第二章 孤児院での暮らし


 翌朝、私は一番に起きて日課の洗濯をしていた。孤児院にあるのは古い型のドラム式洗濯乾燥機が二台。地下にあるキャンプは日が当たらないから、洗濯物を干しても生乾きになってしまう。どこの住居にも乾燥機は必需品だ。

「よっと」

 私は洗濯乾燥機から出した洗濯物を入れた大きなかごをレールに乗せ、ボタンを押す。これで各部屋に乾いた洗濯物が自動で分配される。このシステムを作ったのは確か先々代の院長だっけ。レールがところどころ古くなってきているけど、まだまだ現役だ。

 そろそろみんなを起こそうと思って放送室に向かうと、途中で遥と出会った。まだ着替えていないようで、グレーのハーフパンツとタンクトップに、薄手の黒いパーカーを羽織っている。昼間は救助隊員の制服を着ていることの多い遥だが、孤児院の中ではラフな格好の時が多い。

「おはよう遥。相変わらず早いね」

「おはよ。ま、今日は訓練だけだから、早く起きる必要ないんだけど……習慣って怖いね」

 お、遥にしては口数が多い。どうやら今日は機嫌が良いようだ。地上に行かなくていい日だからかもしれない。

「今日の朝ごはん、何がいい?」

「ゼリー」

「はいはい」

 顔を洗いに洗面所に向かう遥を見送り、放送室に入る。放送機器の電源を点け、音量を調整してマイクに呼びかける。

「おはようございます。起床時間になりました。今日も一日、元気に過ごしましょう」

 朝の放送を終えると、子供たちの寝ている部屋へ向かう。寝起きの悪い子を起こしに行くのだ。

 私は手前の部屋から一つ一つ部屋を回っていき、最後の部屋に入る。そこにはすやすやと寝息を立てる一人の女の子がいた。同室の子は既に洗面所へ行ったようでいない。

「ほら新菜(にいな)、もう朝だよ!」

 私は新菜の肩を揺さぶる。新菜の瞼が薄く開き、綺麗なハシバミ色の瞳がうっすらと見えた。新菜ご自慢のプラチナブロンドの髪は、今はくしゃくしゃに絡まっていて鳥の巣のようだ。

「ん~」

 昨年ここに来たばかりの新菜は、孤児院で一番寝起きが悪い。彼女は確か今年で四歳だったっけ。彼女が来た当初はどうなるかと思ったけれど、ここ一ヶ月くらいで、ようやく笑顔を見せてくれる日も出てきている。

「ね、むい……」

 それだけ言うと、新菜は再び目を閉じ、もぞもぞと布団の奥に引っ込んでいく。

「起きて~、眠り姫。今日はサラダもいるんだよ」

「さらだ……」

「そう」

「さらだって、なに?」

「昨日会った機械だよ。忘れちゃったの?」

 私がそう言うと、新菜は首を振った。

「ちがくて……きかい、じゃない、さらだ」

 私は新菜が言いたいことをようやく理解した。新菜は「サラダ」っていう言葉の意味が知りたいんだ。

「サラダっていうのは、生の野菜が使われた料理だよ」

「たべられるの?」

「食べられるよ」

「たべたい!」新菜は勢いよくがばりと起き上がった。

「言っておくけど、機械の方のサラダは食べられないからね。絶対にかじったりしちゃだめだよ」

「うん」

 本当に、分かってるのかなあ。未だ少し寝ぼけている様子の新菜を見て私は心配になった。

「じゃあ、顔洗ってきな。歯磨きもね。あと、その髪もとかしなよ」

「やだ……」

「やだじゃないの。しょうがないな、私も一緒に行ってあげるから、行こうね」

「うう~」

 抗議する新菜をひょいと抱き上げ、強制連行する。昨年よりは少し、重くなっているような気がする。子供の成長速度に驚嘆しながら、私は洗面所に新菜を運んだ。


 ▽


 遥の要望通り、今日の朝食は高栄養ゼリー(今日の分は柑橘系の味がした)にした。食堂で全員揃って「いただきます」をした後、ゼリーを食べ始める子供たちをさりげなく観察する。

