日ノ出家の救護機械

春木みすず

第一話 おかしな救護機械


「こんな世界、もうすぐ終わるじゃん。なんで必死に生きなきゃいけないの?」

 それが、遥(はるか)の口癖だった。

 私――世奈(せな)は、それを聞くといつも、すごく悲しい気持ちになった。でも、私は何も言えない。遥のやってられないという気持ちはよく分かる。この難民キャンプで、幼馴染としてずっと一緒に育ってきた私だから、誰よりもよく分かっている。

「そんな所にいたら、危ないよ」

 私は震えながら遥に呼びかけた。遥はキャンプの中心から少し離れたところにある、電波塔の頂上近くの鉄骨に無造作に腰かけて、義足をぶらぶらさせていた。私は電波塔のメンテナンス作業用に取り付けられた不安定な階段の一番上の段で、手すりにしがみついて必死に下を見ないようにしていた。

「大丈夫だって。私なら、この高さから落ちたってかすり傷一つ付かないんだし」

「でも、最近忙しくてメンテナンスさぼってるでしょ。義体の調子、万全じゃないんじゃない?」

「……うるさいなあ。世奈は本当、心配性だよね」

 私は一刻も早く地面に降りたくて、少し声を大きくする。

「遥、いこうよ。もう、みんな待ってるよ」

「嫌。興味ないし」

「もう……。新しい人が来るときはみんなで迎える決まりでしょ」

 私がたしなめると、遥は風で顔に張り付いていた長い黒髪を、うっとうしそうに払って言った。

じゃ、ないじゃん」

「まあ、そうだけど……」

 今日は難民キャンプに、前の救助の時に地上で拾われた救護機械が運ばれてくるらしい。救護機械は、傷病者の治療と被災者の救助を主な役割とする、人工知能(AI)が搭載された医療用の機械だ。拾われたわりには新しい型らしいから良かった。今、このキャンプの医療部門は人手不足で、まともな治療をできる人がいない。

 でも、救助隊の人が言うには、なにやら一風変わった機械だそうだ。変わってるって、どういう意味なんだろう。私はそれなりに興味があったが、遥は気乗りしない様子だ。昨日も食糧を探しに行っていたし、疲れているのかもしれない。私がおろおろとしていると、遥はため息をついた。

「私はしばらくここにいたいの。ここからでも、広場は見えるし」

「そんなぁ……」

 私は目を閉じてがっくりとうなだれた。せっかく遥を呼びに、遥はともかく私は落ちたら確実に死ぬ高さの電波塔の先まで、頑張って来たのに。途中下を見てしまい気が遠くなりそうになって、危うく走馬灯を見るところだったのに。

 私は下を見ないように気を付けながら目を開け、遥の方を恨みがましげに見た。すると遥は、いつの間にか鉄骨の上に立ちあがっていた。そして、止める間もなく、ぴょーんとジャンプした。

「ああっ、あぶない!」

 私は思わず遥の方に手を伸ばしてしまった。そして、見事にバランスを崩した。

「……え?」

 私はぐらりと視界が回転するのをぼんやりと見ていた。

「バカッ!」

 鉄骨に危なげなく着地した遥が、膝を目いっぱい曲げて、鉄骨を強く蹴った。遥が私の手を掴むまでの刹那、私は走馬灯を見た。


 ▽


 ――二三七三年、世界は凍り付いていた。どうして地球に氷河期が来たのか、明確な答えは学者の間でも出なかったらしいけれど、有力な説はあった。それは、二酸化炭素濃度の低下による寒冷化だ。ちょうど三五〇年前、まだ二十一世紀だった頃、大気中の二酸化炭素濃度は上がる一方で、それに伴って「地球温暖化」というものが問題になっていた、らしい。

 困った人類は苦難の末、ある技術を産み出した。それが、「炭素固定技術」。空気中の二酸化炭素を固定し、有機化合物、特にプラスチックを安価に合成するという技術である。これは非常に画期的な技術だった。何しろ、それまで問題になっていた二酸化炭素を原料に、いくらでも工業製品を作れるのだ。 

