“The life is beautiful” to you⑧

「それじゃあ、また後でね」


 小夜子の教室の前で別れ、自分の教室へと向かう。彼女の在籍している音楽科とあたしの在籍する普通科は渡り廊下で繋がった別の校舎にある。生徒数では普通科の方が圧倒的に多いため、このようなことになっていると入学式で校長先生が言っていたことを覚えている。


 渡り廊下をグラウンドを眺めながら進んでいると、一人の男子生徒が前からうつむきがちに歩いてきた。確か、小夜子のクラスメイトだったはずで、何度か彼女の教室を訪れたさいに見かけたことがある。天然パーマだろうか、お世辞にも整っているとは言い難い髪型をしているが、顔だけ見れば整っているほうだと思う。どこか雨に濡れて震えている犬を感じさせる男だった。


 一瞬顔を上げた彼と目が合う。その瞳には決意が込められていて、本能でこれは告白しに行く目だと悟った。それでも、自分に対して向けられている感情ではないと判断し、あたしは何も見なかったように校舎へと向かう。だって、同じ目を何度も見てきたから。別に誰と誰が引っ付こうが、誰と誰が身体を重ね合わせようがあたしには関係がない。そうやって、真実の愛だとかなんとか言って笑っていれば良い。本物だと信じて偽物の愛を育んでおけば良い。それらは全て、意味などないのだから。


 流石に寝てないこともあり、頭はあまり働かなかったが、それでも全部の答えを埋めることはできた。一、二問のケアレスミスがあったとしても、上出来な点数であろう。


 回収されていくテストを見て、ぼんやりと放課後のことを考える。小夜子を誘ってスタバにでも寄って喋ろうかと思ったが、明日のテストは苦手な生物があるから流石に勉強をしたほうがいいだろうと考え直す。赤点はまずないだろうが、それでも悪い点数は取りたくない。


 今日は日本史と化学の試験だけだから、後もう一教科済んでさえしまえばもう終わりだ。教室中からは先程のテストの答えはどうだとかあれが解けた。これが解けなかったとかいう生産性がない会話があちこちから聞こえてくる。そんなものをするぐらいなら、次のテストへ向けて少しで勉強をするべきだろうに。そんなことも分からないのかと、心の中であざける。


「ねー、あやー。これ教えてよー」


 あたしが化学の公式を確認するようにパラパラと教科書を捲っていると、クラスメイトの日菜子ひなこを筆頭に、不安そうな表情を浮かべて数人が席に近寄って来た。


「うん? どこー」


 あたしが顔に笑顔を貼り付けてそう返すと、彼女たちはぱっと安心しきった表情になった。上っ面だけでしか判断できないのかと心の中でなじる。あたしはお前たちに近寄ってすら欲しくないの。


 彼女たちの質問に答えていると、すぐに休憩時間は終わった。途中スマートフォンのバイブレーションが何回か起動したけれど、確認する暇がなかった。どうせ、時間帯的にメールマガジンか何かだろう。別に登録するつもりはなかったが、クラスメイトと行きたくもない喫茶店に訪れたり、服を買いに行ったりしたときに半場無理矢理登録させられた。


 テストは思っていたよりも簡単で、これなら先程同様満点も狙えるだろう。一年生の頃から高得点をキープし続けているおかげで、指定校推薦を狙ってもいいし、国公立を狙ってもいいと言われ続けているが、正直そんなものには興味がない。勉強をしている理由だって、家に少しでも長く居たくないから家以外でもできる勉強を始めただけだし、それに小夜子が一緒にしようと言ってくれるからという理由で説明できてしまう。あたしは小夜子の側にいれれば、それだけでいい。他に何も望んではいないのだから。


 テストが終わり、荷物をテキパキと片付けると、そのまま教室を後にする。小夜子がスタバに行くと言えば、そのままそこで勉強をしてもいいかもしれない。


 後ろでは何人かのクラスメイトがあたしのことを呼んでいた気がするけれど、聞こえないふりをして歩き続ける。小夜子の教室へと向かっている途中スマートフォンを確認すると、メールが五通ほど届いていた。適当に上から確認していくと、小夜子からのメールも含まれていた。帰りの連絡か何かだろうかと思い、時間を確認するとさっきの休憩時間に届いていたもので、あたしは首を捻る。メールを開くと、そこには先に帰っていて欲しいという簡素なメッセージが打ち込まれており、それ以外には何の情報も書かれてはいなかった。


 小夜子にも用事があるのだろう。あたしだってクラスの子たちとどこかに行くからと言って断ったこともあるし、別段不思議なことでもない。


 それでも、胸の奥がもやっとするような。嫌な気持ちがちらちらと揺れていた。渡り廊下の前でしばらく画面を見つめていると、下から聞き慣れた声が聞こえてきた。反射のようなスピードで手すりを掴んで下を覗き込むと、小夜子がもじゃもじゃ頭の男子生徒と共に仲良さそうに歩いていた。ちらりと見えた横顔に、幸せそうな表情が浮かんでいた。


「あいつ……」


 頭の中に、今朝見た一人の男子生徒の顔が浮かぶ。そして、彼の目に浮かんでいた決意の色も。その瞬間考えたくない結論が導き出されあたしは小さくうめいた。


 ――告白したんだ。


 そして、それを小夜子は受け入れた。そう考えると胸が強く締め付けられるような感覚があたしを襲って、その場に座り込んでしまう。吐きそうだった。息を満足に吸うことができない。認めたくない。あたし以外といる貴女なんて、見たくない。


 どうしてなの? あたしは小夜子を一人にしなかったのに。


 どうして貴女はあたしを一人にするの?


 ねえ、どうして?


 小夜子、あたしを一人にしないでよ。

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