 よく見ると、目の下にクマのある子が多い。特に、昨年立て続けに入った三人――四歳の新菜、それに七歳の希愛(のあ)と十一歳の理仁(りひと)はクマが濃い。慢性的に寝不足になっている証拠だ。

 きっと、うまく眠れていないのだ。彼らが夜更かししてしまうせいで、つられて同室の子たちまで寝不足になってしまっている。だけど、彼らを責めることはできない——彼らは昨年、親兄弟を亡くしたばかりなのだから、むしろ当然のことだ。

 彼らは昨年の流行り病で家族を亡くして、次々とここにやってきた。子供だけでも助かったことは良かったと喜ぶべきなのかもしれないが、彼らがここに来た頃の表情を思うとそうも言えない。

 あの頃の三人は、無表情のまま一言も発さず、食事も口にしなかった。言葉を掛けても返ってこなくて、いつも端の方にうずくまっていた。私は、心を開いてくれるまで、ただ寄り添って抱きしめることしかできずにいた。

 彼らにとって一番幸運だったのは、同じ境遇の仲間がいたことだろう。子供たちは、私では超えられない壁も、癒すことの難しい傷も、物ともせず向かっていく。少しずつ、少しずつ、各々の悲しみを分かち合っていくことができるのだ。私も孤児で、ここで育ってきたから、それが分かる。今となっては私の古い仲間たちはほとんど死んでしまったけれど。

 願わくは今ここにいる子供たちだけは、欠けることなく健やかに大人になってほしい。私の古い仲間たちも、あの世できっと、そう思っていることだろう。


 朝食を終え、子供たちの自由時間に入ると、私は訓練のために救助隊本部に向かう遥を玄関で見送った。事務仕事をするかと玄関から院長室に向かったところで、二階から合成音声のけたたましい悲鳴が聞こえた。

「うわー! やめて、やめてくださいいい!」

 私は舌打ちをした。しまった、見つかったか。

 昨夜、子供たちの猛攻からサラダを保護するため、私はとりあえずサラダを二階にある私の寝室のクローゼットに匿い、そこで充電してもらっていた。しかし今の悲鳴から察するに、目ざとい子供の誰かがもうサラダを発見してしまったらしい。

 急いで寝室に駆けつけると、サラダは希愛にクレヨンで目いっぱい落書きされていた。隣で理仁が申し訳程度に希愛を止めようとしている。

「こら希愛! 何してんの!」

 理仁はやれやれというように肩をすくめた。

「ぼくは止めたからね」

 希愛はしおらしくうつむき、すぐに最っ高にあざとい角度で上目遣いしてきた。

「ごめんなさぁい……ゆるして?」

 私はため息をついた。

「そんな顔してもだめだからね。自分で掃除してね」

「えぇ~」

 全く、とんだ小悪魔ね。この子の扱いにも大分慣れたな、と心の中でつぶやく。

「サラダ、大丈夫?」

「は……はい。機能面には特に問題ありません」

 そう言うが、サラダのランプは黄色になってチカチカ点滅している。どうやらあまり良い気分ではないようだ。

「ほら希愛、サラダにも謝る!」

「はぁい。ごめんなさい」

「もっと心を込めて、大きな声で!」

「ごめんなさい!」

「もういいですよ、ノア」

「よし」

 私は希愛を両手で確保し、そのままサラダに向き直る。

「サラダって水拭きしても大丈夫?」

 このクレヨンは幼児用なので、水拭きで簡単に落ちる優れものなのだ。

「水はちょっと……できれば七十パーセントのエタノールが良いのですが」

「ああ、消毒用のやつね。わかったわ。よし行くよ、希愛」

「あ~れ~」

 希愛を素早く一階の保健室に連行し、霧吹きに入ったエタノールときれいな布を持たせる。二階の寝室に戻ると、理仁がサラダと会話していた。サラダがカメラアイをこちらに向ける。

