木一堂とあたしの或る日⑩

 あれは雪がしんしんと降る夜でした。部屋もぐっと冷え込み、私は身体を冷やさないようにと、彼女に毛布を掛けてやったり、お湯を飲ませてやったりしました。


 そして、お産が始まると、私は産婆に部屋を追い出されてしまいましたので、部屋の前を落ち着き無く行ったり来たりしていました。そりゃもう怖かったですよ。彼女の辛そうにしている声を聞いているだけで、仏にすがりつきたくなりました。


 彼女が無事、母になれたら自分には何もいらない。私は目を堅く閉じて、ひたすらに祈り続けました。


 そして、明け方が近づいてきたその時、世界で一番美しい歌声が聞こえました。そうです、子が産まれました。私と彼女の子です。産婆に抱きかかえられたその子を見たとき、私は知らず知らずのうちに、大粒の涙を流していました。


「元気な男の子ですよ」


 産婆の淡々とした言葉に、私は何度お礼を言ったことでしょうか。


 息も絶え絶えになりながら、子を産んだ彼女は、産婆から子を受け取ると、今まで見たことの無いような幸せな笑みを浮かべていました。そして、震える手で子に触れると、愛しい子、愛しい子と何度も譫言のように繰り返しました。


 それから心配した体調の悪化も無く、妻は立派に母として生活をしていきました。


 息子が大きくなること。そして、身体の弱い自分が今も生きていること。その喜びから妻は毎日のように私に「ありがとう」と言っていました。私も彼女が生きていることが本当に嬉しくて、毎日のように抱きしめました。


 しかし、五年前。息子が丁度六つの誕生日を迎えてすぐに、妻は結核でこの世を去りました。死ぬ間際、結核で死んでしまうなんて、まるで『斜陽』のお母さまみたいなんて冗談を彼女は言っていました。


 それから妻は眠るように、穏やかに微笑んで亡くなりました。仕合わせな人生だったと、産まれてきて、貴方という人に出会い、母親になれたこの人生が不幸であったはずがありましょうかと、彼女は掠れた声で必死に私に伝えてくれました。私は彼女の弱り切った身体を抱きしめ、どれほど涙を流したことか。


 それほど、私にとって、妻は大切な女性だったのです。

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