幕間あるいは追想 The Sister of Time
思い出すにあたって、関係者たちの名前を記憶から引っ張り出したくはない。
恋愛ごとのきっかけになった懐古をともなわせるには、苦々しい記憶だからだった。
『その女子たちのおかげだ』とまでは思わないけれど。
因果関係としては『あの時のことがなければ』だった。
私と従姉とが、本来なら縁のない高校に入学することになったのも。
そこで二人ともが志波先輩に出会い、惹かれることになったのも。
日曜の朝から『現場検証』に出かけるぐらいには、モチベーションがあるのも。
志波先輩を人の輪の『まんなか』にいる人だとすれば、彼女は『てっぺん』にいる人気者だった。
小学校から同じだったけれど、低学年の頃から声が大きくはきはきとした優等生で、それは何かの役職を率先してやってくれる、リーダーシップを取る側にいるということでもあり、先生受けもずっと良かった。
私の目にも『世の中には、可愛くて流行りものの先頭にいて、優等生のすごい子もいるんだなぁ』ぐらいに見ていた。
そうでなくなったのは、中学二年生の秋のこと。
冬休みまではまだ遠く、しかし長袖には変わっていたぐらいの季節。
球技大会の参加種目を割り振る、学活の時間だった。
担任の先生は、たまたま代教の必要なクラスが出たとかでその場にいなかった。
なぜ授業の詳細まで思い出すことになるかと言えば、それが発端だったからだ。
この手の学校行事は、全員が『運動部の者は部活と同じ競技に出ないこと』という縛りの範囲で、競技ごとの適正人数に振り分けられる。
ただ、クラスには学校行事のたびに一人ずつ持ち回りで写真撮影を行う――卒業アルバムや広報に掲載するための撮影や編集の一部にかかわる広報委員なる役職があり、競技決めの時間も真っ先に希望種目を通してもらった上で、『本番前の参加種目決めの光景』を撮影するためにカメラを構えていた。
私にとっては初めて撮影担当が回ってきた行事で、備品としてニコンの一眼レフを使えることにわくわくしていた。
小遣いとお年玉を貯めていても長らく手が届かない、高価なカメラを触る機会が手に入った。
もともと写真は好きだった。地元の美術館には写真館が隣接していて、地域の写真家たちが撮影した季節ごとの展示を、幼い時から休日の家族団らんの帰りなどに見に行かせてもらえたから。
昔は数々の名写真がどれほど細部まで計算されているかも分からなかったけれど、こんな躍動する瞬間を捕まえてシャッターを押せるなんてすごい、という畏敬はずっと持っていた。
ましてや金額が五桁におよぶ初心者向け名機のカタログを見てため息をついていた身からすれば、備品入れ替えの時期が最近だったらしく新しめの機種が手元にやってきたことはすっかり内心のテンションを上げていた。
おそらく、とくに親しくもない奴が撮影する私のことを見ていたなら『何をニヤニヤしているんだ』と怪しく見えただろう。
後になってからそのように顧みて、ひどく後悔することになる。
その時はそんな自己客観視もできず、席上にカメラ用バッグを置いて、正の字が縦に並んだ黒板と生徒たちをもう一枚撮ろうと立ち上がっていた。
教室にはサッカーボール、バレーボール、バスケットボール、卓球のラケットの実物が持ち込まれ、同じ球技に振り分けられた者はボールを中心に集まり、班別のかたまりを作る。
出場者が足りない競技のために、定員あまりを起こしたグループでじゃんけんをしている段階だった。
その女子はバレー部に入っていたから、バレーには出場しなかった。
けれど女子バレーの班員が埋まっておらず、じゃんけんで負けた子達も『サーブもトスもできないから迷惑をかける』と尻込みし、意見を求められてバレー部のグループに混じっていた。
ちゃんとコツがあるから大丈夫、何なら後で教えてあげると得意そうに振舞うその女子の手に、バレーボールが渡っていた。
ここを撮ったら授業中に遊んでる風にも見えるかもしれないと、席に座りなおした時だった。
じゃんけんがやっと終わった男子が慌てて教室を横切り、私の机とぶつかった。
