終章 - ここに至る -

「私は、長老の跡を継がなかった。長老の孫のひとりに知識を伝え《物語り》となったんだ」


 まあ、そこに至るまでにも色々あったけどね。そうタイカは軽く語った。


「あの地図は、シュリが残してくれたものだ。この辺り」と地図の一点を指差す。

「少し北のようだ。古いがヤムトの記憶と併せれば精度も上がるだろう」


 自分より先にタイカと出会った女性。火の《はふり》であり、自分の油燈ランタンの元の持ち主。

 油燈ランタンは良く手入れされていた。自分の火の精霊が中に入り込んだ際にも油は十分に入っていた。

 油は、実際に使用していたということもあるだろう。だが野外で使っていて錆がほとんどないなど、よほど大切に扱っていたに違いない。


「タイカ」


 何だい、とシュトの呼びかけにタイカが返事をする。

 顔を上げる。思い出に浸っていたのか、陰りのない健やかな、少年のような表情だった。

 自分と少し似た名前の女性。シュトの名前を提案した時、タイカの脳裏にはその人がいたのかもしれない。


「話に出てきた女の人」

「ああ、シュリのことかな」

「タイカは、その人に会いたい?」

「どうだろう」


 タイカが苦笑し、地図に目を落とす。


「会いたいかと言われると、少しためらうかな」


 タイカは言葉を続けた。


「私は、あの人に追いつけていない。《物語り》として、あの人ならもっと上手くやれていただろうに、なんてことばかり考えてしまう」

「そんなこと」

「それに自分の力。この力の理由にも、確証を未だ持てない。最後にあんな啖呵を切っておいて、この様だ」


 再び、苦笑。だがその苦みには少し寂しさが含まれているように、シュトには感じた。

 違う。

 シュトは声を上げようとして口を開きかけ、しかしそれ以上は動けなかった。

 違う、そうじゃない。それだけの言葉では、タイカには届かない。


 目を閉じる。様々な旅の情景が浮かんだ。


 最初の出会い。怯えるシュトに、タイカは手を差し伸べてくれた。穏やかな顔。次の村でシュトの衣服を見繕ってくれた。村人たちはタイカに親し気だった。麦の穂の話をしていた。何か大切なものをもたらしたのだろう。寄宿した砦でも最初はどうなるかと思ったけど、随分な歓待を受けた。密かに抜け出して《狂える獣》と対峙していたと知った時は腹も立て不安にもなったが、シュトの為と気をまわしてくれた結果だった。

 良いことばかりではない。ある村では殺人事件の犯人にされかけた。別の村でも《はふり》を騙る男との騒動に巻き込まれた。

 シュトにとっては苦い記憶だ。二度とも、怒りに任せて火の精霊の力を使いタイカに事態の収拾を押し付けてしまう羽目になった。

 それでも、タイカは一緒に居させてくれている。

 

 タイカの優しさは、人を選ぶ。


 自ら足掻き、進もうとする人々にタイカは手を差し伸べる。その峻別には自身すら含まれる。だから、無闇に精霊の力を借りたりしない。

 そんなひとだから、私は。


「私は」


 自分でも思った以上に大きな声が出た。一瞬、焚火の隅で寝ているヤムトが見て躊躇する。


「シュト?」


 タイカが戸惑ったように言う。焚火に照らされたその穏やかな顔を見た時、しかしそんな躊躇いの感情など吹き飛んだ。

 

「私は、タイカに出会えて良かった」

 

