②密室から告白を取り出す方法

 いくら交際が始まったとはいえ、これまで頻繁に連絡する仲でもなかったのに、『こんにちは』や『どうも』と切り出すのは唐突すぎやしないかと、小一時間悩んだ。


『昨日のこと、改めてこれから宜しくお願いします』


 これはこれで堅すぎる気がするな……と迷ったけれど、もうこれ以上はうだうだ悩めないと腹をくくって送信。


『もし、土曜に連絡するのはまずいとか、用事もないのに通知来るのがダメだったりとかがあれば言ってください』


 ふきだしの右下に『既読』がついて、心臓が跳ねた。

『……。』という三点リーダの吹き出しが点滅することに、反応される嬉しさと緊張の両方とがある。


『こちらこそ、よろしくお願いします』

『すぐ返信できないことはあるかもしれないけど。

 連絡はいつでもしてくれていいよ』


『いいよ』という言い切りに、淡泊だけどどこか柔らかい耳なじんだ話し方を思い出してほっとする。


『むしろ、↑昨日のうちに言っとけよって話だったね』


 自分のふきだしに矢印を向けた上で、(> 人 <)という表情とポーズをしたキャラもののスタンプが送られてきた。

 ある程度堅苦しさを減らそうという気遣いもあるのだろうが、かわいい。


『付き合いを秘密にするように言われたから、もし知り合いと一緒にいる時にメッセージが来たらまずいかと思いまして』

 

