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 次の日。

 俺はいつも通りに家を出ると、いつもはあるはずのアレが居ない。

 昨日の朝倉が言っていたことは、冗談じゃないようだ。俺自身がその行動を許可したんだ。

 朝、俺はいつも機嫌が悪い。

 だから、今日だって至っていつも通り。大丈夫。


 学校に着き、席に座る。

 いつもよりも左目から見える景色がよく見える。

 一ヵ月もこの教室にいるのに、黒板の左端にある黒板消しの存在に初めて気づいた。何を面食らっているんだ、馬鹿みたい。

 俺はもう何も見たくないから、机に突っ伏していると、肩を叩かれた。

 顔を上げると、柳田やなぎだだった。片手には綺麗なピンクのハンカチを何故か持っている。

「お前の彼女はどこに行ったんだ?」

「だから彼女じゃねーって。なんで? アイツ今日は多分来ねーよ」

 違う。確実に二度と来ない。

「この前のゲーセンで俺が鼻血出しちゃってさ、そん時に倉知さんからハンカチを貰ったんだよ。そんで、ずっと返し忘れてたからさ。コレ、代わりに、渡しといてくれ」

「やだよ」

「お前以上に倉知さんとコンタクトを取るのに適した人物はいないんだ。自分の使命を全うしなさい、少年よ」

 柳田は勝手に俺のカバンを空けて、ハンカチを突っ込んで、去っていた。勝手な奴だ。

 アイツ、俺の知らない所で、色々やってんだな……。

 ──勝手な奴だな。

 担任の朝倉も、今日は欠勤のため、代わりの教師がHRをやりにきた。


 授業のノートはいつも取らずに、アイツに黒板の写真を撮ってもらい、さらにそれをノートの書き写してもらっていた。画像解析や文字認識の先端技術は使ってナンボだろ?

 でも、もういない。

 だから、俺は黒板を写している。授業中は先生の言葉を集中して聞き、復習は板書の内容がまとめられているレジェメ等でするのが、効率が最も良いのだ。なんで、黒板に書かれた文章の意味を理解するよりも先に、ノートに書き写すという無駄の行為をする必要があるのだろう。これじゃ、単なる文字を書く練習に過ぎない。

 不毛ふもうだ。

 文句を言ってやりたい。いてもいなくても、アイツにはイライラさせられる。

 授業の終わりに、数学の宿題も渡された。ムカつく。


 昼休みに入る。

 教室から出ようとしたが、わざわざ踊り場まで行く必要が無くなっていることに気づき、自分の席で弁当を食べることにした。

「やあやあ、サム君」

 美咲みさきだった。

「今日、私の友達も休みなんだよね。だから、隣、いい?」

「ああ、いいよ」

 俺は、自分でも驚くくらい冷静だった。あんなに望んでいた出来事なのに。嬉しいと頭では思っているのに。

「私達、同中おなちゅうなのに、じっくり話したことなかったよね。今日は朝まで話しちゃおう!」

 美咲のいつもの調子に対して、何も思えない。いつもなら、ありがたがっているはず。

「話す前にね、私最近、手品に凝ってるんだ」

 時計を見ると、12時は当たり前のように過ぎている。

 美咲はトランプを取り出して、全てのカードの数字と絵柄が見えるように広げて、俺の前に差し出してきた。

「このように、種も仕掛けもございません」

 もう、朝倉はあのロボットを解体し始めているだろうな。

 美咲は、広げたカードをまとめて、頭の上で意味不明な呪文を唱えた。

 ダイヤの4が一番上の状態で俺の前に置いた。

「そして、サム君! 君には、超能力があります。君が念を込めて、このトランプに触れば、たちまち、不思議なことが起きます!」

 やっぱ、一言くらいロボットに挨拶すべきだったかな。

「……ちょっと?」

「あ、わり。どうすれば、いいんだっけ?」

 美咲は同じ説明をしてくれて、俺はトランプの束の上に手を置いた。

「よろしい。よーく、見ててね」

 美咲は、さっきと同じようにトランプを広げた。その時、一番上に置いてあったダイヤの4以外のカードは、何も書かれていない真っ白なカードに変貌していた。

「どう? すごいでしょ?」

 この手品の仕掛けは、トランプにタネがある。表は普通のトランプだ。でも裏は模様が描かれているのではなく、真っ白である。だから、最初は表側だけを相手に見せて、まとめるときに一番上のカード以外は裏にする。その結果、今、机に置かれているダイヤの4以外のカードが真っ白になるって寸法だ。

