まってしまった その際にいろんな土着の妖怪や言い伝えを吸収してより化物化していったのさ」

「あぁ、信念を持って作られた名店の料理が、後追いの店にインスパイア系だと名乗られてガサツな味に変わるやつ」

「それに加えて全国に居る儂等みてぇな河童と友好関係を築いている一族が、これ幸いと利用して広めたんだろうさ」

「抜群に良くできた隠れ蓑ですもんね みんな欲しくてたまらなくなる」

「なんだかんだどこも四苦八苦して守ってるのよ この旅館だってそうさ もともと河童が愛する大事な秘湯だった ところがバブルの時にスキー場だかゴルフ場だかにしたいと狙われちまってな」

「うわっ、東北だとたまによく聞く話ですね」

「もちろんここら一帯の土地は儂等が持ってるし売る気は無かった だが執拗に狙われるし面倒だ というわけでいっそのこと、この旅館を建ててしまったというわけさ」

「謳い文句の河童の秘湯はそのままホントの真実だったんですね」

「なんならいまでも河童は来てるぞ むしろ使いやすくなって感謝されてる」

「はぁ 人間と河童の混浴ですか」

「見た目はほとんど変わらないからな 禿げ頭だしよく見ればわかるがそこまでマジマジと見ないだろう」

「ちなみにどこを見ればわかるんです?」

「よく見ると手に水搔きがついている」

やっぱりか なんとなくそんな気はしていた

河童は禿げ頭だと聞いた瞬間に、先程脱衣所で出くわした男が思い浮かんだのだ

水搔きが見えたのは見間違いじゃなかったのか

「まぁ話せる内容はザっとこんなもんだ どうだ?満足か?」

「大満足ですよ いろいろと話していただきありがとうございます 一端に過ぎないでしょうが繊細な真実を知れました」

「見ての通り儂も年だ それに世界はどんどんと進化し、何がどうなるかわかりゃしない もしかすれば先生に助けを求める事があるかもしれんが、その時はどうかよろしくな」

「わかりました もちろんそうなれば喜んで協力させていただきましょう また使いの人を送ってくださいね」

「あぁそういえばその使いの男、シンポジウム会場に行かせた奴 それの奥さんが博物館の受付だ」

「……はぁ!?あの2人が夫婦!?」

「どちらも先生を誘導したんだからそりゃあ知り合いの関係者だろう」

「いやいや確かにそうですけど」

「こんな田舎で、しかも裏事情を知っている人間なんてほんの一握りだから自然と結ばれるのさ」

「今日聞いた情報で一番驚きましたよ」




夢のように楽しかった遠野旅行から2週間後

微睡むようにまだ余韻から覚めずボンヤリとしているが、それでも現実は絶え間なく襲い来る

どうにかいつもの日常へ戻ろうと足掻く私を馬鹿にするように、非日常の使者は突然訪れた

「クジラが迷い込んでもう瀕死?」

この前ダイオウイカが漂着した小名浜港に今度はクジラがやってきたのだ

可哀想だが迷い込んだ個体は大抵動けなくなり衰弱死する

今回のクジラも既に元気が無く見るからに瀕死の状態らしい

こうなると県の指示や鯨類を専門に研究する団体が関わってくるため非常にややこしく、とりあえず方向性が決まるまでの間、緊急の現場責任者になってくれとSOSが届いた

他の誰からでもない、小名浜港の漁師からである


いつもお世話になっている漁港のピンチなら黙っちゃいられぬと急行してみれば、そこにはウジャウジャと小魚の如きマスコミの群れ

ダイオウイカならサッと引き揚げて隠して黙れば誤魔化せたが、大きなクジラはそうともいかず 未だに湾内に浮かんでいる

そんな極上の撒き餌へあっという間に群がってきやがり邪魔くさくて仕方ない

挙句の果てには近づいて写真撮りたいんで船出してくださいよ~なんて阿呆まで現れほとほと困り果てていたというのだ

仕方ないのでマスコミ共を一括で集め、邪魔にならない場所で簡単な講義を行う

遺体の処理方法はいくつかあり

大阪湾に迷い込んだクジラは埋没して肉などを自然分解した後に掘りだして骨格標本にする予定だとか

そのため我々の身勝手な判断では決められず現在審議中のため何も言えないとか

クジラの体内に溜まったガスが破裂する場合もあるので一般人が近くに寄るのは危険だとか

とにかく専門知識をベラベラと並べたてて威圧する

重要なのは時間稼ぎだ こいつらが諦めて帰ってくれればそれでいい

「であるから深海というのは特異な環境ながらそれに適応した生物が多数存在し、我々の想像を超えた深遠な世界が広がっていまして その様子からパンドラの箱とも呼ばれています」

いつの間にかクジラから深海生物の話に切り替わってしまった

ほとんどの記者は帰ったが、目を輝かせて熱心に聞き入る者が数人いるため思わずこちらも熱が入る

ええぃ、プロジェクターやホワイトボードはないのか!?

口頭で説明するのは限界だ、とりあえずお前ら私の講義を受けに来い!!

後はもういっそ著書を買え!! 頼まれれば新聞のコラムも書いてやろう!!

もはや生徒に対する愛情を抱いて教鞭を執れば、おずおずと漁業組合の組合長が現れた

どうやら御役御免らしい 少しだけ、ほんの少しだけ名残惜しいな


「いや~先生!急なお願いにもかかわらず、来てくださってありがとうございます!本当に助かりました!」

「いえいえいつもお世話になってますからこれくらいは」

「いま県からもやっと指示が来ましてね、処理班が来てくれるそうですよ」

「ちなみに具体的にはどのような処理を?」

「貴重な検体として解体する方向で考えているそうで――あれ?それなら先生に一言あるはずですよね?」

「いやまぁ研究者はいくらでもいますし、もしかすれば大学に要請が来ているのかも とにかく解決してよかったですね」

一安心だというようにはにかんでみせたが、なんとなく不穏な胸騒ぎがする

この近辺で大型海洋哺乳類の解体をするなら間違いなく私に一声かかるだろう

ということはそれ以外の、たとえば県よりも権力を持った偉い組織から何かしらの圧力がかかった

つまりはダイオウイカ事件をふまえて念のため特殊部隊が動いたのでは?

