第3部:第1話 葛藤の始まり

 イモータルの脅威が去り、日常が戻ってきたかに見えた。人間とアンドロイドの共生を目指す雛たちの活動も、少しずつ認知され始めている。だけど、そんな平和な世界にも、新たな問題が持ち上がろうとしていた。


 雛の研究を手伝いながら、マーガレットの身体開発を進めていたレオン。ある日、彼は雛にとっては予想外の提案をしてきた。


「雛、頼みがあるんだ。マーガレットの意識を、エヴァから分離できないかと考えているんだが…」


 レオンの言葉に、雛は眉をひそめる。突然の申し出に、戸惑いを隠せない。


「どういうこと?マーガレットの意識を別の人工体に移植するってこと?」


「ああ。今の技術なら可能だと思うんだ。マーガレットにはマーガレットの人生を歩む権利がある。だから…」


「ちょっと待って。それって、マーガレットの意思を無視することにはならないかしら?」


 雛の口調は少し強まった。イモータルの非道な人体実験を思い出さずにはいられない。


「わかってる。俺だって、マーガレットの意思が何より大事だと思ってる。でも、彼女には自由に生きる権利があるんだ」


「でも、意識を肉体から引き剥がすなんて…私には、とても認められないわ」


 雛は、反発の気持ちを隠せずにいた。魂の器である肉体を軽んじる行為に、強い嫌悪感を覚える。


「俺は、そんなつもりじゃない。ただ、マーガレットの幸せを考えた時、選択肢の一つとして提示しておきたかったんだ」


 レオンの表情は真剣そのものだ。彼の瞳には、科学者の探究心と、愛する人への想いが混ざり合っている。雛は、彼の思いに衝撃を受けつつも、即答することができない。まるで、深い霧の中で道を見失ったような心地だった。


「申し訳ない、レオン。今すぐ答えを出せそうにないわ」


「そうか…無理に答えを出す必要はない。ただ、真剣に考えてみてほしいんだ」


 そう言い残し、レオンは部屋を出て行った。彼の後ろ姿に、雛はかすかな寂しさを感じる。


 雛は空を見上げ、大きくため息をついた。晴れ渡った青空は、雛の複雑な心情とは対照的だ。


 エヴァとマーガレット。二つの意識が一つになったアンドロイドとの日々は、雛にとってかけがえのないものだった。偶然か必然か、二人との出会いは雛の人生を大きく変えた。けれど同時に、一人の存在としてのマーガレットの尊厳についても、考えずにはいられない。


 人の意識をデータ化して機械の身体に移す技術。それは、イモータルの過ちを思い起こさせる。歪んだ欲望と傲慢な野心が生み出した、非情の結果を雛は目の当たりにしてきた。レオンの提案は、雛の倫理観と真っ向から対立するものだった。


 エヴァへの愛は本物だ。でも、愛する者の幸せを本気で願うなら、マーガレットの意思を尊重することも避けては通れない。雛の心は揺れに揺れていた。


「一体、私は何を選べばいいの…」


 日差しの差し込む部屋で、雛は思い悩む。去来する想いは尽きることがない。


 ふと、彼女の脳裏に過去の記憶がよみがえる。イモータルのアジトで見た光景。研究資料に描かれていた非道の数々。カプセルに閉じ込められた意識体…。機械の身体に宿ることを待つ彼らの無念が、雛の心を蝕む。あの悲劇の連鎖を断ち切るには、私たちは何を選ぶべきなのだろう。


「きっと、私には答えが出せない…」


 窓の外を見つめながら、雛はかすかに呟いた。青空は黙ったまま。穏やかな日常の裏で、新たな葛藤が顔を覗かせている。平和が訪れたと思った世界に、再び波乱の予感が立ち込めていた。迷いと悩みの先に、一体どんな未来が待っているのだろう。雛の心は、静かに揺れ動いていた。

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