木一堂とあたしの或る日⑨

 私が彼女の前でしどろもどろしていると、彼女はおしとやかに微笑みながら、「自分でも構わないか」と問うてきました。私は意味をいまいち掴むことが出来ず、ただ、何度も頷きました。すると向こうのご両親から、娘は昔から身体が弱く、子供を産むことは出来ないかもしれないということを教えられました。私がそれでも構わないと伝えると、向こうのご両親と、彼女は満足げに笑ってくれたのを覚えています。


 そして、そのまま私は彼女と無事婚約をし、晴れて夫婦となりました。


 最初の頃はお互いぎこちなかったのですが、日々を過ごしていく中で自分が徐々に変わっていくことを実感出来ました。家では妻に良い格好を見せるために黙々と仕事をこなすようになりました。あれだけ嫌だ嫌だと逃げていた料理だって、今思い出しても笑えてしまう程死にものぐるいで練習したことを覚えています。


 彼女は先程も申し上げました通り、身体が丈夫ではありませんので、大抵は裏方で休みつつ、気分の良いときは私と共に料理を作ったり、客の元へ運んだりしていました。


 そんなある日です。妻がどのような料理を食べても吐くようになってしまいました。私が作った物なら何でも美味しい美味しいと言いながら食べてくれる彼女でしたが、その日を境に彼女の好きな料理を持って行っても、ただ、気分が悪いからと断るようになりました。


 最初は風邪かと思いましたが、どうやらそうではないらしく、医者に診せると、ただ「おめでとうございます」と言われたのみでした。その言葉が意味することを推し量れないでいると、母が呆れたように「妊娠だよ」と教えてくれました。


 それが私にとって、どれだけの恐怖でしたか。妻が死んでしまうかもしれない。そう考えただけで涙が止まりませんでした。そんな私を見て、妻は美しく微笑みながら言いました。


「『こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。』だから貴方様、安心してください。これはわたくしの革命なのです」


 私は彼女が『斜陽』を好きで、毎日繰り返し、ページを捲り続けたのを知っていました。それに、私自身も読んだ本でしたので、先程の言葉が、主人公のかず子が最後のシーンで書いた、手紙の中の一文を引用したものであるとすぐに気が付きました。


「産みたいのかい?」


 私が震える声で尋ねますと、妻はいつになく真剣な眼差しで私を見据えながら何度も頷きました。だから、私も彼女を支えようと決めました。彼女が母になれるように、今以上に躍起になって働きました。


 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋を越した冬のある日、彼女はとうとう母になりました。

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