百合の間に挟まる男が推理をすることになった

夜縫

①なぜ彼に頼んだのか

「コウ君の彼女さんと、お付き合いがしたいです。わたしに紹介してください」


 土曜の朝から叔母一家の住まいに呼びだされて、何の相談かと思えば。

 呼びだした従姉から、ダイニングテーブルに差し向かいでとんでもないことを切り出された。

 このたび、私の人生ではじめて女子の先輩から告白されて、交際が成立した翌日のことだった。

 席について早々に、彼女の氏名を名指しの上で付き合い始めたでしょうと明言されたものだから、しらを切る余地もなかった。


「姉ちゃん。色々聴きたいことはあるけど、まず俺の彼女と『お付き合いがしたい』ってのはどういう感じ?」


 さすがに、さすがに、浮気させてほしいと頼まれているわけではないと思いたい。

 もう十五年のくされ縁になるけれど、彼女の性的指向が同性にあるという話も聞いたことはない。

 

 前提として、私は男性かつ異性愛者だ。

 一人称で『私』を使うのも特に性自認に関係するわけではなく、文章を書く時は『私』を使っているという理由でしかない。

 喋るときに『俺』を使い始めた頃、作文でだけは変わらず『僕』を使い続けることになじめず、文字で自分を表記する時は『私』を使うようになった。


「ど、どういうって……まずは、お礼を言いたい、かな。

『これから従弟がよろしくお願いします』とか『うちの子を選んでくれてありがとう』とか……身内としての挨拶はちゃんとしないと。

 それから…………どうしよう、志波さんと二人でやりたい事って聞かれると、恥ずかしいんだけど」

「分かる、俺も告白されてから気恥ずかしい。でも聞きたいのはそこじゃない」


 婚約が決まったような言い方はやめてくれという思いに、『そうか、俺はあの先輩と付き合ってるのか』という感動が混じる。

『彼女さん』であるところの彼女――志波沙央(しば・すなお)先輩から交際を申し込まれた昨夕のことを、フィルムの早回しみたいにばっと思い出した。

 写真部の活動終わりに、ちょっと居残ってほしいと引き留められて現像用の暗室に二人でいたこと。

 そこにあった部活図書の写真集などを広げてしばらく雑談していたら、何かの話のついでみたいに彼氏としての交際を切り出されたこと。

 切れ長の、でも鋭利なところはまったくない、形のきれいな二重まぶたの瞳と向き合うにつれて、『この人となら』と思ったこと。

 浸ってしまえば、頭がいっぱいになるので無理やり記憶にふたをする。 


 そんな遣り取りが、どこまで知られているんだろう、と。

 それ以前に、その彼女を紹介してほしいってのはどういう事だと。

 

 質問が渋滞を起こしながらも従姉――武藤実莉(むとう・みのり)の反応をうかがう。

 猫毛のせいでふわふわしたロングボブの下、年齢が一桁の頃からすでに愛用していた楕円の眼鏡の向こうにある、親の顔の次くらいには見てきた『猫毛』と『眼鏡』に埋没しがちな顔。

 それが漫画だったら、両頬にも赤面していることを表す斜線が三本ぐらい引かれていただろう。

 そして私も、似たような気恥ずかしさが顔に出ているかもしれない。

 彼女の母親と、私の母親の姉妹は顔立ちが似通っており、子どもたちも母親側に似ている。

 色白で顔を赤らめれば分かりやすい、大人しく頼りない顔だちは不本意ながら共通の遺伝だった。

 互いに高校生になり、背の高さだって彼女を追い越した今となっては瓜二つからは遠くなったけれど。

 変化がついた一方で、丈が長くて淡い色のワンピースを着がちなところは変わらないんだなと、久しぶりに私服で向き合ってなつかしくなる。

 小学生の時に彼女から布教された児童書を読んで『こいつが組み分け帽子をかぶったら絶対にハッフルパフだな』と思っていた、そのイメージはそのままに成長していた、はずだったけれど。