「あ、セナ、戻りましたか。リヒトはとても賢い子ですね」

「本を読むのが好きなだけだよ」

 確かに、理仁は読書家だ。よく自分のパッド型端末で書籍を漁っているのを見かける。

「希愛、霧吹き使える?」

「うん」

「それじゃ、拭いて」

 希愛が霧吹きをサラダに近づけると、サラダが慌てたような声を出した。

「ちょっと、エタノールを直にかけないでください! 一回そちらの布の方につけてから、拭いてください」

「だってさ。よろしく」

 希愛はしぶしぶといった様子でエタノールを布につけて拭き始めた。しかしすぐに手が止まる。

「めんどい」

「自業自得って言葉知ってる?」

「はあ?」

 私のからかいに希愛が不機嫌そうに言う。これは『知らない』反応だな。

「自分でやったことは、自分に返ってくるって意味だよ」

 理仁がすらすらと代わりに答える。

「良いことをしたら良いことが、悪いことをしたら悪いことが自分に返ってくるんだぞ、希愛。だから止めたのに」

「だって真っ白だったから、もっとかわいくしたくてぇ……」

「言い訳はいいから」

「はぁい……」

 希愛の弱い力でも、クレヨンの汚れはみるみる落ちていった。サラダには悪いけど、まだクレヨンならましな方だ。

 一度、どこから持ち出したのか業務用の黒スプレーを運動場の壁に使われたときには、さすがの私も堪忍袋の緒が切れた。こっぴどく絞られた子供たちは泣きながらペンキで壁を塗り直してたっけ。こないだのようにと感じるけど、確かもう二年くらい経ったはず。最近はあの壁、ペンキ剥がれてきちゃってるんだよなあ……どうしようかな。

 とりとめのない思考を巡らせているうちに、サラダはすっかりきれいになっていた。サラダのランプも嬉しそうに緑に点灯している。

「おつかれ、希愛。やればできる子じゃん」

「希愛の拭き残したところはぼくが拭いたんだけどね」

「理仁は希愛に甘すぎ」

「理仁、ありがと!」

 希愛が愛嬌たっぷりの笑顔で理仁に抱き着くと、理仁はまんざらでもない顔をして希愛のダークブラウンの猫っ毛を撫でた。理仁はここ最近、希愛を妹のように可愛がっている。希愛はそれをいいことに理仁に頼りきっていて、もともとわがままな性格がより激しくなってしまっている。

 仲が良いのはいいんだけど、理仁にはもう少し希愛の自立を促してほしいところだ。でも十一歳にそれを求めるのは酷だろう。さっきは希愛をたしなめてくれていたし、まあいいか。

 きれいになったサラダはほっとしたような口調で希愛に話しかけた。

「もう書かないでくださいね。今回は大丈夫でしたけど、場所によってはセンサーの不調の原因になる恐れがあります」

「せんさーって何?」

「ええと、例えば人間の皆さんは冷たい物を触ったら、冷たいとすぐ感じますよね」

「当たり前でしょ」

「しかしですね、私は触っただけでは何も感じないのですよ。温度センサーに物が触れて初めて、その物体の温度を感知できる、というわけです」

「ふ、ふーん?」

 希愛はあまり理解できていないような表情だったが、理仁は興味を持ったようで、ミントグリーンの目を輝かせた。

「サラダには、何種類のセンサーがあるの? カメラとマイクはあるみたいだよね。他には?」

「たくさんありますね。あまり使っていない機能も合わせると確か……百くらいはあるはずです」

「すごい! 何のセンサーなの?」

 サラダは困ったようにランプを一瞬だけ黄色にした。

「全てを説明すると五時間半かかりますが、よろしいですか?」

「いいよ!」

「いや良くない良くない」

 私はすかさず割って入る。

「サラダはこれから用事があるでしょ、昨日アテルイが言ってたやつ」

「あ、そうでした。今日はアテルイのところへ、強化パーツについての説明を受けに伺います」

「聞いての通り、サラダも色々と忙しいの。理仁、サラダの話はまた今度聞かせてもらいな」

 理仁は少し残念そうだったが、聞き分けよくうなずいた。

「そうか、それじゃ仕方ないな。またセンサーのこととか教えてね、サラダ」

「ええ。もちろんです、リヒト」

 理仁と希愛は連れ立って部屋を出て行った。サラダは私の方にカメラアイを向けた。

「そしたら、私はアテルイのところへ行ってきます」

「一人で行ける? 送ってこうか?」

「経路は記録してありますので、大丈夫だと思います」

「分かった。気を付けてね」

「ありがとうございます、セナ」

 サラダを見送ると、私は大きく伸びをして、ふうっと息をついた。午前の自由時間が終わったらお昼ごはん、その後は遊びの時間だ。今日の午後は、子供たちはどんな遊びをしたいと言うだろうか。私はお昼の用意をする前に少しでも事務仕事を片付けようと、院長室に向かった。


