たちあおい③

「どうして砂川君はここに?」


「悠介で良いですよ。せっかくなので」


 それから鼻先を軽く撫でて、言葉を続けた。

「僕は友人の付き添いです。それに、ここら辺で病院らしい病院なんて、秋雨病院以外ありませんから」


「付き添い……か」


 椿は桜を見上げて、ぽつりと呟いた。その声が自分でも笑えるくらい哀愁に満ちていて、小さく溜息を吐いた。


「あ、あの……もし良かったら、たまにお見舞いに伺っても良いでしょうか?」


 悠介はそんな椿の様子を、誰も見舞いに来てくれない可愛そうなやつと勘違いをしたのか、心配そうに尋ねた。


 一瞬断ろうかと思ったが、彼の真剣な瞳が少しだけ嬉しくて、そっと頷いた。その瞬間風が吹き込み、二人の髪をゆるく揺らした。秋雨病院がロの字型に作られていることもあり、中庭はあまり広くは作られていない。そのため、滅多に風は吹き込んで来ないのだが、どうやらその滅多にが今だったようだ。


 風に乗って桜の花びらがふわりと宙を舞う。その瞬間が息を飲むほど美しかったから、椿は少しだけ顔をほころばせた。


「しばらくはここから離れられないから。また気が向いたらいつでもおいで」


 目を閉じようとした一瞬、視界の隅に映り込んだ悠介の顔がさっと朱色に染まっているのが見えた。今彼を見るのは少しだけ申し訳なく思えたから、椿は身体を回転させて桜の木を見上げた。


「メールアドレスと電話番号は教えない。あと、チャットアプリのアカウントも」


 昔からそういったものが苦手だった。電子機器よりも、手紙のような暖かみを感じる手書きの物が好きだった。


 周りの子たちが勧めるから一応スマートフォンを持ってはいるものの、家でもどこでも積極的に使うようなことはなかった。今のご時世からすれば、変わっているとは思う。いや、後れていると言った方が正しいのかも知れない。それでも、苦手なのだから仕方がない。それに、彼とはそういった機器を通しての繋がりではいたくないと思った。


「だから、それでも良ければ病室を教えるけど?」


 後ろを振り向くと、思案顔で悠介が立っていた。椿の言葉の真意が分からなかったのだろう。それでも理解しようとしてくれている彼の優しさに、心が暖かくなるような気がした。


「どうする?」


 小首を傾げて尋ねると、悠介はゆっくりと頷いた。それは戸惑いよりも、興味の方が強いように椿には見受けられた。


「決まりね」


 椿が笑うと、悠介もつられて笑う。その空間が暖かくて、ずっとこのまま、今が続けば良いのにと願った。それでも、それは叶わないから。


「私の病室は明日教えてあげる」


「え?」


 表情がどういうことかと不安げな物に変わる。彼は思ったことがすぐ顔に出るから、からかいがいがある。


「口で言うよりも直接向かった方が覚えやすいでしょ? それに、友達。いいの?」


 悠介ははっとした表情で後ろを振り返ると、急いでポケットから取り出したスマートフォンで時間を確認する。


「す、すみません。俺もう行きますね」


 慌ただしく頭を下げると、彼はそのまま中庭を後にしてしまう。まるで春の嵐のように素直な少年だと思った。少しだけ胸の奥がちくりと痛む。それは恋の痛みと言うよりも、自分のもうすぐ終わるかも知れない人生に、赤の他人を巻き込んでしまったことに対する申し訳なさによるものであろう。


 しばらくぼんやりと出口を見つめて彼の背中を思い出していると、息を切らした悠介が顔を覗かせた。


「浜鳥さん! 明日、今日と、同じ、時間で、いいですか?」


 途切れ途切れになった声に、椿は朗らかに笑う。


「えぇ。それと」


 そこでわざと言葉を句切る。こんなことを言うのは、少しだけ気恥ずかしかったから。


「椿でいいよ」


 悠介は一瞬間の抜けた表情をすると、すぐにぱっと表情を明るくさせた。


「はい!」


 彼の笑顔には、きっと。春の暖かさがある。

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