第三章 壊れかけの人形

 暗闇の中から、声が聞こえる。

 誰だろう。声のする方に顔を向けようとするが、なぜか首が動かない。身体のあちこちに力を込めてみても、指先すらぴくりともしない。

『遥、手術は無事成功したわ』

 ……おかあさん?

『あなたは、立派な救助隊員になるのよ』

 どうして?

『それが私たちの幸せだから』

 でも、おかあさん、くるしそう。

『……っ』

 わたしは、これからどうなるの?

『ごめんなさい』

 なんであやまるの? 

『あなたに、呪われた宿命を背負わせてしまった』

 やめて。

『産んでしまって、ごめんなさい』

 やめて——。


 跳ね起きる。

 心臓があり得ないくらいに早鐘を打ち、頭がずきんと痛む。私は思わず頭を押さえ、ベッドにゆっくり上体を沈ませた。

 目だけ動かして時計を見ると、針は五時ちょうどを指していた。孤児院で一番早起きの世奈すら、まだベッドで寝息を立てている。

 体中が寝汗でべたつく。荒くなった呼吸を落ち着かせようと、私は大きく息をついた。

「……はあっ」

 片手で顔に触れると、汗でびっしょりだった。

「最悪」

 ようやく、見なくなってきていたのに。


 重い体を引きずって洗面所まで行き、冷水で顔を洗うと、頭の痛みはずいぶんマシになった。

 部屋に戻る途中、起き出してきたらしい世奈が廊下の向こうからやってきた。世奈は私を見ると、柔らかい微笑みを浮かべた。

「おはよう、遥。昨日より早いね」

「…………おはよ」

 こちらの機嫌の悪さを悟ったのか、世奈は気づかわしげに私の顔を覗き込む。

「頭、痛いの? 薬持ってこようか?」

「いい、大丈夫」

「そう……」

 世奈は消え入りそうな声を出し、寂しそうに目を伏せる。私が地上に行く日には、世奈は決まってこんな顔をする。心配してくれているのは分かるけど、正直うっとうしい。

「今日の朝食、私の分はいらないから」

 私の言葉に世奈が顔を上げる。何かに怯えているような、それでいて縋るようなヘーゼルの瞳が、じっと私を写す。

「夕飯は肉にして」

 それだけ言い、私は世奈の横を通り過ぎた。振り返らないまま、右手を軽く上げてみせる。

「うん」

 返ってきた世奈の返事は、さっきよりは力強かったので、私は少しだけ心が軽くなった。

 部屋でもう一度寝ようかとも思ったが、目を閉じるとさっきの悪夢が蘇ってきそうだったので、私は部屋に戻るなりさっさと着替えをした。

 早めに救助隊本部に行って、軽くウォーミングアップでもしよう。そう決め、私は勢いよくドアを開けた。その瞬間、ガツンとドアが何かにぶつかった。

「あいたっ」

 そこにいたのは、世奈が昨日の夜も話題にしていた救護機械――サラダだった。サラダは、私の開けたドアにもろに衝突したようで、よろめいて後ずさった。

 私は思わず舌打ちをした。

「あ! サラダ、大丈夫?」

 ボディを痛そうにさするサラダに、理仁が駆け寄ってきた。

「ありがとう、リヒト。大丈夫です」

「もう、遥、気をつけてよね」

 理仁は私の方を向いてしかめ面をした。自分が悪いことは分かっていたが、私は目を逸らした。

「……どいて」

 私はサラダと理仁を押しのけ、廊下に出ようとした。

「ちょっと遥」

「なに」

 私は腕をつかんできた理仁を振り返って軽く睨んだ。理仁は一瞬たじろいだが、すぐに私の目を挑戦的に見返し、親指でサラダを指して言った。

「さすがに、サラダに謝罪の一言くらいあってもいいんじゃない? わざとじゃないとは思うけどさ」

 私は少し驚いて理仁を見た。この子、こんなこと言う子だったっけ? 私の理仁のイメージは「希愛以外はどうでもいいと思ってる子」だったので、意外だった。

「……はいはい。ごめんね、サラダ」

「いえ……」

「じゃあ」

 私は廊下に出て、一階に降りる階段へ向かおうとした。しかし、後ろからサラダの声が聞こえて足を止めた。

「ハルカは、今日も、訓練ですか」

「なんで聞くの?」

「特に、理由はありません」

