第五章 私が院長になった日


 ゴウン、ゴウンと洗濯乾燥機が回転しているのを見つめながら、遥とのやり取りを思い出して、私はため息をついた。

 彼女が強いことは分かっている。でも、彼女にだって調子の良くない日はある。そういう時に限って彼女はしばしば無茶をしてしまうのだ。

 さっき話した時に、本当は止めたかった。今日は休みなよ、そう言いたかった。止められなかったのは、私を見つめる彼女の目が、それを拒絶していたからだ。

 自分を大事にしろ、なんてどの口が言えるだろう。私だって、彼女に危険を押し付けている側の人間だ。思わず、また深いため息が漏れる。

 これ以上洗濯物を見ていると思考もぐるぐると回ってしまいそうだったので、私は目を閉じて乾燥が終わるのを待った。

 ようやく洗濯を終え、朝の放送をしに行こうと廊下に出ると、理仁とサラダがいた。

「あ、世奈! おはよう」

「おはようございます、セナ」

「おはよう、理仁、サラダ。早起きだね」

 私がそう言うと、理仁は挨拶もそこそこに、突然訴えるような口調でまくしたてた。

「聞いてよ、世奈! 遥ったら酷いんだ。サラダにドアを思い切りぶつけたのに、謝らずにどっか行こうとしたんだ」

「そうなの?」

「まあまあ。リヒトのおかげで、ハルカもその後謝ってくれましたし」

「でも、さすがに失礼すぎるよ。サラダを見た時に舌打ちまでしたんだよ」

 珍しく感情的な理仁と、少し落ち込んだようなサラダから聞いた話をまとめると、次のようなことがあったらしい。

 遥が部屋から出ようとしたとき、ちょうど部屋の前を通ったサラダにドアがぶつかってしまった。しかし遥が舌打ちしてそのまま通り過ぎようとしたので、理仁が呼び止め、遥にサラダへの謝罪を要求した。遥は一応謝罪したものの、その後サラダがした質問にはぶっきらぼうに答え、そのまま一階に行ってしまった。

「遥はぼくより大人なのに、自分からごめんなさいって言えないなんておかしいよ。世奈だってそう思うでしょ?」

「ん、まあね……」

 理仁の言い分はもっともだ。でも、遥の事情を知っている私は煮え切らない返事をした。

 遥はもともとサラダに良い感情を持っていないようだったし、今朝はかなり機嫌が悪そうだった。そんな時にサラダと鉢合わせてしまったので、ついイライラしてしまったのかもしれない。

「ぼく、遥のことあんまり好きじゃないな。救助隊の人も苦手だ。救助隊員はみんな強いから、弱者の気持ちなんて分からないんだよね、きっと」

「理仁……」

「救助隊の人はどうせ、隊員じゃないぼくらのことなんてどうでもいいんだ。遥だってそう思ってるんだよ」

「ちが、」

「リヒト、言い過ぎです!」

 私が否定しようとする前に、サラダが声を荒げた。私と理仁は驚いてサラダを見た。サラダのランプは真っ赤に点滅している。

「救助隊の皆さんは、危険を冒してまで私を助けてくれました。彼らはとても勇敢な方々です」

 サラダは明らかに怒っていた。そうか、サラダは地上で救助隊に拾われたんだった。命の恩人を悪く言われて気分がいいわけがない。

「ハルカも、命の危険と隣り合わせの中、今も皆さんのために頑張ってくれているんでしょう。どうでもいいと思っているならそんなことはしないはずです」

 理仁はサラダの言葉を聞くと、きまり悪そうにうなだれた。

「ごめん……、ぼくが悪かった」

 サラダは少し落ち着いたようで、ランプが黄色になった。

「いえ……こちらこそ、大声を出してしまって申し訳ありません」

 私は理仁の肩に両手を置いて、目線を合わせた。理仁が顔を上げる。まだ幼さの残るミントグリーンの瞳がゆらゆらと揺れた。

「理仁、サラダの言うように、遥は頑張り屋さんなんだ。昔からずっと彼女は頑張ってきた。だから、彼女はとっても強い。でもね」

 私は手に軽く力を込めた。

「それは弱さが無いってことじゃないんだよ。彼女は、自分の弱さを見せることを許されない環境にいたから……、誰にも弱さを見せられなくなってしまったの」

「……」

「昔から一緒にいる私だって、遥の背負っているものをほんの少ししか知らないし、その重さはきっと遥にしか分からない。……それでも、これだけは分かる。遥は心の奥底でいつも苦しんでいるから、他の人を気遣うだけの余裕がないんだ」