 ▽


 私たちは昼食を食べ終え(昼食は培養肉で作られたパテをパリッとしたデンプンシートでくるんだものにした)、少し休んでから運動場に移動して、食後の運動にみんなでAR(拡張現実)技術を使った戦闘ゲームをした。

 このゲームでは頭にはヘッドマウントディスプレイ、腕にはアームセンサーを装着してプレイする。体の動きで「エナジーボール」という玉を発射することができ、このエナジーボールを投げて三対三で戦う。腕を前に突き出すことでエナジーボールを発射。腕を下から振り上げると攻撃を防御するバリアを発動できる。

 このゲームのカギはチームワークと作戦の立て方だ。仲間のバリアに隠れつつエナジーボールを放つなど、連携して敵チームを迎え撃つことが肝心になる。

 ゲームは結構白熱した。今回は、理仁のいたチームの作戦勝ちだった。理仁のチームはもう一つのチームより身体能力的には劣っていたけれど、囮を使ってうまいこと相手を罠に嵌めることに成功した。私は基本的には審判をしているのでゲームには直接参加していないが、見ているだけでも手に汗握る戦いだった。


 そうして十分に運動した後、午後の自由時間になった。子供たちは思い思いに休憩したり、再び戦闘ゲームに興じ始めたりした。

 その時、玄関から聞き覚えのある合成音声が聞こえた。

「ただいま帰りました」

「あ、サラダ! お帰り。どうだった?」

「アテルイから強化パーツによる改良についての説明を受けまして、強化パーツを取り付けて頂きました」

「えっ、もう付けたの」

「はい。まだ設定や試運転ができていないので、すぐに飛行することはできませんが」

「そうなんだ」

「また明日にアテルイの所で設定をしてもらって、広場の方で試運転をしようと思います」

「なるほど」

 私は広場を飛び回っているサラダの姿を想像した。どんなふうに飛ぶのか、ちょっと見てみたい気もする。

「じゃあ、サラダは今日これからはヒマな感じ?」

「はい。何かお手伝いすることはありますか?」

 私は少し考えて、サラダに言った。

「サラダって医療知識があるんだよね」

「はい。手術は専用の道具や機器類がないと難しいですが、診察や簡単な治療であれば何なりとお申し付けください。難しい病気だと私だけでは対処できないかもしれませんが」

「いや、そんな大変なことを頼むつもりじゃなくて……子供たちの健康診断、お願いできないかなって」

「健康診断、ですか」

「うん。私は医療知識が少ないし、私ひとりじゃ子供たち全員の健康状態の確認までは手が回らない時も多くて……サラダに診断してもらえれば安心できるから」

「分かりました。お安い御用です」

「ありがとう、お願いね。子供たちは今のところ、サラダを怖がってはいないと思うけど、もし診察を嫌がる子供がいたら、私がなだめるから遠慮なく言ってね。終わったら結果を私に教えて」

「はい」サラダは箱型の頭を動かして素直にうなずいた。

「その後は、理仁に話でもしてあげて」

「そうですね。話が途中になっていましたから、彼のところにも後で行ってみます」

 くるりと向きを変え、子供たちのもとに向かおうとするサラダの背中に声をかける。

「あっ! 言い忘れたけど、診察の時に、またいたずらされないようにだけは気を付けて。一瞬でも油断したらアウトだからね」

「……は、はい……」

 か細い声とともに、サラダのランプは緑から黄色に変わった。


 その後しばらくサラダの姿は見えなかったが、夕食前ごろになってやっと、サラダはよろよろと私のもとにやってきた。外見に目立った傷や汚れなどはないが、ランプが黄色になっている。