それ自体は軽く謝って終わるぐらいの揺れだったけれど、ショルダーバッグに入っていたカメラの望遠レンズがこぼれ落ちた。
円筒があぶなっかしい音をたてて床にぶつかり、バレーボールを持った一団の方へと転がっていく。
危ない。レンズが割れてたらどうしよう。
備品ということは借り物で、しかも望遠レンズだってそれなりに値段はする。
焦りが先行して、カメラ本体を提げたままかがみこんでいた。女子たちの手前で停まったレンズに手を伸ばす。
女子たちに、申し訳ないがちょっとそのまま動かないでほしいと、声をかけるために顔をあげた時だった。
担任が不在になった自由な空気が、悪ノリを加熱させていた。
手元が狂ったのか、打ち込まれる振りだけでは済まなくなったバレーボールが、顔に叩きつけられた。
もしも私に狙ってぶつけたとしたら早すぎるタイミングで、明らかに暴投だった……という証言を、私は後に繰り返すことになる。
ダン、と大きく鈍い音が響いたのと、頭をダイレクトに揺さぶられたのが同時に起こった。
痛い、よりも頭がぐらぐらして気持ち悪かったのと、何があったという困惑の方が強かったと思う。
勢いのまま後ろに倒れ、机の柱に後頭部が激突する衝撃があったのと、ガラン、ガタンと机が巻き込まれて倒れる音。
それらを最後に、意識はいったん途切れている。
後から聞いたところ、授業中にいきなり昏倒した生徒が出たことでかなりのパニックは起こったらしい。
しかもその生徒は頭を打っており、ちょっとやそっとでは目覚めなさそうに見えていた。
その女子が何を想っていたかは分からない。
だが、何を恐れたかは分かる。
バレー部の部員が。 部活外の、授業時間の、教室で。
バレーボールを生徒にぶつけて。意識を失わせた。
頭を強く打ち、起き上がる様子がない。
話題性。
傷害事件。
選手資格剥奪。
試合の出場停止。
あるいは大怪我だったら。
刑事事件への発展。現行犯。
それらが頭をよぎり、教師にその説明をしたことは察する。
「大宮君が……スカートの中を撮ろうとしてたから、怖くなって……とっさに……」
その言葉が起こした余波は、常識で想像できる通りになった。
それ以降に起こったことのすべてを詳細に思い出したいほど、被虐的にはなれない。
幸いだったのは、病院に行こうと迎えに来た母親の耳にもに入り、はっきり否定してくれたことだった。
ボールをぶつけておいて息子の方こそ罪を犯したとは何事だと抗議を向けられた上に、カメラにもそれらしい撮影はない。
しかも潜在的には担任が不在だったことが招いた事態なのだからと、教育的指導として何かを課されたことはなかった。
しかし、教育的指導『ではない』領域、つまり生徒間ではそうはいかなかった。
保健室で目覚め、そのまま病院で検査もしたけれど異常なしと認められ。
翌々日に改めて登校したところで思い知ったのは、嫌悪する存在がやって来たと視線で語る、刺々しい敵意だった。
女子を主とするクラスの半数以上から『女の敵』と見なされていた。
『たしかに彼女の視点ではとっさに不審な行為をしたように見えたのかもしれないが』
『彼はそんなことは実際には行っていなかった』と。
丸くおさめるため、双方ともに悪意はなかったことにしようと学校から出された裁定は。
その女子をとりまいていた多数派のクラスメイトからは。
『皆から好かれている彼女に不審なことをして怯えさせたには違いない』
『わざとではないと言い訳しているだけで、下心があったのかもしれない』と受け取られた。
それでも女子を慕うクラスメイトたちはともかく、手元が狂ったと自覚があるはずの女子当人までもが私こそ不審者だと信じていたことが、当時は本当に分からなかった。
よく思い出せば真下からカメラを構えるかのような不審さがあったと記憶を補正して、それこそを客観的事実にする。
そんな認識改ざんでも働いたと解釈しなければ、彼女たちの本当に突き刺すような視線には説明がつかなかった。
決して嘘をつき続ける演技ではなく、お前は憎むべき敵だと断罪する意思があった。