 この返信は、事前に想定していたとおりの返し方だ。

『従姉が告白のことを知ってたんですけど、心当たりありませんか?』と確かめたい。

 しかし直球で、『実は告白のことを誰かに話したりしてませんか?』と切り出すのは、先輩を疑っている感が出過ぎる。


『それもそっか。ちなみに今は自分の部屋にいるけど』


 すぐに『……。』と三点リーダが点滅を始めたので、『俺もです』と送るのは控える。


『色々考えてくれたみたいで、ありがとう』


 さらに三点リーダ。今度はやや長く続いた。


『今思うと、【こいつ、二股でもしてるんじゃないだろうな】って思われてもおかしくない頼み方だった。ごめん、反省してます』


 実を言うと可能性だけは考えていて、さすがに初手でそれを疑うのは良くないと否定したことをずばり書かれた。


『それは気にしてないですけど。昨日も言った通り悩みごとがあるならいつでも話してください。

 俺と付き合うために悩んでるなら、どんな話だったとしても知りたいです』


 年下の彼氏が生意気なことを言ってると思われないだろうかと、我ながら照れたけれど。

 照れを吹き飛ばすぐらいに『うおっ』と思う返事が来た。


『ありがとう。そこまで言ってくれてるのに、黙秘してるわけにもいかないか。

 でも込み入った話になるから、じっくり二人で話せる時に聞いてもらえる?』


 待て。

 後半の誘いは、もしかしてそういうことかと、三文字の単語が頭にぱっと出る。


『来週の土曜。一日ずっと空いてるから、二人で遊びませんか?』


 大きなハートを抱え持ったラスカルのスタンプを追加で送りつけられ、間違いなく『デート』の意味で合ってると分かる。


『是非。行きたいところ、ありますか』


 …………。


『大宮くんの地元、写真館があるって前に言ってたね。

 そこ、つれて行ってもらってもいい?』

『行き飽きたりしてなかったら、だけど』


 かつてないほど素早く入力した。


『全然そんなことないです。案内させてください』


 心は浮きたったままに、少し迷ったけど付け加える。


『それまで秘密のことは、守るようにします』


 私がばらしたわけでないとはいえ、『従姉に知られたことを黙っている』ことに後ろめたさはあったけれど。

 先輩の方が心の準備をして改まって打ち明けたいと言っているのに。

『あなたはもう他の人に教えたんじゃないですか』と受け取られかねない方に話題を転ばせるのは躊躇われた。

 何より、実莉との間で『あらかじめ従姉がいると紹介しないでほしい』という意向にいったん頷いている。


『ありがとう。わたしも誰にも話してないから。

 なので面倒かけて申し訳ないけど、来週の写真部ではいつもの先輩と後輩の距離感でお願いします』


 彼氏になったばかりの浮かれきった後輩として、甘めに見てしまうフィルターが無いとは言えないけれど。

 嘘をついている風には見えないぐらいに、その返信は早かった。

 しかし、だとすれば謎は解決されないままだ。

 先輩の方もまた告白のことを話してないなら、従姉はどこから私たちの交際を知ったのか。  


『了解です。どのみち他の人達の前で彼氏ヅラする度胸は無いんで。

 明日は朝から陸上部ですよね。がんばってください』


 とはいえ、それで先輩に対する不信感を抱いたりというほどでもない。

 状況証拠だけで疑って本人のやってないと言う言葉を無視するのは、私としては絶対にやりたくない事だったし。

 私にとっても、おそらくは従姉にとっても、この人と付き合っていくのは胸が弾むことなのだから。


『うん、ありがとう。金曜みたいに部活後は二人で普通に話せると思うから

 デートの詳細は、その時にでもまた詰めよう』


 ……。


『というわけで、彼女らしいことを所望します』


 ……。


『来週はエスコート、よろしくね』


 私はやる気十分だと伝えるために、スタンプ文字で『OK!』と、熱意の炎を燃やすキャラクターを送った。

 やる気はありつつも暑苦しくないぐらいのニュアンスが欲しくて、アプリストアから新しいスタンプを探して購入した。



 ◆◇◆◇



 従姉からあなたの恋人とお近づきになる為に、間に挟まってほしいと頼まれた翌日の朝。


 目覚ましをかけた上でなお、日曜の朝に早起きをするのは気力を試された。

 幸いにも我が家の猫二匹がお腹がすいたとにゃーにゃー鳴きながら前脚で布団を捏ねてきたので、その促しに助力をもらって起床する。

 おはぎの母と弟にあたる猫達がキャットフードにとびつくのを見届けて、自分の分のパンを焼き、洗顔、着替えなどを淡々と済ませ、両親が起きるよりも先に家を出る。

 服装は制服のカッターシャツと黒ズボン。

 外出としては私用だけれど、行き先は学校だったからだ。


 晩夏、あるいは初秋の早朝。

 それも平日の登校時間よりもなお早い時刻となれば、いつの間にこんな涼しくなったのかとびっくりするほどきんとした冷気が顔に当たる。

 なんせ、6時半前に最寄り駅に停まる電車に間に合うよう起きた。

 地方の住宅都市、それも休日となればその時間から改札をくぐる者はそうそう見当たらず、乗り込んだ電車の中もがらんとしていた。

 代わりに行き遭ったのは、車窓から差し込んでくる早朝の陽ざしと、まだ朝もやの残滓をともなう景色。

 地方都市から別の地方都市へと向かうはざまにある田舎の田園地帯は、まだ日光がやわらかくて弱弱しい時間にしか見られない淡い色をしていた。

 時間のかかる電車通学を好ましく思ったことはあまりないけれど、希少な画(え)があるとなれば、いそいそとカメラのレンズを向けたくはなる。

 カシャン。カシャンと、スマートフォン特有のつつましいシャッター音をたてて景色を『画像』にしていく。

 すぐにSNSに上げるつもりは無かったけれど、部活で見せる機会、発見した景色の記録として保存する。

 ついでにポケットから大切な贈り物――ストラップ飾りのついたトイカメラを取り出し、手のひらに握り込めるほど小さな青色のカメラで重ねてシャッターを切る。

 いくらかぼやけた色合いに映るトイカメラなら、早朝の田園のしっとりした空気感までも焼きつくだろう。

 従姉からはキーホルダーと呼ばれたが、じっさいカメラに詳しくなければとても撮影できる代物には見えない――カメラの形をした根付けにしか見えないから、誤差といえば誤差ではある。

 本当に、子どものおもちゃみたいなものだ。価格にすればただのキーホルダーよりずっと高価であっても、一般的なカメラとは比べるべくもない安価な初心者向け。

 だから私にとっての価値は、初めて好きになった人が告白した時に贈ってくれたことに起因する。

『記念みたいなものだから、いつでもつけててね』と言われたことがうれしい。 


 高校の最寄り駅までは、二十数分。

 隣町の、さらにまた隣町にある県立高校を選んだのは、べつに地元にちょうどいい高校が無かったわけでも、受験戦争に熱心な保護者が特別な理由あって勧めてきたわけでもない。