 炭素固定技術は、当時盛んになってきていた新型AIの開発、そして二酸化炭素削減の推進という大義を追い風に、瞬く間に全世界に普及した。大気中の二酸化炭素濃度はみるみるうちに減少し、安価なプラスチックが使用された、高性能なAI搭載ロボットは次々と市場に出回った。その頃はまだ、それで良かった。

 学者がようやく異変に気付いたのは今から百年前だ。炭素固定技術を使いすぎたせいで、二酸化炭素濃度が今度は下がりすぎていた。地球は次第に寒冷化し、学者は炭素固定技術を使用しないよう推奨し始めた。しかし、炭素固定技術とAIの躍進によってもたらされた、いわゆる「第四次産業革命」の恩恵を、簡単に手放せる為政者はいなかった。 

 その後は坂道を転がり落ちるように、人類は衰退の一途を辿った。太陽活動が例年より低下した八十年ほど前には海が凍り付き始め、氷河期の到来が国連から正式に発表された。そして二三七三年になった今では、熱帯の一部地域しか人間が地上に住める場所はない。わずかな資源をめぐっての戦争がいくつか起きたが、豪雪に阻まれてすぐに戦争は終結したらしい。

 そうして多くの人類は死に絶えた。残った人類は厳しい環境の地上で短命な人生を送るか、地下のシェルターで地熱に頼り、細々と生きるかのどちらかの選択肢を迫られた。この難民キャンプは、そうした地下シェルターのうちの一つだ。私はこのシェルターで生まれ育ち、少ない食糧でなんとか病気もせずに生きてきた。私の幼少期は、シェルターでの子供の生存率は今より低かった(今も決して高いわけではないが)。だから、同い年の遥を除けば、私に幼馴染と呼べる人はいない。


 遥に生まれつき両足がないことは、このキャンプにいる人なら皆知っている。遺伝性の疾患で、遥の血族は皆、身体障害がある。でも、遥は足手まといになっているわけじゃない――むしろ逆だ。遥は十歳の時に、両親の意向で強制的に義体化手術を受けさせられた。それまで病弱だった彼女はその時から、健常者の誰にも負けない頑強なボディと並外れた身体能力を手に入れた。

 そしてその時から、遥はサバイバル技術や救助訓練を毎日毎日、鬼のように叩き込まれた。遥は手に豆ができて潰れても、十歳には重たすぎる救護用のリュックを背負ったまま転んでも、一粒の涙さえ溢すことを許されずに、自力で立ち上がるしかなかった。そして一五歳になったときには、救助隊の一員として認められ、独り立ちした。

 私はなにも、彼女が虐待されていたと言いたいわけではない。遥の両親は、彼女のためを思ってそうしたのだ。身体にハンディキャップを持つ遥の血族が、この難民キャンプで生き残る唯一の術は、救助隊に入り、危険な任務を率先してこなすことだ。たとえ肉体と精神が擦り切れるまで酷使されても、文句ひとつ言わない。それが遥の血族の生き方だった。そうしたくなくても、それしか選択肢がないのだ。

 遥にとって、この世界はあまりにも残酷すぎる。強気で人を寄せ付けないように見えるけど、本当はもろくて傷つきやすい彼女に対し、このキャンプでの日々はいつも、容赦ない。

 キャンプの中にある孤児院で、子供たちの世話をしながらのうのうと暮らす私は、遥にとってこの上なく腹立たしく思えるのだろう。私のしていることなんて、遥のしている苦労に比べたら、ちっぽけなものだ。小さな孤児施設の中で、十人ほどの孤児の子たちの生活の面倒を見る。昼は近所の子も何人か集めて一緒に遊ぶ。たまに本を読んであげる。それだけ。地上に出たことは一回もない。