 そんな一歳年上の身内が、ひそかに熟成させてきた片思いの相談でもするように、かしこまって座っている。

 氷入りで出してくれた麦茶のコップが汗をかいている。それでも互いに手をつけられない緊張感がうっすらとある。

 これを、恋敵が出現したように見なせるかと言われたらノーだった。

 少なくとも、横恋慕をするために恋仇からの許可を取ろうとするほどぶっ飛んだ奴ではないと知っている。


「前提から訊く。俺と先輩が付き合うのと、同じ意味でお付き合いがしたいの?」


 仕切りなおそうと、なるべくトーンダウンして訊ねる。

 それはもう、【パソコンがちゃんと動かなくなった】と相談された時に、まっさきに『余計な操作をした覚えはないか?』と確認するぐらいの質問だ。

 まず『してない』と言われるだろうけど、そこに明言をもらえないと話が進まない。

 彼女は何を訊かれたんだろうと、表情を無にすること一瞬。

 やがて『あっ』と口を動かした。


「さっきのわたし、もしかして『寝取らせてください』って聞こえた?」

「もし他の奴から同じ頼み方をされたら『寝てから言え』と思ったかもしれん」


 だいぶ反射的に言い返して、しまったと思った。


「……ね、寝るつもり……あるんだ」

「ごめん、今の無し。そっちを突き詰めたくない」


 姉と呼んでいる女を相手に、勝手知ったる親戚の家で、話題に出したいことではなさすぎる。


「…………友達としてのお付き合い、だと思います」

「思う?」

「その……まずは普通に声をかけられたり、連絡先を交換して話せる仲まで進めたらいいなって」

「だいぶ奥手なやつが来たな」


 逆に、今までどれだけ声かけられなかったんだと言いたい。

 たしかに昔から教室の隅っこで本を読んでいるタイプの女児だったが、仲のよい友達と一緒に下校するところなどはずっと近所に住んでいて何度も見てきた。

 つまり、友達づくりそのものに絶望的なハードルがあるわけではない。

 つまりこの女子高生は、私――大宮康(おおみや・こう)と付き合うことになった女の子にだけ、挙動不審になっている。


「お、奥手って……じゃあ、コウ君はどのぐらいのことをしてるの?」

「言っとくけど、成立したのが昨日なだけで、先輩とは同じ部活だからな?

 連絡先もらったり、撮影や講評でアドバイスもらったり、二人で会話するぐらいは普通だったからな?」

「さ、撮影ってことは同じカメラで近い距離で……いいなぁ」

「友達志望の割には、そこに食いつくか」


 だらしない顔で、ダイニングテーブルに頬杖をついていた。

 ……その瞳がきらきらしているのは、絶対に天井からの室内灯を反射しているせいではない。

 ずっと姉妹感覚で接していた女子が、そんな何かに目覚めたような顔をしていたものだから驚いている。驚いたけれど。

 

