第3話 将来
昔は電車から降りる度に、ホームと電車の隙間に落ちてしまわないか心配だったな、と思いながら電車から降りた。その瞬間に冷たい空気が身体を纏う。いつも着ているツナギだけでは体温を保てないみたいだ。
「寒いな」
さっきのことなんてすっかり忘れたような振りをしながら、ツバメは呟いた。俺も首を縦に振って同意する。
ツバメは俺が寝ている間にルートを調べたのか、迷わず進んでいく。人影のない駅でそんなことあるはずないのに、ツバメを見失ってしまいそうで少し怖くなった。
「ツバメ」
恐怖の反動だろうか、理由もなく彼の名前を呼んでいた。
「ん?」と返事をしつつもツバメは振り返らない。
「なぁ、ツバメ」
「何だよ」
ツバメは小さく笑った。何故か全く分からないけれど、不意に泣きたくなる。俺は微笑んでいるのに、ツバメの声を聞く度に腹の奥底が声を殺して泣いている。
「俺を殴ってくれないか」
俺の言葉にツバメは無言でこちらを振り向いた。混乱の文字を顔に貼り付けたような表情をしていて、俺は咄嗟に「殴って、と言うか」と弁解しようとする。
「嫌いになってくれないか?」
「はぁ?」
今度こそツバメは声を出した。
「......何でもない。ごめんな」
「なら良いけど」
ツバメの返事にホッとしつつも、どこかに『何だよ気になるなぁ。言ってよ』の言葉を求めていた自分がいた。
「イスカ、今日ちょっと変じゃない?寝ぼけてるでしょ、まだ」
「そんな事、ないけど」
歯切れの悪い返事になってしまう。
「ねぇイスカ、俺夢があってさ」
ツバメはツナギのポケットに手を突っ込んだまま、唐突に後ろ向きに歩き始めた。
「いつか沢山働いてさ、お金に余裕が出来たら、あそこ抜け出して二人で暮らすんだ。どう?すごく良い夢だと思わない?」
戸籍がないと思われる俺達が外で暮らすなんて不可能であることは分かっていた。分かっていたけれど、脳を無視して口が勝手に「そうだな、出来たら良いな」と言ってしまった。
「でしょ?昔からの夢なんだ」
そう言ってツバメは顔に無垢な笑顔を広げた。可能不可能を考えずに感情で語れるツバメに憧れることもある。けれど感情ばかり優先していたら、いつかツバメは壊れてしまう。無垢な笑顔がいつか作った笑顔になるときが来てしまう、そんな気がする。年相応のがっしりとした体つきと彼の口調はかけ離れていて、その距離を実感する度に、いつかツバメが居なくなってしまいそうで俺は勝手に怖くなる。
「俺が沢山働くよ」
俺がそう言って微笑むと、ツバメは「俺も働くし。いいとこ取りしないでよ」と頬を膨らませた。愛おしい。今にも崩れてしまいそうな不安定な愛おしさが俺を狂わせる。頭がおかしくなりそうだ。
ツバメがもっと不細工で、性格が悪くて、取り柄が一つも無かったなら良かったのに。どうしてこうも愛すべき人間と出会ってしまったのだろう。俺は後悔すべきなのに、どうして笑顔になってしまうのだろう。
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