 地元の中学校には、近場に『その中学を出たなら高校はあそこだろう』という候補が複数あった。

 そこに進学したとして、同じ高校になりたくない生徒たちがいたからだ。

 一年早く電車通学の学校を選んだ従姉に倣ったわけではないけれど。

 実莉と同じ志望校に、写真部があったのは嬉しかった。

 しかも、今の時代にネガフィルムを現像するための暗室まで備えているという。

 ひと世代前に建てられた設備がかろうじて残っているほとんど遺物だったけれど、どちらにしても希少価値は高い。

 だから私は、県立白樺高校という銘が書かれた校門をくぐり、『写真部』の部室をすぐに選んで。


 志波沙央先輩と、出会った。


 そして今、先輩と会うために日曜の早朝から校門をくぐっている。

 会うためにと言っても、こっそり遠目に見に来ただけではある。

『彼氏として見に来ました』と堂々と姿をあらわすことは、まだできないそうなので。

 校舎の屋外時計の短針が7の数字をだいぶ追い越しているのを見上げ、まだこの時間なら『いる』だろうなと軽く緊張する。

 平日と同じように正面玄関からあがりこみ、職員室で部室の鍵を借りてから部室棟へ向かった。

 教員もしくは校務員の在室中なら、教室を開けることは管理簿に記録さえすれば認められている。


 渡り廊下で正規校舎から部室棟へと向かい、『写真部室』という札のついた小教室を開錠して入った。

 消灯してカーテンも閉ざされた薄暗い室内には、見慣れた会議用デスクや印刷機器、そして貴重品棚の間を埋め尽くすよう掲示された歴代部員による引き延ばし写真がいつもどおりの配置にある。

 しかしいつもの備品に用は無く、やや手狭な小教室を横切って私は窓際についた。

 カーテンをわずかにめくってグラウンドを見下ろす。

 中学時代に色々あっただけに追っかけ行為めいたことには躊躇いを抱き、いや走っているところを見るだけだし、こっそり撮るわけでもないと自分に言い聞かせて、運動場で活動する女生徒たちに注目する。

 陸上部の朝練は、もう終盤の流しにさしかかっているようだった。

 一度に6人が白線に沿う形で駆け、競争ではなくフォームやスピード感の確認を目的とした一定速度の周回をしている。

 競争ではないと言っても、部員ごとに走力に差はあるのだから先頭陣は余裕あるような走りになり、後方を行く部員たちはそれに必死に追従する。

 志波沙央は、先行する走者たちの方にいた。

 力強く地面を蹴っているのに、走り姿はとても颯爽と軽い。そんな矛盾する美しさが、すぐに目を引いた。

 恵まれた体格、というありふれた形容ではあまりにも言葉負けする。

 決して女子として低身長ではない他の走者たちよりもなお抜きんでて背が高く、鍛えられてはいても硬さより流麗さが勝る、脚の長いシルエット。

 すぐに目に留まる背の高さと、完璧な均整の体格をした少女は、さらに撮る側ではなく撮られる側の勧誘があとをたたない美しい顔を備えていた。

 頭部もまた形のよい小顔だとあらわにするショートウルフの髪型に、昔読んだ海外の児童書に描かれていた『アーモンド型の瞳をした美女』とはきっとこんな顔だと納得するくっきりと颯爽とした顔立ち。

