第3部:第4話 新たな命への問いかけ

 マーガレットの意識移植が成功し、彼女は新しい人生を歩み始めた。愛するレオンと共に過ごす日々は、マーガレットにとって何物にも代え難い喜びだった。一方、この出来事は社会に大きな衝撃を与えた。人間の意識をアンドロイドに移植することの是非をめぐり、倫理的な議論が巻き起こったのだ。


 賛同者もいれば、激しく反対する者もいる。メディアでは連日、この問題が取り上げられ、世間を騒がせていた。そんな中、雛のもとにある夫婦が訪れた。


「先生、どうか娘を助けてください。もう、これ以外に方法がないんです…」


 夫婦は、不治の病に侵された一人娘の写真を雛に見せる。幼い少女は、病床に横たわったまま、微かな呼吸を繰り返している。


「先生の催眠術なら、娘の意識をアンドロイドに移植できると聞いて…どうかお願いします」


 母親の言葉は震え、父親の表情は必死だった。雛は複雑な心境で、二人を見つめる。


「でも、人間の意識を機械に移すことは、まだ社会的に認められていません。倫理的な課題も山積みで…」


 雛は難しい表情で言葉を探る。マーガレットのケースは特別だった。だが、一般的な医療行為として意識移植を行うことは、現状では許されていないのだ。


「それでもいいんです。この子に、もう一度未来を歩んでほしい。先生なら、その思いをわかってくださるはず…!」


 父親が力を込めて訴える。その瞳には、わが子への深い愛情が宿っている。雛は目を閉じ、沈黙する。夫婦の痛切な願いは、雛の胸に突き刺さった。


「人の意識を移植するということは、その人の魂までも完璧に再現できるのでしょうか。機械の中に宿った意識は、本当に元の人間と同じだと言えるのでしょうか…」


 雛は、哲学的な問いを口にする。意識移植の本質的な難しさを、彼女は痛いほど理解していた。


「先生、そんなことはわかりません。でも、私たちにはもう、娘の命を救う方法が他にないんです。この子の未来を、もう一度信じたいんです…!」


 夫婦の言葉に、雛は深く頷いた。理屈ではない、親の愛情の深さを感じずにはいられない。


「…わかりました。私にできる限りのことはします。ただ、必ず成功するとは限りません…」


「先生…!」夫婦の目に、涙と希望の光が宿る。


「ありがとうございます。どんな結果になろうと、私たちは受け止める覚悟です。ただ、この子のために、最善を尽くしていただけますよう…」


 雛は深く頷き、夫婦を見送った。だが、彼女の脳裏からは、様々な思いが去来して離れない。

 

 マーガレットの意識移植には、雛の催眠術が不可欠だった。患者の意識に直接はたらきかけ、肉体から引き剥がす高度な技術。それは医学の範疇を超えた、特殊な能力だ。果たして、自分にはそれを正しく使う資格があるのだろうか。

 

 雛は、窓の外を見つめて目を閉じる。一人の命を救うために、魂をデジタル化することが正しいのか。その行為は、人間の尊厳を損なうことにはならないのか。

 

 レオンの研究所で行われたマーガレットの移植は、医療行為とは言えない。だが今、目の前の少女を救うために、同じ方法を取ることが躊躇われるのは何故だろう。


 雛の心は揺れに揺れていた。

 

「人の意識をデータ化し、機械に移し替えること。それは、魂の在り方そのものを問うているのかもしれない…」

 

 雛は思索の森に入り込みしばしの散策に耽る。肉体と魂の関係性。意識の本質。それらは、容易に答えの出ない難題だった。

 

 そんな中、かつてイモータルが犯した過ちを思い出す。無数のアンドロイドに、人間の意識を無理矢理宿そうとした非道な人体実験。雛は、あの悲劇を繰り返してはならないと強く感じていた。

 

 ならば、今自分がしようとしていることは、果たして正しいのだろうか。雛は葛藤に苛まれながらも、夫婦に約束した言葉を思い返す。

 

 ――私にできる限りのことはします。

 

 雛は意を決し、少女の治療法を探るために動き出した。たとえ正解が見えなくとも、目の前の命を救うために全力を尽くすこと。それが、催眠術師としての彼女の信念だった。

 

 慈愛に満ちた瞳で、雛はもう一度窓の外を見やる。そこには、無数の命が息づく、雑多で喧噪とした街並みが広がっていた。命の尊さと、それを救うことの難しさ。相反する思いが雛の胸に去来していた。

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