 そうして四年が過ぎ、私と遥は十九になった。私は遥の身の上に、雪のように降り積もる絶望をただ見ていた。私には遥の傘になってあげることも、その絶望を太陽のように照らして溶かすこともできはしない。隣にいるから、その深さを知っているだけだ。


 ▽


 気が付くと、私は遥に抱えられていた。遥の背中からグライダーのような翼が伸びていた。私と遥は旋回しながらあっという間に地面に近づき、遥は最後にジェットパックで減速してから、私をゆっくり地面に降ろした。私は地面にへたり込んだ。遥は私のオレンジブラウンの巻き毛を指先で撫でた。

「ケガない?」

「だ……大丈夫」

「まったく、世奈はバカなんだから。私ならあそこから落ちても大丈夫だってことくらい分かってたでしょ」

「……遥って」

「ん?」

「飛べたんだ」

 遥は私の言葉に黒曜石のような目を丸くして、あははと笑った。

「自由に飛べるわけじゃない。できるのは滑空だけ。言ってなかったっけ?」

「初めて知ったよ……ずっと一緒だったのに」

「そっか。まあ、キャンプ内では滅多に使わないしね。ほら、立てる?」

 私は足に力を込めたが、膝が笑っていて全く使い物にならなかった。

「無理そう……」

「しょうがないな。世奈のお節介に免じて、広場まで一緒に行ってあげる。ついでに集会も出るから」

「ありがとう」

 私は遥の肩を借り、よろよろと立ち上がった。

「足無しの私が足のある世奈を助けるなんて、滑稽だね」

 遥は片方の唇の端を引き上げて笑った。

 いつも集会の時に使う広場まで着くと、もうキャンプの大半の人間が集合を終えていた。ざっと見て、八十人ちょっとくらい。昨年と比べるとけっこう人数が減っている。後ろに並ぶと、「遅いよー、世奈」と子供の一人に肩をたたかれた。遥には誰も話しかけない。

 壇上には件の救護機械が鎮座していた。円筒形のボディに、四角いパネルがついていて、頭は平べったい箱のような形をしている。アームが二本に、足にはキャタピラがあり、でこぼこした道でも走れそうだ。頭の隅にあるランプは、時折緑に点滅している。カメラアイは物珍しそうに周囲を見回しているように見えた。

 似たようなボディの救護機械は昔見たことがあるけれど、あんなにキョロキョロしたりはしていなかった、と思う。

『あ、あー。聞こえるか。……ちょっと静かに』

 拡声器からキャンプのリーダー、主馬(かずま)の声がした。いつの間にか壇上にやってきていたようだ。ざわめいていた人々が次第に静かになる。

『今週の頭にも言ったが、今日から新しい救護機械がキャンプの一員になる。慣れないこともあるだろうが、皆よろしく頼む』

 主馬はそう端的に紹介をすると、拡声器を救護機械の前にかざした。救護機械はややぎこちない動きで拡声器を受け取り、少し甲高い機械音でテストをしてから、話し始めた。

『はじめまして。私はサラダ。日ノ出家の救護機械です』

 サラダ? 日ノ出家? 私の頭には疑問符が浮かんだ。

 しかし救護機械――サラダは特に何の説明もせず、拡声器を主馬に返そうとしていた。主馬は拡声器を受け取って言った。

『……サラダは、医療拠点のある第三地区に配属とする。該当地区のメンバーは面倒を見てやってくれ。どこに滞在させるかは地区のメンバー同士で決めていい。』

 私は軽く身じろぎした。第三地区は私と遥のいる地区だ。

 このキャンプはおおむね円形をしている。キャンプは今いる広場を中心として東西南北の四つの地区に分けられており、第三地区は東側にあたる。私と遥は、第三地区に位置する孤児院の敷地内にある住居に一緒に住んでいる。