どうにも嫌な憶測ばかり膨らんでしまう とりあえず大学へ戻ろう

万が一特殊部隊と顔を合わせればそれこそ面倒だ

組合長に別れを告げて愛車に戻れば

見知らぬ禿げ頭が待ち受けていた


「こんにちわ先生 はぢめまして」

「……もしかしなくても河童かい?」

答えの代わりに手が振られる

そこにはハッキリと水搔きがついていた

少々鼻詰まり気味の声だがそこまで違和感はないし、確かに見た目は全く一緒である

「どうやら私は監視されているらしいんだ こんな堂々と接触してきていいのかい?」

「それよりもお願いがあるんです ぼくをあのクジラの元へ連れて行ってください」

「そんなの自分で泳いでいけば――いや済まない、デリカシーの無い発言だったな 淡水生物を海水に浸すなんて拷問だろう」

「あのクヂラは、ワダツミ様を飲み込んでいます」

「ワダツミ様 もしかして深海に住む人類のことかい?」

「そうです ともかくぢぢょうは後で説明しますので、どうかぼくをあそこまで」

少し迷うが好奇心が勝る この河童が何をしたいのか見極めたい

もしかすれば危険な泥船かもしれないが、ちょいと飛び乗ってみることにした


「すみません組合長!やっぱり資料写真だけ撮ってもいいですか?」

「もちろんだよ先生 その口振りだとやっぱりノータッチかい?」

「う~ん、残念ながらそうみたいで」

「じゃあ船を出すからちっと待ってな」

「いえいえゴムボート漕いでいきますよ そっちの方が小回り効きますし近づけますしね」

「湾内とはいえそれなりに距離あるが大丈夫か?」

「そのために助手を1人呼びましたから 県の担当者が来る前にちゃちゃっと済ませすんで、すみませんねぇ」

サラリと許可を貰いゴムボートを海へ浮かべる

念のため車に積んどいて良かった 自分の準備万端さに惚れ惚れする

「よし 漕ぐのは任せていいかい河童君?」

「もちろんです むしろ手出さないでください」

流石河童 オールを渡せば飛ぶようにグングンと船が進む

人類よりも筋肉が発達しているうえに流れを読んで進路を決めるのが抜群に上手だ

興味津々に観察していればあっという間に到着した

「凄いじゃないか河童君 見事な船頭っぷりだったよ」

「ありがとうごだいます それではすぐに戻りますので」

「ん?一体何を」

河童がクジラの口へ潜り込んだ

あまりにも鮮やかな動きに何が起きたのか理解が追いつかず呆然と固まる

そういえばこのクジラはワダツミ様を飲み込んだと言っていた

ならばその遺体を回収するのが目的かもしれない

……まさか体内に侵入し、強引に胃まで進むつもりか?

そんな馬鹿な いくらクジラとはいえその体内は人間サイズの生物が進めるほど広くはない

万が一胃まで行けたとしても、そこには捕食した魚がパンパンに詰まっているため目的の遺体を見つけるなんて絶対に不可能だ

なによりどうして河童がワダツミ人のために働いている?

遠野で散々河童の話は聞いたがワダツミ人との関係性はついぞ謎のまま

一体何がどうなっている? 脳内に浮かぶ無数の疑問を抱えながら、帰ってくるのをひたすらに待つしか出来なかった


始まりと同じく終わりも唐突 10分程で河童が戻ってきた

満足気な顔でお土産はたくさん 生ごみのような最悪の腐臭を身にまとい、腕には大事そうに何かを抱えている

「目的は達成したかい河童君 なんとなく想像はつくし、聞きたい事も山ほどあるが話は後だ とりあえず帰ろう」

「待っててくれたんですね ありがとうごだいます」

「ほらオールは任せたよ 厄介な連中が来る前にちゃっちゃっと逃げよう」

「今夜8時 井田山の貴船神社」

「えっ!?その神社がどうした――」

ドボン

入水音と波紋が広がりそれっきり 河童は海に飛び込んで消えてしまった

「身勝手すぎるぞバカヤロー!!!!」

水面に叫んでも答えは聞こえず

河童の行方は、誰も知らない


ひいひい言いながらボートを漕いで港に戻れば見慣れぬ集団が待ち構えていた

しかしその雰囲気にはしっかり既視感 二度と会いたくない奴等のお出ましだ

「あまりコチラを困らせないでくださいよ先生」

「ダイオウイカ事件の時に来た人とは違いますね? あの人は嫌らしすぎて左遷になりました?」

「前任者は少し事情がありまして 後を引き継いだ服部と申します」

「ふーん、服部さんねぇ まぁいいや、ボート畳むの手伝ってよ どうせこのあと尋問でしょ?」

ダメもとで頼んだが流石特殊部隊の兵士達 慣れた手つきで鮮やかに迅速に畳んでいく 仕上がりも綺麗で大助かりだ

「ありがとね~ あっ、そこは軽トラの動線だからテント建てないで 逆にその建物側、そう!その軒下ならギリギリ大丈夫かも」

「先生、頼みますからもう少し緊張感を持ってください」

「アッハッハッハ 服部さんこそもう少し緊張感を持ったほうがいい ここで働く漁師からすれば、君達はいきなり現れた不審者だ 一挙手一投足を監視し不信感を募らせている だが反対に私ならこれまで築いた抜群の信頼がある そ こ で 私が仲間のようにふるまっていれば、君達の不信感も少しは薄れるんじゃないかな?」