 タイカが憧れる赤い人。その人がどんなに優れていようと、黒と黄色のタイカという青年が。


「タイカが、いい」


 伝えなければ。貴方が何を私にもたらしてくれたかを。そして旅行く先々で伝え、残してきたものを。

 だけど、どう言葉にすればいいのか。もどかしい。涙が出そうになる。

 それでもシュトは語り続けた。


「タイカは、自分の為に力を使っていない」


 シュトの為。そして力を尽くし、それでも届かない人々の為。


「だから、その力が何なのかは分からないけど」


 何故、その力がタイカに宿っているかは分かる気がする。

 シュトの言葉に、タイカの表情が変わった。困惑の色が強い。


「その力は、誰かを後押しする為」


 タイカがうつむく。髪の影で顔が陰り、表情は見えない。構わずシュトは続けた。


「私は、その女の人を知らない。だからその人の方が《物語り》として、タイカよりも訪れた村を良く出来たのかもしれない」


 シュト自身が思うのだ。タイカなら、シュトよりも上手に事を収めていたに違いないと。だから、タイカの不安は否定出来ない。


 だけど。


「だけど、助けたのはタイカだよ」


 人々を後押しして。精霊の力を直接借りず、自らの力で進めるように。


「そんな力の使い方を選んだのがタイカで、そんなタイカだからこそ」


 悔しい。もっと色々な言葉を知っていれば。目頭が熱い。泣きたい訳ではないのに。熱を払うように、シュトは首を振った。


「シュト」


 囁くように、タイカが言う。


「ありがとう」


 シュトは顔を上げた。タイカと目があう。黄色と黒の瞳。色は全く違うのに、雨上がりの空のような澄んだ遠さを感じる。


「私は、このやり方しか知らない」


 遠い目のまま、タイカはつぶやく。


「この方法、関わり方が《物語り》として最適かどうか分からない。それでも私が《物語り》として形のあるもの、ないものを残せているなら。それが人の役に立っているなら。この力が、その助けになっているなら」

「助けてもらったよ」


 シュトが、被せるように言った。


「私はタイカがいい」


 シュリが《物語り》としてどんなに優れていたとしても。同じ火の《はふり》として共感するところがあったとしても。


「タイカが、いい」


 シュトは、繰り返した。


「ありがとう」


 タイカも、繰り返した。その瞳には、もう遠さを感じない。目の前のシュトに注がれていた。優しさと穏やかさがこめられていた。


「私も、シュトと会えて良かった」


 タイカの手が、少し躊躇したように宙を泳いだ後。シュトの髪に触れた。そっと、壊れものを扱うように赤い髪を撫でる。


 温かい。


 その温かさを感じながら、シュトは願った。

 強くて優しい、だけど冷たく純粋で脆い。そんな不思議な、このタイカという青年と一緒にいたい。旅を続けたい。


 そして、思う。


 シュリという、その女性のことを。

 精霊を喪った《はふり》のことを。

 もし精霊を喪えば《はふり》がどうなるか。自身がそうであるから、直感として理解している。


 永くは。そう、数年も生きられない。


 《はふり》と精霊は心だけではない、命も繋がる。故に精霊がいなくなれば、癒えない傷を負い血が流れ続ける様に生命を枯らす。


 タイカは恐らく、そのことを知らない。

 先ほどの口ぶりは、彼女が生きている前提での話だろう。

 精霊と意志が交わせても《はふり》のように強く精霊と結びついていないこのひとには、その絆の重みを知覚出来ない。

 《はふり》は、自身の命よりも精霊を重んじる。そうせずにはいられない。それに精霊の宿る火はそう簡単に消えないし、氷の精霊が宿るであろう氷片や玉石も砕けることはない。

 だから精霊の喪失よりも《はふり》の死の方が先立つはずなのだ。

 だがシュリは精霊を喪ったと言った。起こり得ないことが起きたのか。

 そんな事態は、他に例がない。少なくても、シュトはタイカからそのような話を聞いたことがない。


 タイカ。

 そう声を出しかけ、しかしそれ以上口が動かなかった。

 このひとは、それを聞いてもシュトにはただ微笑むだけかもしれない。

 だけどきっと酷く哀しむ。癒せないほど、深く心を傷つける。


 言えない。

 今は、言えない。


 だけど、いつか自分の口から。あるいは何かしらの拍子でタイカが真実を知ってしまったその時。

 自分を救ってくれたタイカの、今度は自分が救いになる。



 それがシュトの言葉にしない願いであり、誓いだった。




── 第一部最終話 了 ──

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