『以上。質問は?』

 しばらく沈黙が続いた後、一人の中年男性が手を挙げた。確か、何回か見かけたことはある気がするが、名前までは憶えていない。

「そいつの動力は?」

『電気だ。そこまで燃費は悪くない。電力不足なら心配はいらない』

「へいへい。また停電したらたまらんと思ってね。いくらでも電力を食えるアテルイ様とは違って、俺らはいくら節電しても全然足りねえんだから」

『……』

 私は急に冷え切った雰囲気に身震いした。

 アテルイというのは、難民キャンプ全体の制御システムAIのことだ。本体は量子コンピューターだが、少女の姿をした義体を使って人間とコミュニケーションを取ることもできる。

 アテルイは主馬と共同でリーダーをしているが、主馬はめったにアテルイに異を唱えることはない。実質、アテルイがリーダーのようなものだ。アテルイは義体を使うと電力がかなり消費されるため、普段は監視カメラからこちらを確認している。今日も広場に彼女の義体は見当たらない。

 私はアテルイが少し苦手だ。幼い少女の見た目にはそぐわない怜悧さや、やけに丁寧な口調のせいかもしれない。

 主馬は少し間を置いて淡々と説明した。

『現在もアテルイの義体の活動は最小限に抑えている。電力供給の安定性については、そのアテルイが解決策を検討中だ。遠征時などに、改良用の機械部品を積極的に回収する案が有力とみている』

 男性は周囲に聞こえるように舌打ちをした。おそらく、男性はそういった答えを求めてはいなかったのだろう。男性は、主馬が自分の機嫌をとり、感情に訴えかけることを期待していたらしい。

 私は別のことで少し、嫌な気分になった。機械部品の回収。その任務をするのは、きっと遥たち救助隊だろう。つまり、遥の負担がまた増える。そう考えると気が重かった。

 私は主馬の表情を見ようと、壇上を見上げた。主馬は男性の舌打ちなどまるで耳に入っていないかのように無表情だった。

『他はいないか? ……そしたら、解散。第三地区のメンバーは集合して、各自サラダに自己紹介をしてくれ。他のメンバーも、時間があれば自己紹介してから戻るように』

 そう言い終わると主馬はさっさと壇上から降りて行った。

 

 ▽


 第三地区のメンバーは言われた通りに広場に残った。他のメンバーはほとんどが散っていく。正直、同じ地区でなければそこまで関わりはないので、わざわざ他の地区に入る人にまで挨拶するメンバーは少ない。そもそも人が多いので、挨拶した方もされた方も、普段会ってなかったらすぐ忘れてしまう。

 私は、すぐにサラダに触ろうとする小さい子たちの胴体を素早く掴まえて掬い上げる。意に反して小脇に抱えられた子たちから不満げな声が上がるが、貴重な救護機械が壊されでもしたら大変なので仕方ない。

 そんな私たちの様子を見て、サラダがこっちに向かってきた。面食らう私をよそに、サラダはきゅるっとカメラアイを子供に向ける。

「かわいいですねえ。おいくつですか? たくさん子供がいるって、いいですね」

 私は驚いた。かわいい? そんなことを言う救護機械は初めて見た。

 私の小脇に抱えられたまま、話しかけられた子供が返事をする。

「……よっつ」

「そうですか! いい子ですね~。もしお腹が痛くなったりしたら、私にすぐ言ってくださいね」

 周りもあっけに取られた顔をしていた。

 あれっ、救護機械っていうの、聞き間違いだったのかな? 実は子守り専用ロボだったとか。いや、それにしてもなんだか変なような。確かに、『一風変わって』いるのかもしれない。

 私たちは戸惑いつつも、年長者から順番に名前と担当業務だけを言って自己紹介をした。しばらくして、私の番が来た。

「世奈です。孤児院で子供たちのお世話をしています」

「セナですね。記録しました。よろしくお願いします」

 私のすぐ後に遥がつっけんどんに自己紹介した。

「遥。救助隊」

「ハルカ……」

 サラダは遥の名前を呼ぶと、固まったように動かなくなった。どうしたんだろう。遥の無礼さが気に障ったのかな。そもそも、救護機械って気を悪くしたりするものだろうか?