「なるほど 一理ありますね」

「で、あのクジラはどうするんだい?」

「ウチの管轄下にある鯨類研究団体へ送ります 裏事情も全て知っていて、そのうえで従順に従ってくれる素晴らしい研究者達ですよ」

「君達が出てきたのは念のため?」

「数ヶ月前、同じ港でワダツミ人の証拠が残るダイオウイカが揚がりました もしかすればがありますし、まぁ普通に貴重ですしね」

「じゃあそこら辺の詳しい話を聞かせてもらおうか ホットコーヒーがあると嬉しいなぁ」

「あくまでも尋問するのはコチラ側だということをお忘れなく」


約3ヶ月前 ダイオウイカ事件の時は何も知らない状態でやられっぱなしだった

しかし今回は知識も経験も段違い

それにやってきた担当者もなんだか普通

心は熱くリベンジマッチに燃えていた

「私達は先生の動向を全て知っています 遠野で長老と接触したことも、先程河童とクジラの死体に近づいたことも」

「友好的な関係を築けて羨ましいですか?」

「遠野で何を話しましたか? 長老から重要な情報を聞いたはずです」

「高級ジンギスカン屋と高級旅館を奢ってもらっただけですよ」

「それだけの訳がないでしょう」

「初対面の男に重要な情報をペラペラ喋るわけないでしょう」

「ではやはり囮だったのですね 同日河童の法事が行われた事は知っていますよ」

「そう思うならそうなんじゃないですかね もしかすればとんでもない秘密を教わったかもしれませんが」

「どうやら遠野で長老の肝っ玉を継承してきたようですね 話していてホントに腹立たしい」

のらりくらりと煙に巻くように話を逸らしたが流石に自分でもちょっとやりすぎた

だがそれでも強硬手段は使われず、怪しい注射器も暴力すらも出てこない

まるで何かに怯えているかのようだ

「まぁ遠野では本当に何もなかったですよ そちらが知っている情報以上の事は教わらず、私が盛岡でシンポジウムに参加するのでついでにおいでと呼ばれただけです」

「ではどうして河童とクジラの死体に近づいたんですか?」

「迷いクジラなんて貴重ですから ちょっと近づいて歯の一本でも盗んでやろうと思っただけです そこへ河童が乗せてくれと現れて、別に断る理由も無いですし」

「河童はクジラの体内に入ったようですが、その目的は?」

「知りませんよ アナタ達も見てたならわかるでしょう スルリと入ってスルリと出てきて海に消えたので一切の事情がわからぬまま 龍涎香でも欲しかったんじゃないですかね」

「その河童とは知り合いですか?」

「いいえ全く初めまして 私に河童の知り合いなんていませんよ」

「じゃあ先生は、初めて遭遇した見ず知らずの人外と行動を共にしたと もっと危機感を持ってください!」

そんな叫びに心底驚く

私が心配された!?存在を揉み消す特殊部隊に!?

長老や河童と何故か良い仲の私を仲間に取り込もうとしているのか、見えない真意を探ろうと怪しんでしまう

「河童はその他に何か言っていませんでしたか?」

「特に何も 身勝手に利用されただけです」

「先生、私達は敵じゃないんですよ 確かにやっている事は揉み消しですし、素性がわからず怪しいのは理解しています なんならファーストコンタクトは最低だったかもしれません それでも同じ人間です 同じ言語が通じる日本人です 正体不明で訳の分からない水生人類達よりも、私達を信頼してもらえませんか?」


危機感を持って 同じ人類 信頼してもらえませんか

暗い山道をクネクネと登りながら脳内にグルグルと声が響く

果たして本当に神社へ行っても良いのか? 自分の行動は正しいのか?

すっかり暗礁に乗り上げて、情報不足で身動きがとれない

だからこそ当たって砕けろで飛び込んでみよう

遠野は大成功だったし今回もきっと良い方向へ転がるはずさ

ダイオウイカ事件で水生人類達を知り、心がどうしようもなく疼き、遠野でより詳細な背景を教わり、ここまで来たらもう止まれない

だが 最初は特殊部隊憎しで走り出したのに、ここに来て特殊部隊味方説が浮上して戸惑いが隠せない

誰か台本を渡してくれ 設定と展開と演出を教えてくれ 私は最後までアドリブで演技しないといけないのか?

悩みながら進めばついに到着してしまった 真夜中の山中に佇む貴船神社だ

「本当に来てくれたんですね先生」

「一体ここに何がある?どうして私を呼んだんだい河童君」

暗闇の中からのっぺりと河童が現れた

なにやら大きな桐箱を大事そうに抱えている

「ぢぢょうは歩きながら説明します とにかくついてきてください」

「待ってくれよ 一体どこに行くんだ?」

「ワダツミ様に会いに行きます」

「……まさかこれから深海に行くのか?」

意味ありげに微笑んで歩き出す河童 本殿へ繋がる長い石階段をスタスタと登り始める

怪しくとも知りたくば追いかけるしかない

戸惑いながらもしっかりと 自らの意志で暗闇に足を踏みだしてしまった


「なぁ河童君 海も泳げるならどうして私を巻き込んだ、最初から自分で行けばよかったんじゃ」

「泳げませんよ」

「……え?」

「暗くて見えないと思いますが、皮膚がただれて酷く痛んでます」

「どうしてそんな事を」

「ワダツミ様のためです 感覚としては宗教、心酔して崇める行為、人間の語彙では言い表せない使命が滾っているのです」

「そのために自分はどうなってもいいと」

「はい とはいえクヂラの体内に潜り込む体力は残しておかなければいけづ、行きの脚だけ必要で」

「渡りに船がやってきたと まんまと利用された訳か」

「なにせ先生は噂の人です 偏屈な遠野の長老に認められた部外者だと」

「知らない所で有名になるなんて光栄だね 河童にも情報ネットワークがあるのかい?」

「もちろんあります 特に我々ワダツミ様を崇める一派はぢょうほうが命です」

「そこまで惹かれる理由はなんだい?」

「人間にはわかりませんよ なんというか、川よりも海に適応している方が偉い その中でも深海に住んでいるのはもっと偉い だから我々は崇めなければならない 生命としての格が違うんです もちろんそれ以外の理由もありますが、そこまでは流石に話せません」

「ふむ、確かにイマイチピンと来ないね 人間がまだ味わっていないから言語化できない感情かも」

「もちろんそんなのは河童でもごく一部、あまり多くはありません だけどだからこそ強固に繋がった仲間ですよ」

恍惚の表情で呟く河童 絶対に言えないがその感情は言語化できる

つまりはカルト教団だな!関わると危険だ回れ右!

