第5話 進展

 情けない声と共に、生温い血を吐き出した。急に心臓の鼓動が早くなる。耳元に心臓があるんじゃないかと思うくらい、鼓動の音がよく聞こえて、鉄の味がする生温い液体を無理矢理飲み込む。

咄嗟に手で腹を抑えていた。温かい。温かくて、なんだろう、何かがおかしい。


 唐突に痛みは俺を襲った。吐き出した液体の正体は理解できても、この状況が理解できない。俺は痛みが腹に集中するのを無視しつつ、頭を上げてコインロッカーの中身を見た。

銃と、仕掛けを施していただろう大量の糸。

やられた。


 「イスカ」

ツバメは俺の名前を呟くと、崩れ落ちるように俺の隣に膝立ちをして、「俺は、ねぇ、イスカ。俺は」と血迷ったように繰り返した。ツバメはツナギの中で首に巻いていたタオルを出し、狂ったようにタオルを噛みちぎる。

何やってんだよ。その言葉が喉まで出かかって、出ようとしない。血に飲み込まれて溶けていく。


 ツバメはタオルに交互に切り込みを入れた。細長くなったタオルを手に巻き付けて、俺の身体を片手で少し浮かせる。ごめんな重くて、の言葉がまた血に溶けた。

俺の出血部分にタオルを巻くツバメ。俺もツバメもまだこの状況を理解しきれていないはずなのに、終わりを悟ったように涙だけが流れていく。


 「歩ける?いや、歩けないよね。分かってる、分かってるんだ。施設まで戻ろうイスカ。俺がおぶって電車に乗ろう」

やめろ。声が出ない。やめろ。

俺は咄嗟に手でツバメの頬を掴んだ。彼の涙が手を伝っていく。


 「何だよ、文句かよ」

ツバメは反抗するようにそう言った。分かっているくせに。心臓に近い位置を撃たれて施設まで持つわけがない、と。

「文句かよって聞いてんだよ」

ツバメは強い力で、頬を掴む俺の手を握り返した。


 「俺は」

血と共に言葉が出た。

喋れる。舌が回る。まだ、言い残せることがある。

「俺はずっとお前が好きで、何年間、だ。何年間だ、ろう、な。分かんないけど、一度も、お、前と一緒に過ごした、して、過ごして、後悔した事ない。ないから」

「馬鹿言うなよ」

やっと絞り出した俺の言葉を一蹴するツバメ。


 「ふざけんなよ。後悔植え付けて勝手に死ぬ気かよ。お前が後悔した事なかろうが俺はするんだよ。俺が開けてれば良かった、仕事に誘わなきゃ良かったってな。だから、だから、なぁ。」

頼むよ、とか細い声でツバメは言った。誰に何を頼んでいるかは分からなくても、俺の死が迫っていることにかなり追い詰められていることは、俺にも分かった。後悔植え付けて勝手に、とかお前は言うけど、俺だってそんな事言われたら後悔して死ぬ以外ないじゃないか。


 「ごめん......ごめん、イスカ。俺......何だろう、視界に映る全ての情報量が多すぎて、変な事言っちゃう。本当にごめん。生きてるやつがキレるなって話なのにな」

ああ、また何故か罪悪感が湧く。謝るな、でも否定するな。そんな理不尽な心の叫びがまた聞こえる。


 「なぁ、俺、最後、に、最後、だけ。我儘言っても良、いか」

嗚咽に忙しいツバメは、大量の涙を流しながら大きく縦に頷いた。

「何年間とかの......片、片想いの、進展が、欲し......い」


 「好きだ、イスカ」

ストレートなツバメの言葉は、一瞬俺の胸に衝撃と快楽を齎した。俺も好きだ、と言おうとしてツバメの言葉の裏が『俺が後悔しないため』である事に、当たり前ながら気づく。

足りない、と言いたい。言いたいのに、口が開かない。


 馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。開けよ口。瞼も、重い。

駄目だ。目を閉じたら死ぬ。


 ツバメの頬を掴んでいた手を、俺の方に引っ張った。


 柔らかい。


 そんなに泣くなよ。泣きたいのはこっちの方だ、片想いを無理矢理進展させて喜んでいるなんて惨めだろ。


 俺の残した金でエビフライ定食でもなんでも食べて良いよ。そうしたら俺の金が喜ぶから。


 おやすみ。

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