 にゃー、という高い鳴き声とともに足元をふわふわしたものがすりよってきた。

 おはぎ(武藤家の飼い猫、3歳オス、ちなみにここはペット可マンション)が私のジーンズの裾をつつき始めている。

 黒猫を膝の上に抱き上げた。いつもかわいいなお前。

 金色の瞳にじーっと睨まれる。『何か言うことがあるだろう』と促されている気がした。

 そういえば、実莉からは『付き合わせろ』という頼みごとの前に、まず『おめでとう』と祝われている。

 ならこちらこそ、心配するようなことは何もないと説明する潮時だった。

 私のこれまでは、たぶん『彼女ができた』と言いだした時点で身内から『大丈夫か?』と懸念されてもおかしくないものだから。 


「告白したのは先輩の方からだったけど、受けたのは普通に嬉しかったからだよ。

 先輩の方から強引な形で、とかじゃ全然なかったし、こっちも……」


 先輩には好意を持っていると思う。

 まだ『先輩と後輩』から踏み出しだばかりの奴がそう言っても、曖昧で煮え切らないように聞こえるかもしれないが。


「もし姉ちゃん以外から、恋愛の意味で譲ってくれって言われたとしても、断る。そのぐらいのつもりで受けたよ」 


 そのぐらいは、はっきりと言える。

 相手も私と同じ人を好きだというなら、むしろ言えなきゃだめなことだと思う。


「そっか……なら、二人のことは応援する。言うのが遅くなったけど、これは初めから本当」


 心からの本音だと、すぐに分かった。

 直前に『わぁ……』という感嘆が口から洩れたからだ。

 それこそ、お近づきになりたい女の子と従弟が仲良くしている羨望も棚上げにして喜んでいる。

 昔は頼りなかった従弟が、恋愛することに前向きになっているのはそこまで嬉しいことだったらしい。

 黒猫がひょいっとフローリングに飛び降りて『だからはっきり言った方が良かっただろう』という独白でも似合いそうに、すまし顔をしていた。


「……って言っても、応援どころか、相談してる時点で説得力無いけどね。応援で役に立った事なんてあんまり無いし」

「姉ちゃんは昔のことを引きずりすぎ。もう俺の方には心配することは何も無いから」


 志波先輩との間に、まったく気がかりが無いと言えばうそになるけれども。それはそれとして。

 なんだか、従姉はいつの間にかずいぶん不思議なやつになったと思った。

 意中の同性と近づくことを考える女になったかと思えば、すっかり役目を終えた保護者みたいな空気を醸している。


 場がしんみりと落ち着いたものに替わり、そう言えばここは通いなれた親戚の家だったと、ようやく実感した。

 数年ぶりに訪れたダイニングには、もう新築物件とは言えないだけの年季があり、そして小さかった子ども視点での思い出よりも狭くてこぢんまりとしていた。

 母子ふたりで暮らしていることを加味すれば手狭というほどではないけれど、我が家を招いたときを想定して大きな六人掛けテーブルを設置しているので床面積が割を食っているのだと、今では俯瞰できる。

 幼い頃、うちの母親に教わりながら実莉と二人でわくわくと作ったいびつなビーズカーテンは、まだキッチンとの間仕切りに使われていた。

 一方で、ここ数年の間に購入したらしいネコの餌受け皿や爪とぎオブジェが鎮座していたり、壁のホワイトボードに書かれた筆跡と内容で、家事の主導者が母から娘に代替わりしていることが察せられたりと、確かな年月の変化もある。

 この家の一人娘は、あと二年くらいして、高校を卒業してもこの家にいるのだろうかと。

 先のことを思ってしんみりするような光景だった。


「ち、な、み、に…………なんだけど。志波さんのどこが『いい』って思った?」


 まさか同じ部屋でその一人娘と、恋バナをする心の準備なんて持っていなかったけれど。

 おずおずと、しかしいそいそとした、探りの質問。

 しかしこれは、弟分に恋人ができてテンションがあがった姉的立ち位置としての振りなのか、同じ人を推している同担としての振りなのか、どっちだろう。その両方ともか。

 

