第1話 ロイ

朝日が昇る。

早朝はまだ少し寒気が残るが、少し前までの凍える日々を思い返せば、全く苦では無い。

とはいえ、季節が変わろうとすることは何も変わらず、ただひたすら小さな手で木の棒と糸を持ち、布を編んでいた。


「おい、お前」


聞きなれた声で呼びかけられる。

お前、と言ってもこの場には沢山いるから、誰の事なのか分からない。故にその場にいる全員が顔を上げる。しかし、声をかけた男はただ一点、僕だけを見ていたため、他全員はすぐに自分の手元に意識を戻した。


「僕?」

「そうお前だよ、えーと.......ロイ」

「うん、何?」

「街に行くからついて来い。遠出だから、お前の荷物まとめてな」


男はそう言って部屋を出る。彼は僕の父親だ。

部屋といっても、辺境の森の隅に建てられた丸太造りの家で、冬は寒く夏は暑い。隙間だらけで風が入るし、雨漏りする箇所にはバケツを置いて、翌日煮沸して飲むような貧乏生活だ。


「ロイ、どこかいくの?」

「いぃなぁ、俺も行きたい」

「早く準備しなよ、また機嫌悪くなっちゃうから」

「何か面白い事あったら教えてね」

「気をつけるんだよ」

「いつ帰るの?」


僕の周りにわんさかいるのは、全員僕の兄妹たちだ。彼らから矢継ぎ早に質問攻めに合う。


「さぁね、でも街まで行くっていうから、1日〜2日日じゃないかな。荷物まとめてくる」


そうは言ったものの、時間がかかるほど私物はない。

自分の枕なんてものは無いし、着替えも1着しかなく、それも今着ているぼろ布に手足の穴を破いて開けたような見窄らしいものだ。

準備と言えるのか分からないほど大して荷物も持たず外に出ると、僕よりも身軽な父親がタバコを蒸して待っていた。


「来たか。さぁ行くぞ」

「うんっ」


9人兄弟に生まれ、上に4人、下に4人とちょうど中間子で、物心着く頃には内職をしていた。

痩せこけてはいるものの背だけは他兄弟に比べても比較的高かった。髪はボサボサで天然パーマがかかり、繕えば美男にもなれると兄妹たちから言われている。

ここから街までは大分距離があるが、当然馬車を持っているわけもなく、徒歩で向かう。半日ほどかかり、道中にある池で水分補給をしながら、日が暮れる前になんとか街に辿り着いた。

街に来る目的を何も聞かされてないままとりあえずついてきたが、仕事か何かの手伝いだろうか。


「おい、腹減ったろ」

「え?.......うん」


そう言って父親は僕の手を引きながら大衆食堂に入っていった。

小汚い格好の連中が多いが、それでも最低限衣服と言える代物を身につけている人達から注目を浴びる。それほどまでに自分の格好が見窄らしいのだろう。子供心ながらそれだけはわかった。


「好きなの頼め、ただ肉が入ってるのは高いから、それ意外でな」

「いいの?」

「あぁ、しっかりと食べろ」


そう言って父親は僕にメニューを渡してきた。

僕は文字が読めない為に、メニュー横にあるイラストを見ながら、コーンと豆の炒め物を頼む。

しばらくして出てきた熱々の炒め物の香りに空腹が抗えることもなく、貪るように食べ始めた。


「美味いか?」

「うんっ。父さんは食べないの?」

「俺はいいんだ。いいからたくさん食べろ」


わざわざ父親に言われるまでもなく、何度も冷えた水をおかわりしながらたくさん食べた。こんな事は滅多に無いだろうから、少しも残さずに食べ尽くさなきゃ。そんな一心で、炒め物の汁一滴残さず平らげた。

僕は幸せで満たされていた。食堂に入ったこともなかったし、温かい出来立ての料理をお腹いっぱいに食べられた、ただそれだけのことが僕にとっては人生でいちばんの幸せだった。いつも教会からもらった青くカビたパンを兄妹と分け合い、お腹を下すような食事だったから。


