第2話 鈍色

 おれの親は相当仲が悪い。


 目を合わせることも無ければ、言葉も交わさない。どうしてこんな二人が結婚して、おれを産むに至ったんだかさっぱり分からない。


 やっと口を開いたと思ったら、直ぐに語気が荒くなっていって、口喧嘩に発展する。そこで終わることがあれば次の日はきっと雪だ。大抵はそのままエスカレートして親父がお袋を殴り始め、お袋は泣き叫びながら手当り次第に物を投げつけていた。


 幼かったおれはテーブルの下に隠れて耳を塞ぎ、飛び交う食器やリモコン、暴言と暴力をやり過ごしていた。


 おれも何度かはお袋を守らなきゃって間に親父の前に立ちはだかったこともあるけど、「お前までこいつの味方に着くのか」って蹴り飛ばされて、結局身体中に痣ができるだけだった。


 それからしばらくして、小学校に入る頃には親が家にいることがほとんどなくなった。


 時々帰ってきても、親父は酒臭くて機嫌も悪く、おれのことをただただ殴った。お袋は親父がいない時間を見計らって、知らない男を連れてきて、その男がおれに暴力を振るうのを笑った。


 ご飯には困らなかった。


 少し離れたところに住んでる知らない一人暮らしのばあちゃんだったけど、腹が減ってる時はそこに行けば、何も聞かずにご飯を食べさせてくれた。


 小学校に入る頃には、親はまた家に戻ってくるようになったけど、やっぱり喧嘩と暴力は無くならなくて、おれは夏でも長袖を着て、周りからは変な目で見られることになった。


 授業参観になんか、当然来るわけが無い。周りの奴らが親に良いところを見せようとして、一生懸命に手を挙げているのを見て、胸の辺りにぽっかり空いた穴が大きくなっていく感じがした。


 別に、頑張ったところで見てくれる人もいなければ、褒めてくれる人もいない。


 毎日がつまらなかった。どうでもよかった。けどそれと同時に、誰かに認めてもらいたいって思っていた記憶もある。


 授業中も、先生の話はほとんど聞いていなかった。ちゃんと勉強しても、良い点を取ったとしても、こっちを見もしないで「良かったじゃん 」と抑揚のない声が返ってくるだけ。


 やる気なんて起きるわけがなかった。


 ずっと退屈で、幸せそうな奴らに囲まれているのが嫌で嫌で仕方がなくて、おれは教室を飛び出した。


 誰も居ない、ずーっと向こうまで広がっている校庭をぼうっと眺めながら、一人でブランコを漕いでいる方が、幾分か心が落ち着いた。


 まぁ今思えばかなりの問題児だったと思うし、先生にも迷惑をかけたと思ってるけど、あの頃はそんなこと考えられる余裕とか無かった。


 騒ぎ散らして授業を妨害したわけじゃない。

 ただ一人で教室を飛び出しただけ。他の子に暴力を振ったわけでもない。


 先生には迷惑をかけたかもしれないけど、周りの奴らには迷惑をかけてはいないと思っていた。


 そんなことを繰り返していたある日、おれは担任に呼び出され、怒鳴られた。


 担任は泣いていた。


「授業も積極的に受けてくれないし、何度注意しても勝手に出ていってしまう。あなたについて行こうとする他の子たちを止めなきゃいけない私の身にもなって!!そんなに私の授業はつまらない!?他の子にも迷惑をかけないで!!私に恥をかかせないで!!」


 こっちの話なんて聞く耳も持たず、そうまくしたてて、担任はおれの頭を叩いた。


 おれも泣きたかった。


「もっともっと周りをよく見て、他の子に合わせて、ちゃんと考えて動きなさい!!」


 その言葉は今でも忘れていない。


 一番自分のことしか考えていない大人がそれを言うのか。


 家の中だけじゃなく、外の大人たちですらそうなのだと思い知った瞬間だったから。


 だからそれ以降もおれは授業を抜け出した。


 他の奴らに「一緒に抜け出そうぜ」と声をかけたことはない。他の奴らが勝手についてきただけだ。


 その度に担任に怒鳴られ、叩かれた。


 おれは、おれだけが怒られる意味がわからなかった。


 おれに言ったように、他の奴らにも言ってやれよ。叩いてやれよ。周りを見てよく考えろって。


 おれが悪い子なだけで、みんなは良い子なんだから悪いことしないのって、そう教えてやればいいじゃないか。


 まぁ担任はその後めっちゃ頑張ったんだろ。それと、他の奴らが成長していったってのもあると思う。


 高学年になる頃には、俺についてきてた奴らはすっかり居なくなって、ただ冷たい目を向けてくるだけになった。


 おれはあのクソ親父の血を色濃く継いでいたようで、身体がどんどん大きくなり、身長は他の奴らよりも飛び抜けて大きくなっていたから、いじめられたりとかはなかったけど、みんなおれの周りには寄り付かなくなっていた。


 自分でそういう状況にしたことにも気づかないまま、おれは勝手に孤独感を膨らませていた。


 おれのことを見下したような担任の目も、その目にどんどん似ていく周りの奴らの目も、おれのことを捉えもしない家にいる四つの目も、全部全部嫌いだった。


 友達と呼べる奴なんか居なかったし、当然遊ぶような奴らも居なかった。


 中学からは学区の関係上、おれの小学校の奴らはほぼ半分ずつに別れて、別々の中学に通うことになるってことだった。


 おれが入ることになったのは、葦原中ってとこ。


 周りの奴らは、「別の学校だけど、休みは遊ぼうな」とか、「また会えるよね」とか言って泣いたりしていたけど、おれはそれを冷めた目で見ていた。


 葦原中には、おれらの小学校の他に、もう一校の奴らが入学してくることになっているらしく、そっちは全員がそのまま漏れなく葦原中に入学してくることになっていた。


 人数で言えばおれたちの方が少数派だ。おれのことを知ってる奴が減るのは正直気持ちが軽くなる気がしたけど、入学して直ぐにそれが誤りだったことに気づいた。


 噂はすぐに広まるもんだ。


 入学してすぐに、おれは授業を抜け出すヤバい奴って話が広がってて、大きな身体も相まって、またあの嫌な目を向けられることになった。


 中学の先生たちにも、小学校の先生たちから話が伝わってきてるのか、教師たちがおれに対して警戒心を持っているのがヒシヒシと伝わってきた。


 けど、と源先生だけは違った。


 と源先生の目には、ちゃんとおれが映っていた。それも、ちっちゃい頃のおれがそのまま映っていたと思う。


 おれはそれが嬉しかった。


 ずっと欲しかったものをくれた気がした。


 なのに、それなのに……

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