私の楽観的な緩々危機感でも流石に警報が鳴り響く

だがそれでも折角ここまで来たんだ、こんな山奥からどうやって深海へ行くのか、大事そうに抱えているその桐箱の中身は何なのか

せめてそれだけは知ってから帰りたい

「それではやはり、クジラの体内から取り出したのは、ワダツミ人の遺体なのかい?」

「その通りです ワダツミ様から回収の命令がありまして」

「ならばその箱の中身が」

「ワダツミ様です 暗くてよく見えないかもしれませんが、でひどうど」

意外にもすんなりと蓋を開けてもらえた もちろん箱自体は渡そうとしないが、それでも中身があらわになる

そこにいたのはまるで

「……グレイ型宇宙人」

体長目測70㎝ 体色は紺に近い青

キンメダイのようにギョロリと大きな目

耳の無い卵型の頭 髪や体毛が一切生えていないつるりとした体

それでいてガタイはかなり良く、充分に筋肉質と形容できる

「どうですか先生 神々しいでしょう」

「人類がここまで深海に適応できるとは、もはや恐怖を覚えるよ」

「ならばもっと畏怖してください 素晴らしき深海へ潜りましょう」


階段を登り本殿に到着 しかし歩みはそこで止まらず奥へ奥へと進んでいく

時には獣道のような細い道を通りながら、その足取りに迷いはない

辿り着いたのは小さな洞窟だった

入口は大人がようやく入れるかどうか 夜の闇よりなお暗い深淵がポッカリと口を開いている

「先生はセノーテを知っていますか?」

「ユカタン半島に点在する神秘の泉 それぞれが地底で繋がっている洞窟の事だね」

「ここも同じように地下水脈が繋がっています その長さはおよそ80㎞ その道中には様々な分岐や狭い通路が存在するため、鰓呼吸の出来ない人間ではどうやっても攻略不可能な水中迷宮です」

「じゃあ私はここまでだな 残念ながら鰓呼吸は出来ないよ」

「いえいえ何事にも抜け道はありましてね ともかく中へ入りましょう」

「こんな大冒険になるなら言っておいてくれよ 明日の授業の準備もあるし、大変気になるが今日はここまでだ」

「先生」

「なんとなくこの後の展開は読める 神秘の地下水脈を進み、海へ抜ける洞窟へ向かうのだろう? そこからどうやって深海へ向かうかは想像出来ないし興味深いが、どうやっても明日の朝には帰れないはず ならば今日は無理だ 僕は大学の先生として社会的地位があり、いきなり消えれば大騒ぎになって君達に迷惑をかけるだろう」

「……わかりました 確かに我々も性急でしたね ではまた近いうちにお会いしましょう」


スルリと洞窟へ入った河童を見送り胸を撫で下ろす

よっしゃ!とりあえず帰ろ!考えるのは家路についてからだな!

そう考えながら振り返れば

「……どっから来たっけ?」

河童に導かれその後ろを歩いただけで道なんて覚えておらず、果たしてどうすれば神社に戻れるかわかりゃしない

まだ昼間なら本殿の屋根でも見えて方向が定まるが、なんとも暗く鬱蒼とした森が広がるのみ

先程までは河童がいたし、知的好奇心が疼いてアドレナリンが出ていたが、こうしてポツンと1人になったらハチャメチャに怖い

えぇいままよ!とりあえずイチかバチか進んでみるか!

勇気をもって暗闇に踏み出したその瞬間

「反対ですよ先生」

「はあっ!?えっ、誰ですか!?」

どこかからいきなり声が響く キョロキョロと怯えながらみっともなく周囲を見渡せば、イタズラっぽく笑う黒スーツがあらわれた

「お久しぶりです先生」

「服部さん!! やはり漁港から監視していたんですね」

「監視ではなく保護観察とでも言ってくださいな 先生は何か隠していそうでしたので」

全て見抜かれており少し恥ずかしい そのうえこうして助けられては面目丸潰れだ

トボトボと服部さんに連れられて山道を戻る

あっという間に石階段を下り愛車へ辿り着いた

「だから言ったでしょう先生 もっと危機感を持ってくださいって」

「そっちがより詳細に語ってくれれば」

「確かにわざと泳がしましたが、まさか深海にまで泳いでいこうとするなんて」

「それなら真意を聞かせてくださいよ」

「う~ん そうですねぇ 先生は全部教えた方が安心安全かもしれません 次の土曜日にデートしましょうか」


街並みがビュンビュンと過ぎ去っていく

幸運な事に渋滞知らずで高速道路を快調に飛ばす

「どうです先生 トイレ休憩とか必要になったら教えてくださいね」

「あと何時間くらいかかります?」

「この調子なら一時間半くらいですね」

「それじゃあ県境越えたら休憩しますか なんなら運転代わるんで」

雑談を交わしながら福島を出発し栃木を抜けて一路群馬へ

高速を降りて下道に入り、片田舎の街へ辿り着いた

「それで服部さん いったいどうしてこの場所へ?」

「ここに同僚が眠っているんです」

「失礼ながら、一体誰が亡くなったんですか?」

「先生も会ったことありますよ ダイオウイカ事件の時にやってきた前任者です どうやらここが故郷らしいが、墓がどこにあるのかもわかりゃしない なんなら本名すらも知らないですがね」

サラリと言われたまさかの答えに血の気が引いて耳鳴りがする

あいつが死んだ?嫌みったらしいあの男が?

最低な出会いだったが死んでくれとまでは思っていなかった

まさか まさかそんな

「ダイオウイカの体内から砲弾が出たでしょう あれが実は起爆式の爆弾でして、基地についた瞬間に遠隔操作でドカン かなりの死傷者が出ました」

「……そんな、あの人が」

「口の悪い男だったでしょ? でもそうして憎まれ役になることで、少しでもこの世界から遠ざけようとしていたんです」

そう言われてふと気づく

確かに特殊部隊を憎み、振り払うように仕事へ打ち込んだ

もしも遠野の長老に誘われなければ、時間と共に全て忘れて何もかも元通りになっていたかもしれない

あれは全て不器用ながらの優しさだった?