 早朝の休日だからこそ運動場にギャラリーはいないけれど、これが放課後ならたいてい人目もそれなりに集まる。

 そして、きれいだったのは容姿ばかりではない。


 ――きれいな眼で走るなぁって思いながら見てた。


 昨日そんなことを言われたから、改めて見たくなったというのはあまりに単純だけれど。

 そして、ここに来た目的はそれだけでもないし、陸上部にいる彼女を見るのは初めてでもないけれど。

 すぐに、来てよかったと思った。・

 実莉が言っていたように、なるほど彼女はたしかに走ってる間もそれとなく眼を配り、周りのペース配分に配慮しているようだった。

 露骨に後続を振り向いて気遣ったりはしないけれど、周囲のコーンや表彰台などに眼を配るのは速度を目測して適度にペースを落とすためなのだと、言われてみれば気付ける。 

 たしかに彼女のことをよく見ていたんだなと納得して。

 いつから、そんな風に見ていたんだろうと気になった。


 私にとってのそれは、入部して間もなくのことだった。

 意識するようになったきっかけは、従姉に話した通りだ。 

 初見では顔が良い先輩がいるなぁと印象に残り、やがて『眼』がとてもいいと感動に替わった。

 より詳しく言えば、被写体に苦手意識を持っていたところを、助けてもらった。


 私が写真部に入るつもりだと言った時、両親は『あんなことがあってよく嫌いにならなかったな』と意外そうにしていた。

 そうは言われても小さい頃から好きだったのが、いやなことがあったからって変わるはずないよと応えた。

 撮るのはいつだって、私にとって楽しみで気が進むことだった。だから楽観していた。

 まだ視線恐怖症が、今ほど抜けきっていない頃だった。それを忘れていた。


 入部するまで『被写体として撮られる場合もある』と失念していたのは完全にうっかりしていた。

 仮入部の体験で、『ちょっと近景にこういう人を配置したいから頼む』と言われた時は、とっさのことだったから困った。

 ここ一年、『周りはどんな目で自分のことを見ているだろうか』と疑心暗鬼になるのがいやで、視線はなるべく回避してきた。

 目を合わせて会話しなければならない時も、話し相手の両目ではなく額を見るようにしていた。

 撮影者としっかり目を遭わせて、その人が求める表情をするハードルが、その時はとても高く見えた。

 それを先輩が横合いから持っていくように、『大宮君もしかして撮られるの苦手? まず慣らさない?』と誘われた。

 何も難しい技術的指導を受けたわけではなく、ただ『モデルになろうとしなくていいから撮られてみて』とシャッターを切られただけ。

 スマホで撮影された写真を、ほらこんなものだよと見せられる頃には、すっかりハードルは消えていたし、何より。


 先輩にまじまじと視線を向けられることは、まったく嫌ではなかった。

 強い目つきで覗きこまれるのではなく、私の人影をとりまく空気ごと眺めて、声を傾聴して、気さくながらも丁寧に応接する。

 それを形のきれいな吸いこまれそうな瞳で実演されるものだから、見られている方もすっと引きこまれてしまった。


『あたしもモデル役やるの苦手だからさ。表情作るの下手ってよく言われるし。

 でも写真は好きで続けてるから、苦手意識ひとつで興味が塗り潰されたらもったいないなって』

 そして、そのように語る考え方は好きだなぁ、と思った。

 きっかけだけなら、そのぐらいシンプルだった。


 実莉の『きっかけ』は、私が入学してくるよりも前からだったのだろうか。

 しかし『彼女の方が先に好きだったのに』なんて展開を勝手に想像するのもどうなんだと思いなおしてカーテンを閉めた。

 休日の、しかも誰もいないはずの部室からの視線だ。日頃から先輩が目に留まって見学者も多いとはいえ、傍目には怪しい。

 昨日訊かせてもらった『オフモードの時の顔』というのも見てみたかったけれど、この部室でやることは他にもある。

 

 陸上部からは眼を離して、私はもう一つの目的に着手した。

 移動先は、壁の隅に設えられたドアをくぐった先――暗室だった。

 雨戸を下すほどに締め切られた小部屋の暗闇が、ドアノブを回せばすぐに出迎えた。

 窓からの採光がまったくない真っ暗な準備室で、目につくのは壁掛け暗室時計の蛍光色のみ。

 そこに照明のスイッチ(赤外線セーフライトとは別にある)を押せば、一昨日と変わらない室内が目に入る。


 一昨日から変わったところのない、ごたごたとした配置だった。

 デジタルカメラとスマホ現像が一般化したことで、数々の現像器具も使用頻度がぐっと落ちた。

 部費との採算が取れないから数年以内には処分されるという話も出ているけれど、現時点ではまだ現役だ。

 部活動の中でも特別活動のような扱いで、まれに皆でネガフィルムの現像をやってみようという話になるらしい。

 こうして半ば倉庫扱いになったそこは告白場所としてはモノが多く、しかし写真に興味がある者ならわくわくする。


 壁際をほぼ占拠するように造られた流し台と、中央の作業台が床面積を大きく占める。

 卓上に引き伸ばし器とセーフライト、積まれた現像用バットなどがあることで、ホームページの部活動紹介でも分かりやすく『こういう暗室で作業しています』と紹介できる場所だ。