 私は理仁の肩をさすった。私より少し高い体温は、彼がまだまぎれもなく子供であることを告げている。

「でも、理仁が怒った気持ちも分かる。悪いことをしたら謝るなんて、人間として当然のことだよね。理仁が悪いわけじゃない。だから、これからも遥が何かしでかしたら、叱ってあげて」

「えっ?」

 十一歳には似つかわしくない神妙な顔をしていた理仁は、私の言葉を聞いてキョトンとした。

「救助隊員で義体化しているからといって、私は遥を特別扱いしたくない。この孤児院の中では、遥はみんなと同じ家族の一員。私はそう思っているから」

「家族……」

「うん。良かったら、理仁もそういう風に思ってくれると嬉しいな」

 理仁は少し考えてから頷いた。

「すぐにはできないかもしれないけど、努力はする」

「ありがとう、理仁」

 私は微笑んで理仁の頭にぽんと手を置いた。理仁は目を細めてそれを受け入れた。

 理仁が洗面所に行くのを見送ってから、私はサラダに言った。

「サラダ、ありがとう」

「ええと、何がですか?」

「遥を、かばってくれたから」

「そんな、感謝されるようなことはしていないです。理仁の言ったことについカッとしてしまったというか……。子供の言うことにあんなにムキになってしまって、面目ないです」

 サラダは恥ずかしそうに言った。前から思っていたけど、サラダはずいぶんと感情の起伏があるように見える。まるで人間みたいだ。特殊なプログラムでも入ってるのかな。

「ううん、私はサラダが怒ってくれて嬉しかったよ。救助隊の仕事は大事ってことが、理仁にしっかり伝わったと思うし」

「そうですか」

 サラダのランプはいつの間にか緑に戻っていた。サラダは私の方にカメラアイを向けると、ぽつりと言った。

「孤児院の皆さんは、家族なんですね」

「ん? そうだね~、みんな身寄りがないから、ここが家だし。血のつながりは無くても、家族みたいなもんだと思ってる。私は院長だから、みんなの親代わりだね」

「家族とは、色々なかたちがあるんですね……」

 サラダはどこか寂しげにそう言った。頭のランプは一瞬黄色に変わり、また緑になった。

「今は、それが少しうらやましいです」

「何言ってるの。これからは、サラダも家族の一員だよ」

「え……? 何故ですか」

「サラダはこの孤児院に一緒に住んでる仲間だからね。それ以外の理由は何も必要ない」

 私がそう言うと、サラダはプシューっという音を出したかと思うと、突然ランプを赤色に輝かせ固まってしまった。

「ここは昔からそういう所だから――って、あれ? サラダ? おーい」

「……」

「故障かな。まさか、私のせいじゃないよね?」

 私はサラダを軽くペチペチと叩いてみるが、反応がない。

「……」

「全然動かないや、これは本格的にダメそう……え、こういう時どこに連絡すればいいんだろ。とりあえずアテルイの所かな?」

 どうしようかと考えていると、サラダのランプが緑に戻り、ボディがピクリと動いた。

「っは、すいません」

「あ、動いた。良かったぁ」

「セナの言葉に感動するあまり、一時的な処理落ちを起こしたようです」

「感動で⁉ そんなことあるんだ……大丈夫?」

「もう直りましたので、ご心配には及びません。それより、私を家族の一員と認めてくださって、本当にありがとうございます! 皆さんと、もっと仲良くなれるように、不肖ながらわたくしサラダ、粉骨砕身努力いたします!」

