第2話 TS薬の効果

 引きずるように体を動かして、僕は自室へと帰ってきた。


 大分、新しい体に順応してきたのか、すでに体の熱も肉体のだるさも治っていた。


 しかし、肉体への影響が解消された今でも、拭いようのない違和感が僕の前に立ち塞がっている。


「どうやら、TS薬って話は、ドロドバくんのハッタリだったってことはなさそうだな」


 僕の自室にある鏡、そこに映る自分を見た。


 そこに映る自分は僕の見知った自分ではなかった。


 移動中、目線が下がっていたことから、肉体の変化を自覚していたが、確かめるまでは、それらを風邪の症状だと断じることもできた。だが、鏡を見てしまえば、ただの違和感から現実の出来事だと認識せざるを得ない。


 今の魔法研究者ライト・ミンドラに、男だった頃の面影はほとんどない。そこにあるのは、ただの少女。


 一応、体調不良を起こすポーションを使った脅しという線も考えていたが、そんなことはなかったらしい。


 元々自分の顔などまじまじと見る趣味はないのだが、今ばかりは自分の状態を客観的に把握するために、僕はそこに映る自分の姿を観察した。


 観察して、嘆息するほかなかった。


「いや、観察するまでもない、か……」


 鏡に映る少女は、年齢にそぐわない感じでガックリと肩を落とした。


 僕の動きに連動して動く鏡の中の少女。それは、疑いようもなく今の僕の姿だ。


 そう、僕は少女へとその姿を変えられていた。


 短かったはずの髪は長く伸び、顔立ちはあどけなさの残る幼い印象のものへと変わっている。体型的にはまだまだ成長途中といった感じだが、それでも見た目から女の子という印象を受けるそんな少女へと変わってしまった。


 かろうじて面影を拾い上げようとすれば、それは元々の僕の髪色、紺色の髪だけは今も同じ色をしているようだった。


「といっても、それすら長さが尋常じゃないほど伸びてて、僕の髪とは似ても似つかないけどな……」


 はあ、と再び息を吐く。


 概算、頭ひとつ分ほど下がった身長は生活に大きな影響を与えることだろう。


 服のサイズだって大きく変わってしまい、今まで着ていたズボンは廊下のどこかに置いてきてしまったらしい。今はシャツと白衣をだらしなくダボっと被っている状態だった。


「TS薬。使ったものは本物らしいけど、試作品を完成までこぎつけたって方が現実的かな」


 冷静に事態を分析しようとするも、そのため出した自分の声すら、声変わりしていた僕のものとは思えないほど高かった。


 今さらながら落ち着いてきた思考が、それだけで一気に崩壊する。


 年相応の高く、かわいらしい声。そして、聞いているだけで癒されそうなほどの綺麗な音をしていた。


 再度、何度目になるかもわからないため息をつく。


 どれだけ現状を分析しようとも、突きつけられた現実が変わることはない。


「きっと、ドロドバくんたちは僕の行動に先回りをして根回しをしてるんだろうな」


 経験的にそれくらいのことはわかる。彼らはそういう性格なのだ。


 ともすれば、研究所全体に僕の状態が知れ渡るのは時間の問題だろう。


 まあ、何もない時なら心配いらないのだが、うわさを確定的にするように、僕は自室に戻ってくるまでの間に何人かに今の姿を見られてしまっている。頭のいい人間が集まっているが、現実に見た人間がいれば非現実的なことでも信じる者の方が多くなるだろう。


「そのうえ、弱体化って話、魔力量の低下だっけか。あれも本当みたいだなあ」


 筋肉は元からほとんどないからいいとしても、魔力量が低下しているのが問題だ。


 厳密には、魔力出力の方なのだが、世間的には同じことだ。


 とはいえ、研究に一番影響が出るのはこの部分に違いない。おそらく身長以上だろう。


 自分を優秀だとは思わないが、それでも、精神系魔法は万人が使えるものではなく、万人に耐性があるものではない。


 そんな中で、精神系魔法の研究をしている都合、人体に害のないギリギリのラインで魔法を使う日々だった。


 そのせいで、神経をすり減らしてきた側面もあるが、そのコントロールが下手になったというのは致命的だ。加えて、肉体が変わってしまっていることも、魔力出力のコントロールに影響が出ることだろう。


「でも、今の状態に回復するまでに自室に戻れてよかったな」


 僕の自室には、外部に僕の魔法が出ないよう細工がしてある。そのおかげで、現状他人に影響は出ていない、はずだ。


 試した限り、というより、自動的に発動してしまっているものの、部屋の外まで魔法は影響していない。


 なんの対策もしていなければ建物にいる人たち全員に影響を及ぼしかねなかった。


「お前の魔法は暴発させれば被害が国全体に及びかねない。か」


 いつか教えられた言葉をこうして実感する日が来ようとは思いもしなかった。


 ただ、自分の危険性までしっかり認識できたのだ。そんな爆弾をこの国に抱えさせるわけにはいかない。


 ドロドバくんにも指摘されたが、やたらと僕のことを重宝してくれる魔法研究局の局長であり、メルデリア王国第四王女のプレラ姫に迷惑をかけないためにも、このままにしておくわけにはいくまい。


「でも、最低限魔法のコントロールを部屋ひとつ分くらいまで範囲を小さくできるようにしておかないとな」


 おちおち外も出歩けない。


 肉体が弱っていない今なら、簡単に生きることをやめたくなるほど他人を絶望させかねない。


「ま、でも、同僚としてドロドバくんたちの面倒を観れるのも今日までかな」


 明日にも辞めよ。

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