 機械なのに、なんで理由もない質問をするんだろう。

「理由がないなら、答える必要もないでしょ」

 私はそう吐き捨てて階段に向かった。後ろから、追いかけるように小さな声がした。

「……ハルカ、どうか気を付けて」

 その声色から感じる人間臭さに、私は胸がむかつくのを感じた。


 ▽


 救助隊本部に着き、私はトレーニングセンターで義体の点検をした。

 私は、義体化手術により身体のあちこちが機械に置き換えられているので、部品が損傷したり、劣化してきたりしたら交換する必要がある。メンテナンスは月一くらいの頻度でしかしないけれど、点検は毎日するようにしている。

 頭から順に各部品を点検していく。脳のナノマシン、脳幹から脊髄に走る神経接続デバイス。右目のレンズ型スコープ、左目のカメラ。いずれも異常は無かった。

 次に胴体。右肩には銃を接続できる銃床があるが、普段は体内に収納されている。いちおう、体外に出して確認しておく。よし、大丈夫。

 それから、背中のグライダーとジェットパック。背中の部品類は自分だけでは確認できないので、大体は他の救助隊員に点検をお願いしている。鏡で見てもいいのだが、どうしても死角ができるので、他人の目を借りた方が確実だ。

 しかし、早朝のトレーニングセンターには未だ人っ子一人現れない。仕方なく背中にある部品の点検は後回しにすることにして、ジェットパックの液体燃料の残量だけ確認しておく。この前、電波塔から落ちかけた世奈を助けた時に消費した分は、メンテナンスの時に補充しておいたから、残量は十分にあった。

 最後に義肢の点検をする。機械の調子は良さそうだった。テストがてら軽く準備運動でもしようと思い、私は床に×印に貼ってある白いテープの中心に立つ。息を整えて跳躍し、三回連続で宙返りする。私の二本の義肢は寸分の狂いもなく、×印の中心に三回着地した。

「ひゅー、お見事。すごいな」

 背後から突然かけられた男の声に、私はびくっとして振り返った。そこには、救助隊員の佑(たすく)先輩がいた。

「……どうも」

 佑先輩は私と同じ地上遠征班に所属している、今年で二十六歳の男性隊員だ。直接話したことはあまりないが、周囲の評判によれば陽気でノリの軽い性格らしい。他の救助隊員たちと仲が良いようで、特に男性隊員と軽口を叩き合っている所をよく見かける。

 普段は見かけても互いに気に留めないような存在だが、今日は別だ。ちょうどいい、背中の部品の点検をお願いしてみよう。

「……あの、佑先輩」

「ん?」

「もしお時間あれば、背中の部品の点検……お願いしてもいいですか」

「ああ! 了解、了解。俺やったことないけど」

「やったことある人の方が少ないです。やり方はこれから説明します」

「分かった。よろしく」

 私は先輩に背中を向け、折りたたんである背中のグライダーを広げて、点検すべき箇所を指示した。先輩は丁寧にグライダーの部品を一つ一つ確認し、「大丈夫だと思う」と私に告げた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。いやー大変だね、義体ってやつは」

「……」

 沈黙した私に、あわてたように先輩が口を開く。

「ごめんごめん、馬鹿にしてるわけじゃない。君は俺らのために毎日苦労してくれてるんだから、これくらいはいつでも頼んでくれ」

「はあ」

 そこで急に、先輩は思い出したように言った。

「そうだ、君の所にいる、サラダっていう奴……あいつ、元気にしてるか?」

「えっ?」

 サラダの事を聞かれるとはまるで思っていなかったので、私は素っ頓狂な声を出してしまった。

「なんで……そんな事、聞くんですか?」

「いや、実は……サラダを拾った時、俺もそばにいたんだ。あいつ、あの時は落ち込んでたからさ。あれから、元気にしてるかなって思って」

 先輩はそう言って笑いながら頭を掻いた。そういうことか、と私は合点がいった。地上遠征はだいたい毎日行われているが、シフト制になっているので、班の全員が毎日地上にいるわけではない。