「失礼ながらお二人はどういう関係だったんですか?」

「一言で言えば戦友ですかね そもそもがこんな感じの職場ですし、飲みに行ったことも上に逆らって怒られた思い出もあります 正直まだ死んだ事実を受け止めきれていませんよ」

「切れ者の二番手な感じなのに、逆らうこともあったんですね」

「あぁ見えてかなり仲間想いなんです 誰かが犠牲になるかもしれない危険な作戦は認めませんし、無意味に水生人類を苦しめるような判断にも噛みついていましたね」

「ちなみにあの人の好きな食べ物って」

「カップ焼きそばです しかも激辛のやつ」

「ちょっと変人なんですね」

真っ暗な海底にサーチライトが当たるように、いままで嫌味一色だった化物に少しずつ人間味が追加されていく

様々な情報を知ったいまだからこそ、もう一度会って話してみたいな

そう願っても二度と叶わず潮騒のような後悔が押し寄せる

「別に先生が責任を感じる必要はありませんよ 今回のクジラのように、いずれ私達が回収に行っていましたから」

「そのクジラに爆弾とか異変は無かったんですか?」

「幸いなことにありませんでした もう怯えながら回収して調査して、普通のクジラだと判明した時の安堵感たるや」

「良かったですね」

「いやいや先生 これに関しては本当に反省してくださいね?」

「げっ そんなマズいことしましたっけ?」

「自分の行動を振り返ってみてくださいな」

えーっと

まだ安全かわからないクジラの遺体に勝手に近づいて

しかも素性の分からない河童を連れていき

挙句の果てにはそいつが体内に潜り込むのを黙って見届けた

「あー 服部さん目線から見れば、河童が体内に爆弾を仕込んだように見えるのか」

「その通り! 先生に聞いても真相を教えてくれないし、これ以上の不祥事が起これば我々はもちろん日本が世界から責められてしまう 細心の注意を払いながら調査して安全を確かめ、それでいて私は先生を尾行しないといけないし 本当に大変だったんですからね!」

「すみませんでした!!!」


もっと緊張感を持ってください!そう叱られたのを思い出す

自分の好奇心を満たすための軽率な行動

そのせいで周囲に迷惑がかかっているだなんて思いもしなかった

「それじゃあ先生 帰りましょうか」

「えっ、もういいんですか? わざわざここまで来たのにトンボ返りで」

「いいんですよ この街に来ることが墓参りみたいなもんですし、かといって1人で来るのは億劫でしたし 一緒に来てくれて助かりました」

「どうしてここまで優しくしてくれるんですか? 心配して、助けてくれて、おそらくは話さなくてもいい裏事情まで教えてくれて」

「先生は巻き込まれただけの部外者ですから いわゆるヤクザの堅気に手を出すな!ですよ」

照れくさそうにはにかんで誤魔化す服部さん

そんな優しさに甘えて最後に1つだけ聞くことにした

「私はこれからどうすればいいんですか」

「どうもしなくていいんです いつも通りの日常に戻れば解決」

「でも向こうから勝手にやってくるんですよ」

「確かにそこが問題で ワダツミ人を信奉する河童の一派は危険分子です ダイオウイカに爆弾を仕込んで基地を襲ったのも、おそらくこのグループかと」

「ワダツミ人の時も思いましたが随分と発達した文明なんですね 遠隔で操作する爆弾まで作れるなんて」

「正直我々も驚きです 舐めていたわけではありませんが、少々下に見ていたのは事実 まさかこんなにも直接的なテロ行為に踏み切るなんて思ってもみませんでした」

「そこまで狂ってる奴等に協力する気はとうに失せましたが、それなりに関わってしまった以上これからもどうなるか 特殊部隊には何か計画があるんですか?」

「もちろんあります 先制攻撃を受けて被害者が出た以上、このまま静観するわけには行きません 着々と準備は進んでいますよ」

「水生人類と本格的な殺し合いをするんですか?」

「それだけは何も言えません だからこそ先生は、いつも通りの日常へお戻りください」


行きとは違い少々重苦しい帰りの車内

適度につまらないラジオの音声が無機質に響く

いくら考えても答えは出ないし整理もつかない

だから忘れよう

巻き込まれた被害者だと免罪符も頂いた

軽い気持ちで踏み込んでしまったが、これ以上深みへ沈む前にここらで引くのが潮時だ

福島に帰ればすっかり日も暮れ夕方

服部さんに別れを告げて、ジットリと疲れの染み込んだ体で自宅に戻れば

「こんばんわ 先生」

カルト河童が待っていた


「やぁ河童君 不法侵入とは感心しないね」

「人の法律なんて関係ありませんから」

「河童の世界に法律はないのかい?」

「あるけど関係ありません」

「フフッ そこまで言われるといっそ清々しいね それで今日はいったいどうしたんだい 生憎ヘトヘトでもう動けないんだが」

「今日は先生にプレゼントを持ってきました コチラをどうぞ」

河童は何やら宝箱を取り出した

ご丁寧に紐までついて重厚な黒光り どっからどう見ても怪しくて仕方ない

「中身はなんだい? 開けたら煙がもうもうと出て白髪の老人になるんじゃないだろうね」

「そんな玉手箱はありませんよ ワダツミ様についての資料です」

思わず即座に手が伸びる

あれほど丁寧に危険だと教えてもらい、軽率な行動を慎んでもう関わらないと決めたのに

我ながら少し嫌になる

「そんな身構えづお開きください その資料を見ながら説明したいのです」

「どうしてここまでしてくれるんだい?」

「布教したいのです 人間だって同ぢでしょう? 宣教師が聖書を読み聞かせ入信者を増やしていく」

「つまりは私を仲間にしたいと」

「人間にも協力者が欲しいですから」

「まぁワダツミ人について知れるのはやぶさかではないしなぁ」

とはいえこれが普通に爆弾の可能性もある

それ以外に考えられる危険性はなんだ?開けたらいったいどうなる?

