竜使いのお仕事

石田空

第1話

 竜育成士の朝は早い。

 孵化場の温度を測り、高過ぎたら風通しをよくし、低過ぎたら卵のひとつひとつに湯たんぽをタオルでくるんで近場に置いてやり、孵化の促進をしてやらないといけない。

 竜を人工孵化させないといけない一番の理由は、育成して人間を襲わないようにするには雛から竜を育成しないとまず無理だからというのが大きい。子育て中の親から雛を盗み出そうとしたらまず間違いなく命を落とす。さりとて大人になった竜はまず人には懐かない。

 よって、時間がかかっても、温度管理が難しくても、竜育成士が自らの手で竜を孵化させるしかなかった。


「まだー? まーだー?」


 ティモシーが温度調整に湯たんぽの調整をしていると、孵化場をうろうろしている不審人物がいた。

 この郵便局の新人竜使いのアントンだ。それにティモシーはうんざりとした顔をする。


「竜の孵化は十ヵ月かかる。そんなに早く竜が孵化するんだったら竜育成士なんていらねえよ」

「それもそうだけどさあ……ああ、早くオレの竜来ないかなあ! もう名前も考えてんだよねえ」


 そう能天気なことを言うアントンに、ティモシーは溜息をついた。

 なにぶん竜使いの中でも子供も大人もポピュラーに見るのが郵便局勤めの竜使いだ。速達を運ぶためにバサバサと翼を羽ばたかせて飛ぶ姿に魅せられた子供は多く、それから竜使いを目指す者が多いのだ。

 竜使いと竜育成士がふたりひと組で竜の面倒を見ているのも、もし竜使いの心が折れて辞めてしまう場合、竜育成士が引き取って、竜を欲しがっているところに売らないといけないからだ。

 竜に乗って仕事をするのが竜使いならば、竜を欲しがっているところのために竜を育てるのが竜育成士の仕事だ。


(こいつは竜が孵化したとき、何日持つのかね)


 ティモシーが面倒を見ている郵便局の竜使いは、かれこれ四回ほど交替し、うちふたりは三日も持たなかった。うちひとりは竜の背中に乗って飛ぶまで自分が高所恐怖症だということを知らなかったというお粗末さだった。

 アントンもそんなすぐに根を上げる子供のうちのひとりだろうとティモシーは踏んでいたが、意外なことにアントンは能天気な言動の割に我慢強く、竜の孵化までに一生懸命訓練を続けていたのだ。

 毎日柔軟体操をし、玉乗りをしてバランス感覚を養う。そして腕力を鍛えるために毎日腕立て伏せをして、いつでも竜に乗れるように待ち構えていた。

 そんな中、季節が初夏からぐるりと回って初春になった頃、ようやっと毎日面倒を見ていた卵にひびが入った。


「アントン! 早く来い!」

「おお! もう来たか!?」

「ああ、今からが勝負だ。俺はちょっと離れるから、その間に目を合わせろ!」

「おお!」


 竜を卵から育てて孵化させないといけない一番の理由。そして人間に懐く懐かないを決めるのは、孵化させた瞬間の刷り込みが大きくかかわってくる。

 竜が初めて目を合わせた相手を親として定める。その親が言うことをよく聞かせることで人に懐き、他人もむやみに襲わなくなるのだ。

 まだ生まれた手で、体液塗れでまだピルピルと鳴いている竜はつぶらな瞳で、じぃーっとアントンを見た。

 アントンは目を輝かせている。


「トビー! ずっと待ってたからなあ。今日からオレの竜だ!」

「ピルルルル……!」

「よーっしよーっち」


 それを遠巻きに眺めていたティモシーは腕を組んでいた。

 孵化した瞬間、竜使いは竜と出会い、刷り込みをする。刷り込みのおかげで人間を襲わなくなるが、心が折れていなくなってしまった竜使いを探し求めて泣いている竜の面倒を見、なんとか新しい引き取り手に引き渡すまで慰め続けていたティモシーからしてみれば、本来なら感動的なシーンである孵化のご対面も苦く思える。

 この子はいったいどれだけ持つのか。竜は一年経たなかったら人を乗せられるほどの大きさにならないのだが、その間世話を投げ出さなければいいと、そればかりを祈っていた。


****


 アントンはトビーの世話をしながらも、竜使いとしての訓練を辛抱強く行っていた。

 ティモシーは依頼の孵化をしながら、そんなアントンの奮闘を眺めていた。


「トビーがなんか吐いた!」

「そりゃ自分の食べたものの異物を玉として吐き出すんだよ。竜の巣によく宝が埋まってるだろ。ありゃ間違って食べたものを吐き出してるからだよ」

「なるほど……」


「トビーも大きくなったなあ。もう畑の犬くらいの大きさじゃないか?」

「いくら竜が丈夫だからって、この大きさじゃまだ乗れないからな。潰れちまう」

「乗らないよ!」


「トビーが熱出してる! 全然引かないんだけど」

「こりゃ成長痛だな。竜は一年で人間より大きくなるんだ。体だってミシミシ言うんだから、そりゃ痛くて熱出すだろ。これが竜用の熱さまし」

「吐いて全然飲んでくれねえんだけど!」

「飲み込むまで無理矢理口を抑え込むんだよ。俺がやったら暴れるだろ。お前がやるんだ」

「うわあ、いじめてないから! 本当にいじめてないからな!」


 竜の子育ては一筋縄ではいかず、アントンはときおりべそをかきながらも、必死に面倒を見ていた。

 アントンは元々羊飼いだったという。だから存外竜の面倒を見るためにべそはかいても投げ出すようなことはしなかった。

 そもそもトビーが懐いてアントンには騎乗具を付けさせても反抗したりしないのだ。

 一年経って立派に人を乗せられるようになった頃、やっと竜使いの訓練がはじまるのだ。


****


「いいか、郵便はスピードが命だが、それだけじゃねえ。民家より高く飛ばないと、竜の羽ばたきで簡単に家は潰れる。ここが民家から離れている理由を考えろ」


 竜使いの営む郵便局が断崖に存在する理由は、普通に竜の羽ばたきの強さのせいだ。

 ティモシーにそう言われながら、緊張に満ちた顔でアントンはトビーに騎乗具を取り付ける。小さい頃から触れさせていたおかげで、トビーは騎乗具を付ける時にさからうような真似をせず、むしろ「一緒に遊んでくれるの?」と騎乗具を見るたびに喜ぶようにピルピルと鳴いた。

 アントンはトビーの上に乗り、騎乗縄を引っ張る。途端にトビーは羽を羽ばたかせて飛びはじめた。


「うわあ……!」


 空が近い。

 郵便局がみるみる遠ざかっていく。そしてなにより。

 ハイランド地方がどんどん絵のように小さくなっていく。


「すげえ……」


 これならば、たしかに速達を送りに行けるし、皆に感謝されるし、憧れられる。

 アントンはトビーの頭を撫でた。


「もうちょっとしたらさ、オレも仕事をはじめるんだ。速達便。他の郵便局が代わってくれてた仕事がこっちに来るんだってさ」

「ピルル」

「一緒に飛んでくれるか?」

「ピルッ」


 トビーは綺麗な鳴き声を上げたのに、自然とアントンは微笑んだ。


 今年も駄目だろうとティモシーは諦めていたが、意外と掘り出し物だったアントンと相棒のトビー。

 新米郵便局は、開店間近だ。


<了>

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竜使いのお仕事 石田空 @soraisida

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