第3部:第5話 命の尊厳をめぐる思索

 少女の治療法を模索する中で、雛はかつてない深い思索に沈んでいた。意識のデジタル化と移植。その是非をめぐり、雛の心は揺れ動いている。


 一方、マーガレットの移植が成功して以来、レオンの研究所には変化が表れていた。マーガレットは新しい身体を得て、自由に動き回れるようになったのだ。レオンと過ごす時間は、彼女にとってかけがえのないものだった。


「レオン、まだ生きている人間の意識を移植することについて、どう思う?」


 ある日、雛がレオンに問いかける。彼もまた、難しい表情で言葉を探っていた。


「君も知ってのとおり、僕はマーガレットのために意識移植の研究を進めてきた。だが、一般的な医療行為としてそれを認めるのは、倫理的に難しい問題だと感じている」


 レオンの眼差しは、真摯なものだった。マーガレットの移植を通して、彼の中にも変化が生まれていたのだ。


「そうね。私も、人の命の本質って、肉体じゃなくて心にあるんじゃないかって考えるようになったわ」


「だが、心を宿す器としての肉体の存在も、軽視できない。人は肉体あってこその存在だ。意識を移植したところで、はたして同じ人間と言えるのか…」


 レオンは哲学的な問いを投げかける。雛もまた、同じ疑問を抱えていた。


「確かに、肉体と精神の一致があってこそ、人は人たり得るのかもしれない。けれど、肉体を超越した魂の存在を信じたいと思う私もいるのよ…」


 雛の言葉に、レオンは深く頷く。

 

「君の言うとおりだ。肉体は朽ち果てても、魂は永遠に生き続ける…。そう考えることもできる。人の命の本質を探究することは、限りなく難しい」


 二人の対話は、深遠なるテーマへと及んでいた。


 一方、エヴァもまた、大きな変化を経験していた。親友とも言えるマーガレットが、自分の中から旅立っていったのだ。武器のぬいぐるみやフィギュアを大量に集めることで、その寂しさを紛らわせている。


「エヴァ、マーガレットのことをどう思ってるの?」


 雛がそう尋ねると、エヴァは穏やかな表情で答えた。


「何か大切なものでも失ってしまったかのような寂しい気持ちはあります。でも、マーガレットが自分の人生を歩めるようになって、私は嬉しいんです。肉体は形を変えても、大切なのは宿る魂だと…マーガレットを通して、そう感じられるようになりました」


 エヴァの言葉に、雛は深くうなずく。マーガレットとエヴァ。二人の絆は、肉体を超えて結ばれているのだ。


「人は、魂を持つが故に苦しむ。喜びも悲しみも、すべては魂に宿るが故だ。だからこそ、意識の移植は魂の在り方を問うことに他ならない…」


 雛は、思索を巡らせる。

 

「人が人たる所以は、魂の存在にある。ならば、その魂を永遠に留めておくことは、許されざる行為なのだろうか…」


 エヴァもまた、雛の言葉に聞き入っている。人の心の深淵を覗き見るような、そんな対話が続いていく。


「ねぇ、ソルは意識移植についてどう思ってるの?」


 雛がソルに問うと、彼は腕を組んで唸るように答えた。


「正直、難しい問題だと思う。技術の発展には光と影の両面がある。慎重に議論を重ねた上で、英知を結集して前に進むしかないんじゃないか」


 ソルの言葉は重く、しかし核心を突いている。雛も深くうなずいた。


「命の尊厳を守りつつ、可能性に賭ける…私たちに課せられた難題ね」


 雛は仲間たちと見つめ合い、胸中の思いを言葉にする。


「人の意識を、別の身体に移植すること。それは、魂の在り方を問う行為なのかもしれない」


 雛の瞳が、哲学的な深みを増してゆく。


「魂と肉体の相関性。意識と身体の一致。私にはまだ、その本質を掴みきれない。けれど、目の前の命を救うためなら、私は…」


 進むべき道を選ぶことの難しさ。医療技術の進歩と、倫理の狭間で揺れる雛の苦悩は、同じ立場の者にしか理解できないものかもしれない。


 だが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。病に苦しむ少女の未来を救うために、雛は考え抜かねばならないのだから。


 レオンとマーガレット、エヴァとの新しい関係は、雛に新たな視点をもたらしていた。意識移植によって幸せを手にした親友の姿。本来なら叶わなかったはずの、アンドロイドと人間の結びつき。それらはすべて、雛が目指す未来への光明となっている。


 雛は仲間たちと見つめ合い、静かにつぶやいた。


「私は、目の前の命を救いたい。たとえ答えが見つからなくても、前に進むしかないと思うの」


 レオン、エヴァ、ソル、そしてマーガレット。それぞれの想いを胸に秘めながら、彼らもまた雛の決意に深く頷いた。

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