第3部:第9話 雛の信念

 少女の意識移植に向けて準備を進める中、雛はある決断をしなければならなかった。レオンや他の研究者たちと相談を重ねた結果、やはり移植手術には雛の催眠術が不可欠だと判断されたのだ。


 雛は、少女の両親を前にして、真摯な面持ちで語りかける。


「お二人には、もう一度だけ考え直していただきたい。レオンの技術を用いれば、お嬢様の記憶はほぼ完全に移植できる可能性が高いのです。ですが、意識、つまり魂そのものを完璧に再現できるかは、誰にもわかりません」


 雛は、モニターに映し出された脳のスキャン画像を指し示しながら、説明を続ける。


「記憶は脳内の神経ネットワークに蓄積された情報です。それを転写することは、現代の技術でも可能でしょう。けれど意識は、もっと複雑で捉えどころのないもの。私の催眠術を使っても、100パーセントお嬢様の魂を移し替えられる保証はないのです」


 厳しい現実を伝える雛に、両親の表情が曇る。しかし、母親は涙をこらえながら言葉を紡いだ。


「先生、私たちは…娘のために、どんなリスクでも背負うつもりです。この子には、まだ生きる権利があるはず。私たちには、もう後がないんです…」


「お願いします先生。たとえ完璧ではなくても、娘の心が宿ってくれるのなら…私たちは、先生を信じています」


 父親もまた、必死の想いを口にする。その言葉に、雛は深く頷いた。


「…わかりました。では、私の催眠術を使って、全力で挑ませていただきます」


 雛の瞳には揺るぎない決意の色が宿る。この選択が正しいのかどうか、雛自身にも確信はない。それでも、目の前の命を救うために、自分のすべてを捧げる覚悟だけはあった。


「ただ、最後まで私の言うことを聞いてください。そして何より、お嬢様の意思を尊重しなければなりません」


「先生の仰る通りです。娘の望みに従うことが、私たち親の役目ですから」


 そう告げる両親に、雛は感謝の眼差しを向けた。


 手術当日。雛は、レオンや他の研究スタッフと共に手術室に立っていた。少女は複雑な機械に囲まれ、無数の電極が額に取り付けられている。モニター上には、少女の脳波や各種バイタルサインが映し出されていた。


「君の催眠術なしでは、この子の意識を完全に移植することはできない。頼んだよ、雛」


 レオンの言葉に、雛は深呼吸をしながら答える。


「…わかってます。私なりのベストを尽くします」


 そして、雛は少女に語りかけた。


「私の声をよく聞いて。あなたの意識を、そっと解き放つから。新しい身体で、自由に動けるようになるのよ」


 雛の催眠術が、少女の意識に働きかけてゆく。麻酔で眠らされた少女の脳波が、ゆっくりと変化してゆくのがモニター上に映し出された。α波が次第に減衰し、意識が肉体から離れてゆく過程が、リアルタイムで可視化されている。


「レオン、今です!少女の意識を、あの人工体に!」


 雛の合図に、レオンと研究チームが反応する。入念なリハーサルを幾度も重ねてきた成果だ。


 高度な技術を駆使し、少女の意識のデータが人工体へとアップロードされてゆく。その間も、雛は催眠術を途切れさせることなく、意識の移植をガイドし続けた。


 そうして、少女の意識は見事に人工体へと移植された。手術は成功だった。


 しばらくすると、少女は新たな瞳を開いた。両親は歓喜の涙を流しながら、愛する娘を抱きしめる。


「よかった…本当によかった…!」

 

 雛もまた、安堵のため息をついていた。


 この奇跡は、雛の催眠術と、レオンら研究チームの力の結晶だった。そして何より、少女を思う家族の愛の結晶でもある。


「でも、これで本当に彼女は幸せになれるのかしら…」


 雛の脳裏に、ふと疑問が浮かぶ。


「意識を移植されたアンドロイドの子供が、人間社会で受け入れられるかどうか…」


 レオンもまた、同じ懸念を抱いているようだった。


「君の言う通りだ。世間の偏見は、容易には消えない。でも、だからこそ私たちが、その先駆けとならなければならないんだ」


 レオンの言葉に、雛は深く頷いた。

 

 この一件を通して、雛は改めて考えさせられていた。自分だけが特別な力を持っているがゆえの、重圧と孤独について。もし自分の催眠術が発動しなければ、少女の意識は永遠に戻らなかったかもしれない。もし自分が力を持っていなければ、救える命も救えなかったかもしれない。雛の心の内には、大きな喜びと同時に、消えない不安が渦巻いていた。


 それでも雛は、目の前の少女と家族の笑顔を見て、ある確信を得る。たとえ自分が孤独であっても。たとえ自分の力が、時に重荷になることがあっても。この力を正しく使うことで、救える命があるのだと。


 この奇跡を可能にしてくれた仲間たちへの、深い感謝の念を胸に、雛はそっと目を閉じた。

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