「サラダ! どうしたの、大丈夫? 子供たちに何かされた?」

「……いえ、皆さんお利口でしたよ」

「それは良かった。でも、なんか調子悪く見えるけど」

「ちょっと疲れただけです。ずっと気を張っていたもので。皆さんとても、お元気ですね……少々元気すぎるくらいです」

 その言葉を聞いて、私は苦笑した。確かに、子供たちを一日中相手にしていると、この仕事に慣れている私ですら時々疲れ果てるくらいだ。昨日来たばかりのサラダには、子供たちの凄まじいほどのパワーは荷が重かったのだろう。

「それで、子供たちの診断結果は、どう?」

「そうですね……」

 サラダは姿勢を正した。

「生命にかかわるような重篤な症状を来たしている子供は今のところいないようです。一人、軽い喘息の症状があるようですが」

「ああ、叶芽(かなめ)ね。あの子は昔からなの。大きくなるにつれ症状はましになってきてるから、そこまで心配しなくても大丈夫だと思う」

「そうですか。一応、私が持っていた喘息の薬は渡しておきました」

「本当? ありがとう。ちょうど切らしてたんだ」

「それから……」

 サラダは少し言い淀むように間を置いた。

「不眠症を発症している子供が、かなり多いように見受けられました。数人は特に重症です」

「……うん」

「知って、おられたのですか」

「うん……。訳を、話すね」

 私はサラダに事情をかいつまんで話した。全部伝えようとすると何時間かかるか分からないので、できるだけ簡潔に。

「そうだったのですね……」

 サラダのランプが、黄色と赤を行き来した。だいぶショックを受けている様子だ。

「うん。孤児院に来てから、あの三人はずっと不眠症なんだ。同室の子たちもつられて夜更かししちゃったりしてて……」

「なるほど、それで不眠の症状のある子供が多かったのですね」

「そうなんだ。……私が添い寝しようかとも、思ったんだけど。でも私は戸締りとか、見回りとか、残ってる事務作業とかでついつい寝るのが遅くなりがちなんだよね」

 子供の世話をする役割の人間は、この孤児院には私しかいないので、オーバーワークはどうしようもない。ここにいる子たちは私を気遣ってよく手伝ってくれるけど、子供ができることには限界がある。

「あの子たちを遅くまで付き合わせちゃったら、結局寝不足になる状況は変わらないし。……結構夜中に目が覚めて泣いたりしちゃってるみたいだから、本当はずっとそばにいてあげたいんだけどね」

「セナ……、子供たちが心配なのは分かりますが、あなたも体を大事にした方がいいですよ」

「あはは、ありがとう。でも大丈夫。もう慣れっこだし、私しかやる人いないんだから、やるしかないよ」

「これからは私もお手伝いします」

「サラダは優しいね。これから頼りにするわ」

「お任せください」

 サラダはアームを自分の胸あたりにドンと当てた。

「でも、不眠症、どうすればいいのかな。睡眠薬を使うのはまだ年齢的にちょっとね……」

 私がうつむくと、サラダはアームをしばし組んだ後、思いついたようにランプを緑に点滅させた。

「それなら、私にいい考えがあります」

「本当に? どんな考え?」

「私が、添い寝をします」

「え」

 サラダの意外な提案に、私は気の抜けた声を出した。

「こう見えても、添い寝は得意なんですよ」

「したことあるんだ」

「ええ。私の以前の主人も、一時期不眠症だったもので」

「そうなんだ。前のご主人は、眠れるようになったの?」

「なりましたよ。私にはとっておきの秘密兵器がありますから」

「それはすごい」

 添い寝までできるんだ。サラダってやっぱり救護機械というより子守りロボットみたいだなと、私はこっそり思った。

「どんな秘密兵器なの?」

 私が聞くと、サラダはいたずらっぽく言った。

「今はまだ言えません。兵器ですから」

「なにそれ」

「まあまあ、ともかく私に任せてみてくれませんか。不眠を改善する自信はあります」

「そこまで言うなら……。それじゃ、今日の夜は理仁と添い寝してみてくれない? 理仁はサラダの話を聞きたがってたし、ちょうどいいかなって」

「承知いたしました」

「センサーの話はほどほどにしといてね」

「もちろんですとも」

 サラダはそう言ってランプを緑に瞬かせ、今のうちに充電してきますと言って二階に移動していった。

 サラダが添い寝すると言い出すとは思わなかった。ちょっと心配だけど、おとなしい理仁ならサラダにいたずらしようとはしないだろうし、多分大丈夫だろう。理仁には夕食の時にでも伝えておこう。


