木一堂とあたしの或る日⑧
私が妻と出会ったのは、親同士が決めた見合いの場でした。
当時の私は怠け者で、家にいても酒ばかり飲み。外に出たかと思うと町でふらふらしている連中と遊び歩く日々でした。俗に言う不良というやつですね。両親はそんな私を見て、毎日のように泣いていたことを今でもはっきりと覚えています。
そんなある日でした。
「やい、あんた。縁談が決まったよ」
母からそう言われたとき、私は勝手に決められた事への怒りよりもまず、どんな人との縁談であろうかと興味が湧きました。まるで自分の事では無いように感じられたのです。
「へえ、どんな人だい?」
そう聞き返しますと、私がそんな反応をするとは思わなかったのでしょう、母は一瞬驚いた顔をして、昔からお世話になっている商店の娘さんだと教えてくれました。私の家は文政から続いている飯屋ですので、そう言った商店や、農家などとは少なからず交流がありました。だから、いまいちピンと来ないまま、ただ、「そうかい」と返事をしただけでした。
私がお見合いをすると言う話は、私が話すまでも無く、当時遊んでいた連中達には筒抜けでした。と、言っても彼らの中には両親が知り合いだったりする間柄のやつもいるものですから、当たり前と言えば当たり前なのですが。
周りは皆、あんなべっぴんさんと一緒になれるなら、死んでもいいと口を揃えて言いますので、私としても俄然見合いに向かうのが楽しみになってしまいました。
毎日ぼんやりと、どんな人だろうかと夢想いたしました。ただ、私はその人と見合いの場で会うまでは、決してこちらから会おうとはしませんでした。いえ、むしろ、向こうから言い寄られても会ってやらないという心持ちでした。今思っても不思議ですが、その当時はそんな気分でしたのだから仕方がありません。
やがて、見合いの日が来ますと、いよいよ会えるのかと楽しみである反面、自分みたいな不良なんかが、婚姻を結んでしまっても良いのだろうかと不安になりました。見合いをする、彼女の家に向かいながらも、私の胃はまるで細い針で、ちくちく刺されるかのように痛みました。
ところがです。一目彼女を見ただけで、色々なものが吹っ飛んでしまいました。あの日見た妻の美しさは未だに忘れられません。今でも、目を閉じるだけで浮かんでくるような気がします。
彼女と対面し、そして、その人の声を聞いただけで、自分が幸せにしなければという気になりました。美しいだけではありません。儚かったのです。まるで、手を触れてしまえば溶けてしまうような。風が吹けばそのまま一緒に消えてしまうような。そのような不安を私に与えました。だからこそ、私が守らなければならないと強く思いました。
これが俗に言う、〈一目惚れ〉とかいうやつなのだなと気が付いたのは、妻が死ぬ間際のことでした。
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