「ハル……コハル……」

 コハル? そう言ったように聞こえた。頭のランプが、緑から黄色に変わっている。ヤバい、故障かもしれない。

「ちょっと、何なの?」

 遥がイラついたようにサラダに呼びかけると、サラダはジジッという機械音を出し、ランプが緑になった。

「……すみません。少々エラーが出たようです」

「は? 大丈夫なの、そんなんで」

「ええ……気にしないでください。それで、ハルカ、でしたね」

「そう。私コハルじゃないから。はーるーか」

「……そう、ですよね。記録しました。よろしくお願いします」

 その後はつつがなく自己紹介は終わり、地区のどこにサラダを置くかという話し合いに移った。話し合いはなかなか進まなかった。

 話をまとめるとこうだった。サラダは救護機械なので、本来はキャンプの中心に近い場所にある医療拠点に置いておくのがいいのだが、昨年医療拠点で医師をしていた先生が流行り病で亡くなってしまった。一番知識が豊富だった先生がいなくなったせいで医療拠点はうまく機能しなくなり、今は慢性疾患を持つ入院患者の世話と、状態の悪い傷病者の診察や手術だけで手一杯になっている。

 そのため、現在はキャンプの東の端に位置している救助隊本部の救護班が臨時で急患の救命医療や風邪などの軽い症状の治療を担っている。しかし、救護班はもともと人手不足の上に、西側など離れた場所の急患への対応が遅れるという問題があった。東端に位置する救護班は、西端まで移動して急患を医療拠点まで運び、救命医療を開始するまでに最短でも三十分ほどかかってしまうため、手遅れになる場合も多い。

 サラダを救護班に置けば、救護班の人手不足はマシになるが、西側の急患には相変わらず対応できない。サラダを医療拠点に置けば、西側の急患にはなんとか手が回るかもしれないが、救護班の人手不足は解消されない。

 実際、救護班が無理にキャンプの一般メンバーらの診察を請け負っているせいで、遠征で負傷して戻った救助隊員への手当てが遅れそうになるケースもあったらしい。救護班はもともと、このキャンプの生命線である救助隊員を治療するためにある。救護班は一般メンバーより救助隊員の治療を優先せざるを得ないし、そうすべきなのだ。

 なら救護班をキャンプの中央に置けばいいじゃないかと思うかもしれないが、実はそうもいかない。このキャンプは、大部分が分厚い氷と岩盤に埋まっている。金属でできた地上へのシャフトはキャンプの東端にしかなく、救助隊はいつもそこから地上に出て活動している。

 もし救護班を中央に置けば、地上から戻った救助隊員の治療が遅れる可能性があるので、ダメなのだ。シャフトが中央にあれば良かったのだが、一番の年長者が言うには掘削できそうな場所が東端にしか無かったらしい。そのシャフトの建設も命がけだったんだぞと、これでもかと強調してきた。

 議論は平行線を辿った。遥はサラダを救護班に置いてほしいと強く主張していた。私は特に議論には加わらず、長話にすっかり飽きて猫のように気ままにうろつく子供たちを必死におとなしくさせようとしていた。子供たちは「世奈が帰らないならここにいる」と言って、先に孤児院に戻るよう言っても聞いてくれない。彼らにとっては私が保護者代わりなので、私と一緒にいたいのだろう。

 結局、リーダーの主馬とアテルイに意見を聞くことになった。


 ▽


 私たちは広場のすぐ近くにある、中央司令部へ向かった。主馬とアテルイの義体はいつもここにいる。

 見張りに事情を説明して、サラダと私たちは殺風景なコンクリート製の建物に入る。重厚な金属製の扉を開くと、机に向かって何やら書いていた主馬はハッと顔を上げた。アテルイの義体は充電器に接続されて傍らの椅子に座っている。顔部分を覆うベールのせいで分かりにくいが、ピクリともしないので、たぶんスリープモードになっているのだろう。

