第4話 液体

 「そろそろ着くけどさ、今回の報酬何円だと思う?朝言ったけどどうせ覚えてないでしょ」

いつの間にか俺の横を歩いていたツバメは、いたずらっぽく微笑んで言った。

「千?」

「ぶー」

「二千」

ツバメは楽しそうに首を横に振る。

「三千......違うか?じゃあ四千」

「キリないよ」と笑うツバメ。


 「正解は、二万円」

俺は咄嗟に「うわ」と声を漏らした。いつもは食堂で一番安い和食定食を食べているけれど、この仕事が成功したらずっと食べてみたかったエビフライ定食を食べてみようか。いつもの二倍の値段がかかるけれど、大浴場も貸し切りしてみたい。数週間は持つ値段に夢がどんどん広がった。


 「成功したら、一万円ずつ貰おう。イスカは何に使う?」

俺はしばらく考えた末に、「ツバメにやるよ。俺はいらない」といつもの台詞を口にした。大金をやると言っているにも関わらず、ツバメは少し不服そうな顔をした。呆れとも寂しさとも怒りともとれるその表情を見て、何故か罪悪感が湧く。

「いっつもそうだよね。山分けしたがらない。絶対二人で分けた方が楽しいのにね」


 「お前には分からないよ」

ため息と共に言葉がこぼれる。

「遠慮でもなんでもなくて、愛する人に全てを捧げるのが幸せなんだ。お前にはわからないよ。分からないなら、せめて受け止めてくれないか」

少し言い過ぎただろうか。ツバメは何か言いたそうに口を開いてから、目を伏せて「ごめんね」と呟いた。


 だから、違う。そうじゃない。俺は謝れって言ってるわけでも、苦しさを無理矢理押し付けさせてくれって言ってるわけでもない。ないけど、ないのだけれど、拒否はしてほしくないけど、ツバメが謝ることでもない。アセクシャルであるツバメが好意を向けられて、それに応えられないことがどんなに苦しいか俺は分かってやらなければならないのに、いつもツバメが一番だとか言いながら自分の気持ちを優先してしまう。お前には分からない、なんて生まれながらの彼を否定して。


 「俺こそごめん。でも、本当に好きなんだ」

「好きって感情が俺には分かんないから。ずっとイスカと一緒に居たいって思うこととの境界線も分かんない。だからありがとうって言ったら良いのかも分かんないけど、好きってそんなに悪い意味じゃないよね」

俺は迷いなく頷いた。俺を見て微笑むツバメの笑顔は世界一尊いものだと分かっていたけれど、俺はそれを手に入れることができない。もうその事実に苦しさは感じなくなっていた。


 「そろそろじゃないかな。あ、ほら」

ツバメは少し先に見える『コインロッカー』の看板を指差して言った。

「暗証番号は1234らしい」

「うわ、セキュリティ酷いな」

「そうだね、重大な仕事にしてはね」と笑うツバメ。


 ツバメはコインロッカーの前で屈むと、数字を『1234』に合わせてハンドルを回した。しかしハンドルはガチャガチャと音を立てるだけで、ロッカーを開けようとしない。「おかしいな」と呟きながらハンドルを回すツバメ。


 コインロッカーに暗証番号が存在することに、不信感を覚えていれば良かったのかも知れない。

俺は「逆回しだろ」と言って屈んだ。ツバメは少し横に移動し、俺は呆れながらハンドルを逆向きに回す。


 呻き声は反射的に出ただけで、胸元を赤く湿らせる液体の正体を理解するには、随分と時間がかかった。

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