「まぁ……最初に気になったのは見た目かな。いや面食いとかじゃないと思うけど、先輩が顔良いのは事実だし」

「ああ、分かる……。あの顔からしか摂取できない栄養素あるよね……」


 私としては、かなりの照れくささでもって言語化しているつもりだったけれど。

 それに対して悟りを得たかのように眼をつむってうんうんと共感されるのは、どんな気持ちになればいいのだろう。

 あと、昔からラノベや漫画よりも海外の児童書ばかり読んでは『語れる仲間がいない』と嘆いているのに『栄養素』なんて言い回しをどこで覚えて来るんだ。 


「最初は、写真部に一人だけちょっと宝塚の人みたいなすらっとした美人がいるなぁ、ぐらいに思ってたけど。

 スマホやカメラで撮ってるとこ見ると、だんだん『眼』がきれいだなって思うようになってきて……」

「なるほど。自由撮影の時間とかに、目で追ってた感じ?」


 だんだん多弁になってきたのは、『彼氏』なら、そして『恋している』なら、答えられるべき質問には口ごもりたくないというほんの小さな自負みたいなものか。

 言語化は恥ずかしかったけれど、記憶には焼き付いているから思い出して語るのには不自由しなかった。


「最初は撮るとこを勉強させてもらおうって見てたんだけど、だんだん撮り方じゃなくて撮ってる人を見るようになって。

 顔のきりっとした人が集中してる時って、たいてい睨んでるみたいに鋭くなるから苦手寄りの顔なんだけど……。

 先輩は、静物写真の配置を考えてる時も、シャッター切る寸前でも、落ち着いてじーっと見守るみたいな目線で。

 話してる時も、そういう風に見つめられるのがぜんぜん嫌じゃないし、その逆……みたいな」


 まるで透明度の高い湖を、きれいだと思うように。

 あの瞳で見つめられるとくすぐったくなる、というのはいくら何でも詩的過ぎて言えなかったけれど。

 あの視界の中に入ってみたいと、我ながらおかしな望みを持ってしまった。


「分かる……。志波さん、陸上で走ってる時も周りの走りとかをよく見ながら合わせるのを楽しんでるみたいで、きれいな眼で走るなぁって思いながら見てた」


 確かに彼女は陸上部と写真部の兼部だ。

 写真部の活動がかなり緩いからこそ両立できているといっていい。だがしかし。


「先輩が走ってるとこ、よく見てんの? 部活違うのに?」

「だって、部室棟からグラウンドが見えるんだから仕方ないじゃない」


 見えるなら目で追ってしまうことは不可抗力だ、という認識の共有が省かれている気がする。

 しかし私だってここ最近はたびたびグラウンドを眺めるようになっていたから、完全に人のことは言えない。

 そして、私が打ち明けたぶんだけ、返報をするように語り始めた。


「陸上部だと、休憩中とかオフモードの時も面白い顔してるよ。

 同じ陸上部の里見さんと特に仲が良くて、部活終わりとか『つかれたー』って感じに肩を貸しあってたり。

 友達の中でも気を許し合ってるんだなーって人は意外とひと握りなのかなって、見ていて羨ましくなる事もあるけど」


 こいつ今まで不審者扱いされなかったのかってぐらい、がっつり見てるな。

 ……そして、誰かとこういう話を、したかったんだろうなぁと分かる。

 なぜなら私も、なるほど他の部ではそうなのかと興味深く聞いてしまっているから。


「今まで、先輩との間に接点は無かった?」

「うん……ううん、話したことなら夏休み前に、一回だけ。

 雨降ってて、傘持ってきてなかったけど、志波さんが誘ってくれたから、駅まで一緒に」

「今、わりと強めに羨ましいと思ったんだが」


 それはつまり相合傘で帰ったということだと思うのだが、照れが勝ってその単語を口に出せなかったらしい。

 私だって、恋人の距離感になってからやるようなこと一通りは、まだこれからだというのに。


「その時はどんな話をしたんだ?」

「そんな、盛り上がるようなことは何も……。

 つい彼女がいるのかどうか訊いちゃったけど、あれは失敗だったと思う。今思い出しても恥ずかしい」

「彼女がいるかどうかを訊いたんか」


 彼女ではなく彼氏ができたこと自体は応援すると言ったばかりだけれど、どういう意図で訊いたのか。

 それ以来、やらかしたと認識して話しかけづらくなってしまったらしい。


 話をまとめると。

 彼女のことはよく見ていたけど、部活やクラスが違うこともあり接点には乏しく。

 会話したことはあるけれども、自分から話しかけにいけるほどには距離が縮まらず。

 そんな現状で、身内同然の関係だった私が恋人になったものだから、これをきっかけにして距離を縮めたいと思ったと。


「……はい、コウ君のお付き合いに便乗するみたいで、図々しいとは思います」

「まぁ、先輩は話しやすい人だから、姉ちゃんがビビりすぎてる感はあるけどさ……。

 こっちの関係を邪魔するわけでもなし、紹介するぐらいなら全然いいよ」

「あ、ありがとう!! ……この御恩は絶対に一生、ずっと忘れません」

「いや、頭下げなくていい。受験勉強の時とか、こっちこそ色々世話になってるし」


 少なくとも、相談をうっとうしいとか面倒くさいと思うよりは、はるかに腐れ縁と恩義が勝る間柄だ。

 こちらも先輩のことは知り始めたばかりだから、今日のように俺の知らない話が聞けるというなら、それだって悪い気はしない。


 ただ、それらとはまったく別の問題として。

 実莉のここに至るまでに、不可解なことが一つあった。

 そして先輩に紹介するにあたって、先輩の側にも難しい秘密があった。


 その二つは、今まで尋ねる機が巡ってこなかった一つの問いかけにまとまる。

『私と先輩が付き合い始めたことを、武藤実莉が知っているはずがない』という疑問に行き着く。

 なぜなら。  


 