「あ、うん。そこまで喜ぶとは思ってなかったけど、喜んでくれたなら私も嬉しいよ。別に全力で頑張らなくても、程々でいいからね」

 私がサラダの気迫にたじろぎながらそう言うと、サラダは頭をひねった。ランプが訝しげに瞬く。

「程々、とはどのくらいですか?」

「ええと、疲れないくらい……?」

「なるほど。それでは、集積回路に負担がかかり過ぎない程度に努力いたします」

「意味はよく分からないけど、多分それでいいと思う」

「了解しました!」

 サラダは元気に返事した。

「じゃあ、早速だけど、これから子供たちを起こすの手伝ってくれる?」

「もちろんですとも! その後の朝食の準備も、喜んでお手伝いいたします!」

「あはは、ありがとう。それじゃあお願いしようかな。私は先に朝の放送を済ませてくるから、先に二階に行ってて」

「はい!」

 いそいそと階段に向かうサラダの後ろ姿を見送り、私は思わずクスッとした。はしゃぎ方が、新しいお手伝いを任せたときの子供にそっくりだった。


 ▽


 午前中は特に何事もなく、院長室で事務仕事を片付けているとあっという間に昼になった。

 昼食を済ませて(今日はサツマイモを四角く切って揚げ焼きし、塩などで味を付けたものにした)一息ついていると、サラダが話しかけてきた。

「セナ、少しいいですか」

「いいよ。どうかした?」

 私は拭いていた皿を置き、サラダの方に体を向けた。

「午前中、何人かの子供たちに読み聞かせをしたんです」

「え、そうなんだ。面倒見てくれて、ありがとうね」

「いえいえ。その時にふと疑問に思ったのですが、ここの子供たちは読み書きなどの教育を受けているのですか? 文字を読める子供もいれば、全く読めない子もいたもので、気になりました」

「あー……。ある程度教育を受けてる子と、そうでない子がいるんだ」

「それは、何故ですか」

 サラダが首を捻るので、私はサラダにわけを説明し始めた。少し長い話になるけれど、と前置きして。

「実はね……。元々、ここの子供たちの教育は、年長の子供が担う仕組みだったんだ」


 私が字を教わったのは、確か六歳になった頃だったと思う。小さい頃のことだからはっきりとは分からないけど、私よりもずいぶん年上の女の子が、読み書きを丁寧に教えてくれた。その女の子の書く字は、人間が書いたとは思えないほどに綺麗だったことはよく覚えている。

 あらかた字を教わったころ、その子は十五歳になって孤児院を出ていった。その後は、その子より一つ年下の男の子が字を教える「教育係」になった。毎年教育係は変わっていき、私が十四歳になると、それは私の役目になった。

 私が教育係になったのは、先代の院長の意向で決められたことだった。私はその時にはもう、十五歳になっても孤児院に残って院長の仕事を手伝おうと決めていた。先代の院長にそう言うと、彼女はその申し出に喜び、まず私に教育係の仕事を与えたのだ。

 実際にやってみると、教育係はなかなかに大変な仕事だった。私が教える六~七歳の子供たちは、落ち着きがない子や、覚えることが苦手な子もいて、進み具合は人それぞれだった。私は先代の院長に相談に乗ってもらいながら、一人ひとり個別に学習ノートを作った。

 最後の一人が字を覚え終わるころには、私は小さい子たちの扱い方が、何となく分かるようになっていた。


「なるほど、そういう仕組みだったんですね。それでは、今も教育係が文字を教えているということですか」

「それが……今は教育係がいないんだ。正確には、二年前からいないの」

「そうなのですか?」

「色々と事情があってね……まあ結局のところ、教育係不在のまま放置しちゃった私が悪いんだけど」


 十五歳になると、私は正式に孤児院の職員となり、院長の仕事を本格的に教えてもらうようになった。慣れない仕事に四苦八苦している私に、先代の院長は根気強く仕事を教えてくれた。おかげで私は二年後、十七歳の時にはなんとか大体の仕事をこなせるようになった。

 しかしその時、予想外のことが起きた。先代の院長が突然、病に倒れたのだ。ある日、彼女の肌や白目は黄色くなり始め、医療拠点で診察を受けると、こう告げられた。

『……かなり進行した肝臓がんです。すぐに入院して治療しないと、命にかかわります』

 彼女はその日のうちに入院させられ、二度と孤児院に戻ることはなかった。

 私はその日から、一人ですべての仕事をこなさなければならなくなった。目が回るほど忙しい日々だった。急に仕事量が増えたことも負担だったし、まだ教わっていないことだってあった。