 確か、サラダが回収された遠征の時は、私はたまたま休みでいなかったはずだ。そのため私は全く知らなかったが、どうやら先輩はサラダの回収に立ち会っていたらしい。口ぶりからすると、その時に先輩はサラダと親しくなったのだろう。

「アレは機械ですよ。落ち込んだりなんて、しません」

 私がわざと冷ややかに答えると、先輩からさっと笑顔が消えた。

「先輩はご存じないかもしれませんが、私はあの機械が嫌いなんです。二度と聞かないでください」

「遥……」

 先輩は何とも言えない表情で呟いた。

「君は、あいつだけじゃなく、機械と名の付くものは全部嫌いなんだろ」

「よくご存じで。理由も、見当くらいつくでしょう」

 私は自嘲的な笑みを浮かべた。先輩は一瞬苦いものを食べたような顔をした。

「ああ。でもな、あいつは――サラダは、君が知っているような機械とは違うんだ」

「……違う?」

「サラダを拾った時、俺は、サラダがこう言うのを聞いたんだ。『人間がなぜ泣くのかを理解できた』って」

「どういう意味ですか?」

「あの場にいなかった君には、よく分からないだろう。だけどあの時、俺は、サラダには心があるんだって思った。俺たちとは色々違う存在だけど、あいつも生きているんだって」

 先輩の真剣な目を見て、私はさっきよりも強く、胸がむかつくのを感じた。吐き気がこみ上げてくる。

「……そんなわけ、ないじゃないですか」

「遥、」

「失礼します。点検、ありがとうございました」

 私は先輩が何か言おうとするのを遮って一礼し、トレーニングセンターを足早に立ち去った。

 無性にイライラする。あんな機械に、心? サラダが生きている? 佑先輩には悪いけど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 サラダが、朝に私にかけた言葉。あれは確かに人間臭かった。でも、そんな事は心があるという証明にはならない。

「はあ……気持ち悪い」

 頭痛がぶり返し、私は頭を押さえた。


 ▽


 私は地上に出るための装備を整えるためにシャフト近くにある地上遠征班のロッカールームに向かった。これから過酷な地上に出ると思うと気が重いが、集合時間になる前に装備の準備や着替えを済ませないといけない。

 ロッカールームに入ると、既に何人か隊員が出勤してきていた。私の姿を見て挨拶してきた隊員に会釈を返し、自分のロッカーへ向かう。

 まずはナップザックの中身を確かめる。ナップザックには人工皮膚(包帯の代わりに使う)やガーゼ、常備薬、テーピングテープ、止血用ワセリンといった応急手当に使う物と、ナイフやガスバーナー、予備のロープ、携帯用カイロなど、道中に使う物が入っている。数日かかる可能性も考え、コンパクトな寝袋や保温テントも用意しておく。

 それから、ナップザックの一番底には、だいぶ前に世奈からもらった編みぐるみが一つ入っている。拾い上げると、元は真っ白だったユキウサギの編みぐるみは、度重なる地上遠征に耐えたせいで灰色に薄汚れ、ペチャンコになっていた。

 ……とても世奈には見せられないな。

 とはいえ他に入れる場所もないので、私は編みぐるみをナップザックの底に再び放り込んだ。その上から、さっき確認した装備品一式を入れ、最後に新鮮な水の入った水筒と保存食を詰めた。

「よしっ」

 持ち物は揃った。私は一息ついて気合いを入れ直す。

 次は着替えだ。地上は、真冬の時期にはマイナス七十度まで下がる。今はまだ秋の初めだからそこまで寒くないはずだが、それでもマイナス二十度は下回るだろう。防寒装備を少しでも怠ると、低体温症ですぐに死に至る。

 私は女子更衣室に入って着替え始めた。何枚もインナーを重ね着してから耐寒ウェアを着込み、グローブと帽子も着けた。そして、重たい専用のブーツを、時間をかけて義足に装着していく。