 ピンやネガシートなどの小道具は作業台下の引き出しにしまわれるが、単に人が腰かけるための机椅子も壁際に並び、待機中の雑談にも使われる。

 というか昨日、先輩と二人で使った。

 机の隣には壁に固定されたラックがあり、何かと作業台に運ばれるイーゼルや、機器のマニュアルを収めた本棚などがすぐに手を伸ばせるように並ぶ。 

 図書室の蔵書から譲り受けた写真集も並んでいて、バーコードシールの上から『写真部備品』のはんこが目立っていた。

 向かいの壁にあるガラス貼りの棚にはフォーカススコープや冬用の恒温器といった、歴代の部員が買いためてくれた備品の数々。

 床には大量の古新聞紙をしばった束や、夏場の過熱防止に使われるペットボトル……の余りがつめこまれた段ボールなど。

 

 入口はドアひとつ。

 窓もなければ、換気扇でさえ暗室用に隙間が無いものを採用しているために外から覗きこむ余地はなかった。

 そして全体的にものは多いけれど、何がどこにあるかはごく分かりやすく、片付けもしっかりしている。

 余分な道具を持ち込む余地もなければ、こっそり室内に潜んで盗み訊けるような空間もない、そんな部屋だった。

  

 そういう場所なので、ここから先は検証の時間だった。 


 昨日二人で話していた机の上で、スマートフォンの動画アプリを起動させる。

 音量を、普通に人が会話する時よりもやや大きいぐらいに設定した上で、会話形式のCMを再生。

 スマホだけを暗室の卓上に放置して部屋を出ると、暗室の扉に耳をべったりとくっつけて集中した。

 ドアの向こうで交わされているはずの音声を聞き取ることは、微塵もできなかった。

 さらに、念のためにとスマホの音量を最大にしてリトライしたが、結果は変わらなかった。

 暗室、防音効果が高すぎやしないか。

 告白スポットに選ばれるのも納得しかない。

 

 さすがに奇行だという自覚はある。

 むしろ人に見られたら奇行でしかないから、わざわざ日曜の部室にやって来た。


 奇行ついでに、ドア越しに聴く以外の手段がありえないかどうかも模索してみた。

 壁に薄くなっているところやのぞき穴になりそうな欠陥がないかどうか、叩いてみたり棚を動かそうとしたりと室内を周回する。

 ついでに、盗撮、盗聴道具として成立しそうなものを置く余地がないかどうか、室内の配置も調べた。

 結果としては、それらしい痕跡はまるで無し。

 カメラ関係を除いた機械には詳しくないので素人の所見でしかないけれど、『たまたまピンポイントに暗室をのぞき見、盗み聞きできる機械が放置されていた』余地はなさそうだった。

 たとえ放置されたスマートフォンなどの撮影道具が稼働していたとしても、入室した時の真っ暗闇ではスマホカバー越しだろうとも光源として目についたはずだからだ。

 これが『内線電話の筐体の中に小型の盗聴器が仕込まれていました』なんて領域の話にもなれば手に負えないけれど、さすがにそこまで専門的な追及はしたくないし、あの時たしかに内線の受話器はフックにひっかかっていた。


 ひと通り検証をしてみたことで、分かったことは一つ。

 暗室は、密室として成立している。

 誰かが暗室の外にいて、先輩の告白を盗み聞いたり、まして『先輩がプレゼントを渡した』と把握するのは不可能だ。

 先輩はトイカメラをカバンから取り出した上に、立方体の箱に入れてプレゼント用の包装をしていたから、入室前にプレゼントの中身を察知するのも難しい。


 ――ありがとう。わたしも誰にも話してないから。


 つまり、彼女はそう言っていたけれど。

『先輩が話していたのを伝え聞く』か、『暗室という密室を突破する』以外には、知る手段が無い。

 金曜の夕方に、先輩が告白したことや、ましてプレゼントを渡したことを知るのは、『たまたま偶然』にはできない。

 もしも先輩が告白しようとしていることを盗み見るまでもなく察知したのだとしても、『告白が成功した時に渡すキーホルダーを準備していた』ことまで把握していたなら、それはそれで怪しいぐらい先輩のことを捕捉していることになる。