 院長の仕事がどれほど大変か、私はその時初めて思い知った。大量の仕事をこなしながら子供たちにいつも明るい笑顔を見せ続けていた彼女は、とても偉大な院長だったのだと、初めて気づいた。

 私は忙しくてあまり行けなかったが、孤児院の子供たちはときどき連れ立って彼女を見舞いに行っていた。遥も一人で行ったりしていたらしい。

 そうして入院期間が二か月に達した時、医療拠点から連絡が入った。医師の言葉を聞き、私は目の前が真っ暗になった。


『院長先生が亡くなられました』


 電話を切ってから、私は一時間以上その場から動くことができなかった。通りかかった遥は真っ青で固まっている私を見つけてとても驚いた。心配する遥に私が小さな声で訃報を話すと、彼女はすぐに孤児院じゅうの子供たちを集め、私の手を引いて病室に駆け付けた。

 私たちが着いた時、まだ彼女の身体は暖かかった。しかし、子供たちがいくら呼んでもピクリともせず、彼女の周囲の空気は独特の静けさを纏っていた。その沈黙は否応なしに残酷な事実を私に突き付けていた。彼女は――本当に、死んだのだ。

 医師は沈痛な面持ちで言った。

「私たちも全力は尽くしたのですが……力及ばず、本当に申し訳ありません」

「……死因は」

 院長の手を握ったまま何も言わない私に代わって、遥は端的に聞いた。

「死因は食道静脈瘤が破裂したことによる、出血性ショックです。食道静脈瘤とは、肝機能の悪化に伴って起こる血管のこぶのことです。院長先生の場合は肝臓がんになっていましたので、食道静脈瘤が非常に起こりやすかったといえます」

「何か、最期に言ってた?」

 医師はゆっくりと頷いた。

「……一度だけ意識が戻ったときに、こうおっしゃられました。『子供たちに、帰れなくてごめんなさいと伝えてほしい』と」

 それを聞いたのを皮切りに、子供の一人が嗚咽し始めた。泣き声は次々に伝染し、最後には子供たちは全員泣き叫んで彼女の亡骸に縋りついた。

 私は必死に涙をこらえて子供たちを抱きしめた。今この瞬間から、私は院長になったのだ。みんなの親代わりなのに、子供たちに情けない姿を見せてしまうのは良くないと思った。泣くのは一人になってからでもできる。

 遥も泣かなかった。その目は茫洋とした悲しみを湛え、微かに身体を震わせていたが、一滴も涙を流すことは無かった。まるで涙がすっかり涸れてしまったように。


 こうして、私は孤児院の院長になった。私は必死に笑顔を作りながら手探りで仕事をこなしていき、なんとか軌道に乗ったときには、先代の院長が亡くなって二年が経っていた。私は十九歳になり、ようやく少し心の余裕を持って仕事ができるようになった。

 そう、その時になってようやく気付いたのだ。「教育係」がいないことに。私は新しい教育係を任命することも院長の仕事の一つであることをすっかり忘れていたのだ。

 私はあわてて新しい教育係を任命しようと思ったものの、もう一つの問題に直面した。今、孤児院には年長の子が少ないこともあって、教育係の適任者がいない。十四歳の子は叶芽だけだが、彼は無口で人間嫌いな性格なのであまり向いていない。

 そのほかに十歳以上の子は、理仁しかいない。しかし理仁は去年来たばかりで、まだ孤児院に慣れていないし、他の子供たちとも関係が浅めなので、頼むのは気が引ける。

 私が手をこまねいている内に時間が経ち、今に至る――というわけだ。


「……ごめん、やっぱり長かったよね、この話。長い上に重たいし」

 顔を上げてサラダを見ると、サラダはランプを赤く染め、細かくブルブルと震えていた。

「ウ、ウウッ」

「えっ、どうしたのサラダ! また処理落ちかな? 本当にごめん、一気に色々話しちゃって」

「……いえ……すいません、普段は使用しないプログラムが作動しかけまして」

「プログラムって……何の?」

「『涙を流す』プログラムです。もちろん本当に涙を流すわけではなく、疑似的なものなのですが、集積回路にかなり負担がかかるので、なんとか作動を抑えていました」

「そんなプログラムあるんだ……」

「それよりセナ、わけを話してくれてありがとうございます。色々と苦労されてきたのですね。セナのようなうら若き女性が、そのような大変な経験をされてきたことを考えると、心痛で回路が焼ききれそうです……」