それでも視線や態度、言葉による排除だけならまだ学校には通えていた。
いくらか視線恐怖症を引きずることにはなったものの、『なんでこいつらの為にいつもの日常や学校で撮ることを妨害されなきゃいけないんだ』という反発で登校していた。
けれど、クラスの違う広報委員の友達まで巻き添えを食って『隠し撮りされないように気を付けよう』と避けられていたのを見た時に、もうこれは『無理』だと悟った。
クラスごとに加入していたメッセージアプリのグループからも退会した。
クラスメイト間での連絡よりも、特定個人の、つまり私宛の、攻撃的な書き込みが目立つようになっていた。
それらに無反応を貫けばじかに既読スルーだと詰められ、グループ画面を開かなければ『盗撮未遂にとどまらず無視するなんてひどい』と非難するための名分になり、ちょっとでも反論めいたことを返信すれば『なんの反省もしてない』と結論づけられる。
理性は言った。ここまでのことになってる中で、それでも学校に行く理由なんてあるか、と。
感情は言った。あの連中と関わらなきゃいけない所には行きたくない、と。
痛覚は言った。登校するとお腹が痛い、と。
学校に行かなくなった。
社会との繋がりを断ってしまうと、毎日は引きこもりになった。
コンビニに行きたくなっても、『クラスの女子とばったり会ったら嫌だ』という後ろ向きさの方が上回る。
両親が内情について知るのは早かった。
もともと最初に倒れた件の時に学校に反論していたこともあるし、同じ学校の一学年上に姪っ子がいる。
同じクラスの親しかった友人が従姉に話し、従姉から両親に伝わるという経緯を経て、両親は担任を問い詰めにかかった。
いじめの事実がどうだこうだと大人がせめぎあっているうちに冬休みが始まり、そして冬休みも明けた。
外で目が惹かれたものを撮らなくなり、スマートフォンのアルバムは猫とスクリーンショットだけが保存されていった。
気が滅入らないように続けていた携帯機のブロックメイクゲームも、気付けばずいぶんとやり込んでいた。
地道に拡げていた開拓村は堅牢な城壁を備え、数々の西洋建築住宅が並び、娯楽施設までを兼ね備えた立派な都市に成長していた。
撮影したスクリーンショットは、何度かオンラインの掲示板で紹介されるぎりぎりの順位にすべりこんだことがあり、それは閉ざされた自室の中でひとかどの安息と達成感をもたらしたけれど。
『これを見ているプレイヤーの中に、クラスメイトもいたりするのだろうか』と想像してしまい、ふいに心臓が寒くなったりした。
実莉だけが、両親と猫達をのぞいて唯一ずっと近くにいた。
彼女はしっかりと学校に通い、自分の生活をした上でのことだったけれど。
私の両親と連動して先生をつかまえては事態の進展について尋ねたり、独自に『その女子』に本当のことを話すよう直談判したりと、かつてないほど活動的に動いてくれたと知ったのは、だいぶ後になってのことだった。
『その女子』の姉が同じクラスにいて、従姉をかなり苦労させていたらしいことも。
『盗撮未遂犯をかばう身内』だの『犯罪者予備軍』だの言われたこともあったらしい。
私のところに来るときは、そんな風に動いていたことも被害のこともまったく何も言わずに、何なら私の両親にも口止めした上で、のほほんとしていた。
三年生の冬になって志望校を近場の高校から変えた時も、『ちょっと遠いけど図書室が充実してる』とにこにこしていた。
あの頃の従姉は、下校するとまず自宅に寄り、成猫になりたてのおはぎを連れだして我が家のチャイムを鳴らしに来た。
母親が応対すれば、『おはぎの里帰りをさせに来ました』とキャリーケースを掲げて口実を告げる。
不調の時の顔を見られたくない気まずさもあり私は自室から出なかったけれど、親猫離れするまでは我が家で暮らしていたおはぎから『ドアを開けて、もてなせ』と扉で爪とぎされると、さすがに歓迎しないわけにはいかない。
そのうちおはぎは、飼い主から持たされたらしい猫用のおもちゃ、『反応がおもしろい』というメモがくっついた猫用のおやつ袋などを引きずって入ってくるようになった。