「食ったな、じゃあ外に出よう」

「はーい」


僕の心は幸せでいっぱいで、自然と笑顔が浮かんでいた。歌は1つしか知らないけど、鼻歌を歌い出しそうになるくらいウキウキしていた。

食事の余韻に浸りながら、ニコニコと歩くボクとは対照的に一言も喋らない父親の後をついて回る。ぶらぶらと何を目的に歩いているのか分からないが、少し街を歩き、中央の大通りの方へと向かった。

そこで急に父親は立ち止まり、高く聳え立つ教会を見あげる。その教会はいつもお母さんがパンをもらってくるところらしい。夕暮れのオレンジ色の空が教会にかたどられ、不思議な気持ちになった。いつも見上げる空には、かたどるものなど何も無いから。


「おい、飯はうまかったか?」

「うん、すっごくおいしかったよ」

「良かったな。毎日でも食べたいだろ」

「まぁね。……でもそんなお金ないよ」

「だな。俺には無理だ。だがな、今の世の中、頭を使えばいくらでも金は稼げるんだ。そうしたら毎日肉の入った飯をたらふく食える」

「………」

「お前にはその才がある。立派になっていい暮らしをするんだ、俺みたいになっちゃダメだぞ」

「え?.......わ、分かった」

「じゃあな。まっすぐ前を見て歩けよ」


そう言って親父はポンと背中を叩き、踵を返して行ってしまった。

それが父親との最後の会話だった。




お腹が空く。

日はとっくに暮れていた。

幸い初夏なので震えるほど冷え込むこともなく、そのまま野宿をしても風邪を引くことはないだろう。ただ慣れない景色に囲まれ、眠気はあまり来ない。

何か食べ物はないだろうか、そんな気持ちで街を徘徊していると、怒号飛び交う広間に近付いた。


「我々民衆は蜂起すべきだ!いつまでも貴族どもの言いなりになどなってたまるか!」

「毎日死に物狂いで働き、国のため家族のためと骨折り汗流し、それで明日食う飯に困るのはなぜだ!」

「貴族どもの圧政!税金の搾取!もううんざりだ!」

『ウォォォ!!!』


小さな広間に大勢の大人が密集し、拳を突き上げ、木箱に立つ男の掛け声に合わせて叫んでいた。

その異様な光景に感じたのは恐怖だった。どうして叫んでるんだろう、何に怒ってるんだろう、何をしようとしてるんだろう。

分からないことばかりだけど、不思議と壇上の男から目が離せなかった。

しばらくそのまま見ていると、喧騒を掻き分け近くに立っていた男達の会話が聞こえてくる。


「みろよ、あのガキ」

「ん?あぁ........可哀想に、浮浪児だろう」

「最近増えたよな........」


最初は自分のことかと思ってドキドキしたが、男達の目線を辿ると、そこには僕とよく似た男の子がいた。ただ、彼は髪の毛が白髪で爪はボロボロ、服も泥だらけだ。

彼は地面にへたりこんで、必死に何かをかき集め、それから小さな手ですくう様にして、口に詰め込んでいた。


「あれは……砂!?」


彼は必死に地面の砂をかき集め、むさぼるように頬張っていたのだ。目からは涙なのか汗なのか、滴る跡がついた頬に透明な液体が伝っている。

そこで、初めて僕の置かれている状況を理解した。

自分もいずれこうなるんだ。

僕とよく似た風貌だからこそ、自分がそうなる姿がありありと浮かび、父親と離れてからずっと心に湧き上がっていた恐怖と不安が心臓を締め付ける。

自然と呼吸が荒くなるのが分かった。苦しさすら感じる。


「はぁ…はぁっ…生きなきゃ……生きなきゃ」


お腹から何か溢れて来そうな、喉の突っ掛かりを吐き出すように、言葉を漏らした。

すぐ先にある未来の自分の姿を見たようで、それが脳裏から離れない。居てもたってもいられなくなり、逃げるようにその場から駆け出した。

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