 つまり、先輩は誰かに話したけれど嘘をついている……と考えた方が自然だ。

 ただ、私としてはそう思いたくなかった。

 付き合いたての彼女を嘘つきと決めつけたくなかったのもそうだけれど、『嘘をついていない』という心証はあったからだ。

 これでも他人が抱いている警戒心の真贋については敏感になったと自覚している。

 昨夕に、『付き合ってることは誰にも教えないで』と訴えられた時。

 先輩はたしかに本物の警戒心を、『秘密にしてくれなければ本当に困る』という切実さを携えて頼んでいた。


 しかし先輩が話していないとすれば、流れがややこしいことになる。

 誰かがとても不透明な方法で密室ごしに金曜の告白を把握して、武藤実莉に『こんなことがあった』と伝えて。

 実莉はそんな情報源となった人物のことを隠して、『たまたま部室の告白を視た』と私に話してきた。


 実莉から聞いた話の怪しい部分とも併せれば、問いただしたいのは大きく二つある。


 ①先輩が誰にも話していないなら、告白がどうやって第三者に知られることになったのか

 ②実莉を妨害している生徒と、先輩が交際を知られたくない生徒、そして告白を知った者に関係はあるのか


 他にもなぜ二人とも口が重いんだろうとか、どうして二人ともそんな恨みめいたものを買ってるんだとか、付随して聞きたいことは色々とあるけれど。

 この二つが分かれば、さすがに事態の流れも連鎖して見えてこないとおかしい。


 そして、楽して答えを知る方法もある。

 ただ来週まで待てばいい。

 土曜に写真館でデートの約束、事情を打ち明ける了解を取っている。


 まずはデートを楽しみ、混雑していない店にでも入ってゆっくり話を聞く。

 そして事情しだいではそのまま実莉を紹介する流れにしてもいい。

 先輩の視点から分かっていることがすべて開示されたなら、人間関係での分からないところはかなり埋まる。

 そして実莉もまじえた相談を持ち掛けることができれば、二人が悩んでいる全貌も、告白が誰から漏れたのかも分かる。

 

 今のところ従姉と先輩がほぼ他人である以上、『先輩に恨みを持つ人がいるかもしれないから、姉ちゃんの知っていることを話してくれ』と詰めるのは、先輩のプライバシーを考えても、従姉が心配性だということを考えても、ハードルが高い。

 その点、先輩の側から三人で相談することに頷いてもらえるなら話がはやい。

  

 何より、一週間じっと待つだけで、真面目に盗聴をする方法について悩むまでもなく情報漏洩元がじかに分かるなら、もうそれでいいじゃないかという楽観視はかなりあった。

 私は推理ものを視聴していてもトリックを当てたためしが無いし、およそ恋愛と推理なんてものは人間が一つの脳みそで並列処理することではないと思う……GWのたびに興収を稼ぐ国民的アニメに喧嘩を売った気がしないでもない。