 ――わたしが良いって言う時まで、付き合ってることは誰にも教えないで。わたしも人に言わないから。

 ――そうしないと……………。 


 

 告白が成立した後に、先輩からも頼まれたから。

 志波先輩との男女交際は、まだ誰にも秘密になっているから。


「でも、付き合い始めてすぐの週明けに『従姉を紹介したいです』なんて言いだしたら向こうも何事かと思うだろうし。

 ちょっと待たせるかもしれない。もともと先輩が兼部や元からの友達づきあいでも忙しい人だし」


 とはいえ、『どうして分かったんだ』という質問なら、依頼がひと段落したこのタイミングで訊ける。

 ここで情報源を聞き出した上で、改めて先輩に相談すればいい……と、思っていた。


「長い時間通話できる時にでも、自然に切り出すようにするから。

『俺の姉貴みたいなものだから、学内で会ったらよろしく』って感じで――」

「ううん、ちょっと待って……」


 こちらにも訊きたい事があると、続けるつもりだった。

 しかし従姉の声はいきなりうわずった。

 はっきりと不味い流れになったような焦り方だった。


「その……『紹介』って言っても、志波さんのいる場所を案内だけしてほしいんんだけど。

 放課後デートが終わった時にでも、場所を連絡してもらう、みたいな感じで」

「いや、そんな待ち伏せみたいなことするより……紹介って言ったら、普通はあいつ従姉ですよって説明して学校で話すきっかけにする感じだろ?」

「その通りなんだけど……そっちのが自然なんだけど……学校で、二人で、話す?」


 顔が引きつっている。

 目が泳いでいる。

 どこに焦る要素があったのかが分からない。

 一緒に下校して会話もしたこともあるらしいのに、学内で声をかけられるとダメになるとは。


「ごめん。すごく変なこと言うんだけど……誰にも見られない場所で、会わせてもらうことってできないかな。

 今だけ事情は何も訊かないでほしいし、志波さんにも事前に何も伝えないでほしい」


 ここまで無茶なことを言われてしまえば、話はきな臭いものに変わった。


「いや、なんでそんな隠密に会うの?

 平安貴族だってもっとストレートに面会すると思うんだけど……」

 

 公然と学内で会うわけにいかないような頼みごとも不可解だったのみならず。

『従姉が秘密にすべき交際をなぜか知っており、面会したがっている』ことをまるごと秘密にするのは、彼氏としてかなり心苦しい。

 それがおかしな要求だったことに自覚はあるらしく。

 実莉は、ものすごく言葉を選んでいる風に時間をかけてから答えた。


「……学校で近づこうとしたんだけど、別の人から『その子に近づかないで』って強めの命令形で言われたことがあって。

 何度か声をかけようとしたけど、それとなく志波さんを呼び出されたり、私が連れ出されたりして阻止されてるから。

 まず、なるべく他の人が立ち会わないような場所で会いたいです」

「だいぶ陰湿な話になってないか?」


 そんなことになってるのに、『事情を訊かないでほしい』というのは無理がある。


「それは先輩も、俺も、知らないままでいるのはまずいことなんじゃないか?

 それに今まで先輩と話すようになってから付き合うまで、そんな妨害とかの話は聞かなかったんだけど」

「それは……志波さんときちんと話せたら、色々と報告するから。今だけは何も訊かないでください」

 

 ぱしん、と両掌を合わせて『お願い』の仕草をされる。

 しかしその挙動で納得するには、『強引に連れ出されたこともある』という話が不穏すぎる。


「それはこっそり会うだけじゃなくて状況ごと変えた方がいいやつだと思うけど。

 人の付き合いを勝手に妨害する時点で抗議していいことだろ」

 