おはぎを帰すときに、首輪に『おもしろかった』という返事のメモをはさんだ
実莉はじかに歓迎されなくてもまったく頓着しない様子で、我が家のリビングを『集中できるから』と受験勉強に使い、時には持ち込んだハードカバーの本を読んだり、猫達と遊んだりしてから帰っていった。
たまにドアごしに聴こえてくるサウンドから、小学生の頃によく遊んだ据え置き型ゲームを勝手にテレビにつないで遊んでいると察した時は、こいつ昔よく通っていた家とはいえふてぶてしいな、と思ったけれど。
おはぎを経由した遣り取りは、ずっと『漫画に飢えてない?』『アプリで読んでる』などと、学校に関係ないことばかりが続いた。
さすがに私の閉塞に巻きこんでいる自覚はあり、そっちの友達はいいのかと聞いてみたけど、部活はもう引退してるし遊びに来たくて来てるからときっぱりしていた。
なんだか男友達の代わりをやっているみたいだと思った。
家に遊びにきた友達とふたりで、一人はベッドに寝転んでゲームに興じ、もう一人はベッドの下で猫とたわむれながら会話するような空気を、ドアを隔ててやっている。
私に出てこいと促すことはしなかった。ただ、鳥のケージで巣箱を出たそばにある止まり木みたいな位置をキープしていた。
出てくるのを期待して待っていたというより、出てきた時に介助できるよう控えていた、ぐらいになじんだ待ち構え方だった。
やや踏み込んだ覚悟で、冬休み明けに『もし俺がずっと学校行かなくても通い続けるか?』と訊いた。
『コウくん、いやな人達と同じ学校には行きたくないけど高校には行きたいでしょ? なら遅れた分の勉強を見ないとね』と。
行動を読まれた上に、正論で返された。
その宣言通り、自分の受験を終わらせてから、私に家庭教師するための段取りを組むようになった。
あの時間は、負い目もあるうえで、たしかに守られていたと思う。
彼女が来てくれていたから、澱んだ空気だけを吸わないでいられた。
しっかり風化のための時間は流れていることを忘れないでいられた。
結局、私を外の世界へと押し出したのは私の成長なんかではなく、身内のありがたい尽力と、世間の状況が変わったことと、進級にともなうクラス替えだった。
県内にある別の中学校で、未遂でも何でもない本物の生徒間盗撮事件が起こって、その頃ちょうど法律で『撮影罪』というものができたのと合わさり、地方紙と地方局でニュースになるぐらいには有名になった。
当時のクラスでも、はっきり言葉にしないまでも『もしも犯罪の冤罪を着せたあげくにいじめ不登校を起こしたという形で世間に広まったら、そっちの方がまずい』という空気になっていったらしい。
そしてクラス替えは、たいてい『仲が悪すぎる生徒は引き離す』『仲が良すぎる生徒も引き離す』という基準で振り分けられる。
『その女子』のグループの主だった生徒とはクラスが別れた流れにのって、私は復学した。
事件前に仲が良かった男友達とは、ぎこちなく繋がりを戻していった。
他のクラスの女子のことは目に入れないようにとなるべくうつむいて、人間関係を狭めた。
視線を向けられることがないようにと目立つことは控え、部活動もやめて、残りの中学生活を終わらせた。
復学するときに実莉に伝えた謝礼を越えて、いくらか重い言葉を使うけれど。
彼女がいなければ私は今の高校には進学できなかったかもしれないし、下手すれば女性不信をこじらせていたかもしれない。
今の平穏と、恋愛する幸せがあるのは、間違いなく彼女のおかげだ。
因果としてのきっかけは二年前の事件であっても、感謝を向ける先は間違えない。
私のことを守った女が、私のことを救ってくれた女と、幸せになりたいと望んでいる。
当の従姉は私の問題に介入したことを、貸し借りだの恩だのとは思っていないらしい。
彼女は勝手に私の事を助けようとした、やりたいからそうしたと、自認して私にも明言している。
だから私が勝手に彼女のことを手助けしても、きっと釣り合いは取れる。
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