「あれ? あんまり響いてない」

「その手品、俺もやったことあるから知ってんだ。ごめん」

 美咲は心底ガッカリした様子で、“なーんだ”と言いながら、トランプをしまった。

「何か、今日は随分と上の空だね。めぐみんは? どーしたの?」

「──分かんね」

 俺は視線を美咲から、自分のカバンに移す。

「えー! 連絡してあげなよ。心配じゃないの?」

 俺はカバンの中から弁当を出そうとしているのだが、見つからない。

「アイツの父親がずっと家にいるし、大丈夫だよ」

 美咲は、声色が段々訝しむように変化していった。

「サム君、めぐみんと喧嘩でもしたの?」

「何か変だよ。いつものサム君って感じじゃないし」

 いつものって、あたかも通常時の俺をよく知っているような言い草だな。

 アレ? なんで美咲にすら、イライラしてんだ? これが怒れる若者たちってやつか。

「これはね、経験則なんだけど、面倒な状況に追い込まれた時はね、とにかく早く行動することね」

「だから、喧嘩してないんだって」

 まだ弁当は見つからない。

「ふーん、でも今の状況に納得できてないんでしょ?」

 美咲は箸の先にタコさんウィンナーを付けて、パクっと食べた。

 図星を突かれた。まさに、今の俺を形容するのに最適な単語だ。そうだ、俺は納得できていない。それなのに、俺はこのまま事なかれ主義を突き通そうとしている。

 俺はいつも弁当を入れるカバンの口とは別の口に手を入れて、弁当を探していることにようやく気づいた。

 全く、何をやっているんだ。あの頃と、何も変わっていない。

「美咲、君ってやっぱ変わってるって思うよ。だから、助かった」

 俺は自分のカバンを持って、席を立った。

「ん? 馬鹿にしてる?」

 と言いつつ、美咲はシャインマスカットをパクっと美味しそうに食べる。

 教室の窓側一番後ろの席で、スマホでアニメを見ながら飯を食っている柳田を俺の席に座らせて、

「悪いけど早退するから、俺の代わりにコイツと飯を食ってくれ。嫌だったら、帰すけど。そんで、同中の会談は、また改めてやろう。その時は、俺のおごりでいい」

「おお、眼鏡君か。うん、会談、期待しないで待ってるね」

 美咲はグーサインを俺に送ってきた。

 いつもよりも、40%ほど可愛く見える。

 柳田は極めて不服そうな顔を俺にしてきたが、俺は彼の苦情を聞くよりも先に教室を出た。


 朝倉には“春”という娘がいた。名前の由来は、映画“2001年宇宙の旅”のHAL9000から来ているらしい。朝倉はロボットやコンピュータの元学者でその手のSFが好きだった。そして、娘の春もその血を引いていて、ロボットやコンピュータのことが好きだった。朝倉春という名前に対して、アーサー・C・クラークに通ずる何かがあると意味不明な自慢を俺によくしてきた。

 春の顔はかなり可愛く、必ず初対面の男はちょっと下手に出る。髪型は、恵と同じように長髪だった。春が長い髪を好んでいたのは、母親が病気になる前に撮られた写真で長髪なのが多かったから、って俺が勝手に妄想している。性格は中々キツくて一言で言えば阿婆擦あばずれである。

 父親の影響か勉強や読書が好きだった。そのせいか、達観していた。例えば、小学二年生の時、同級生の女の子が

“マメはね、私のいうこと何でも言うこと聞いてくれるの。マメはワンちゃんなのに、私のこと分かってくれて、私のことが大好きなんだよ!”

 なんてかわいい会話を横耳で聞き、

『そんなわけねーだろ。犬が人の気持ち何か分かるか。犬が好きなのはお前が握っているエサだよ』

 とボヤいていた。本人には聞こえないようにする最低限の配慮はギリギリしていたようだが。

 こんな調子だから、アイツが本音で話ができる友達は、俺の知る限りはいなかった。

 でも、そんな春のことを俺は気に入っていた。しょうもないことでもやると決めたことは絶対にやりきる気合だったり、病弱な癖にやせ我慢したり、顔のカッコイイ奴が来たら猫かぶったりと、変な奴だったけど人間臭くて一緒にいて楽しい奴だった。