「ええ⁉」

「あ、回路のくだりはもののたとえですので、実際には焼き切れたりはしません。私は性能がいいですから」

 サラダは自慢げな口調で心持ち胸を張った。ランプは緑に戻った。

 私はホッと胸をなでおろした。自分のせいでサラダが壊れてしまったりしたら寝覚めが悪いにも程がある。

「良かった~。さっき処理落ちしてたから、また何かあったのかと思って心配したよ」

「ご心配おかけして申し訳ありません」

「ううん。むしろ私の話、真剣に聴いてくれてありがとうね。こういう話って、孤児院にいる子にはしづらいからさ……サラダにこの話をしたことで、なんだか楽になったような気がする」

 私は、子供たちの前では極力暗い顔を見せないようにしようと決めている。弱音を吐ける相手は遥ぐらいだが、彼女も彼女で色々あるので、気を遣ってあまり相談できないことも多い。

 サラダに対しては、今まで孤児院に関わりがなかった存在だからか、ついつい辛かった事なんかを吐き出してしまっている気がする。

「そうですか。人間は、話すことでストレスが減るんですね」

「人によるかもしれないけど、私はそのタイプかな」

「なるほど。セナさえ良ければ、いつでも話してもらって構いません」

「ありがとう~! サラダが天使に見えるよ」

「私は、天使ではなく一介の救護機械ですが……喜んでもらえたなら嬉しいです」

 私は頷いてサラダに笑顔を向けたが、教育係のことを思い出してちょっと暗い気持ちになった。

「でも、結局問題は解決してないんだよね……やっぱり叶芽に頼むしかないかなあ。でも、あの子は嫌がりそうだし……」

「差し出がましいようですが」

「ん?」

「私が教育係をしましょうか。私は、招集が無ければ昼間でも自由に動けますし、子供たちと仲良くなるという意味でも、教育係をすれば今以上に交流できると思います」

 思ってもみなかった申し出に、私は驚いた。

「それは……ありがたいんだけど、サラダはまだ孤児院にも慣れてないだろうし、子供たちともまだ会ったばかりだし……荷が重いんじゃないかな」

「そうですか……」

 サラダは落ち込んだようにカメラアイを下に向け、ランプは淡い水色になった。初めて見た色かもしれない。

「気持ちだけ受け取っておくね」

「じゃあ、理仁と一緒に教育係をするのではダメですか」

「理仁と?」

「理仁は頭が良いですし、教えることも大変上手だと感じます。私のことも信頼してくれているようですし、二人で教育係をやっていけば、うまくいくのではないかと。もちろん、理仁が了承してくれれば、ですが」

 私は考え込んだ。二人で教育係をやるという発想は私には無かった。けれど、案外いい考えかもしれない。

「いいかもね。でも、二人とも孤児院の子供たちとはまだ関係が浅いからなあ」

「それなら、昔からいらっしゃる方をお手伝いとして加えてもらえませんか。メインの教育係として私と理仁が活動して、孤児院での経験が長い方にアドバイザーをして頂ければ、効率的に教えることができると思います」

「サラダ、あったまいい~。さすが」

 サラダは褒められて照れたように頭を掻いた。

 もしかしたら叶芽も、教育係として子供たちに教えるのではなく、アドバイザーをするだけだったらしぶしぶでも了承してくれるかもしれない。後で頼み込んでみよう。まあ、ダメそうなら他の子に当たってみればいいし。

「よし、じゃあそれでいこうか。理仁には私から頼んでおくね。お手伝いを誰にするかについても、話つけとくから」

「ありがとうございます!」

「分からないことがあったら何でも聞いてね。これでも元教育係だから、いくらでも頼りにしていいよ」

「分かりました」

 ふと時計を見ると、遊びの時間まで残りあと十分くらいになっていた。

「あ、もうこんな時間! そろそろ運動場に行かないと」

「本当ですね。あっという間でした」

「そうだ、サラダは今日、午後は何か予定あるの?」

「いえ、今日は特にありません」

「じゃあ、一緒に運動場に行こうか。今日はサラダに——」

 ビービービー!