 アテルイを目にするとサラダは、ピューと口笛のような音を鳴らした。

「高性能システム制御AI用義体! 初めて見ました。女性型なんですね」

「……何の用だ」

 主馬は硬い表情で言った。第三地区のメンバーは年長者を中心に再び事情を説明した。幼い子供たちは私の後ろから主馬を恐る恐る見ている。子供たちの多くは、ずっと無表情でいる主馬が苦手なのだ。

 主馬は一通りの話を聞き終えると頷いた。アテルイの義体に近づき、電源を入れる。ヴヴンと音がして、アテルイは起動した。ベールの奥で、人間の目のように配置されたランプが紫色に発光する。主馬はアテルイに呼びかけた。

「話は聞いていただろう。サラダに自己紹介をしてから、この件についての意見を言ってくれ」

「はい」

 アテルイの合成音声が返事をした。

 アテルイはこのキャンプに張り巡らされた監視カメラとマイクで、キャンプのすべてを把握している。このキャンプ内でアテルイに隠し事をするのはとても難しい。

 アテルイはサラダの方を向き、機械らしい自己紹介をした。

「私は高性能システム制御AI、通称アテルイです。当キャンプのシステム管理、シミュレーション分析、および課題の検討を行っています。また規定に従い、現リーダーに指示された事項については、シミュレーション分析を行いその結果を根拠として意見いたします。よろしくお願いします」

 サラダは落ち着かない様子でアームを合わせ、挨拶を返した。

「ご丁寧にどうも……。日ノ出家の救護機械、サラダと申します。よろしくお願いします」

 アテルイはランプを軽く瞬かせ、次に私たちに向き直った。

「次に、シミュレーション分析の結果と、それを根拠にした提案を行います。シミュレーション結果のうち、傷病者の生存率が高いものを表示いたします」

 フォンという音と共に、アテルイは手を壁にかざした。手から出たレーザー光が、壁にキャンプの模式図を描く。

「傷病者の生存率が最も高い、七十五パーセントの結果です。通常時には、救護班と医療拠点のちょうど中間付近に位置する、孤児院にサラダを配置し、救護班と医療拠点両方へのアクセス経路および連絡手段を確立します」

「ふえっ⁉」

 やばい、驚いて変な声出ちゃった。アテルイは特に気にした風もなく、レーザー光を使って説明を続ける。

「人手不足の状況自体は救護班の方がより逼迫しているため、サラダは救護班にある程度近い位置に置くことが得策と言えるからです」

 救護班のメンバーたちはそれを聞くと同意するように頷く。

「傷病者が増えて救護班の状況が特に逼迫する、地上遠征班の帰還時には、サラダは救護班に急行し、救護班と共に治療にあたります。キャンプ西側地域の急患の頻度は比較的低いため、急患発生時のみサラダに連絡を行い、現場に急行して急患を医療拠点に運び、急患の救命にあたってもらいます」

「……間に合うのか?」

 年長者の一人がアテルイに尋ねた。アテルイが答える。

「救護機械の標準装備である飛翔機能を使えば、孤児院から西端までは十分もかかりません。同時に救護班を医療拠点に派遣すれば、十五分程度で救命医療を開始できるでしょう。これは従来の半分の時間です」

 救護機械も、飛べるんだ……初めて知った。私が知らないだけで、飛べる奴って沢山いるのかも。

「だが……通常時も救護班に置いておけばどうなんだ? 救護班は常に人手不足だろう」

 主馬は足を組んでアテルイの意見に反論した。アテルイはにこりと微笑む。

「そうすることもできます。しかし、サラダは救護班と医療拠点を行き来して、両方の設備に慣れてもらった方が救命効率は上がると思われます。また、サラダには孤児院での仕事もあります」

「孤児院での仕事……」主馬が右上あたりに視線を泳がせる。

「孤児院が時々、出産の補助を行っていることはご存知でしょう。現在は産婦人科を担当できる医療者がキャンプ内にいないため、世奈が簡易的な処置を担当していますが、医療者のいない状況での出産は危険を伴います。サラダがいれば緊急事態に対応できる」