 ▽


 その後はけっこう忙しかった。遥が訓練から戻ってくるのを待ってからみんな一緒に高保存性インスタントラーメンの夕食をとり、子供たちと協力して後片付けをした。

 後片付けを終えると、私は理仁がシャワーを浴びに行く前に彼を見つけて添い寝の件を伝え、院長室で残りの事務仕事をやっつけ、医療拠点のメンバーと短いミーティングをして、子供たちの様子や診察結果を共有した。これだけでも結構時間がかかってしまった。

 そんなこんなで夜も更けてきたので、私は院長室から出て運動場や遊び場に向かい、まだ遊び足りなそうにしている子供たちに歯磨きと就寝を促してから、戸締りの確認をした。途中で、洗面所の順番で揉めてけんかを始めてしまった子供二人の仲裁をしていると、サラダが私のところにやってきた。

「すいません、理仁の寝室の場所を教えて頂きたく……」

「あ、サラダ。ごめん、ちょっと待ってね」

 私は二人のけんかを何とか鎮静化してから、サラダに向き直った。

「お待たせ! 部屋の場所、伝え忘れちゃっててごめんね。まだサラダに孤児院の部屋の紹介、ちゃんとしてなかったもんね」

「いえいえ、お忙しいところすみません」

「一階には食堂、お風呂、あとは遊び場に運動場なんかがあるんだ。他にも一階には院長室とか保健室とか、色々あるんだけど……まあ、そのへんはおいおい見せるね。子供たちの寝室は二階だよ。これから私もみんなと二階に行くから、一緒に行こうか」

「分かりました」

 子供たちはサラダを見ると、わらわらと群がっていく。いたずら目的と言うよりは、話しかけたい子が多いようだ。健康診断してもらったおかげか、子供たちとサラダの距離は少し縮まったように見える。

 私は歯磨きを終えた子たちとサラダを連れ、二階に上がった。

「えっと、部屋は八つあって……。一番奥が私と遥の寝室で、奥から女子部屋が三つ、男子部屋が三つ。一番手前の部屋は今は空き部屋になってるんだ。理仁のいる寝室は手前から二番目の部屋だね」

「なるほど、分かりました」

「そしたらよろしく。期待してるよ」

「はい、頑張ります。おやすみなさい、セナ」

 サラダは意気込んで答え、寝室に入っていった。

 私は子供たちを順に寝室に送り、ほっぺにキスをしてベッドに寝かせた。

 自分の部屋に入ると、遥はもう部屋にいて、部屋着でベッドに寝転んでいた。私と遥は同室で、遥のベッドは廊下側、私のベッドは窓際にある。

「おつかれ、遥」

「ん」

「今日は、どうだった?」

「いつもと同じで、訓練漬け。一応ちゃんとメンテナンスはしたよ」

「そっか。じゃあ今は義体の調子良い?」

「まあね」

「それは良かった」

「世奈は? 何かあった?」

「特にないかな……、あ、そうだ。サラダが理仁と添い寝してくれてるんだ」

 遥は軽く眉根を寄せた。

「あの機械が? 任せて大丈夫なの?」

「多分。理仁ならおとなしいし」

「いや、そうじゃなくて……機械が理仁に何かするかもしれないじゃん」

「何かって?」

 私に聞き返されると、遥は言い淀んだ。

「何か、こう……良くないこと。有害電波を出すとか」

 有害電波?