 そんな春は、俺達の小6に進級してすぐに死んじまった。死んだのは、4月の第三水曜日だった。

 元々病気になりがちな体質で度々入院していたから、今度もすぐに戻ってくると思っていたのに消えてしまった。家が近くの幼馴染だったためか喧嘩が多かった俺達で、春が死ぬ前の最後の会話も喧嘩別れだった。その内容もかなりしょうもないものである。周りのクラスメートにロボの話ばかりする春は変人扱いされているから、俺は“もっと普通の会話もしろ“と春に注意した。ただでさえ、春は口が悪くて勘違いされやすい性格なのに、話の内容が自己中心的だった。俺は春が嫌われない様に、実は普通の奴なんだと認知してもらえるように働きかけていた。それにもかかわらず、アイツは全く気にも留めず、いつも通りのスタイルを貫き通していたから俺はムカついてしまって、

『お前なんか嫌いだ』

 と言って別れてしまったのだ。この時、彼女の会話を聞いてあげたとしても死んでしまう運命には逆らえないことは、理解しているつもりだ。

 後に知ったのだが実は入院している時以外も、つまりは学校に通っている日ですら病院に行っていたようだ。


 それからは、何も手に着かなくなり、王道の引きこもりルートで小6から中1まで引きこもる。一度だけ、中2で数ヶ月学校に通ったものの結局は引きこもり、以降義務教育を受けていない。春の遺品から理数系の教科書に加えて機械工学や情報工学などの参考書が残されていたから、それらの勉強は引きこもってもしていた。こういう勉強をしている瞬間だけは、まるですぐ近くに春がいたように感じられた。おかげで、ロボット嫌いなのに妙に知識がある変人が爆誕している。

 春が死んでからは、朝倉は学者をやめた。春が生まれてすぐに、朝倉の妻というか春の母親が死んでしまったから、朝倉の妻っぽい会話をするロボットの研究を元々行っていたが、朝倉はその研究に狂ったように没頭し始めた。あのロボットの顔は春にちょっと似ているのだが、それは春の母親がモデルであるからだと思われる。

 朝倉が何の目的であのロボットに執着しているのかも、俺は実は察している。春は、結構ロマンチストな一面もあるせいか、“ロボットにも心を持つことができる”という信念がある。だから、春の想いを実現するために朝倉は一所懸命になっている。俺は春の信念に対してどの立場かというと、人間自身が自分の心を完全に理解できていないのにロボットに心をプログラムできるはずがないと考えていた。

 さて、ここまで色々書いて来たが、結局は俺も春に対して未だに執着がある。否定したいところだが、どう考えても、事実だ。春が怒っているわけではないのに、許してほしいのだと思う。アイツはぶっきらぼうな癖に、時々気を遣う所がある。そんな矛盾人間だからか、“ダイイングメッセージ”っていう名前のテキストファイルを用意して、アイツが死んだ後に俺が見れるようなシステムを組んでいた。

 俺はそのテキストファイルを 読んだが、

『なあサム、どうせお前は馬鹿だからあたしが死んで、メソメソしてるんだろ。泣いたってあたしにはどうせ分かりっこないのに。口の悪いギークながいなくなって良かったじゃない』

 っていうこの文で読むのをやめてしまった。

 俺は春のことを忘れることが罪で、常にそのカルマを背負って生きていこうとしていた。常にアイツのことを忘れずに、生活すると覚悟していた。だから、俺は中学二年生の時に、一度だけ学校通いを始めた。でも、学校生活に慣れていけばいくほど、春のいない生活が当たり前になってしまって、気が付くとアイツのことを忘れて呑気に笑ってしまうことがある。周りの連中だって、小学生の頃に同級生が死んだっていうのに、まるで無かった事のように、別の世界線軸で生きているように日々を過ごしている。そんな環境が、そんな俺自身が、大嫌いでひどく恐ろしく思えてしまった。この歪な感情が俺を再び不登校にさせた。高校に通っているのは、春が死んだことを知る人物が周りにほぼいないことや裏口入学させてくれた朝倉の厚意を無下にできないことから、何となく通ってしまっている。


 ──あのロボットは自分なりに思考を巡らせて、成長している。

 俺はどうなんだ?

 ──美咲は言った。

『自分のしたい様にしろ』

 俺は……?