 アテルイの言葉を聞いて、私は唇を噛んだ。その通りだ――これは稀にある私のもう一つの仕事。産婆の真似事をして赤ちゃんを取り上げること。私の前任者はずっと産婆の仕事をしていたから、前任者がいる頃はまだ何とかなった。

 でも前任者が亡くなった後、まだ経験の浅い私が担当したお産は、私の判断が遅いせいで母子ともに危険になったケースもある。その時は医療拠点から来てくれた医師が対応してくれて事なきを得たけど、医療拠点がうまく機能していない今、また同じように難産があったら……赤ちゃんの命は無いかもしれない。

「ふむ」主馬はアテルイの言葉に納得したようだった。

「アテルイの提案には一理ある。それに、主に一般メンバーを治療する医療拠点と、救助隊員を治療する救護班は昔から仲が悪いからな……救護班のみがサラダを独占するように見える事態は避けたい。その点、孤児院は中立的な施設だし、救助隊員の遥と、医療拠点とのパイプのある世奈の両方が近くにいるから、双方と連絡が取りやすいだろう」

 うわあ、それ、わざわざここで言う? 私は顔をしかめる。

 他の人も、特に救護班と医療拠点のメンバーは露骨に嫌な顔をした。リーダーに医療従事者間の確執をあからさまに指摘されたのだから無理もない。主馬のこういう所が反感を買う原因なんだよな。本人は分かっていて言ってるんだろうか。

「そしたら、決まりですね」アテルイは再び微笑んだ。

「あ、あの……」

 サラダが、恐る恐るといった感じで右のアームを上げる。

「わ、私、飛翔機能は使えますが……子供を運ぶのが、やっとで。成人を運ぶことは難しいと思うのですが……」

 アテルイはハッとしたように言った。

「あっ、申し訳ありません。私としたことが、言い忘れていたことがありました。サラダには強化パーツをつけて改良を行います。そうすれば、成人二人までは軽々運搬できますよ」

「あ……、そ、そうなんですね」

「はい。後ほど改良のご案内をいたします」

「そうですか……」

 あれ、またサラダのランプが黄色になってる。

「強化パーツさえ、あの時の私にあれば……レンゲも……」

 レンゲ?レンゲって、なんだろう。聞いたことがない言葉だ。

「どうかしましたか?」

「あ……いえ。大丈夫です」

「何らかのエラーが出たように見受けられますが」

「後ほど、自己診断いたします。ご心配おかけしました」

「そうですか。今日は来たばかりですし、改良のご案内は明日にいたしますか?」

「……そうですね」

「承知いたしました」

「よし。用は済んだな。世奈と遥はサラダに色々教えてやれ。それじゃあ持ち場に戻ってくれ」

 主馬はそう言うと、表情を動かさずに机に戻った。アテルイはスリープモードに戻り、椅子に座ったまま動かなくなった。第三地区のメンバーたちは主馬に礼を言ってぞろぞろと部屋から出ていく。

 遥は不満げな顔をして主馬に向かって口を開きかけたが、すぐ閉じた。おそらく遥は反論の余地がないと思ったのだろう。

 私は反論があったが、もう決まってしまったことなので黙って従った。……相変わらずサラダに群がろうとする子供たちを抑えようとしながら。しかし、私の目をすり抜けた数人がサラダのカメラアイを触り、モニターを叩き、アームを引っ張る。

「ひゃあああ!」サラダが悲鳴をあげる。

「こら! やめなさい!」

「やばい、逃げろー!」

「こら! 走らないの!」

 まったく、アテルイも主馬も、この子供たちがどんなにいたずらっ子かを知らないからそんなことが言えるんだ! 私は今日からサラダに襲い掛かるだろう子供たちからの洗礼を想像し、深いため息をついた。サラダが丈夫であることを祈るしかないな。私だけじゃ到底、サラダを守りきれないに違いない。


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