ロイ
たかなり
第0話 プロローグ
時は神歴16世紀初頭、始原の美とされる古代様式を頂点とした長い歴史の中で、過去類を見ないほどの隆盛を見せた芸術の時代。ここフェルムンド王国に、美を完成させたと揶揄される、彫刻、絵画、建築、あらゆる芸の頂点として名を馳せる男がいた。
王城の中に設けられた、一部の大貴族と王族だけが存在を知る小部屋でその男はかしずき、滑らかな純白の生地に金糸の刺繍が施された、全身を包むローブを纏う女に相対していた。
「さて、ここにお前が来たと言うことは、望むものが定まったと言うことだな」
「はい、意は決しております」
「ふむ、それで、何を望む?」
「願わくば、私のまだ知らない美に触れる機会を」
男の願いを聞き、深々とフードを被った女は笑った。
「この世界で、美の表現者として頂点と名高いお前が、さらなる美を望むのか」
「私にはまだ触れていない美が多くあります。かつて師が垣間見たと言う、この世ならざる生き物達の様に」
辺りに一抹の静けさが漂う。
元よりこの場には、かしずく男と女の二人だけしかいない。調度品もなく簡素な部屋にも関わらず、その場は最も洗練された、この世とは異なる異様な格式を感じさせた。
子供をあやすような、ゆっくりとした態度で女は口を開く。
「ほう、お前は奴の弟子だったな。……よかろう、ならばくれてやろう、私の目を」
「目…ですか…?」
「あぁ。しかしお前が望むその美は、ただの人間には見えぬ存在である。そして奴らも、この私も、人間の目に触れることを良しとしていない。故にお前は私の目を授かることで、奴らの仲間となる。そうして人の世界との隔絶が起こる」
女の顔はフードに隠れて見えないが、口元だけはあらわになっている。透き通った、絹のように張りのある柔肌に、薄紅が淡く唇をかたどる。男にとってその一部だけでも、どれだけの美をこの女が備えているか、想像するに難くなかった。
そんな考えを振り払うように、返事が遅れた事を思い出す。
「私も人の目に不可視の存在となる、と言うことでしょうか?」
「そうではない。お前に人との触れ合いを今後一切禁ずると言う意味だ。これは口約束ではなく、お前達が魔法と呼ぶ力によって制約される。遥か遠く、人と会う事が決して起こらぬ地に飛ばす事にもなる」
「………」
「もう一度考える期間を与えてやらんこともない、考え直すか?」
女はにたり、と笑ったように思えた。
男は逡巡ののち、固い決意と共に胸の内を吐く。
「……私にはもう、人の世に未練はありません」
「………よかろう」
女はゆっくりと男に近づき、頭に軽く触れた。
「ではな。忘れるな、私はいつもお前を見ている」
男は目を瞑り、これまでの半生を走馬灯のように振り返った。
この男の名はロイ。
絶望と無力の底から、人類の到達しうる果てまで美を追求し、実力を示し、腕を磨いた男。
この物語はその半生と、人の領域を逸脱した美の世界に進む冒険譚である。
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