 ともあれ、先輩は心の準備をした上で打ち明けると言っているのだから、それをただ待つのは彼氏として不適切ではない。

 ……とここまでの問題を整理してみて、検証もして、真面目に考えるのは手に余るから一週間、何もしないで待とう、と。

『先輩の彼氏』としてなら、それで終わりだったかもしれない。


 けれど、『武藤実莉の関係者』として、看過したくない気持ちも含めれば違っていた。  

 従姉として。

 兄弟姉妹同然の幼なじみとして。

 実莉の片思いに協力すると約束した人間として。 

 彼女のおかげで日常を取りもどせて、結果として今がある人間として。


 彼女は、私と先輩の幸せを応援すると言った。

 それは本気なんだろうと、私は疑っていない。

 そして一方で、彼女の想いが奥手なりに本気だということも、もう知っている。



 ◆◇◆◇



 昨日、土曜日に武藤家から帰った後で、もう一度だけ実莉の姿を見かけていた。


 夕立だった。

 翌朝の秋らしい涼しさなんて知る由もなく。

 夏が名残り惜しさに泣いていた。

 先輩とのデートが決まって落ち着かずに机から立ち上がると、もう雨音がしていた。

 雷が鳴るにはやや勢いが足りないぐらいの、しかしざぁざぁと鳴りやまないノイズと暗雲。


 陸上部のためにも通り雨だったらいいなと思いながら見ていたら、家の前の路地を実莉が通って行った。

 肩から大きな絵本がのぞいたエコバッグを提げ、傘をさしての素通りだった。

 どこから帰ったのかは知っている。従姉は高校に入ってから、休日に有償ボランティアをやっている。

 市民会館で行われるイベントの要約筆記と、図書館での読み聞かせを主にしていた。

 何もなければ自転車で通うけれど、自転車かごに入らない大きな絵本を持ち帰るときは歩いて行き来する距離だ。

 その帰路と私の在室が噛み合って目撃したことは、これまでにも何度かあった。

 そして昨夕は、これまでに目撃したことがなかった傘をさしていた。

 成人男性用じゃないかと見えるほどに渋い色合いで大きい、持ち手も太くて使いにくそうな傘を広げていた。

 同じ傘が使われるのを、部活帰りに見たことがある。

 お父さんから借りてきたような傘を使うんだなぁとギャップを感じたからよく覚えている。

 そして、傘をさしているというのは正確ではなかった。正確には、掲げていた。

 柄を肩にかつぐように傾けるのではなく、持ち手を肩よりも高いところまであげて水平にかざす。

 右隣にもう一人、自分よりずっと背が高い人を傘にいれて歩く時の持ち方だった。

 そして、傘をあの高さで持たなければいけない高身長の人には心当たりがある。

 私の身長はたいていの女生徒よりは高いぐらいに伸びてくれたけれど、それでも彼女よりはまだ少しだけ低いから。


 ――雨降ってて、傘持ってきてなかったけど、志賀さんが誘ってくれたから、駅まで一緒に

 

 だから、それは再現なのだと分かった。

 二人で一つの傘に収まって帰ったという、その日の体感。

 わざわざ同じ傘を買い替えて、一人の時も再体験したくなるほどに。

 標準より大きな傘を、高く浮いた持ち方をしているせいで、足取りもどこか浮ついていた。

 そわそわと。ふわふわと、歩く。表情は傘によって隠れている。

 しかし、いそいそと通り過ぎていく。

 

 何を想い出しているかは分からなくても、確信するしかなかった。

 実莉は、義理堅くはあっても人に執着はしない。

 そこそこ内向きな人生だとしても、それで十分に元を取れているように生きてきた。

 そんな従姉は、いや敢えてこう言うけれど、『姉』は、志波先輩に対して何かしらの感情が目醒めている。

 それが恋愛感情という単語では括れないものだったとしても。


 そんな足取りで、彼女は帰って行った。


 

  ◆◇◆◇



 ああいう風に変わった姉が、想い人の知らないところで妨害されているというのは。

 事情の全貌を知らない立場だとしても、それなりに腹立たしい。

 頼まれた仕事だけ果たして静観するには、同じ人に惹かれた者同士という繋がりもできてしまった。


 交際相手の悩みの相談というだけでなく、『恩人』を応援するためのお節介でもある。

 いざという時に二人とも守れるよう、もっと色々なことを知って臨もうと決めた。


 調査のメドは、デートが行われる六日後の土曜日まで。

 それまでに、従姉と彼女との関係が、暫定的には友達として『脈あり』かどうかを確かめる。

 その謎には、従姉の妨害をしたのは誰なのだろうとか、リークをしたのは誰なのかということも含まれる。

 

 先輩にも従姉にも事情を訊かないという縛りの上で、どこまで探れるかは不透明だけれど。

 最善の仲介をするために、いったい二人の間で何が動いているのか調べて。

 その為には、密室についても粘って考えてみようと。

 ひそかに決めた、日曜の朝だった。

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