 どうにも、先輩自身はその妨害とやらを与り知らないらしい。

 たとえ実莉の接近を禁止したくなるようなことの発端があったのだとしても、当人の意思を無視して邪魔したことに『良かれと思ってやりました』は通じない。

 相手のやっていることに正当性がないのだから抗議すれば何とかなる、というほど楽観的にはなれないとしても。

 だから学校では会わないようにしよう、と諦める謂われも無いことはたしかだ。 


「うん、それはすごくコウ君の言う通りだと思う。

 ただ、肝心の私が……それって、志波さんにとってはどうなんだろって考えたらドツボにはまって。

 あの人、友達にすごく不自由してなさそうだし……でも、その中で特別な親友は限られてる感じもするし。

 新しく友達がほしいわけでも、今の人間関係を遠ざけたいわけでも無いのに波風を立てても、余計なお世話じゃない?」

「だいぶめんどくさいドツボだな……」


 距離を詰めるだけで『もとの交友関係を荒らしてしまったらどうしよう』なんて気にしていたら、誰も友達なんてできないだろう。

 理性としてはそう突っこみたかったけれど、長年の付き合いでうっすらと言外のバックボーンには察しがついた。


 学年が違うので俺も毎年見てきたわけではないが、実莉は進級のたびに、部活が同じだったり『自分と似たタイプ』だったりして話しかけやすい女子を一人、二人ほど見定めて友達になり、どうにか一人ぼっちを回避するタイプだ。