だが開けてみなければコイツは帰らない

でも聞いてしまえばこれからもズルズルと絡んでくるだろう

……だけど聞いてみたいな ワダツミ人を崇拝する奴等から、ワダツミ人の情報を

迷った末にとうとう私は箱をパカリと開いてしまった


そこには紙や写真の束が詰まっている ざっと目を通せばよくまとまった論文のようだ

「さぁ先生 まづはどれから聞きたいですか?」

「それじゃあワダツミ人について聞かせてくれよ 彼等の生態は?一体どこに住んでいる?」

「いま左手にお持ちのその資料 それの3ページ目に書いてあります いわゆる海底洞窟が住処です」

「個人個人で暮らすのではなく、一族として集まって暮らしているんだね」

「嫌なたとえですが蟻と似ています 王様がいて、兵士がいて、子供達がいる 1つの洞窟に100人から500人程住んでいます」

「そんな洞窟が村のように点々と存在すると そうなると中はかなり広いな」

「もともと大きな洞窟を選んだのと、何代もかけて少しずつ拡張しました」

「そこら辺は人間と一緒だね 人が集まって街ができ、長い時間をかけて発展していく もしかすれば地図や街道もあるのかい?」

「もちろんあります 洞窟は孤立したコミュニティではなく、ちゃんと繋がった社会なのです」

「失礼ながら知能や文明はどのくらい高いんだ? 文字や会話など言語能力もあるのかい?」

「ワダツミ様は人間よりも高度な文明をお持ちです もちろん文章も書けば会話もします ただやはり唯一の言葉ではありますが」

「なるほど やはり独自の言語を操るのか ちなみに君達は理解できるのかい?」

「できます 文章も言葉も御気持ちも全て」

「そうすると主食は何を食べている? やはり深海生物か?」

「その通りです 銛や水中銃を使ってダイオウイカを狩ったり、魚やクラゲを捕まえたり 主に食べる種類は次のページに」

「ほぅ、メヒカリなども狙うのか 深海とはいえ意外と浅瀬にも来るんだな」

「だから底引き網漁が怖いのです」

「なるほどな 他にもプランクトンを食べたりはしないのかい?」

「あまり美味しくないので好みませんが、オキアミやプランクトンを食べる場合もあるそうです」

「なんとなくクジラのような食生活だな そういえば体が大きいんだろう?」

「平均身長3m 時には6m以上になる方もいらっしゃいます」

「そうするとかなりの量を食べないといけないだろう」

「ところがあまり食べません 小食でも生きていける体なのです」

「ふむ 人間と同じような臓器だとすれば、案外コスパが良いのかもしれないな しかし小食で体が大きいとするなら寿命はもしや?」

「かなり長生きです 普通に200年から300年は軽々と」

「なるほど だから技術力も高いのか 人類だってアインシュタインやダヴィンチが倍以上生きてくれればさらなる発展を遂げていただろう」

「おっしゃる通り 天才が長生きするため研究に打ち込める時間が増え、様々な革命をもたらしました たとえばこの写真をご覧ください」

そこには丸みを帯びたミサイルのような物体が写っていた

全長は短く見るからに頑丈で、後部にプロペラがついている

見るからにこれは憧れの

「深海を航行する潜水艦か」

「大正解です 深海に適応したワダツミ様には不要な代物 しかし我々のためにわざわざ作ってくれました」

「これに乗れば自由自在にどこへでも 確かにこれなら人類よりも進んでいるよ」

「人間が大好きなレアメタルが海底にはたくさん眠っていますから、それを加工すれば様々な物が作れてしまう しかしだからこそ、ワダツミ様は被害を受けているのです」

「そうか、ワダツミ人もその近辺に住んでいるのなら、レアメタル採掘のせいで事故が起きてしまう」

「平穏なユートピアが破壊されたのです」

「しかしどうして君達を呼び寄せた? 深海に住む人類が地上の情報をどうやって手に入れたんだい?」

「わかりやすくいえばUFOです 深海から空中まで自在に動ける船を作り、それに乗って降臨されました」

「そういえばあの遺体は宇宙人によく似ていたな 君達を見て河童という妖怪が生まれたように、空を飛ぶワダツミ人を見て宇宙人という妖怪が生まれたのか」

「おそらくはそうでしょう いままで平穏だった海に突如として軍艦など大型船がのさばり、場所によっては海水が汚染されることすらありました 少々ショッキングな写真が並びますが、これをお読みください」

渡された資料には目が真っ白に染まり手が膨れあがった姿や、何かに巻き込まれて片腕が無いワダツミ人が載っていた

目を背けたい物ばかりだが、紛れもなく人間による被害者である

「これらの被害にワダツミ様は戸惑いました いったいどういうことだ!陸地では何が起きている! 調査のためにUFOを開発し飛んでみれば、緑豊かな大地は切り開かれて街となり、醜い人間が我が物顔で闊歩している」

「もしやちょうど第一次世界大戦近辺の話か? あの時はしきりにUFOが見られたと言うが」

「えぇ 大体そのあたりです ビキニ環礁での悲劇もありましたから」

「……なるほどな」

「この光景を見たワダツミ様はパニック状態になりました 一体どうしてこうなった?誰か説明してくれ!そんな思いで協力者を探した結果、迫害されていた我々と運命の出逢いを果たしたのです」

「そうか、だから神様と崇めるのだな?」

「我々河童は愚かで弱く、人間にはとても敵わない そこへ武器などを与えて下さったワダツミ様は、本当に本当に救世主だったのです」

そこまで聞いてようやくストンと腑に落ちた

ワダツミ人は地上に協力者を求めており、河童は救いの手を求めていた

そんな両者の利害が一致したのだ

助けられた河童からすれば、文字通り聖なる神様に違いないだろう

反芻しながら考えてみればとある可能性に気がついた

「もしやワダツミ人は一部の河童しか助けなかったのか?」

「流石先生、よく気づきましたね ワダツミ様が降り立ったのはアイルランドのとある地方 そこに住む河童は助けていただきましたが、まさか他の地方にも河童が住んでいるとは考えが及ばづ」

「言葉も通じないし、君達もなまじ人に似ているから見分けるのが難しいだろうしな」

「お互いにコミュニケーションが取れるようになり、他の地方にも住んでいる事を知った時にはすでに遅し 大勢が決まり特殊部隊も配置され、下手に動けなくなっていました しかしそれでも心を痛めたワダツミ様は計画を考えてくれていますよ」