 今できることとして、春の願いを叶えてあげたい。

 俺も根本的には朝倉と同じ思考なんだ。俺が朝倉をほんのり嫌いな理由だって、自己嫌悪が入っていることも自覚済みだ。

 最終的にロボットには感情を理解できない、という回答に辿り着いてしまったとしても、それでいい。とにもかくにも、朝倉の思惑通りに、恵に高校三年間を過ごさせてみよう。

 違うな。俺のしたいように、恵に色んな経験をさせてみよう。


 朝倉家に着く。

 時刻は既に1時を過ぎている。朝倉は正午って言っていたが、アイツは時間に関してルーズだから、希望はある。

 春が教えてくれた鍵の隠し場所である家の裏の窓の溝に手を突っ込みと、随分汚くなっているが、まだ鍵は置いてあった。それを使って、朝倉家に不法侵入する。

 朝倉の研究所は、この家の地下室にある。

 5年ぶり近くにこの家に来たが、地下室までの道をまるで通学路のように、勝手に俺の足が歩く。地下への階段を下っていくと、徐々にコンクリートの打ちっ放しになってくる。

 研究室の入り口に立つ。懐かしさを感じる。

 意を決して、扉を勢いよく開ける。

 しかし、研究室のメインの部屋には誰もいなくて、扉の開閉音だけが響く。

 この研究室には他にも3つほど小さい小部屋がある。俺は真っ先に朝倉の部屋に行こうとした。

 でも、勢いで5年近くぶりにここに来たことに脳がようやく認識し始めたらしく、俺は入り口から一番近い小部屋の扉に手をかけた。どうしても、見てみたくなった。ここを開けたら、アイツが、春がいるような気がしてしまった。この扉を開けたら、俺は本当に心の底からアイツが死んだことを理解できる。そんな気がしている。

 この小部屋にだけ、ロックがある。例の15桁の数字を打って、解除。

 ゆっくりと扉を開ける。

 部屋の間取りは全く変化していなかった。机と椅子が置いてあり、椅子に座る向きは、入り口を背にして座る向きとなる。机の上にはモニターが3つあって……、電源が付いていた。そして、よく見るとキーボードには手が見える。

 誰かがこの部屋にいるんだ。

 椅子の後ろに立つとモニターの他に、ノートパソコンが置いてあることにも気づく。

 そこには、春が俺に送ってくれた例のテキストファイルが開かれている。あのファイルにはパスワードが必要で、この鍵を知っているのは俺と春だけ。それなのに、テキストファイルは開かれている。

 部屋は寒くないのに、心拍数が上昇する。

 鼓動がうるさい。

 椅子に手をかける。

 ガキの頃は、椅子の頭の部分に手が届かなかったが、今は普通に届く。

 俺は椅子をゆっくりと回転させる。

 椅子に座っている人物を確認した。

 その人物は、やはり──恵だった。

 ──この瞬間、ずっと重かった何かが、スッと消えた感覚がした。


 恵は、1ミリも驚いた様子を見せず、キーボードをいじっていた手の形を死後硬直のように残したまま、俺の方を向いている。服は制服じゃなくて、キャミソールにパーカーを羽織っていた。服を買ったというのは、本当だったっぽい。このセンスは、朝倉の趣味か?

「どうやって、このパスワードを入手したんだ?」

 正直、検討は付いていたが確認のために聞いた。

「サム君が携帯電話のパスワードを入力している映像をスロー再生させて、15桁の数字を特定しました」

 共通鍵の悪いところが出てしまったようだ。

 あの15桁の数字がバレてしまえば、春のパソコンや春の情報には余裕で侵入できる。なぜなら、春のパスワードは全てこの数字だからだ。

 恵は、恐らく春の残した情報を可能な限り全て学習したはずだ。恵には、春のことを知ってほしくなかった気持ちもあるが仕方ない。高性能な機械学習のデメリットだ。

 俺達が話しているのに、一番話がしたい奴が顔を中々出さない。

「朝倉は? どこ行ったの?」

「部屋で寝ていると思います」

 確認すると、本当に寝ていた。

 恵の話によれば、1時間前くらいまではずっと恵本体のOS関連やデバドラ関連の調整をしていた。

「ってことは、右腕治ったの?」

「いいえ、あくまで応急処置の域を脱していません。やはり、新たに右腕を設計してもらう以外の抜本的な解決方法はありません。ただし、前回の外付けバッテリーを用いて電磁気の力で結合させる仕様の時より、右腕の結合が外れてしまう可能性は格段に下がりました。」

