第40話 姫の目覚め

 後日。


 イリヤさんの回復には一週間近くかかってしまった。


 イリヤさんにかけられていたエレナの呪いが、思いのほか重かったらしく、完全回復には時間を要した。


 僕の治癒による反動もあって、肉体や精神自体には問題がなくなっても、イリヤさんはしばらくの間目を覚まさなかった。


 しかし、周囲への悪評はファルナルさんを使って広めていて、イリヤさんのことはあくまで最終手段としていたことを思えば、よほど精神操作に自信があったのだろう。


 ということで期待を持たずにイリヤさんの眠る隔離小屋のドアを開けた。


 すると、体を起こしてぼーっとしたようにしているイリヤさんの姿が目に入ってきた。


 僕の入室に気づいて、イリヤさんも僕の方を向いてきた。


「目を覚ましたんですね。よかった」


「……あ」


 魔族とはいえ、流石に女の子をその辺で看病するわけにもいかず、イリヤさんに関しては、仮設の隔離小屋にて面倒を見ていたのだが……設備に不満だったのだろうか、パチパチとまばたきを繰り返して、僕の方を見たままイリヤさんは固まっていた。


 初対面の様子からは、生粋の戦士だとか思ったけど、こうして正気を取り戻した状態を見てみると普通の女の子にしか見えない。ツノこそ生えているが、対して変わった子という印象はない。


「あなたが私の看病を?」


 久しぶりに話すからか、ゆっくりとイリヤさんは口を開いた。


 僕に問いかけてくるその声は、しっかりと芯がありつつも、包み込まれるような優しさの感じられる声だった。


「一応そうです。僕一人じゃないですけどね」


「そうですか。じゃあ、私のことを止めてくださったのも」


「それは僕ですね」


 うかがうように上目遣いで見てくるイリヤさんに僕は即答した。


 しばし驚いたような表情で視線をさまよわせてから、イリヤさんはベッドから立ちあがろうとする。


「待ってください。今の状態ですぐに動いたら傷が開きますよ!」


 僕が止めようとして慌ててイリヤさんのもとまで駆け寄ると、イリヤさんがなんだかかすかに笑った気がした。


「結婚ですね」


「はい?」


 何やらつぶやいた拍子に僕が顔を上げた瞬間、唇に柔らかい感触がぶつかってきた。


「んっ!」


 離れようとする僕を逃すまいとイリヤさんが僕の背中に腕を伸ばしてくる。そのまま一気に引き寄せられ、体と体が密着した。


 いや、何されてるんだこれ。この人今起きたばっかだよな?


 混乱のまま柔らかい感触があっちこっちから脳を刺激し、僕にまともな思考を許してくれない。


 だめだ。頭がふわふわする。


 何も精神系魔法を食らっていないはずなのに、心が支配されているような錯覚を覚える。


「ライト様、遅いで、すよ……」


 カシャンッ! と何かが盛大に床に激突した音が響き、僕は理性を取り戻したが、それでイリヤさんから解放されるということはなかった。


 荒々しい足音が僕の背後から近づいてくる。


「ちょっと何してるんですかライト様!」


 え、僕!?


 困惑が加速する中、どうにかして口を開かないとと思っていると、プレラ様に反応したようにイリヤさんが僕の口から口を離した。


 やっと解放してくれる気になったのかと思ったが、僕の頭はそのまま肩口にグイッと抱き寄せられる。


 さっきから僕は何をされているんだ……。


「何してるって、好意を示してるの。私は助けてくれた人に一生を捧げるって決めていたの。だからいいでしょ、プレラちゃん」


「でも、今のライト様は、その……」


「私、同性だとか他種族だとか、そんなことにこだわるつもりはないわ」


 言いよどむプレラ様に、イリヤさんはキッパリと断言した。


「精神系魔法については全く何も知らないけれど、無事に助かったことについては心の底から感謝しているの。なら、相手がかわいい女の子でも敬意を持って接するべきだわ」


「ら、ライト様は男性です!」


「男性……こんな柔らかくってかわいいのに男性なんだ。プレラちゃんとそう変わらないように見えるけど」


「今はその、色々と事情があってそうなっているだけで……」


「なら好都合じゃない! かわいい男の子なんて最高だわ!」


「そういう意味じゃなくてですね!」


「あの。そろそろ離してくれませんか」


 肩からなんとか首を動かし、口を自由にして抗議するも、二人の耳には僕の言葉が聞こえなかったらしい。反応が返ってこない。


 まだ何かされているのかと、部屋の外から覗いている僕の奴隷に首を捻って視線を送ったが、ぶんぶんと首を振っていた。


 どうやらイリヤさんはこれで素の対応のようだ。恐ろしい女の子だ。ノルンちゃんには会わせられない。


「とにかく! ライト様から離れてください!」


「いやよ。結婚を決めた相手と離れるなんて、自分の身を切るようなものだわ」



「それは全く別問題だと思うのですが」


「ダメ。ライトちゃんは私のなんだから」


 有無も言わせず、僕の反論を許さないとばかりに、ぎゅーっとその胸に僕の顔面を押し付けてくる。


 苦しい。息ができない……。


 それに、ライトちゃんって……まあ、間違っちゃいないんだけど……。


「ふぁのふぁなふぃて」


「やーん。くすぐったい」


「へんなふぉへだふぁふぁいでふだふぁい」


「もー。照れちゃって。ライトちゃんはウブなのね」


「やめてください! ライト様は、ライト様はそんなんじゃないんです!」


 プレラ様の声が響いた。


 今まで聞いたことがないほどの大声で、取り乱したようにイリヤさんにつかみかかっていた。


 気づくと僕は解放され、女子二人のキャットファイトをただ呆然と眺めていた。


 一段落ついたと思ったけれど、落ち着いて研究というのはなかなか難しいらしい。

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TS薬を同僚にぶっかけられた精神魔法研究者は追放を機に全力を出してみたい〜研究者時代は力を抑えていましたが、晴れて自由の身になったので力を解放していこうと思います〜 川野マグロ(マグローK) @magurok

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