「君達が異端児なのはそのせいか ようは恩恵を感じたごく一部の河童だから」

「そういうことです 助けていただいた地域の子孫や、その思想に共感した者達など少数がいまでも協力者として活動しているというわけでして」

「他の河童に布教はしないのか?」

「河童は間抜けですから、そんな過去の話に興味は無い とりあえずぬぼーっと暮らせればそれでいい 基本的にそういった考えなので、話したところで無意味でして」

「そういえば遠野の長老もそんな話をしていたっけな 平穏を求めて頼ってきたと」

「我々からすれば人間に頼っている河童の方が裏切り者ですがね」

面白い

善悪はひとまず置いとくとして、これは非常に面白いな

いままで聞いた様々な情報がパズルのようにカッチリとハマり、頭の靄が晴れていく

打てば響くように明朗な答えが返ってくるのも気持ち良くてたまらないな

不謹慎かもしれないが、にやける顔がどうしても抑えきれない

人間の都合 河童の都合 そしてワダツミ人の都合

三者三様の話を全て聞けたのだ どう考えても楽しいに決まっているだろう?

「それで君達は、これからどうするんだい?」

「人間に報復します」

「……ほう、それは随分と穏やかじゃないね 全面戦争をするつもりかい? そうなれば海底に住むワダツミ人こそ不利じゃないか?」

「我々の狙いは“人間の停滞” なにも滅ぼしたいわけではなく、多少大人しくなってほしいだけ なので先生がいま見ている資料を各国に送りつけました」

「“ました”? 待て待て待て待て、いま君はましたと言ったのかい!?」

「既に攻撃を始めました もう誰にも止められません」

「おいおいおい、そんな一体どうして」

「これでもだいぶ我慢したのです しかし日に日に底引き網漁や海底資源採掘の勢いは増し、温暖化のせいで生態系も変わりはぢめた この前のクヂラだってそのせいです」

「それはいったいどういう」

「温暖化によって水温が上がり、餌となる小魚も移動してしまった もちろんそれを追って進むクヂラがほとんどでしたがいくらかは元の海域に残り、別な餌を探しはぢめました」

「まさかそれで白羽の矢が立ったのが」

「ワダツミ様です まだ遊び程度、誤飲だと言われてもおかしくない程度ですが、それでも被害が既に出ている」

「ならばクジラを襲えばいい どうして人類を標的にするんだい?」

「人間が減れば温暖化の影響も減り、漁を止めれば魚が増える 簡単な話でしょう?」

燃え上がる興奮に冷水をぶっかけられた気分

楽しい時間はどこへやら、なにやら恐ろしい事情聴取に切り替わってしまった

「いったい何を始めたんだ よければ計画の全容を話してくれないか?」

「先程も言いましたが、我々の狙いは“人間の停滞” 殺し合いをしたいわけではないのです そのためにまづ、ダイオウイカへ爆弾を仕込んでいわき沖に浮かべました そうすれば地理的に近い筑波基地の特殊部隊が動くだろうという予想したのです」

「そうか、その基地が狙いだったのか」

「筑波基地にはインターネットを監視する部署がありました SNSに河童の写真があがっていないか、特殊部隊が使用するパソコンがハッキングされていないか、そういった事を調べるのが仕事です なのでここを爆破して機能を停止させればインターネットに隙が出来る」

「その隙に一体何を」

「ハッキングです アメリカから日本に向けた指示書や、日本・韓国・北朝鮮・中国による日本海での特殊作戦計画など機密文書を入手」

「それで作られたのがこの資料か どうりでよく出来ているわけだ」

「といっても爆破してすぐは各国が警戒度をグンとあげたので、バレないように一度水面下に潜りました その間に根回しやターゲットの選定を行い最終調整 まぁ我々には使命感と共通言語がありますのでバレても特に問題ないですがね」

「そうか ワダツミ人の言葉でやり取りすれば絶対に安全な暗号になる」

「そして今日たったいま、世界各国の様々な新聞社・出版社・テレビなどに資料をバラまきワダツミ様を知らしめました さらにネットにも流したのでどうやっても抑えられません」

「さながら巧みな情報戦だな しかしそんなの口止めをしてネットもサーバーから消せば」

「出来ないでしょうね ネットへのアップロードに使用したのは日本の特殊部隊のサーバーですから」

「……なるほど ハッキングした時に仕掛けたんだね?」

「いわば裏口を作っておきました そこから侵入し、暗号化しながら世界へ発信 気づくのは遅れるでしょうし、気づいたとしても日本有数のセキュリティを誇るサーバーですから対処は難解で」

「まごついている間に拡散されまくり止まらないと」

「そういうことです」

「だが水生人類の存在をバラしてどうする むしろ悪影響を及ぼすんじゃ」

「この悲惨な歴史を知ったら世界は揺れますよ どう考えても海洋資源発掘など即刻中止 各国の足並みは揃わなくなり、とてもじゃないがワダツミ様へ攻撃は出来ない 万が一されたとしてもそれをまた世界に知らせればいい」

「確かに世界は大いに揺れて経済活動は大ダメージをくらうだろうな」

「そうやって人間同士で争ってほしいんです 先生は最初に真相を知った時にどう思いましたか?」

「正直に言えば醜くて気持ち悪いと思ったよ」

「その気持ちをいろんな人が抱けば、国への不信感が生まれぐちゃぐちゃになる もしかすればクーデターすら起こるかも」

「そんな上手いとこいくわけ」

「ないでしょうね なので二の矢は既に撃っています ここ数ヶ月、世界へウイルスをバラ撒いていました 深海魚に仕込んだり、我々が野菜に仕込んだり」

「ウイルスだぁ?おいおい生物兵器まで作れるのかね だが謎の病気が蔓延した!なんてニュースは流れていないぞ」

「バラ撒いたのはいわば起爆を待つ爆弾 スイッチを押さない限り無毒です」

「するといま調べても潜伏中で見つけられないと そのスイッチをどうやって押す?」

「玉手箱の煙に乗せて」

怪しげな笑みで優雅に目の前の重厚な箱を指し示す

思わずタラリと冷や汗が流れた まさか私も感染したか?