 その右腕の設計には早くても半年かかるらしい。

 ──抜本的な解決方法。

 その単語が俺の脳から離れない。

「──ってことは、やっぱり、お前解体されちまうのか……」

 恵は目測で約3°、ラジアン法で言えば約0.052 radほど頭を回転させて、困惑の意を示した。

「朝倉に言われてないのか? お前、シャットダウンさせられちまうって」

「16時間ほど、シャットダウンはされていました。つい1時間前まで、私は電源が付いていませんでしたから」

 何か会話が嚙み合わないな。

 確かに朝倉は言った。

『しんどいだろうと思うからさ、もう明日の正午頃までにはシャットダウンさせるつもりだ』

 だが、今の状況ではこのように言うべきだ。

『しんどいだろうと思うからさ、もう明日の正午頃まではシャットダウンさせて、右腕の改良しておくから』

 当時の様子を、冷静に振り返ろう。妙なところが一つだけある。

 俺が貰ったアイスだ。あのタイプのアイスは、10分から20分くらい放置しておくと、いい感じにシャーベット状になる。あの時は、もう完全に水になっていた。

 一つの仮説が頭の中で、浮かんだ。

 くっだらない仮説だが、あの朝倉のことだ、あり得る。

 あらゆる出来事は、仮説を立て検証し立証する。

 これは春の受け売りだ。

「恵、ちょっと付き合ってくれ」

「でも、勝手に外出すると、先生が困ってしまうかもしれません」

「いいから。とりま、その服装から何かに着替えてこい」

 恵が着替えている間に、俺は今日配られた宿題のB4サイズの紙の裏に、マーカーで

『恵を借りる。すぐ帰る。あと、ちゃんと説明しろよ、じじい』

 と書いた。

 恵は上にTシャツ、下に黒いパンツ、それでさっきまで羽織っていたパーカーで出てきた。

 その格好なら大丈夫だろう。朝倉家から、恵を連れ出した。


 俺はブランコのない公園に、恵を連れてきた。

 確認すべきは、ごみ箱の中身だ。

 中身を覗くと、描写するのが嫌なくらいmessyだったが、幸いにもビニール袋のゴミは一つだった。

 この袋を回収し、中身を確認する。すると、ビンゴ。

 酒の空き缶は1つと、空き瓶が1つ。この空き瓶の存在によって、朝倉が捨てたごみ袋で証明になっている。

 俺の読み通りでレシートまで袋の中にある。

 レシートっていうのは個人情報の塊で、いつどこで何を買い、何を使って決済したかもバレる。


 購入時刻:20時29分

 購入の品:酒類×5つ、カルパス×1つ、タバコ×1つ、アイス×1つ

 場所:***マート 向日むこう第3支店


 恵にも見せる。

「そのコンビニから、この公園まで歩いて何分くらいだ」

「約20分です」

 整理しよう。

 アイツは20時半頃にコンビニでさっき確認した品物を買う。その後、本来であれば、20時50分、つまりは21時前にはこの公園に着くはずだ。だが、奴が姿を現したのは21時20分だ。空白の30分が存在する。

 次の疑問に移る。消えた発泡酒やおつまみの存在は、どこに行った?

 公園で自分のゴミではないモノまで、拾って捨てるような男だ。ポイ捨ては考えられない。となると、浮上する事実は町の中にあるごみ箱のどこかだ。

「恵、ここから半径1kmの範囲でゴミ箱がありそうな場所を教えてくれ」

 この向日という場所は、ヤンキーが多いせいか、自動販売機の横に置いてあるはずの空き缶回収の箱は撤去されまくっている。そのせいか、恵は衛星画像から突き止めたごみ箱がある場所も、全て確認したが現在はない。発見できたごみ箱は、俺たちが最初に訪れた公園と朝倉が寄ったコンビニの2つのみ。

 ここまで分かると、もう答えはすぐそこだ。

 つまり、朝倉はコンビニで品物を購入したのちに、コンビニの駐車場かどこかで、酒4つとおつまみを飲んで食べた。空白の30分はここで浪費されたと考えるのが合理的だ。飲み食いしたゴミは、コンビニのゴミ箱に捨てて、俺の待つ公園にやってきた。

 アイスが溶けていた理由は1時間近く放置されていたからだ。昨日はかなり寒かったが、奴がコンビニでアイスを買ってから、50分経って、加えて10分程度話をしていたのだが、合計で1時間放置だ。

