第16話 夜風に当たりたい気分

「食い過ぎた……」


 ようやくノルンちゃんの手が止まった頃には、僕はその場から動きたくなくなるほどの満腹感で押しつぶされそうになっていた。


 流石に、現実ではそんなことは起こらないのだが、それにしても、お腹は張り裂けんばかりに膨れている。これまでで一番食べたかもしれない。


 何にしても、時間に助けられた形だ。ノルンちゃんの手が止まったのは、夜もふけてきたからというのがある。日中だったなら、僕はまだまだ口に物を突っ込まれていたかもしれないと思うと恐ろしい。


「ちょっとごめんね」


 僕はそこで、食後の軽い運動をするため、膝の上のノルンちゃんに声をかけた。


「んんぅ」


 しかし、うつらうつらとした、ほとんどまぶたを閉じた状態のままで、ノルンちゃんにしがみつかれて抵抗された。


「ほら、離れてノルンちゃん」


「んんぅ!」


 必死になって胴に腕を回し離れまいとするノルンちゃん。


 これ、起きてるだろ。


「はあ」


 一度息を吐き、腕に力を入れる。おそらく起きているだろうノルンちゃんを力づくでなんとか引き剥がした。するとすぐさま必死になって、膝の上に登ってくる。


 どういうわけだか知らないが、僕の膝の上が相当気に入ってしまったようだ。


 僕はもう、足の感覚がわからないほどしびれているので、そろそろ立ち上がりたいのだが……。


「ママ」


「ママじゃないって。僕だから、あの、お姉ちゃんの方だから」


「ん」


 戸惑いながらお姉ちゃんだと言っても、わかっているのかわかっていないのか、判然としない反応が返ってくる。


 しょうがないので、僕は無理矢理に椅子から立ち上がった。


 流石に不安定になった状態で膝に居続けることはできず、ただ腰に掴まる形になったノルンちゃんは不満そうに僕の顔を見上げてくる。


「どこ行くの?」


「どこってわけでもないよ。食べすぎたからちょっとその辺を歩こうと思って」


「一緒に行く」


「別に楽しくないと思うよ? 心配しなくても、勝手に帰ったりしないからさ」


「行く! 行くの!」


 この子に食べさせられまくったのだが、この後に及んでまだわがままらしい。


 いや、別にいいのだ。実際さして気にしていないし。


 ただまあ、座るのをやめても、ノルンちゃんがスカートの裾を掴んで離そうとしないので、なんだかめくりあげるような暴挙に出そうという不安はあった。


 そんなわけで、僕の方が観念してノルンちゃんに手を差し出した。


「いいよ。行こう」


「うん!」


 返事だけは元気に、ノルンちゃんは僕の手を取った。


 一応は僕のための宴会なので、主役である僕が勝手にウロウロするのは本来よくないのだろうけれど、もう村の人たちはそのほとんどが意識喪失。僕の魔法を使うまでもなく、その場で寝ているような有様だ。


 ということで、僕の自由気ままな行動を止められることもなく、僕は自分の席を離れた。


 行くアテもなかったが、一通り村の様子が見えるくらいの少し離れた木の辺りをゆっくりとしたペースで歩く。


 人混みから離れたからか何だか少し寒気がした。


「このかっこ少し寒いなあ」


「そうなの? 触り心地いいよ?」


「触り心地と体感温度は関係ないと思うけどね」


「?」


 半分寝ている状態のノルンちゃんには難しかったのか、疑問そうに小首をかしげるだけだった。


 せっかくなら、気になっていたことの情報収集もできたらと心の内では考えていたが、村の人はすでに頼りにならないし、ノルンちゃんもこんな状態。今日のところは諦めるか。


「お姉ちゃんは眠くないの?」


「僕? 僕は案外平気だよ。研究で徹夜することもあったから、夜寝ないことには慣れているだ」


「夜寝ないの?」


「いつもは寝てるけどね。ただまあ、ふわあ。慣れないところだから少し眠いかな」


 あとは肉体の変化の影響か。以前よりは意識がもうろうとしてきている。


「ノルンちゃんは楽しかった?」


「うん。お姉ちゃんとご飯が食べられて楽しかったよ」


「そっか」


「いつも同じものばかりだから、今日みたいな日が続けばいいなって」


「そうだね。続くといいよね」


「……」


 続けて何か言ってくるかと思って待っていても、ノルンちゃんの言葉は続かなかった。


 寝ちゃったのかと思って右手側のノルンちゃんを見下ろしてみると、結構な剣幕でにらみつけてきていた。


「ど、どうしたの?」


「お姉ちゃんも楽しいって言ってたけど、あれ嘘だったの?」


「なんでそう思うの?」


「今、そんなふうに見えないから。わたしだけ楽しかったみたいだったから」


 そう言ってノルンちゃんは、不安そうに僕の手をギュッと握ってくる。


「ほんとは来たくなかった? わたしがさそったから我慢して来てくれたの?」


 フルフル震えるノルンちゃんに僕は慌てて首を振り、目線を合わせて肩を抱く。


「そんなことないよ楽しかったよ。僕もちょっと眠いんだ。だからそう見えないのかも」


「ほんとに? ほんとのほんとに楽しかった?」


「ほんとのほんと。もう、色んな人の話が気になって気になって。ご飯がおいしくっておいしくって。もっと続いてほしいって思ってるよ」


「たとえば?」


「たとえば……」


 たとえば、か。


 そうたとえば、村の人たちの会話。僕に対する呼称。


「あのうわさが広まってから、ってやつかな。ノルンちゃん、何か知らない?」


「そんな話してたっけ?」


「僕がこの宴に来たくらいの頃に、そんなことを言ってる人がいた気がしたんだけど」


「お姉ちゃんのことじゃない? みんな、お姉ちゃんがわたしを助けてくれたこと、すっごい感謝してたから」


「そうじゃない気もするけど……」


 もしかしたら、子どもには秘匿していることなのかもしれない。


 あとは本当に、僕のうわさだったのか。


「そうだね。そうだよね」


「うん!」


 納得はできないが、これ以上は厳しいだろう。少し感情的になって目が覚めたとしても、ノルンちゃんはもう眠そうだ。


 いい子は寝る時間だろうし、無理をさせてしまっているのだろう。他の子たちは気づけばもうその影もないし。


 調査は個人的に進めるとしよう。


「今日はさそってくれて本当にありがとうね」

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