「先程、世界各地のメディアへ資料を渡したと言いましたよね? その資料はこの箱に入れて届けました この中にはスイッチを押すためのウイルスが入っており、しかも感染力が強く飛沫感染で広まるため、誰が開けようとみるみる周囲へ連鎖するでしょう」

「病気は専門外でわからないな もう少し優しく教えてくるかい?」

「わかりやすく言えば花粉症です 多くの人間がスギ花粉にアレルギー反応を示すよう改造し、その後スギ花粉を思いっきりバラ撒けば?」

「みんなくしゃみと涙が止まらなくなる だがそんな可愛い症状じゃないだろう?」

「滅多には死にませんがかなり苦しみます 人間の病気ではなく、ワダツミ様の病気を元に作ったウイルスなので治療法も見つからない」

「なら君達河童にもかかるんじゃ」

「もちろん人間限定ですよ 万が一に備えて特効薬も作ってあります」

「だとしても君達が悪者となって恨まれて終わりでは?」

「わかりますか?」

「……?」

「長期間に渡り無作為にバラ撒いたので、感染者に共通点は見つかりません どこでどうして感染したかわからずそもそも患者が多すぎる」

「でもこの箱が手掛かりになるんじゃないか? たとえばこれが届いた新聞社から感染が広がれば、なんだか怪しいと睨まれるだろう」

「この箱以外にもバラ撒いてますよ たとえばハガキや宅急便の荷物、不特定多数の人が触れる物に紛れ込ませて至る所へ 万が一この箱から見つかったとしても、たまたまだと言われてお終いです」

「怖いくらいに抜け目ないな 私もそれに感染したのかい?」

「安心してください、これには仕込んでいませんよ 先生を殺す気ならこんな丁寧に説明しませんし」

「冥途の土産で教えてくれている物とばかり」

「まぁまぁ焦らず最後までお聞きください 確かに先生の言う通り、ワダツミ様が知られた直後に不思議な病気が猛威を振るえば関連性を見つけ出そうとするでしょう そこで最後のダメ押しに都市伝説を流布します」

「最後の最後は都市伝説か どんな物を流すんだい?」

「この病気はワダツミ様を殺すために国が開発していた生物兵器だ」

「嫌らしいなぁ そんなの国が必死に否定するだろう」

「国の信用は地に落ちた、何を言おうと嘘にしか聞こえません それにちゃんと証拠もありますし いまお持ちの資料の十五ページをご覧ください」

打てば響くように明朗な答えが返ってくるのが怖くて仕方ない

私が思いつくような疑問は全て対策済みということか

「これは特殊部隊のサーバーをハッキングして手にいれた機密資料です」

「アメリカから購入した魚雷 ロシア産の何やら怪しげな薬 逆に日本が送った記録もあるじゃないか」

「各国が秘密裏に行っている武器売買の証拠ですよ 全て嘘偽りなく真実です」

「確かにこれを見れば、国が兵器開発していたと信じてしまうな 真実を織り交ぜた嘘の都市伝説か」

「さらにこの説の肝は感染経路 海産物を食べたせいで病気になったと喧伝します」

「深海に住むワダツミ人に向けた兵器なら、確かに海が怪しいと思ってしまうな というか本当に魚へ仕込んだんだろ?」

「だからこそ信憑性は抜群 国がコッソリと開発していた生物兵器が流出し、国民は苦しむが治療法は見つからない どうしてだ?我々を見捨てたのか?」

「最悪な状況で本当にクーデターが起きそうだな」

「こうなれば先生 海産物、食べたいと思います?」

「思わん!」

「そういうことです 謎の病気に恐れた人間は海産物を食べなくなり、漁も行われず、海には平穏が戻るでしょう」

「正しく人間の停滞か いくつか楽観的な観測も混じっているが、そういった場合も細かく対処していくんだろうな 本当に凄い計画だよ」

「ワダツミ様が綿密に練り上げましたからね ともかく100年前と同ぢ平穏を、子供の時に味わっていた幸せな暮らしを取り戻したいだけなんです」

本当にもう笑えてくるほどに完璧だ 全世界に真実を教え、さらに病気によって混乱に陥れる

なによりも既に始まってしまったのだろう?

確かにこんな事をされては人類の経済活動は停滞し、結果的にワダツミ人には平穏が訪れるかもしれない

「最後に1つだけわからないんだが、これらを私に吐露した理由は?」

「人間側にも仲間がいます たとえばテレビのディレクター、海洋生物保護団体、漁師など その人達がすぐに緊急特番を開く手はづになっており、我々は特殊部隊に口止めされていた!特殊兵器を開発している可能性がある!なんて話をするのです」

「ははぁ その論客達の末席に加われと」

「深海生物専門家 という肩書は魅力的ですからね しかしそれを抜きにしても、こんなにつまびらかに全てを話したのは先生がはぢめてです」

「褒め言葉はありがたく受け取るが一体どうして」

「先生の持つ深海の知識が欲しいのです “深海生物を体型学的にまとめる”という発想がワダツミ様にはなかったようで、先生の書いた本を偉く気に入られていました」 

「遠い兄弟にも喜んでもらえたなら嬉しいな 研究者冥利に尽きるというものだ」

「先生 よろしければ我々に協力してもらえませんか? づいぶんと前のめりに話を聞いてくれましたし、興味が湧いたんぢゃないですか?」

なにやら不気味なデジャヴを味わう

いつもの日常に戻ろうと決めた でもその日常はどうやら壊れた

その証拠にスマホは先程から鳴り止まず、生徒から「あのダイオウイカ事件ってもしかして!?」なんてメッセージが鬼のように届いている

ならばもういいのでは?

最初に真実を知った時、どうしようもなく嫌悪したのは紛れもない事実だ

ならば堕ちてしまってもいいのでは?

しかし服部さんは 遠野の長老は

混乱する思考が取り返しのつかない暗闇へ引きずり込まれる感覚がした


目の前にはパンドラの箱がポッカリと、その深淵を覗かせている

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パンドラの深淵に潜む者 @si-no-me

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