 義足の部分は寒さを感じることはないが、氷の上では非常に滑りやすい。氷上でも自由に動けるようにするためにはブーツが必須だ。

 これだけ着ると雪だるまのようで動きにくいが、まだ終わりではない。十二本爪のクランポンを足に着け、分厚い目出し帽を被ったうえにゴーグルとヘルメットを頭にセットする。ハーネスをつけ、ピッケルをナップザックのホルダーに取り付ける。すぐ使う分のロープはたすき掛けにしておく。

 最後にナップザックを背負い、トレッキングポールを二本持つ。

「……はあ、暑い」

 私はため息をついた。地上に出るまでは、この厚着のままで過ごさなければならないのだ。装備品の重さにはもう慣れたが、この暑さは耐えきれない。義体化しているくせに、どうして体感温度を操作できないのかと、私は毎回不満に思う。

 更衣室を出て、鏡で装備を見直してからロッカールームを出る。地上直結のエレベーターがあるシャフトの前が集合場所だ。しかし、早すぎたのかまだ人気はない。

 私は手持ち無沙汰になって壁にもたれかかった。今回の遠征、目的は何だったっけ。私は昨日の地上遠征班のミーティングの内容を思い返した。


『今回の遠征の目的は二つ。一つは発電機改良のための部品回収だ』

 地上遠征班の班長である恭太郎(きょうたろう)はよく通る太い声で隊員に告げた。

『知っての通りキャンプの電力供給は常に逼迫している。アテルイのシミュレーション分析から、このままでは電力の消費が増加する冬には電力不足に陥る可能性が高いことが分かった。そのため、アテルイから地熱発電機の改良のための部品回収が依頼された。』

 彼は一枚の紙を掲げて見せた。それは先ほど彼が隊員全員に配っていたものと同じものだった。

『部品の詳細は配布した資料を読んでくれ。記載された内容は明日までに暗記しておくように。よろしく頼む』

 紙に目を落とすと、そこには数種類の部品の写真と、大きさなどの情報が書かれていた。

『二つ目はいつも通り食糧の確保だ。まだ秋の初めとはいえ、冬は着々と近づいている。地上に出られなくなる長い冬のことを考えると、食糧はいくらあっても足りない。キャンプ内での食糧生産は限界があるからな』

彼は鋭い目で隊員を見回し、私を見つけると声を張り上げた。

『遥! 隊列のしんがりはお前に任せる』

『了解しました』

『隊長及び先頭は俺が務める。何かあればすぐに俺まで通信を送れ』

『はい』

 恭太郎は頷くと私から視線を外した。

『ああそうだ、避難民の救助は通常通り行う——居れば、の話だがな。座標は資料の裏面に記載してある。各自確認しておけ』

 救助隊地上遠征班には、部品回収や食料確保の他にも役割がある。それは、キャンプ外から避難してくる人の保護だ。生存者が見つかることは年々珍しくなっているけれど、全く無い訳じゃない。確か新菜の亡き両親は、彼女が生まれたことを機にキャンプに避難してきた余所者だった。

 とはいえ、地上遠征班には積極的に地上にいる人を捜索して救助するだけの余力はない。そのため、遠征予定の地域だけに防災無線で事前に通告を行い、救助隊が通るルート上にある座標を指定しておく。そして、地上遠征時にその座標を確認し、もし保護を求める人がそこに来ていればキャンプまで誘導する、という仕組みになっているのだ。

『秋は肥えた動物たちが多く、食糧は確保しやすい時期だが、同時に冬を控えた獰猛な肉食動物が活発化する時期でもある。くれぐれも注意し、戦闘は控えるように。比較的気温が高いから、雪崩とクレバスにも気を付けろ。』

 はい、と隊員たちは大きく返事をする。

『集合は〇八一五(マルハチヒトゴー)だ。以上、解散!』


 私は少し緊張を込めて息を吐いた。しんがりを務めるのは初めてではないが、危険なポジションだ。特に肉食動物が活発な時期だからこそ、戦闘能力の高い私に任せたのだろう。しっかり役目を果たさなければ。

 しばらく待っていると集合時間になり、シャフト前には同じ班に所属する十人の隊員が集まった。点呼が取られた後、今日一緒に地上に出る仲間たちは次々とエレベーターに乗り込んでいく。大きなエレベーターはゴゴンと大きな音を立てて閉まった。

 いよいよ、地上に出るのだ。

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