「……? 大丈夫だと思うよ。サラダ、子供の健康診断も喜んでしてくれたし。子供が好きなんだと思う」

「そう?」

 遥は少し不機嫌そうに言った。どうやら遥はサラダのことがあまり気に入らないようだ。

「うん。サラダは優しいよ」

「私は、まだあの機械のこと、信用できないな。昨日来たばっかりだしさ」

「確かに、まだサラダのことは、あまり知らない。でも、話をしてみないと信用できるかどうかも分からないよ。……遥もたまには、サラダと話してあげてね」

「世奈はやけに機械の肩を持つんだね」

 遥は少しトゲのある言い方をした。彼女がはっきりとものを言うのはいつもの事だけど、こういう言い方はどうも彼女らしくない気がした。

「そうかな。貴重な救護機械が来てくれたのは、孤児院を管理してる私としてもありがたい事だから、大事にしてあげたいんだ。孤児院の一員として」

「……そう」

 遥はまだ釈然としない顔をしていたが、さっさと話を切り上げて布団に潜り込んだ。

「おやすみ、遥」

「……おやすみ、世奈」

 遥はほどなくして規則的な寝息を立て始めた。

 私は机の引き出しからダイアリーを出して日記を書き、最後に院内の見回りをしてから、寝床についた。一日の疲労がどっと押し寄せ、私もすぐに眠りに落ちた。


 ▽


 翌朝、久しぶりにしっかり寝たおかげか、体は軽くなっていた。

 私は遥を起こさないようにそっと布団を出て身支度をし、顔を洗って歯磨きを済まして洗濯室に向かった。いつも通り洗濯を終え、朝の放送をしてから、子供たちを起こしに二階へ上がる。

 毎朝、手前の部屋から子供たちを起こしていくので、一番初めに入るのは、理仁のいる男子部屋だ。

「おはよー、いつまでも寝てちゃ……え?」

 この部屋は重度の不眠症である理仁がいるので、理仁も、つられて夜更かししがちな同室の叶芽も非常に寝起きが悪く、特に理仁はなかなか起きずに苦戦するのがいつもの朝だ。寝起きの理仁は非常に機嫌が悪く暴力的で、無意識に蹴ってくるため、朝っぱらから結構な攻防になる。

 今朝も、そうなるはずだったのだが。

「おはよ、世奈」

 私は思わず目を丸くした。理仁が、起きてる!

 それどころか、ベッドに腰かけて、爽やかな笑顔で挨拶までしてきたのだ。目の下のクマも、心なしか薄くなっている。

 叶芽はまだベッドにいるが、目が覚めてはいるようで、布団の中からちらりとこちらを伺ってきた。

「嘘……朝はあんなに機嫌悪い理仁が……」

「……ちょっと低血圧なだけだよ」

 理仁が少しむっとしたように答える。「心外だ」みたいな顔しちゃって……昨日理仁に三回くらい蹴られた私の身にもなってほしい。

「とにかく、理仁! 早起きできて偉いよ~!」

 私は感極まって涙目で理仁に抱きつく。

「うわあ! 服に鼻水つくからやめて! あと恥ずかしい!」

「まあまあ、リヒト」

 抱きつかれてバタバタと抵抗する理仁を、隣にいたサラダがなだめる。

「セナ、おはようございます」

「サラダ……おはよう」

 私は理仁に抱きついたままサラダに挨拶をした。

「どうですか、私の仕事ぶりは」

「すごい、最高だよサラダ!」

「そうでしょうとも」

 サラダは胸を張って箱型の頭を軽く反らした。サラダに表情筋はないが、そのポーズはどことなくドヤ顔をしているように感じられた。

 ひとしきり私からの称賛を受けた後、サラダは理仁にカメラアイを向けた。理仁はようやく私を引きはがして態勢を整えたところだった。

「リヒトは、どうでした?」

 理仁は少し息を整えてから答えた。

「確かに、久しぶりによく寝られたよ。ありがとう、サラダ」

 理仁はサラダの緑色に光るランプを優しく撫でた。

「どういたしまして。今後もお任せください!」

 サラダは嬉しそうにアームを胸に当てた。


 その後数日かけて、新菜と希愛にも順番に添い寝してもらったが、その効果は絶大だった。新菜も希愛も、サラダと添い寝した晩は見違えるように不眠症が改善され、爽やかな顔を見せてくれた。