 審判でもやってもらおうかな、そう続けようとした言葉は突然の警告音によって中断された。

『緊急招集、緊急招集。サラダ様、至急救護班本部、救急救命室までおいでください』

「……!」

 サラダのランプが一気に真っ赤に染まる。

「救護班からの招集のようです! 申し訳ありませんが、急行いたします」

 私は突然の出来事にうろたえたが、どうにか返事をした。

「分かった、気を付けて。後で孤児院に電話してほしいな」

「はい!」

 サラダはすぐさま風のように階段へ向かって走っていった。きっと飛翔機能を使って、屋上から救護班へ急ぐつもりなのだろう。

 一人廊下に取り残された私は、激しい胸騒ぎを覚えた。

 地上遠征をしている救助隊員たちが帰ってきたのだとしたら、時間が早すぎる。遠征は基本的に夕方まではかかるし、成果が思わしくない時には数日帰らないことも珍しくない。

 この半端な時間での帰還が意味していることは、何らかの緊急事態の発生以外には考えられなかった。

「遥……、はるか……」

 私は身体が震え出しそうになるのを堪えた。いくら心配したって、私にはどうにもできない。祈ることしかできないのだ。

 遊びの時間の開始まであと五分。子供たちの前で笑顔を作れる自信がないまま、私は運動場に向かった。


 ▽


 夕飯の時間になっても、遥は孤児院に帰ってこなかった。サラダも、救護班から戻ってくる気配はない。私は遥のために用意した鹿肉のソテーを保存用の袋に詰め、冷蔵庫に入れた。

 後片付けをしていると、固定電話に着信が入った。私は電話まですっ飛んでいき、震える手で受話器を取った。

「……もしもし」

『もしもし、セナですか? ご連絡遅くなり申し訳ありません! ちょっと本日中には戻れそうにありません』

「……そう」

『救助隊員のおひとりが、野生動物に襲われて重傷を負われまして……先ほど手術を終えたところなんです。なんとか手術は成功しましたが、まだ予断を許さない状況です』

「それは、大変だったね。ところで、遥は……」

『そうでした! それを最初に言うべきでしたね。ハルカも怪我をしていましたが、命に別状はありません』

 私は全身の力をゆっくりと抜いた。

『ハルカは、野生動物との戦闘中、右腕に怪我を負ったらしいです。治療をしたのは他の方なので、詳しくは分からないのですが、治療はもう終わったそうです。私がさっき見に行った時は、ぐっすりと眠っておられましたよ。彼女は少なくとも今夜は、救護班の病室に泊まることになると思います』

「うん……分かった。ありがとう、サラダ」 

 私は安堵で崩れ落ちそうな身体を支えながら、少し大きめの声で返事をした。

『セナ……、こちらのことは、もう心配しなくても大丈夫ですよ。うまく寝付けない時は、温かいものを飲んでゆっくりしてくださいね』

 私は苦笑した。サラダには強がりがバレてしまったらしい。

「とにかく、遥が生きてて安心したよ。サラダも手術、本当にお疲れ様」

『ええ。救護班で手術をしたのは初めてだったので、生きた心地がしませんでした……。まあ、私は機械なので本当の意味で生きているわけではないですが』

「今すぐには無理そうだけど、サラダも休める状況になったらゆっくり休んでね」

『はい。孤児院で充電をしっかりしていたので、まだまだ元気ですが、無理はしないようにします』

「遥が目覚めたら、なるべく早く帰るようにって伝えといて」

『承知いたしました』

 電話が切れると、私は足早に自室に戻った。ドアを閉めると急にどっと感情が溢れて、私は声を殺して泣いた。

 あの電話で、二回も訃報を聞くことにならなくて、本当によかった。私は心からそう思った。


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