 いよいよ本題の、朝倉が飲んだ酒のアルコールの量だ。ゴミ箱探しでコンビニ酔った際に、恵にレシートを渡して、

 朝倉が摂取したアルコール量を計算してもらった。その結果は、俺と話している時に朝倉が摂取していたアルコール量は

「80gです」

 っと言っている。

 この情報と俺の目測で朝倉の体重が70kgくらいであることを加味すると、奴の血中濃度は

「0.16%以上です」

 と恵が計算してくれた。

 血中濃度0.16%以上の酔いの状態は、酩酊期と定義される。

 したがって、ここまでの長々と積み重ねてきたロジックから導き出される結論は、あの馬鹿野郎は俺と酔っぱらった状態で話していたってことだ。

 だから、あの日に朝倉は色々言っているが、言いたかったことの本質は『1日だけ、恵を欠席させて、右腕の調整をする』ってことの許可を俺に取ってきたのだ。本人に後で、確認するが、間違っていないだろう。

 こんなに飲んでいたのに、奴の酒臭さに気づかない俺も俺だが、あの時は顔をまともに見ていないし、鼻が詰まっていたし、しょうがない。ほんっとに、下らない。

 ──マジで、下らないぜ。


 なんだかんだで、1時間くらい、恵を連れ出してしまった。俺達は公園から、帰ることにした。

 この帰路の最中に、入学式の日に朝倉が少しだけ酒臭かったことを思い出した。

「もしかして、君本体を触るときには、いつも朝倉は酒を飲んでいるのか?」

「分かりません。私の改造をする際には私はシャットダウン状態になるため、先生が作業中に飲酒しているかどうかの確認するすべがありません」

 朝倉は、俺の知る限り、そんなに酒を飲まないタイプだ。だから、酒を飲むってことは何かしら理由があると思うのだが、それは本人に尋問すればいいか。

 俺は恵のシャットダウンという単語に、ついさっきまでの自分の感情を思い出して、こんなことを言い出してしまった。

「多分、俺の勘違いだっただろうけど──」

 少し前の俺だったら、きっと今の俺を嘲笑ちょうしょうしていただろう。目の前のロボットに対して、こんなセリフを吐いてしまう狂人。でも、構うもんか。

 俺は、恵の肩を掴んでこっちを向かせて、恵の右手を握りしめ、

「お前を解体させるようなことは、絶対させないからな」

 と言ってしまった。

 恵からすれば、急にこんなことを俺が言い出して、気色悪いと思っているだろうな。俺が恥ずかしがって顔を直視できなかったから、分からなかったけど、そうに違いない。

 しかし、この時、俺が強く握りすぎたためか、またしても右腕が外れてしまった。

 ここで初めて、恵の顔を見ると、眉がちょっとだけ上がっていて、

「外れる可能性は小さいはず……」

 と強がっていたのことが可笑しくて、笑った。

 久しぶりに心の底から笑った気がする。

 その後は、右腕が外れてしまっても家は近いから、俺の着ていた制服を恵にかけて隠しながら帰った。


 家に帰っても、まだ馬鹿の飲んだくれは熟睡している。多分しばらくは起きないだろう。

 ちょっとムカつくが、俺は家に帰ることにした。玄関で帰る準備をしていた所で、恵が朝倉に残した置き手紙を返してきた。

「あ! 恵、これ、宿題だ。」

 この宿題は今日が水曜日だから、明日絶対に提出しなくてはならない。

「もう既に、宿題の中身は記憶したので大丈夫です」

 何故か、少し残念に思えてしまった。便利すぎるというのは、時に不都合である。

「あ! 柳田からハンカチ貰ったんだった」

 俺はカバンからハンカチを出して、恵に渡した。

「お礼、言っとけよ」

「はい、今メッセージを送っています」

 既に連絡先を交換しているようだ。柳田って何者なんだアイツ?

「そういえば、深津ふかつの連絡先、共有してなかったな。今しようぜ」

 恵は、自分の携帯電話を取りに行き、ものの20秒もせずに、美咲の連絡先を伝えた。

「えーと、あと、用はないか……」

 俺がいつまで経っても玄関から出ないから、恵も動かない。

 ──自分がどうしたいか……。

「宿題さ、春の部屋でやっていいか?」

 恵は、──はっきりと分かるくらい顔を上下させて、許可をくれた。

 それからは、宿題なんかせずに、恵に春のことを色々教えてあげた。どうせ、いつかバレるだろうし。何よりも、恵に春のことを知られたくないのは俺のエゴが原因だ。

 今日は久しぶりに、あのじゃじゃ馬娘うまむすめについて語った。




 語っている最中に、話題は例の手紙へと移り、ノートパソコンに映っている文字を恵に読んでもらった。

 朝倉にちょっと感謝。春に直接読まれるよりも、俺の好きな声優の声で聴きたいからな。

 なんてな。

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