 私はとても嬉しかった。子供たちの不眠症のことはずっと心配していたのだ。私はサラダに心から感謝し、これからも三人に日替わりで添い寝してもらうように頼んだ。

 ついでに、私はサラダに一つ質問をしてみた。

「サラダ、やっぱり気になるから聞きたいんだけど」

「なんですか、セナ?」

「こないだ言ってた『秘密兵器』って……いったい何だったの? そんなに効果抜群なら、私も真似したいなって」

「ああ、そのことですか」

 サラダは思い出したように言った。

「子守唄です」

「へ?」

「母親が入眠の際などに歌う唄ですよ。セナは聴いたことないですか?」

「いや、子守唄が何かってのは知ってるけど……それが、秘密兵器なの?」

「そうです。寝る前に子守唄を再生するだけで、子供の寝つきは驚くほど良くなるんですよ」

「知らなかったなあ……」

 子守唄か……それだけのことだったんだ。私はちょっと拍子抜けした。

 サラダの子守唄ってどんな曲なんだろう。聞いてみたい気もする。でも、合成音声の子守唄ってどうなんだろうか……。逆に変な夢見そうな気もするが、子供たちの反応を見るに大丈夫なんだろう、たぶん。

「そうか……、子守唄か。教えてくれてありがとう」

「いえいえ。添い寝は私が頑張りますので、セナは無理しないでくださいね」

「さすがサラダ。頼りになるね~」

 私は上機嫌なサラダを見て目を細めた。

 サラダはまだ、気づいてないんだろう。孤児院の中には、子守唄を一回も聴いたことがないまま、ここに来た子もいることを。

 私も、親に子守唄を歌ってもらった記憶はない。最初に聞いたのは、来たばかりの頃に添い寝してくれた、先代の院長の唄だった。その暖かな歌声は、今も耳に残っている。

 孤児院の子守唄は、院長が子供たちに歌い、それを覚えた子供たちが新しく来た子供に歌う。そうして受け継がれてきた子守唄は、いつも変わらず子供たちを安らぎに導いてきた。眠れない子供を眠りに就かせるときも、病にかかった子供が、死に瀕したときも。


 ▽


「子守唄、か」

 遥が寝床につくときに、サラダから聞いた秘密兵器の話をすると、彼女はぽつりと呟いた。

「懐かしい。最後に歌ったの、いつだろ」

「私はときどき、時間のある時に子供たちに歌ったりするけど、遥はもうめったに歌わないもんね」

「うん。……そういえば、私がここに来たばかりの頃に、世奈が教えてくれたんだよね、子守唄」

 遥がこの孤児院にやってきたのは、彼女が十二歳のときだ。遥の母親は遥が義体化手術を受けたすぐ後に任務中の事故で亡くなり、その二年後、父親も任務中に野生動物に食われて帰らぬ人となった。遥は父親の遺言により、父親の友人だった先代の院長に託され、孤児院にやってきた。

 遥は救助隊だから、本来は十五歳になったら救助隊本部近くの寮に住むはずだったけれど、遥はそれを拒否して孤児院に住み続けている。遥は義体化手術を受けている数少ない隊員なので、救助隊も無下にはできず、今に至るというわけだ。

「そうだった、そうだった。最初の頃は遥、めちゃくちゃ怖かった~。目だけで人殺せそうだったよ」

「あはは、言い過ぎ。でも世奈、よく私に話しかけられたよね。昔からビビりだったじゃん」

「だって、遥が逆立ちとか、腕立て伏せとかしてて、いつまでも寝なかったんだもん」

「そういえばあの頃筋トレしてたな。体力付けたくて」

「さすがに気になってさ。……話しかける覚悟を決めるまでに二時間かかったけど」

「そういう所、変わってないよね~、世奈は」

 遥はあくびをした。私は、遥が明日は早いと話していたことを思い出し、話を切り上げることにした。

「そろそろ寝よっか」

「ん」

「おやすみ、遥」

「……おやすみ」

 しかし、私が日記を書き、院内の見回りを終えて寝室に戻ってくると、遥はまだ目を開けていた。

「あれ、先に寝てなかったの」

「……」

「もしかして、眠れない?」

「うん……世奈、子守唄、歌って」

「しょうがないなあ」

「ありがとう」

 私は息を吸い込んだ。


 ねむれねむれ 母の胸に

 ねむれねむれ 母の手に

 こころよき 歌声に

 むすばずや 楽しゆめ


 ねむれねむれ 母の胸に

 ねむれねむれ 母の手に

 あたたかき その袖に

 つつまれて ねむれよや


 ねむれねむれ かわいわが子

 一夜(ひとよ)寝(い)ねて さめてみよ

 くれないの ばらの花

 開くぞよ まくらべに


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