 ……いや私も人のことを言えるほど顔が広いわけではないが。


 対する志波先輩は、ひと眼で惹かれる人も後を絶たない顔立ちと、ひとりひとりの名前と特徴をすぐに覚えてくれるこまやかで人好きな言動。

 運動部でも文化部でも輪の真ん中にいる人望と多才を持ち、来るもの拒まずで楽しげにやっている。

 たびたび一年生もまじえて部活後のミスド、休日のカラオケを約束している光景も我が部では見かけるから、教室でも陸上部でも似たように囲まれているのだろう。

 実莉とっての志波沙央とは高嶺の花、もっと俗に言えばスクールカーストが違う相手に見えていても無理もない。

 ……私もいざ告白された時に恐れ多くなかったと言ったら、だいぶ嘘だ。


『相手にとって自分と付き合うより現状維持の方がよほど楽しいんじゃないか』という方向で卑屈になるのも、分からなくはない。


「要するに、向こうもまんざらでなさそう……好感触かどうかをまず確かめないと、友達の輪に新しく入っていく勇気がないと」

「はい……コミュ障の雑魚の発想でごめんなさい」

「でも、学校では妨害もあって話しかけにくいから、学外で誘える……彼氏という仲になった俺に、セッティングを頼みたかったと」

「……仰る通りです」

「もしかして……前説明なしにいきなり対面したいのは、『恋人の従姉だから仲良くする』のが忖度みたいだ、とか思ってる?」

「うん、さっき言ったように、そのうちコウ君をよろしくって挨拶したいのも本当。

 志波さんにちゃんと会って、学校でも話そうねって感じになったら、その時は妨害も含めて相談したい。

 でも、はじめに『彼氏の親戚だからよろしくね』って言われたら、志波さん側に拒否権なさそうっていうか。

 例えば『それまでの人間関係が荒れるけど、彼氏の身内だから我慢して付き合う』……とかにはなってほしくない」

「妨害のことが知られても、荒れるかどうかは先輩しだいだと思うけど……。

 まぁ、サークルクラッシャーになるような友達デビューを避けたいってのは分かる」

「うん……それに、友達になったきっかけが『知り合いのしたことの告げ口』から始まるのも嫌だなって。

 妨害した方が悪いかどうかじゃなくて、そういう形で思い出に残るのは、ちょっと抵抗感ある」

「まぁ、初手で『従姉です』って紹介したら、『学校で話しかけてくれてもよかったのになんで?』って話にはなるからな」


 その言い方から察するに、妨害者はやはり先輩もよく知る人、相当に仲が良い何者からしい。

 それにしたって、ここまで実莉にとっての懸念が強いとすれば訊かずはいられなかった。


「姉ちゃん、それっていじめか何かなのか? 最初から、何か変だなとは思ってたよ。

 金曜の夕方に付き合うことになったのに、それを土曜の朝にもう知ってるのは早すぎるだろって。

 彼氏ができてもすぐに伝わるぐらいコネがあるのに、今まで近づけなかったのか……ってことになる」


 もともと『交際のことを知っているなんておかしい』と思っていた理由に、それがある。

『互いに他の人に言わない』という先輩の約束があって、こうなっているのも謎だけれど。


 私は告白されたことを誰にも言っていないし、昨夕のあの時間あの部屋には、二人しかいなかった。


 そこまで秘匿されても察知できるなら、よっぽど限られた情報源との縁を持っていたことになる。

 それほど先輩周りの情報に通じているのに、今まで近づくことができなかった案件とは何か。

 真っ先に思いついたのは、従姉がいじめなり孤立なりに遭っている可能性だった。


「ううん、そういうのは全然ないよ。教室では平和にやってる。

 ……あと、告白を知ってたのはたまたま。下校中に部室で二人いるのが見えただけ」

「グラウンドから? よく、それだけで告白だって分かるなぁ」

「なんかエモそうな空気だったし、志波さんからキーホルダーみたいなのを渡してたのが見えたから。

 部活が終わった後に二人きりで残って、贈り物もこっそり渡すなら、そういうことかなって。

 私以外に見てる人はいなそうだったから、他の人に広まってることはないよ、それは大丈夫」


 たしかに告白の経緯は、実莉が言ったようなことだった。そこに誤りはない。

 見てきたようによどみなく経緯を語ったことで、一つだけ分かった。

 嘘をついている。


 たしかに告白されたのは部活後の部室で、『キーホルダーみたいなの』だってもらった。

 しかし、部室は部室でも、本来の部室に隣接するOBからの遺産、古式ゆかしい『現像用の暗室』だった。

 窓は遮光され、防音もきいていて、外から目撃したり聴いたりできるはずがない。


 密室だった。

 ……と言い切ってしまうと問題のジャンルが変わるけれど、そんな場所だ。

 つまりこの話は、『部室で告白して交際が成立していた』という伝聞を、自分が目撃したことにしている。

 そして『自分で目撃した』というごまかしをするからには、『志波沙央に彼氏ができたと教えた者』のことを、隠したがっている。

『今は何も訊かないでほしい』という隠すべき事情の中に、『彼氏ができたと伝えてきた者』のことも、含まれている。


 ここまで言えないことだらけの怪しさが増しているからには。

『もう洗いざらい話してしまえ。でないと協力しない』ぐらいに迫りたい気持ちは、正直なところあった。


 けれど、この従姉を相手にその手段に訴えるのは、あまりしたくない。

 かつて、私が過去最高にそっとしてほしい引きこもり生活だった時に、何も言わずに面倒をみてくれた恩がある。

 そして、質問攻めをストップした理由がもう一つある。

 シンプルに、整理の時間が欲しかった。

 なぜなら頼み事をしてきたのは、実莉だけではなかったのだから。


『事情を訊かないまま秘密にしてほしい』というお願いを、昨夕に先輩からももされた。

 もっとも、彼女からの頼み事は、『恋人づきあいのことは黙っていてほしい』だったけれど。

 いったん持ち帰って、先輩に連絡して、秘密について改めて確かめないことには頭がまとまらない。


 ――わたしが良いって言う時まで、付き合ってることは誰にも教えないで。

 ――そうしないと……彼氏ができたことを知ると、わたし達を一生恨んで、呪うかもしれない人がいるから。


 従姉は、彼女と友達になろうとすれば、その親友から妨害されると語っている。

 先輩は、彼女に恋人ができたと知られたら、一生恨むような人がいると語っている。

 二人の恐れる相手が、同じ人物を指しているのかは分からないけれど。


 何がどうして、彼女と友達になったり、恋愛をすることに、隠し事だったり恨まれたりが関わってくるのか。

 大前提として、私は付き合う彼女に悩みごとがあるなら尽力するし、従姉にも幸せでいてくれた方がありがたい。

 そんな彼女たちが望んでいることをまとめると、それはつまり。

 


「お願いします。わたし達が仲良くなるために、今だけあなたを間に挟ませてください」



 ◆◇◆◇



 ちなみに、おはぎの方はもうとっくに飼い主――実莉の膝の上に移動して、存分に頬ずりをしていた。

 こいつの真意だけはすぐに分かる。

 仔猫の時からずっと、実莉のことを『俺の女』だと思っている。

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